女たちの挨拶──
エドワード・ヤンによる成瀬巳喜男論をめぐって
久闊と追悼
Going into Albert's by the lake brings back a lot of memories...
(湖畔のレストラン「アルバート」に行くのは久しぶりである)*1
それはまるで友との語らいのように始まる。シアトルに住んでいたとき、ぼくはよくそこに食べに行ったものさ。食事もサーヴィスも申し分なし。ああなんて久しぶりなんだろう……。そんなさりげない言葉遣いによって、映画監督エドワード・ヤン[楊徳昌]のエッセイはするすると紡がれていく。無償の親愛によって綴られていくかのようなその言葉たちは、在りし日のヤン監督のおもかげ──『冬冬の夏休み』(ホウ・シャオシェン[候孝賢]監督、1984)でかいま見せたほほえみ──を想起させずにはおかない。
しかし副題「成瀬巳喜男について」にあるとおり、彼がこれからひとりのシネアストについて語ろうとしていることを知るとき、私たちはその言葉たちがどのように映画に接近することになるのかという途惑いにとらわれる。私は日本映画にかんしては黒澤明と小林正樹の作品とともに歩んできた、だがもっとも感銘を受けたのは成瀬であり、「あれほど真摯な映画作家を、私は知りません」(「ミシェル・シマンとのインタヴュー」, 佐藤秋成監修『CHINA EXPRESS』所収, エスクァイアマガジンジャパン, 2000年)とまで断言するエドワード・ヤンは、これからどう成瀬を語ろうというのか。こちらの困惑を解消することもせず、自らの迂回を正当化する気配も見せず、ヤンの言葉は、そのやさしげな表情とはうらはらに、読者を安心から遠ざけていく。
なるほどその困惑が、唐突な書きだしそのものにあることはたしかである。レストラン「アルバート」におけるノーマンという名のウェイターの接客から、ヤンは学生時代の貧乏旅行で出逢ったヴェラという名の女将の記憶を喚び覚ます。時と場所を異にするふたりの給仕によって演じられた同一の応対の裡に、ヤンは二者二様のプロフェッショナルの精神を見てとる。「レストランのウェイター」の態度が、個性的なるものの追求が行きつく没個性を代表するとすれば、「食堂の女将」が体現するのは、糧をもとめる人間を等しく歓待する平等の精神といえるかもしれない。ともあれ「レストランは胃の糧であり、映画は心の糧である」という一文とともに、映画と食事とが隠喩的に結ばれて以降、話題は一気に映画に転じ、国際映画祭で出品される「レストランのウェイター」のような映画と、成瀬巳喜男が与える「食堂の女将」な映画とが対比されていく。ほどなく彼の文章は、成瀬晩年の傑作『乱れる』(1964)のラストへと逢着するだろう。
だがヤンの言葉のとらえどころのなさは、文意とは離れたところにあるように思われる。文章の前半──ヤンの意識がシアトルの高級レストランでオーダーを求められる現在と、ヴァージニアの辺鄙な安食堂を訪れた過去とを往還するくだり──から明らかなように、困惑の真の理由は、書き手であるヤンの裡で、自らと成瀬とのあいだに想定されてしかるべきアジア的な連帯意識が悉く欠落していることにある。『海辺の一日』(1983)で生け花の講師として日本人女性を登場させ、『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)でイッセー尾形を起用したヤンが、日本と台湾との地政学に意識的でなかったはずがない。にもかかわらずヤンの文章には国籍不明、というより所在不明の稀薄さが漂っている。この稀薄さは、自らの国籍だの自らのアイデンティティだのによって何かを語らなければならないという意識の硬直とは無縁であろうとする、ヤンの自由の精神に由来するものなのかもしれない。いったい映画を見たり語ったりするとき、その監督がどこの国の人間かなんて気にしなければいけないのかい──ヤンはそう飄々と笑いかけているかのようだ。それは「国際派」とも「ポストモダン的」とも称された彼の作風とたやすく同調するかに見える。
だが軽薄にも見えかねないそのような彼の姿勢が暗黙裡に物語るのは、創造の現場において、そうした義務の意識が彼をどれほど苛んでいたかではなかろうか。上海で生まれ、幼くして台湾に移住したヤンにとって、活動の拠点であった台湾とはいつでも回帰できる故郷というより、いつそこを離れてもおかしくない異郷でありつづけたのかもしれない。もしそうであるならば、「わたしたち[映画監督たち]はみな、自分の個人的価値をもっとも独創的なものとして印象づけるために仕事をしている」と述べるヤンにとって、「個人のスタイルに自意識過剰」たらざるをえない映画界で生きるとは、この「異郷」かも知れない世界をとりあえず「故郷」として生きていかなければいけないことを意味していたはずである。その稀薄さが意味するものは、軽薄さとはほど遠い、ヤンの勁い意志の発露ではなかろうか。
ではヤンの秘めたる意志とはいかなるものか。映画は今日、「民族性」や「おしきせのエキゾチックなスタイル」を披露しなければ評価されない。そして、評価と消費とのあいだで、誰もが混乱と混同に陥っている。それゆえここで生きていく以上、好むと好まざるとにかかわらず、消費の対象以上でも以下でもない「民族性」だの「おしきせのエキゾチックなスタイル」だのよって勝負することを受けいれなければならない。文章後半でさりげなく触れられるこの状況分析に立ち至るとき、彼の意志の内実が明らかとなる。それは、せめて敬愛するシネアストを語るときだけは、彼が自ら選択したわけではない国籍や文化にもたれかかって、その監督を理解したり、あまつさえ消費することにだけは与したくはないという、いわば過激なる中庸思想ともいうべきものだ。
だが2007年6月29日に訪れたヤンの死に思いを馳せつつこの一文を読みなおすとき、そうしたヤンの意志とはべつのところで、言葉たちが異なる表情を帯びはじめないだろうか。実際、「故郷」と「異郷」とのあいだで揺れ動く彼の脱国籍的な言葉たちが、たえずアメリカを旋回しつづけていることが読む者を動揺させる。なるほどヤンにとってアメリカが特別の存在であったことは再三語られてきた。『ブラボー砦の脱出』(ジョン・スタージェス監督、1953)を見たことが決定的な映画体験だったというヤン自身の言を俟つまでもなく、たとえば『牯嶺街少年殺人事件』(1991)で、少年たちが耳を傾けていたエルヴィス・プレスリーの「今夜はひとりかい?」の旋律を思いだせば、ヤンの意識がアメリカを指向することは至極もっともに思える。だがジャン・ルノワールのように、ビヴァリーヒルズで半客死の最期を迎えたという事実が、久闊の挨拶として始まるこの成瀬論を、まるで永訣の挨拶のようにも読ませてしまうのである。
「さりげない優しさという強靱で不可視のスタイル」と題されたヤンの成瀬論が発表されたのは、1998年のサン・セバスチアン国際映画祭における成瀬のレトロスペクティヴでのことであり、それはヤンのフィルモグラフィ上、『カップルズ』(1996)と『ヤンヤン 夏の想い出』の中間に位置する。暉峻創三の追悼記事によれば(「追悼 エドワード・ヤン監督」『キネマ旬報』1490号[2007年9月上旬号]所収, キネマ旬報社, 2007年)、ヤンが大腸癌の手術を受けるのは2000年7月のことであったというから、2年前のこのとき、ヤンが自らの死を予感しつつこの一文を綴っていたと断言することはできない。だが「久しぶり」という挨拶の在り方のうちに——すなわち、ひとつの遭遇が徐々に複数の遭遇へと開かれていくという体験のうちに──ヤンの映画世界の基調をなす特質があるように思われてならない。そのときヤンの文章は、成瀬の世界とともに、ヤンの世界に通じる道筋をも指し示しているように思われてくる。短すぎるヤンの生涯を思うとき、追悼の挨拶よりも、「数多の記憶(a lot of memories)」を「召喚する(bring back)」久闊の挨拶を送ることがふさわしくはないか。「久しぶり」という一語からヤンの世界をふり返ってみたい。
女たちの再会──『海辺の一日』
「久しぶり」とはっきり口にすることこそないが、かつて親密であったふたりの女性たちが再会をはたす物語によって、ヤンは映画監督としてのキャリアを出発させている。2時間40分を超える処女長篇『海辺の一日』(1983)がそれである。欧州在住のピアニストのウェイチン(フー・インモン[胡茵夢])が13年ぶりに台湾に帰国し演奏会を催す。演奏を控えた彼女のもとにひとりの女性から面会の依頼が舞いこむことで物語は始まる。面会者は、かつての恋人の妹ジアリ(シルヴィア・チャン[張艾嘉])である。ふたりの女性はひとけのない喫茶店で顔を合わせ、ひっそり午後の須臾をすごす。
『クレールの膝』(1970)や『愛の昼下り』(1972)などエリック・ロメールの諸作を思わせる始まりを告げながら、ここで登場人物を支配するのはとめどもなくつらなる会話ではなく、無言の裡に推移しているかのような記憶の断片である。実際、黒いスーツに身をつつみ、煙草をくゆらせつつピアノの調律を待つフー・インモンの姿から、映画は何のまえぶれもなく現在から過去へとさかのぼりはじめることになる。ウォン・カーウェイ[王家衞]とのコンビで名を馳せる前のクリストファー・ドイルによるまばゆい光とともに前半部で語られるのは、医師の家庭のひとり息子ジアセン(ズォ・ミンシャン[左鳴翔])を恋しながらも、父の仕組んだ「政略結婚」によって関係を引き裂かれてしまう少女フー・インモンの淡い悲恋譚だ。ジアセンとの破局とともに、一度は姉妹同然の絆を結び、義妹となりえたかもしれないジアリとの交際も途絶える。映画は、自在な回想場面ともに、対峙するふたりのあいだに横たわる過去を明らかにしていく。
回想のなかに回想がはめこまれ、ときには回想された光景が誰のものかさえ判別がつかなくなる『海辺の一日』は、ヤンのフィルモグラフィーにあって例外的な存在かもしれない。『恐怖分子』(1986)以降、複数の視点から多角的に事件を照射するヤン独自の話法が定着するにしたがって、ジョセフ・L・マンキーウィッツ流の時制の混濁は自粛されていくことになるからだ。時間の流れは、登場人物たちを修復しがたい破局へとおいつめることはあっても、特定の人物の意識にあわせて自在に往来することをやめる。後になって、ヤン自身もこの処女作を「自分の知っているほんの僅かな知識の組合せでしか出来上がってない映画」(『CHINA EXPRESS』同前)であると、高く評価してはいない。それでは、以降の作品とは方法論的に一線を劃する『海辺の一日』は、再会という主題の点においても、ヤンにとって例外的ないしは傍系的なものにすぎなかったのだろうか。
失踪する男たち──『乱れる』
ここでヤン監督が、数多ある成瀬作品のなかで晩年の傑作として知られる『乱れる』について、とりわけその唐突なラストに注目していたことが意義深く思えてくる。小売店を経営する戦争未亡人(高峰秀子)と彼女に秘めたる思いをよせる義理の弟(加山雄三)との感情の揺らぎを、肌理細かい演出で見せながら、しかし成瀬はその唐突なラストによって見る者をおののかせる。さまざまな経緯から、高峰と加山が投宿することになる山深い温泉宿の情景を思いだしてみたい。世間の視線から解放され、思いのたけをぶつける加山を、高峰はしかし土壇場で拒んでしまう。傷ついた加山は宿を飛び出し、義姉をのこして夜半の温泉街に姿を消す。翌朝、高峰が宿の窓から目にしたのは、驚くべきことに義弟らしき遺骸を担架に乗せて運び去る村の男たちの姿である。だがその顔は筵に被われている。屍体が義弟であるという手がかりとしてキャメラがとらえるのは、彼が昨晩指にゆわえつけた紙縒のみだ。あの死骸は本当に義弟のものであったのか。その疑問に突き動かされるようにして、高峰は宿から飛び出し、担架の男たちを追いかける。義弟は本当に死んだのだろうか。だが、彼女はピタリと歩みをとめる。彼女にとってその遺骸が義弟であったのか、あるいは義弟が本当に死んだかどうかさえどうでもよくなってしまう。彼女はこの瞬間、人生には解消しがたい謎が存在し、それに堪えるしかない瞬間に自らが立ち至ったことを、本能的に察知してしまったかのようだ。
ヤンはここでそこまで立ち入った分析を試みているわけではない。ただここで興味深いのは、ヤンがこの場面から指摘する「さりげない優しさ」という成瀬の特質以上に、彼の文章が男が女のまえから忽焉と失踪する『乱れる』の情景を辿ることで、処女作『海辺の一日』の世界へと横すべりしていることにある。実際、題名『海辺の一日』は、まさに男が女のまえから姿を消した日を指し示しており、ふたりの女性たちの邂逅によって始まる映画は、畢竟その一点に収斂しているといってよい。傷心から留学にいたる経緯を語り終わったウェイチンはジアリに「ところであなたは結婚したの?」と問いかける。その求めに応じ、ジアリは訥々と自らの消息を語りはじめる。友人の紹介で出会ったボーイフレンドのドゥエイ(マオ・シュエウェイ[毛学維])とのなれ初めと、親に強いられた縁組。彼女の軌跡は、途中までウェイチンのそれを反復するものでしかない。だが或る雨の夜、彼女は意を決して家を出奔し、身ひとつでドゥエイのもとに駆けつける。語りの主導権がジアリに委ねられてから先、ウェイチンをめぐる物語に見えたこの映画は、奇妙な逸脱を開始することになる。
幸せに見えたジアリとドゥエイの結婚生活はしかしながら長続きしない。仕事に忙殺されるドゥエイと孤独に病むジアリとの間にはやがて亀裂が生じ、それがドゥエイの海辺での失踪を招きよせていく。ここでもその破局のプロセスは、二重三重の回想によって浮き彫りにされることになるが、それとともに映画の担い手はいつしかフー・インモンからシルヴィア・チャンへと完全に交替している。青春映画として始まった『海辺の一日』は一転、『めし』(1951)、『夫婦』(1952)、『妻の心』(1956)など成瀬巳喜男が手がけてきた「夫婦もの」へ変貌をとげることになる。だがここで興味深いのはそうしたジャンル的な類似にとどまらない。むしろ真に注目すべきは『乱れる』のラストに着目し、それを久闊の挨拶とともに語ろうとするヤンが、無意識のうちに『乱れる』と『海辺の一日』との共通性を語ってしまっているという点にある。両者に一致点があるとすればそれは時間の移ろいに抗らうようにして滞留しつづける人生の不条理を凝視した、両監督の眼差しにあるのではないか。「久しぶり」という一語で、数多の記憶を召喚したヤンの身振りは、この生の不可解への手招きであったといえる。
『海辺の一日』は昏れなずむ海辺のシーンから開始する。男が失踪した日であるこの場面が何であるか冒頭ではまだ分からない。だがヤン監督が記念すべき処女作の冒頭に、この不条理の光景を謂わば原風景として刻印してみせたことの意義は閑却されてはならない。『乱れる』のラストをめぐるヤンの成瀬論は、書き手であるヤン自身を、いつのまにか自らの原風景へと連れもどそうとしているのではないか。
女たちの語らい──『ヤンヤン 夏の想い出』
先ほどもふれたように、『ヤンヤン 夏の想い出』が公開されるのは、彼の成瀬論から2年後のことになる。だがこの文章に導かれるようにして、エドワード・ヤンの遺作は、すでに若くはないひとりの男がかつての恋人と邂逅を果たす情景とともに、処女作以来ふたたび再会の主題へと回帰しているかに見える。婚礼とともに始まり葬送とともに閉じられるこの悠揚たる群像劇が、ヤンの重層的話法の集大成であることは間違いない。だが思いだしてみよう。従姉妹たちのからかいの餌食となりすっかり旋毛をまげたヤンヤン(ジョナサン・チャン[張洋洋])を、父親NJ(ウー・ニエンチェン[呉念眞])がなだめすかしていた一場面を。披露宴をすっぽかし、息子の好物であろうハンバーガーを食べさせたNJは、戻るさいのエレベーター・ホールで昇降機から降りてきた元恋人のシェリーとばったり鉢合わせる。沈黙が落ちる。彼らの背後でいたずらに開いては閉じるエレベーター・ドア、その無為な運動が自ずと語る男女同士の「ことの次第」、そんなことにはいっかな頓着しないヤンヤンの存在感から醸しだされるユーモア、その両者によって生じる絶妙な悲喜劇のサスペンス。それをエレベーター一基と数人の人物によって描ききってしまうヤンの演出は見事というしかない。だがシェリーを演じるコー・スーユン[柯素雲]の身にまとう黒いドレスのたたずまいは、あたかも『海辺の一日』のフー・インモンのそれを彷彿とさせずにはおかない。再会から始まったヤンの映画はがこうして再会へと円環をなしていることに気づくとき、その2年前に書かれた成瀬論はあたかもその遥かな予告にも思われてくるのである。NJを演じたウー・ニエンチェンが『海辺の一日』の脚本の共同執筆者であること、「一、一」という『ヤンヤン』の原題が、ふたりの女性が一対一で対峙する『海辺の一日』にこそふさわしく思われることも、おそらく偶然以上の何かを物語っている。
語りの交響ともいうべき『ヤンヤン』において重要な役割を担うのは、披露宴の直後から昏睡状態へと陥ってしまう、この家の祖母にほかならない。ウー・ニエンチェンも、妻のエレイン・チン[金燕玲]も、長女のケリー・リー[李凱莉]も沈黙した老婆に向かって果てしなく語る。ここでもやはり重要なのは男たちよりも女たちの語らいであるように思う。たしかに尾形イッセーとウー・ニエンジェンとの英語でのやりとりや、ジョナサン・チャンが最後で読みあげる弔辞も感動的には違いない。だが沈黙した祖母を前に、女たちが対峙する瞬間は、『海辺の一日』におけるフー・インモンとシルヴィア・チャン以来、女たちの語らいによって映画を支えることができるというエドワード・ヤンの確信が息づいている。そして『海辺の一日』と『ヤンヤン』を「再会」によって結びつけるのが、フー・インモンとコー・スーユンが演じる黒衣の女性なのである。
だが「再会」の主題を用意するふたりの女性たちの共通性はそれだけではない。『海辺の一日』の最後、ウェイチン(フー・インモン)はふと思いだしたようにジアリ(シルヴィア・チャン)に兄ジアセンの消息をたずね、そのときになってようやく、かつての恋人が癌で亡くなったことを知らされ驚愕する。そのとき彼女の身につける黒衣は、もしかしたら自分の伴侶になったかも知れない男性の死を悼む喪の装いとなる。久闊の挨拶の涯てに、彼女は気づかぬうちにこの世から去ってしまった人間の、遅ればせの葬送参列者へと変貌するのだ。一方『ヤンヤン』においてコー・スーユンが黒のドレスで登場するとき、まだ誰も亡くなっていない。だが場合によっては彼女の義母になりえたかも知れないNJの老母が昏睡に陥り、それが掉尾の葬礼を準備することになるのはまさにこの直後のことだ。まるで彼女の黒の装いは、あまりに早すぎる参列者へと彼女を変貌させてしまうかのようだ。早すぎるにせよ遅すぎるにせよ、ふたりの女性は、自らにとってかけがえのない存在になりえたかもしれない人間の死にむけて、遥か彼方から、しかしあるたしかな連帯とともに挨拶を送っている。
『牯嶺街少年殺人事件』において、チャン・チェン[張震]が身にまとうカーキ色の制服がそうであるように、エドワード・ヤンの映画にあって、衣服は、彼ら彼女らの個性のあかしとしてよりも、お互いがお互いになりえたかも知れないという人物同士の等価性、あるいは、交換可能な属性を際だたせている。『牯嶺街少年殺人事件』が長い時間をかけて描いてきたものは、恋心をよせていた少女を刺殺する少年の「生来の凶暴さ」だの、彼を凶行に駆りたてた「社会のひずみ」だのではなく、殺害の当事者など結局のところ誰にでも置き換えのきいてしまう少年の棲まう日常にあった。
だがそれは、ヤンが(あるいは映画の人物が)服装に無頓着であったことを意味しない。『ヤンヤン』で、学校から帰ってからも制服で過ごすことの多いケリー・リーが、初デートのために、肩を露出させた白いドレスを着たときに見せる恥じらいの表情を思いだせば十分であろう。あるいは『牯嶺街少年殺人事件』の最後、ラジオが大学合格者を報じるなか、少年の母親が洗濯物のなかに息子の着ていたカーキ色の制服を見つける場面。このとき、不特定多数の記号でしかなかった制服は、少年の母親によって静かに抱きしめられることにより、少年の不在をきわだたせるかけがえのない何かへと変貌していた。そのとき少年の母親は、その寡黙な背中によって、個性の延長としてではない衣服の在り方を物語っていたのかも知れない。ヤンの世界にとって、人物の身にまとう衣服は、ときに彼ら彼女らによる思惑を超えた文脈を組織してしまう。
宇田川幸洋は、監督のタイプとして、「監督の視点であることを強く感じさせる、あたかも、その世界の見えない側の片隅に監督がいるかのように、体温を感じさせるもの」と「その世界のどこかに監督の目があることをあまり感じさせないもの」のふたつに分け、前者をホウ・シャオシェンを後者をエドワード・ヤンに分類している(「第三の視点──侯孝賢とエドワード・ヤン」, 「台湾映画祭」パンフレット所収, 現代演劇協会, 1997年)。彼が描いてきたものは、その透明な眼差しによってのみとらえることのできる匿名の存在、言いかえれば、時と場合によっては、見る者もまたヤンの映画の眼差しの対象となりうるような存在であった。遥か彼方から、しかしもっとも近い存在として、自ら意識することなく亡き人の葬儀に列なる黒衣の女性たち。彼女たちは、現実の葬儀を逸しつづけながら、しかしなお決定的な別れの身振りを演じていたのではないか。葬送とは、定刻の概念をもたないという点において、映画を見ることと通底しうるものである。時宜を逸するこそ追悼の条件であると語っているかに見える黒衣の女性たちは、もしかしたら映画を見る私たち自身なのではあるまいか。
エドワード・ヤンの死を前に、誰が時宜をえた追悼を言えるだろうか。だがことはヤンに限らない。彼のあとに世を去ったアントニオー二やベルイマンに、はたして時宜をえた言葉など存在するのか。応答のすばやさや判断の適切さによって追悼は追悼にふさわしい言葉をそなえるわけではない。誰もがそれを承知しているはずなのに、他者の死を契機にして、誰よりもすばやく誰よりも適切な総括に走らんとする衝動は、インターネットの普及に助長され、いまや増大の一途を辿っている。訃報と聞くや否や条件反射的に何かを書かずにはいられない電脳世界の一言居士たちは、もしかしたらあるはずのない定刻を捏造し、そこにぴったりとおさまる自らを演出しようとしているのではないか。いずれにせよ、死者にもっとも近くにいるべき存在ばかりが、きまってその臨終を逸することになるヤンの映画にあって、こうした姑息な偽装工作ほど相応しからぬ行為もあるまい。今すべきことは、エドワード・ヤンの映画に響きわたる「久しぶり」という彼の挨拶を聞き取り、機会を逸することによってのみ可能な遭遇へ身を委ねることにある。
脚注
*1. Edward Yang, "Generosity: the invincible invisible style -- On Naruse Mikio", Mikio Naruse, San Sebastiàn-Madrid, 1998.(邦訳=拙訳「さりげない優しさという強靱で不可視のスタイル──成瀬巳喜男について」, 蓮實重彦・山根貞男編『成瀬巳喜男の世界へ』筑摩書房, 2005 年. ただし本文では訳文に変更を加えた)
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