ホウ・シャオシェンの検索結果
今年で10回目を迎えた東京フィルメックスのオープニングを飾ったのは、今年のカンヌ国際映画祭コンペティションをはじめ、各国のフェスティバルで上映されたツァイ・ミンリャン監督の10作目、『Visage』(英題『Face』)。以前本サイトでも触れたが、オルセー美術館×ホウ・シャオシェン(『ホウ・シャオ…
エリック・ロメールの最新作が、オノレ・デュルフェ作の仏古典文学『アストレ』の映画化であると知ったのは数年前、東京国際映画祭のマーケットで日本の配給会社を探していた製作スタッフと出会ったときのこと。当時、入手したシナリオは残念ながら英語版で、ロメールが偏愛する古典フランス語の美しさを読み解くには至…
辞書を引けばまず「地下鉄」と出てくるからには、地下を走るのが今では当たり前のパリのメトロが、19世紀末には、高架を走らせるか地下を走らせるかをめぐって、激しい議論が繰り広げられていたのは、比較的よく知られている。結局この論争は「地下派」が勝利し、やがて私たちが今日知るようなトンネル網が張り巡らされ…
久闊と追悼 Going into Albert's by the lake brings back a lot of memories... (湖畔のレストラン「アルバート」に行くのは久しぶりである)*1 それはまるで友との語らいのように始まる。シアトルに住んでいたとき、ぼくはよくそこに食べに行っ…
10月21日付けの「ル・モンド」紙によれば、フランス文化庁は、オルセー美術館のホウ・シャオシェン新作への共同出資にNGを出した。ジュリエット・ビノシュ出演、アルベール・ラモリス監督『赤い風船』(1956)に着想を得た本作は当初、オルセー開館20周年記念プロジェクトとして、HHHとオリヴィエ・アサ…
0. 私たちは知っている。現実あるいは空想の世界で、目にした光景、出会った人々、触れ合ったものは、監視カメラで撮ったように、無差別かつ自動的に私たちのうちに記録されるものではないということを。記憶は意識的な判断に関わらず選択的に形成され、私たち自身に、そのルールの決定権はない。そして、さまざまな過…
映画批評とは何か。それは、大学における映画研究に似てはいても、学問のように制度化された公共性を獲得したことが一度もなければ、欲したことさえないといえるだろう。その一方で、映画というイメージの経験を前にして抽象的な思考を提示するそれは、美学あるいは哲学に似ているともいえる。だが、映画批評における書き…
- S・スピルバーグ『リンカーン』──民主主義のカタルシス洋の東西を問わず、権力と映画はウマが合わない。 歴史上、権力が映画を利用しプロパガンダを作れば、ロクな作品ができた試しはないし……
- ジョアン・ペドロ・ロドリゲス レトロスペクティブ3月23日からアテネ・フランセ文化センターと川崎市民ミュージアムで開催。
- K編集長のcinema days vol.6『ギリギリの女たち』(2011年)を見たのは、昨年秋の第24回東京国際映画祭の特別上映「震災を越えて」でのことだった。
- 映画が生まれる場所
──第64回カンヌ映画祭報告[journal]批評家週間の充実等、見所多い今年のカンヌ。 - 無限に拡散する自己「像」を肯定できるのか?
——D・アロノフスキー『ブラック・スワン』[film]ダンサー、ニナの「像」をめぐって - イタリア人による“アンチ・ルネサンス”の賛歌
『四つのいのち』監督ミケランジェロ・フランマルティーノ インタヴュー[interview]老人やぎと木と木炭のサイクルを描く異色作監督。