[エディトリアル]創刊に際して

editorial ]  
土田 環

 映画批評とは何か。それは、大学における映画研究に似てはいても、学問のように制度化された公共性を獲得したことが一度もなければ、欲したことさえないといえるだろう。その一方で、映画というイメージの経験を前にして抽象的な思考を提示するそれは、美学あるいは哲学に似ているともいえる。だが、映画批評における書き手は、自身の立場を懐疑的に捉えるには、あまりにも「不純」であり「私的」なものだろう。そもそも、映画批評というジャンルがあるとするならば、その書き手は「純粋」な思考の体系を築き上げることよりも、むしろ、映画体験を通した「不純」あるいは「私的」な個人の欲望にこそ忠実であろうとしているのだから。したがって、映画という自足した「作品」につねに遅れをとりながら、この正当化するにきわめて困難かつ曖昧な情熱を選択しつつ映画を論じること、それが映画批評だといえるのではないか。映画批評の危機がいまあるのだとすれば、映画批評というジャンル自体を構成するある種の怪しさ、疑わしさに基づいているといえるだろう。

 2006年2月22日付けの日刊紙『リベラシオン』に、オリヴィエ・セギュレの「"微感"[subtil]だって?」という記事が掲載された。2003年に大手新聞社ル・モンドが映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』(以下『カイエ』)を経営統合し、ジャン=ミシェル・フロドンをディレクターとする体制がスタートしてから、公の場でなされた『カイエ』に対する批判としては初めてのものだろう。「微感」の映画とは、現代映画を顕揚するにあたって『カイエ』が昨年から打ち出した概念であり、『Be with me』(エリック・クー, 2005)、『百年恋歌』(ホウ・シャオシェン、2005)、『マリー』(アベル・フェッラーラ、2005)などがこの視点から評価されている。セギュレの批判は、次の二点を指摘しつつ、『カイエ』現編集部に向けられている。「微感」という概念にきわめて脆弱な定義しか与えられていないこと。また、この"subtil"という言葉が、かつての『カイエ』の主張を装い新たに標語化したものにすぎないにもかかわらず、自分たちが新たな概念もしくは映画を発見したかのように振る舞うことで「自己満足に陥っている」ということ。

 この記事から1週間後、3月1日付けの『リベラシオン』に寄稿された文章のなかで、現『カイエ』の編集長エマニュエル・ビュルドーはセギュレに対する皮肉まじりの反論を展開し、彼らの擁護する「微感の映画」を規定しようとしているが、彼自身、文章のなかでためらいを隠せないように、十分な説明がなされたとは言い難い。それは感知し難いものを映画のなかに描くことで映画と世界をつなごうと試む映画を指す、とまずはいえるのかもしれない。だが、飛び火したかたちで議論を取り上げた『レ・ザンロキュプティーブル』誌のジャン=マルク・ラランヌとパトリス・ブルーアンが書いているように(541号、4月11日発行)、「微感/微細」なものが携帯電話の小さな画面のこととしか批評のなかで読み取れないのであれば、"subtil"という言葉とは裏腹に、それはあまりにも粗雑な議論だというしかないだろう。画面上を頻繁に行き来する携帯メールのやりとりによってコミュニケーションが生まれ、世界が開けると主張するのは、携帯電話会社の広告でしかあり得ない。

 映画批評は現在十分な機能を果たさないまま硬直化している。見ることへ私たちを誘うこともできず、映画を見た体験から有効な概念を提示することもできず、隘路へと陥ったその状況を嘆くようになってから久しい。新たな映画、新たな概念を打ち出すことによって見ることへ誘うこともなければ、映画を見たあとでその体験から現実の世界を生きる術となることもない。そこには見るという体験に対する書き手の側の驚きが欠けている。具体的なイメージから出発して思考を生み出そうとする姿勢が希薄なのである。『カイエ』をめぐる一連の議論もそうした状況を端的に示すものにほかならない。画面の細部とは「微感」のひと言で抽象化され得るようなものではない。ある映画雑誌にとって、その雑誌の目指すべき指針を打ち出すことは、読者を惹きつけるうえでのみならず、雑誌が続いていくうえで精神的にも必要なことだろう。だが、そのために1本の映画の固有性が失われ、世界との関係をも失ったラベルが貼り付けられるというのは本末転倒だ。そこには、セギュレが指摘しているように「『カイエ』という制度」を延命させる意図しか感じられない。

 『リベラシオン』紙上での論争から数ヶ月経ったいま、『カイエ』は何も変わっていない。『カイエ』7-8月号に掲載されているジャン=ミシェル・フロドンのエディトリアルでは、現代のハリウッド映画作家を政治的な側面から擁護すると同時に、その創作姿勢の(特にスタジオによってますます画一化する映画製作システムに対する)多様性を称賛している。しかし、ここで取りあげられている作家、シャマラン、マイケル・マン、ソダーバーグ、スピルバーグ、イーストウッド、ショーン・ペンらは、ハリウッドの今日の多様性を示しているのだろうか。あるいは、ひとくくりに「ハリウッド映画」としてしまうことができるのだろうか。『カイエ』自体の趣味の「多様性」を知るために、最終ページには『カイエ』編集委員5人の公開中の映画の星取り表が掲載されているが、最高点である4つ星が2人以上つけられた作品(扱われている作品は全部で20本)は、D・W・グリフィスの『嵐の孤児』(1921)のひとつしかない(5人のうち3人が4つ星)。むろん、ひとつの映画雑誌において意見が完全に一致することはありえないし、まったくのプロパガンダのようになってしまった映画雑誌は読んでいて興味を惹かれないだろう。だが、運動体としての機能を欠いた映画雑誌、映画批評が決定的な魅力を失うことも事実なのである。評価のあらかじめ定まった作品を除き、ひとつの批評体として進むべき指針を持たない(あるいは指針をめぐってぶつかり合うこともない)ならば、それは批評誌ではなく情報誌ではないだろうか。ところで、『嵐の孤児』は傑作である。しかし、この作品が本来の上映速度を完全に無視した状態で再公開されていることを知っている編集委員はいるのだろうか。好事家や映画史家だけにとどまらない問題があるはずだが、ハリウッド映画の父に関する「微細な」問題を提起した記事は何も掲載されていない。

 今日映画批評がその機能を失い、制度化の問題に直面しているのはフランスに限ったことではない。『カイエ』や『ポジティフ』が死に体をさらしながらも残り続け、その脇で『トラフィック』、『シネマ』といった"硬派"な映画雑誌を気軽に手に取ることができるのは、むしろ、社会における批評の認識水準としては良い方だろう。日本では雑誌文化そのものが失われつつある。このような状況のなかで映画批評を再び始めるとすれば、映画批評とは何か、という危機的な問いに対する自覚なしにはあり得ない。そして、その歩みは、批評という営みに意識的な個人のあいだで、映画に対する姿勢においてのみ連帯可能なものではないだろうか。正当な映画批評の歴史の総体があるのでもなく、進歩や発展があるわけでもない。何故映画について論じるのか、という問いに対する独自の回答がそれぞれ歴史を刻むのである。そこから、異なる相貌とともに映画史が現れる。

 制度というルールが明示されている限りにおいて言説を外に開いている学問研究とは異なり、映画批評の「自由」は書き手と対象との私的な関係へと閉じてしまう危険をつねに伴う。たしかに、批評は哲学的な真理とは厳密に異なっている。価値判断に関わるという点、公正な議論を通して判断を読者とのあいだに共有するという点において、それは公共性といかに向き合うかを考えなければならない。しかし、批評行為は、なまぬるい概念を共有化するに事足りる市民運動的なものから一線を画さなければならない。「寛容」な精神だけでは、映画の「戦線を動かす」(フロドン)どころか、漠とした状況のなかで自然に消滅していった「異議申し立て」の時代に逆行してしまう。基本的に、映画批評とは「私的」な要素を拭うことのできない領域であり、公共性に抗いながら1本の映画をひとりの映画作家を力強く肯定するものだ。批評行為は具体的なイメージに直面した際の固有な経験から始まらなければならない。間違えることもある。だが、『映画芸術』の荒井晴彦がアルトマンを語り、『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』の梅本洋一が森田芳光を語る姿を目にしたことがあるならば、映画批評が国籍をはじめとする既成概念や制度からどれほど解放されたものかわかるだろう。個人の夢を語りながらも批評という行為そのものに問いを投げ続けること。それはフィクションに対してやたらと真理を突きつけることではなく、フィクションを超える更なるフィクションを創りあげることではないか。批評、特にフェティッシュであらざるを得ない映画批評は、あらかじめ不自由を抱え込んでいる。一方で、困難な闘いはまだ始まったばかりである。

28 Jul 2006
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