『我が至上の愛』主演 アンディー・ジレ&ステファニー・クレイヤンクール インタヴュー

インタビュー

 エリック・ロメールの最新作が、オノレ・デュルフェ作の仏古典文学『アストレ』の映画化であると知ったのは数年前、東京国際映画祭のマーケットで日本の配給会社を探していた製作スタッフと出会ったときのこと。当時、入手したシナリオは残念ながら英語版で、ロメールが偏愛する古典フランス語の美しさを読み解くには至らなかった。が、脚本とともに渡された主演キャストの写真を見て、心底驚いてしまった。まるでルネサンス絵画から抜け出てきたような主演のふたり。目も覚めるような正統派の美男美女にして、その力強く、ミステリアスなまなざしに、「お人形」的なルックスにとどまらない可能性を感じてエキサイトしてしまった。
 実際に出会うことのできたフレッシュな主演のふたり、セラドン役のアンディー・ジレと、アストレ役のステファニー・クレイヤンクールは、それぞれ独自の視点で、ロメールと一緒に組むこと、その貴重な映画的経験について、いきいきと語ってくれた(特にステファニーとは「ロックな」部分──インディペンデントで物怖じをしない、DIY [Do it yourself] のスピリット、とでも言おうか──で波長が合い、盛り上がる)。さまざまなエモーションを果敢に体現するふたりの存在は、本作の主役でもある手つかずの自然、風に揺れる木々の葉や水面のきらめきと同じように、ロメールに必然のように映る偶然、決して予測できない「今」という一瞬の一回性のドラマを大いにインスパイアしたことだろう。
(インタビュー・構成:石橋今日美)

アンディー・ジレ ──ロメール・ファミリーの一員になる幸福

──今回は初の大役にして、エリック・ロメールという偉大なシネアストとのお仕事だったわけですが、この作品に参加するきっかけは何だったのでしょう?

ロメールの25年来のコラボレーター、フランソワーズ・エチュガレー*1が、演劇学校で僕の姿を見て、「ロメールに写真を送ってみては」と言われ、彼女のおかげで、実際に監督と会うことになったんだ。彼の事務所で、紅茶とお菓子を囲んで、他愛のないおしゃべりをして素敵な午後を過ごした。帰る間際に、ロメールに、ラシーヌの韻文を音読するように言われた。僕が古いフランス語の台詞を話せるかどうか、試してみるためにね。それから、毎月、1、2回会うようになって、ある時、映画の中で使用される楽曲の譜面をマスターするようにと渡されて、初めて役に決まったと分かったんだ。ほぼ6ヶ月くらい、キャスティングされるかどうか分からないまま、ロメールに会っていたことになるね。

──その間、他にはどのような活動を?

演技のレッスンを受けながら、『カリギュラ』の舞台[シャルル・ベリング主演・演出]とアンヌ・フォンテーヌ監督の『Nouvelle chance』(2006)に出演した。

──今回の作品で最も大変だったことは何ですか?

一番の問題は台詞を自分のものにすることだった。

──古式ゆかしいフランス語で書かれた台詞ですよね。

そう。だから古いフランス語ではなく、自然に聞こえるようにマスターするのに苦労した。観客にとって、台詞が作品世界に入っていく障害にならないように、書かれたテキストではなく、感情の表現として響くようにするために、発声の仕方から取り組んでいく必要があったんだ。ロメールは、ダイアローグの一語一語に対して俳優が正確に発音することにこだわっていたからね。

──その点に関して、即興はなかった訳ですね。

テキストに忠実でさえあれば、どのように登場人物の心理を表現するかは、まったく自由だった。ロメールはいわゆる演技指導というものをまったくしないんだ。

──「そこでこう動いて」といったような指示は一切出さないのですか?

彼が望むことは、台詞が完璧であること。演技については何も言わない。午前中に、2、3時間リハーサルがあって、そこでロメールはキャメラのアングルや構図的にどんなカットが欲しいかなど、大体の説明をする。そして、ランチをはさんで午後からの本番では、キャストの思うように演じさせて、キャメラはそれに合わせるように撮影は進んでいった。彼自身「感情を表すのは俳優の仕事であって、私の仕事は脚本の執筆と演出だ」ってはっきり言っていたよ。

──他の監督との大きな違いを感じられたのではないですか?

違いもそうだけど、特にレベルだね。あんな風に仕事をする映画作家は、他にはいない。そもそもスタッフの数が、とても限られてる。現場には6人のスタッフしかいないんだ。

──一種のファミリーですね。

その通り。撮影をしている家族のようだった。ロケ地ではみんな同じようにキャンピング生活を送りながら、家族的なエスプリのもと、一緒にいることの喜びが生まれ、お互いの信頼感が高まることで、僕たちは自由に自己表現できるし、ロメールは偶然のドラマを創り出すことができるんだ。全員が自由だと感じるために必要なあらゆる要素が揃って、ベストなものが生み出される。ロメールは信じられないくらい、僕たちの思うままに演じさせてくれて、それは非常に魅力的だったけど、同時にとてつもない責任感を感じたよ。何しろ彼はワンテイクしか撮らなかったから。技術的な問題があった場合は別だけど、ワンテイクしかないと分かっていたら、NGは出せないって覚悟するよね。

──ロメールは、スタッフ、キャストとの間に見事な共犯関係を築いたわけですね。

彼は撮影機材担当の人であろうと、主演俳優であろうと、みんなに対してごくシンプルかつ平等な態度で接することができる監督なんだ。撮影に関わる人の中にヒエラルキーは存在しない。もし皿洗いをする必要があれば、キャストがごく当たり前のように皿を洗う。ロメールとの撮影は昔からそうなんだ。アリエル・ドンバールだって食事の後片付けをするし、ファブリス・ルキーニはみんなに料理の腕をふるう。で、ロメールはホウキで掃除をするといった具合にね。ロメール・ファミリーのような雰囲気があるからこそ、彼の映画のマジックが生まれる。だから俳優の間で、妙な競争心や嫉妬の問題が起こることはまったくない。ロメールは、誰が監督の一番のお気に入りになるか、といった関係性とはかけ離れた人物なんだ。

──それは観客として作品を見ていても、何となく伝わってきます。

そう、彼のフィルムから自然に感じられるものだと思う。正直に言って、撮影中はみんな幸福感を味わっていたから、現場では自然に自分を解放して演じることができた。完成した作品を見て初めて、「なんてハードなことをやりのけたんだ!」って改めて気がついたよ。「これは一体何事だろう。自分は森の中で、ひらひらしたドレスを着た女の子になってるじゃないか!」って思わず我にかえって、ロメールとの仕事でなければ、めちゃくちゃな大失敗になっていただろうなって(笑)。撮影中は、繰り返しになるけど、無頓着でひたすらハッピーだったからね。そういった幸福なシチュエーションを作ったのはロメールだよ。

──感情を表現する上で、どのように女の子に姿を変えた青年を演じきったのですか?

女性を演じるのはとても興味深かった。監督が与えてくれた、この役を演じるチャンスを心から楽しんだよ。デリケートで難しい役柄だからこそ、やりがいもあるし、面白いと思ったんだ。女性に変装した男性の下品なステレオタイプにならないように一生懸命努力して、取り組んだ。

──作品に描かれている、どうしようもなく惹かれ合うふたりの女性の想いについて、どのように受け止めましたか?

女性同士あるいは男性同士、男と女の情熱的な恋愛は、すべて可能だと思う。一見そうは見えないかもしれないけど、この作品は同性間の自由な恋愛というテーマに迫っていて、その点では現代にマッチしたとてもモダンなフィルムになっている。性別がどうであれ、まず相手のパーソナリティーに惹かれて恋に落ちる様子を描いているからね。ラストシーンは、アストレが女装したセラドンに気がつくかどうか、女性の姿をした男性の外見と真実の曖昧さをめぐって展開する。観客は、女装した姿がどこまで通用するのか、疑問に思うことで、いくつもの解釈ができると思うよ。

──ロメールとはこうしたことについてディスカッションしたのですか?

いや、ほとんど話さなかった。たとえ作品のテーマであっても、俳優が知的な作品分析をするのは、逆に非常に危険なこと、一種の罠になりえる。作品について熟考し、いかに演出するかを考えるのは監督の仕事だと思う。俳優は感情やエモーションについて取り組み、監督の役に立つ存在であるべきなんじゃないかな。

──では役柄へのアプローチは……

心の奥からわき出てくるものを本能的に表現することに尽きるよ。直感的にあふれ出すエモーションを監督にゆだねると、天才的な監督はそれを作品に仕上げてゆくことができるんだ。

──撮影中にラッシュはご覧になりましたか?

演出に関わるスタッフは見ていたけど、キャストにその権利はなかった。ワンテイクのみ、かつラッシュも見られないとなると、一瞬パニックになりそうだった。でも、逆にラッシュを見ないことで、自分の演技に勝手な自己評価を下す必要もなく、ロメールのような人物が信頼してくれているのだから、自分に対して自信を持とうという気になって、のびのびと演技を続けることができた。完成作を見るたびに、新たな発見をする豊かさがあって、それはロメールの知性やシネアストとしてのあり方が生んだ豊かさなのだと思う。初めて完成ヴァージョンを見たときは、作品の瑞々しさ、ポエジーにすっかり心を奪われた。現場では見逃していたものを、改めて見出すことができた。例えばラストシーンの繊細さ、現代性、そしてロメールが最後に込めたユーモアなど、撮影のときは意識していなかったことがたくさんあったんだ。

──ロメールとは撮影後もお会いになりましたか?

彼とはいつもコンタクトをとってるよ。一度ロメール作品に参加したら、本当にファミリーの一員になることができるんだ。おかげでパスカル・グレゴリーや、マリー・リヴィエールにも出会うことができた。彼らと同じロメール映画のファミリーになれたことを、心からうれしく誇りに思ってる。俳優だけじゃない。フランソワーズ・エチュガレーのような素晴らしい女性や、ディアーヌ・バラチエ[撮影監督]など、才能あふれる人々と知り合えたのは、最高の幸福だよ。

──ご自身は幼いときからシネフィルだったのですか?

そうでもない。映画は好きで興味はもっていたけど、田舎の小さな町に育ったので、映画館や文化的な施設に出入りすることができなかった。家族は映画に対する好奇心を刺激してくれたけど、家にビデオがいっぱいあるような家庭ではなかったので、子供の頃は映画をたくさん見ることはなかった。日本のマンガはたくさん見たけど(笑)。

──では映画の世界に入ったのは?

あるとき俳優になりたいと思って、努力しながら、道を探していったんだ。

──シェイクスピアがお好きだとうかがいましたが、今回の作品は最後に奇跡が訪れるという意味で、『冬物語』(1992)にも似たシェイクスピア的な部分がありますよね。

奇跡もそうだけど、女装した男性が意中の女性を誘惑する点でも、非常にシェイクスピア的だと言える。

──ロメールの他に、一緒に仕事をしたいと思う監督はいますか?

そうだね、ホウ・シャオシェンやさっきから名前が出てこない『バベル』(2006)の監督[アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ]とは是非組んでみたい。他にはパスカル・ボニゼールや、日本の監督では北野武の作品には出たいね。

──本作以降、たくさんの出演オファーがあったのでは?

でもひとつのプロジェクトが固まって、軌道にのるまで、かなりの時間がかかるからね…… 今は『Antique』という、日本のマンガを映画化した作品を、韓国のミン・ギュドン監督と撮影してるんだ。その後はフランス映画のプロジェクトが待ってる。

──現在ではモデル業はやっていないのですか?

モデルの仕事は、最初のきっかけにすぎなかった。演劇学校のための費用なんかを手っ取り早く手に入れられて、働いていない時間は演技の勉強に集中することができた。確かにいろんなところに旅行できて、自分の世界を持った人たちにも出会えて、成長する糧にはなったけど、モデルになること自体が目的だったわけではなくて、僕にとっての通過点だった。

──今後も俳優としてキャリアを広げていきたいと思われますか?

人生が許す限り、俳優でありたいと思う。


ステファニー・クレイヤンクール ──ROCK'N'ROLL ROHMER !

──初めての映画出演にしてヒロインに抜擢された訳ですよね。

そう、ロメールは無茶なことをしたものだわ(笑)。

──監督との初めての出会いは?

当時はモード誌のモデルをやっていたの。撮影の1、2年前からエリックは、ちょっと「時代遅れ」の顔をした17世紀風の女の子を探していて、ちょうど私の写真を見て、実際に会ってみようということになった。そこで彼のオフィスに行くと、感じのいいおじいちゃんみたいに、紅茶とクッキーを用意してくれて、とても気さくな感じだった。他の監督とはまったく違った印象を受けた。それから毎月会うようになって、彼は私の話し方なんかをじっくり観察してた。私はブリュッセル生まれのベルギー人で、田舎に育ったから、今のパリの若者みたいなアクセントや俗語で話さなかった。そこがすごく気に入ったんだと思う。彼はきちんとしたフランス語をものすごく大切にしているから。だから監督との関係は初めて会ったときから、すごくうまく行って、役に決まったの。

──撮影前の準備にはどれくらいかかったのですか?

1年もなかったわ。これまで演技なんてしたことなかったから、演劇のレッスンを受けなきゃ、って慌てていたんだけど、「演技の勉強なんてもってのほかだ。素のままでいて欲しい」って。演技の経験がない私が、どんなリアクションするのか、楽しみにしていたんだと思う。私のことを全面的に信頼してくれてたんだけど、やっぱり内緒で発声法のレッスンは受けた。台詞は古いフランス語で難しい上に、私は女優としては素人だったから、それぞれの単語の正確な発音や口と舌の使い方を先生について習ったの。言葉の語源ってとっても面白いのよ。

──女優になろうと思ったことは一度もなかったのですか?

実はミュージカルをやりたくて、19歳でブリュッセルからパリに移って、音楽を学びながら、歌を歌ったり、ギター、ピアノを演奏してた。もともと音楽好きだったから、今では演劇学校に通いながら、アルバムに取り組んでいるの。

──シンガーとしてですか?

そう。

──アルバムは、音楽的にはどんなジャンルになるのでしょう?

フランスの歌謡曲。日本でも有名だと思うけど、[シャルル・]アズナヴールが詞を書いてくれる予定。

──ロックじゃないんですね。

ぜひやりたいわ! そう言ってもらえるなんて、うれしい偶然! だって、こう見えてもエレキギターなんか大好きで、もっとロックな感じにしたいから、何曲かもっとロックなものにしてもらえないかと、パリに戻ったら交渉しようと思っていたところ。

──作品に話を戻すと、実際の撮影に入ってどうでしたか?

撮影はものすごくうまくいったわ。エリック・ロメールは俳優に、まったく演技指導をしないの。空間的な制限が生まれるショットはたまにあるけど、演技に関しては何も言われなかった。

──映画出演の経験がゼロでもですか? おまけに今回の作品は、現代生活からかけ離れているし、アプローチが容易な役柄には思えないのですが……

そう、だから最初は「私もこれでいいの?!」って感じだったけど、「偉大な監督が信頼してくれるんだから」と自分に言い聞かせて、自信を持って本能的に演じたの。直感的なひらめきで動いて、監督はとても満足してくれた。それが何よりも大切なことね。

──即興的な部分はあったのですか?

即興はまったくなかった。私は自分の台詞を最初から最後まで一字一句覚えていたし、監督にとってそれは重要なことだった。テイクは1回きりで、技術的な問題があったときだけ、2回撮り直しがあった。とってもロックな撮影でしょ、まったくの初心者が演じてるのに。撮影が終わって1年経ってから作品を見直したんだけど、その間演技の勉強をしてたから、「あんな風にはとても演じられない」と今では思う部分があるけど、ロメールはある種の不器用さが好きなのね。

──ロメールは型どおりの仕草は嫌いでしょうね。

そう、だから最初のテイクを重要視するのね。2回目のテイクでは、私自身が出てるって言ってた。彼が嫌うのは、予定されたもの、予想できるもの、あらかじめ決まっているもの。撮影で大変だったのは、大部分のシーンが屋外だったら、天候に左右されることが多くて、例えば「あ、雲が晴れた、いくぞ!」ってロメールの一声で、5分以内に役柄の気持ちに入って、泣かなくちゃいけなかったり…… 演技の経験がないから、そんなにすぐに泣けなくて、もし母親が死んだら、とかいろいろおそろしいことを思い浮かべて、なんとか乗り切った。そんな感じで撮影は進んでいって、ロメールってそうは見えないかもしれないけど、本当にロックな人なのよ(笑)。

──ではリハーサルもほとんど行われなかったのですか?

ほんの少しだけね。舞台が現代ではない作品、例えば『O公爵夫人』(1976)の頃は、リハーサルの時間がもっとあったと思う。でも年齢が年齢だから、そんなにリハーサルの時間をとることができなかったんでしょうね。森の中でキャンピング生活をしながらのロケで、彼が肉体的に疲れているのは伝わってきた。そういった問題と、俳優の存在の今、一瞬を捉えることへのこだわりから、ほとんどワンテイクで撮られたの。

──一番大変だったシーンは?

最初の場面ね。何しろ生まれて初めての演技だったから。

──撮影は脚本の順番通りに進められたのですか?

私の出番に関しては、ほとんど順番通りだった。他のキャストに関しては必ずしもそうではなかったけど。だから最初のシーンは「ああ、どうしよう」っていう感じで、とまどってしまったわ。

──ラストにかけてはどうでしたか?非常に特殊な愛の形が描かれるわけですが……

作品のテーマは非常に現代的だと思う。ふたりの女性の間にある性的な曖昧さは、一般的な話題ではないから、抵抗感を覚える人もいるかもしれない。ひとりの女性が、別の女性に惹かれるという関係は、長い間一般的に受け入れられるものではなかったし、ロメールが若かった頃も、オープンな主題ではなかったでしょう。だから、今回真っ正面からふたりの女性の関係を描いたのは、とても大胆なことだと思うわ。

──初めて映画に主演して、キャメラの存在についてはどう感じましたか?

子供の頃から、キャメラは大好き! でもフォトジェニックじゃないから、写真は苦手。

──そんなことないですよ。とってもフォトジェニックです!

ありがとう。ともかく写真には苦手意識があるけど、動画のキャメラは幼い頃から大好きで、キャメラを発見すると、すぐその前に立つような子供だったの。だから今回、キャメラで撮られることには何の抵抗もなかったわ。俳優の中には、舞台の方が映画よりも好きっていう人たちがいるけど、私は逆にステージに立つととても緊張するから、映画の方が演じやすい。

──でも、モデルの経験がありますよね。

モードの仕事はつまんない! 今でもベルギーでモデルをやることもあるし、パリの有名なモデル事務所にも所属しているけど、それはむしろ生計を立てるための仕事。パリの生活費は高くつくから。モデル業への情熱はなくて、むしろ全般的に退屈だと思う。効率的に生活費を得るためにはいい方法だから、愚痴を言うつもりはないけど、仕事自体が大好きで、モデルを続けたい訳じゃないわ。

──現場ではロメールと話し合う機会が多くありましたか?

ええ、いつもね。彼とはとっても理解し合えたから、みんなちょっとジェラシーを感じてたくらい。

──では彼との間に特別な共犯性が?

ええ、しっかりとした共犯関係があった。そもそも彼がこの作品のために選んだ最初のキャストが私だったの。撮影の1年前くらいに役に決まって、その他の俳優についてはもっと後だった。それに私の大叔母マルグリット・ユルスナールはそんなに有名ではない作家なんだけど*2、ロメールは彼女の愛読者だったの。

──今では女優業こそ我が道、と感じていますか?

ええ、もちろん。私のやることはすべて順番が狂っちゃうんだけど、撮影が終わって、本格的に演技のレッスンを始めたの。もう2年になるけど、本当に楽しんでやってるし、とにかく演じることが大好き! 正気を失った人の役や、思いっきりふざけた人物を演じるのも楽しいし、短編映画も撮ったのよ。

──では今後はカメラの後ろに立つことも考えていますか?

そうね、両方やりたいと思ってる。人生を心から楽しみたいというのが真の願い。やりたいと思ったことは、その通りに実現したい。キャメラを持って旅をして、見知らぬ土地やびっくりするような人々の姿を撮りたい。女優としても、短編映画で妊娠した女性や嫉妬に狂う女の子なんかを演じたけど、もっと大胆奇抜な役のオファーがあることを願ってる。

──ロメールの監督作で特にお気に入りの作品は?

『木と市長と文化会館 または七つの偶然』(1992)、『O侯爵夫人』でしょ、『海辺のポーリーヌ』(1983)、初めて見た彼の作品でもある『クレールの膝』(1970)、それから『飛行士の妻』(1981)。これらは大好きになった作品。中にはそれほど好きじゃないものもあるし、正直眠たくなる作品もあるけど、ロメールにとってそんなことは問題じゃなかった。私の憧れの監督はジム・ジャームッシュなんだけど、彼はロメールのファンで、彼の映画が大好きだっていう話をジャームッシュに詳しい人から聞いて、すごい偶然って思ったわ。ジャームッシュの映画を見ると、彼がロメール好きだってよく分かる。

──特にどの点で?

ジャームッシュが他の誰よりすごいのは、とってもシンプルな物事に対して、ものすごい時間をかける点。彼の作品に嘘はない。例えば『ブロークン・フラワーズ』(2005)で、ビル・マーレイがTVのついた部屋でソファに座っている場面。ごくささいな一瞬なんだけど、とっても濃密な時間で独特の持続性がある。『コーヒー&シガレッツ』(2003)や『ダウン・バイ・ロー』(1986)の何気ない人生の1コマもそう。表面的には何も起こっていないかのようで、同時にたくさんのことが起こってる。『デッドマン』(1995)もそういう意味で傑作だと思う。シンプルなのに力強くて、俳優たちが素晴らしい。ロメールもほぼ同じことをやってる。何でもないような物事に時間をかけて、シンプルであることにこだわる。凝ったキャメラワークで、何かを見せつけてやろうなんていう意図はまったくない。見た目に派手なショットを撮っても、何の意味もない。ロメールとジャームッシュは、事物のシンプルさを目指す希有な映画監督だと思う。

──ロメールとの撮影で最も心に残ったことは何ですか?

どのシーンだったかは思い出せないけど、ある場面を演じた後で、ロメールが私のところにやってきて、「非常に素晴らしかった。あなたこそアストレだ」と言ってくれたこと。撮影が終わってからも、「原作の読者にとって、あなたは確かにアストレに見えるでしょう。なぜなら完璧な演技によって、私が目指したものを体現してくれたからです。共にこの作品で仕事ができたことを大変うれしく、誇りに思っています」って、「完璧な演技」の部分を下線で強調した手紙をもらったの。ロメールのような人物から、そんな言葉をかけてもらえるなんて、ものすごく感動したわ。

──今後のプロジェクトは?

さっきも話したように音楽と、女優と監督の仕事の両方! やりたいと思ったことはすべて叶えたい。そして、また東京に戻ってくるわ。

──女優として、あるいは監督として?

そうね…… 私の青春とも言える「美少女戦士セーラームーン」の役をやらせてくれるような風変わりな監督と一緒にね!

(2008年3月 東京にて)


[脚注]
1 80年代からロメール映画の製作に関わってきたプロデューサー。

2 「有名ではない」とは彼女の謙遜だろう。マルグリット・ユルスナール(1903-1987)は女性初のアカデミー・フランセーズ会員で、フェミナ賞受賞作『黒の過程』などで知られる。ちなみにユルスナール(Yourcenar)は、クレイヤンクール(Crayencour)のアナグラム。



『我が至上の愛 アストレとセラドン』 LES AMOURS D'ASTREE ET DE CELADON

監督・脚本:エリック・ロメール
撮影:ディアーヌ・バラティエ
編集:マリー・ステファン
衣装:ピエール・ジャン=ラローク
出演:ステファニー・クレヤインクール、アンディー・ジレ、セシル・カッセル、セルジュ・レンコ、ジョスラン・キヴラン、ロドルフ・ポリー

2007年/フランス・イタリア・スペイン/109分

14 Jan 2009

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