第10回東京フィルメックス レポート vol. 1

石橋今日美

 今年で10回目を迎えた東京フィルメックスのオープニングを飾ったのは、今年のカンヌ国際映画祭コンペティションをはじめ、各国のフェスティバルで上映されたツァイ・ミンリャン監督の10作目、『Visage』(英題『Face』)。以前本サイトでも触れたが、オルセー美術館×ホウ・シャオシェン(『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』[2007])の好敵手ともいえる、ルーヴル美術館がツァイ監督に制作を依頼したフィルムだ。上映後のQ&Aで監督が語ったところによると、美術館側から作品の内容などに関する制約はなかったという。カンヌ映画祭期間中にたまたまフランスのラジオ局による、本作のメイキング・オフ的なドキュメンタリーを聞いていた。その中で仏側のスタッフが、現場でのツァイは不安になるくらい予測不可能であっても、いつも想像をはるかに超えたものができあがってくる、と語っていたのが印象的だった。ストーリーボードのようなものを描いて見せて終わり、というやり方とは対極の、どこかマジカルな現場を思わせた。そして完成した作品は、まさに魔術的な魅力をたたえたものだった。

 『Visage』はvisageについてのフィルム、といっても過言ではないだろう。「サロメ」を主題にした作品をルーヴル美術館とその付近で撮影する台湾の映画監督カン(リー・カーション)の顔。彼が氷を押しつけてまで、「透明感を出したい」とこだわるヒロイン(ルテシア・カスタ)の顔。アップで挿入される、フランソワ・トリュフォーのポートレートを見つめる映画プロデューサー(ファニー・アルダン)や、鏡に「やはりあなたを愛せない」とルージュで書いて現場から姿を消す俳優アントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)の顔。ジャンヌ・モロー、ナタリー・バイが顔を見せることからも、ツァイのフランソワ・トリュフォーへの敬愛の念は明白だが、単なる一方通行のオマージュではなく、トリュフォーを通して、リー・カーションとジャン=ピエール・レオの顔の邂逅を描く作品だ(ふたりがモニターの前で、「オーソン・ウェルズ」「パゾリーニ、フェリーニ、アントニオーニ」……「ミゾグチ」「ミゾグチ?」と映画作家の名をしりとりのように挙げる場面は微笑ましい傑作)。

 いかに人物の顔をフレームの中におさめることができるのか、あるいはフレームで切り取ってしまうことができるのか。まなざしにプライオリティーをおいた顔へのアプローチではない。終盤、ヒロインが監督に、なぜ自分を正視してくれなかったのか、と問いかけるように、視線の交錯によってエモーショナルな高まりが生まれる瞬間は稀有であり、キャメラはすべてのパーツを無差別に扱う。例えば冒頭、カフェのガラスに映し出されるパリの街並みと等価のごとく重なり合うリー・カーションの顔は、撮影中、雪と寒さにさらされ、長細い鏡が立ち並ぶ木立の中で、迷子の子供のように増殖する。窓ガラスに黒いテープを貼り続けるルテシア・カスタの横顔は、いったん暗闇に呑み込まれ(闇そのものを映し出すという美しいアイディア)、スナックを口にする物音とともに、ライターの明かりの中に浮かび上がる。黙々と供え物のリンゴをかじるファニー・アルダンとカンの母の遺影(『ふたつの時、ふたりの時間』[2001]『迷子』[2003]などでおなじみのルー・イーチン)が並ぶ画面は、遺影になっているはずの母親が、巨大な白い魚の水槽に映る、部屋全体のロング・ショットに切り替わる。さまざまな顔の様態を見せると同時に、事物を隠すものとしてのフレームの機能がシンプルかつ大胆に発揮され、被写体との距離が開くショットへの切り替わりが、次にどんなシチュエーションが展開するのか予見できないサスペンスを用意する。俯瞰、ローアングルと高さのバリエーションと、奥行きを生かした室内の構図も秀逸だ。

 アパルトマンを水浸しにしてしまう水道、パリの地下水道の場面(半身水に浸かって前進するリー・カーションに、トンネルの壁に大きく投影される映画のキャメラの影が迫るショットは忘れがたい)、お馴染みの白い魚の水槽といった水の存在、ベッドに横たわる人物、病、プレイバックでルテシア・カスタが歌う歌謡曲など、これまでのツァイ作品を彩ってきたモチーフを引き継ぎながらも、ストーリーテリングの映画からは最も遠ざかった作品となっている(キャストが演じているのが何の役なのか、全員すぐには分からない)。そして、思わずくすくすと笑ってしまう奔放なユーモアも兼ね備えている。逆にストーリーの展開が必要と思われないほど、ワンカット、ワンカットの密度が高い。断片をとっても、見る者に悦びを与えてくれる。これほどまでに新作に熱狂できる映画作家が、他にどれほどいるだろう。

23 Nov 2009
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