平倉圭『ゴダール的方法』書評

三浦哲哉

 平倉圭の『ゴダール的方法』は、ひたすらゴダールへ内在するその徹底性において前例を見ない映画論である。著者は、「ゴダールの映画それじたいを分析の方法とする」(12頁)と述べる。知られるように、ゴダールは、編集台における映像と音響のモンタージュによって新たに「思考」を生成させる「方法」を練り上げてきた。著者もまた、デスクトップ上に再現された編集台を用いて、「再帰的に」ゴダールの映像と音響を分析する。外在的な言説は、一切、援用されない。

 従来のゴダール論のひとつの規範が、ジル・ドゥルーズが論じた、複数のイメージの意想外の連結──いわゆる「と et」の方法であると著者は述べる。それは、創造的な「つなぎ間違い」とも呼ばれ、顕彰されてきたが、著者は、それがゴダールの映像そのものの分析に関する限り、もはや紋切り型しか生産していないと断じる。著者は、「と et」によって広がる意味作用には目もくれず、その生成の場へと閉じこもることを選ぶ。「と et」、あるいは「間 entre」ではなく、注目されるのは、「類似 ressemblance」である。彼が問題にするのは、「と et」によるある種の連想ゲームではなく、そもそも連結がありえ/ありえず、あるいはイメージがただひとつでありえ/ありえない、そのような揺らぎが生成する「0.1秒オーダー」の操作の場である。平倉は複数のイメージが「類似」によって緊張関係に入るその場を「不確定な知覚の領域」と呼ぶ。その領域が具体的にいかなる「方法」によって生み出されるかを微視的な視線で解明した点に、本書の著しい画期性はあるのだ。

 たとえば1-3「実例教育」と2-1「ミキシング」。『勝手にしやがれ』(1959)のミシェルが叫ぶ「パパパパッ、パトリッツィア」のp音とt音にショットの区切りが合わせられる操作、あるいは、フランソワ・ミュジーと共同作業を始めた後の作品でとりわけ過激化する映像と音響の同期/非同期の諸操作を、本書は驚くべき緻密さで解き明かす。ただあっというまに通り過ぎるとしか思われなかった映像と音響の束が残した印象、それらがそもそもどのように生まれたかを、これほど明晰に語ることができるということに驚かされる。それら分析の内実について、これ以上、踏み込んで語るのは不可能なのでやめておこう。代わりに、その感触について述べておきたい。

 それは知的興奮と同量の「受苦」(これも本書のキータームである)を私にもたらした。一般に、静止画像とダイアグラムを用いた映像分析は、読むことに少なからぬ苦痛を伴う。辿るのに「不-自然」な労力が必要だからであり、また、それ以上に、「実際の映画」と自分の記憶の中の映画が、あまりにかけはなれていることを思い知らされるからだ。著者は、私の「怠惰」な記憶を、問答無用のダイアグラムを用いて、容赦なく矯正しにかかる。なぜそのようなことをするのか。精確なものが曖昧なものよりも、解像度の高いものが低いものよりも、望ましいからである。「鈍さ」とそれゆえの「不遜」を著者は徹底して憎む。だが、精度への希求にははっきりした方法上の理由がある。「不確定な知覚の領域」へ具体的に触れるために、というのがそれだ。

 「解像度を上げるときに明らかになるのは、知覚システム内部から排除することのできない普遍的誤認の能力である」(17頁)。ここに本書の不思議な逆説がある。ハイ・レゾリューションが追求されるのは、不可避的な「不確定」と出逢うためにである。極限まで精度を高めてもなお解消されない「誤認」の領域だけが問題であって、平倉はそれを「安易な誤認」と峻別する。その点では、本書はドゥルーズと対立する論陣を張っているように見えて、彼の映画論の核心にある「思考の不能力」に、一層、厳格に近づいている印象も受ける。ともかく、読者は、多数の切れ目の入ったタイムラインを辿りながら、ゴダールの映画がいかに構造的に「不確定な知覚の領域」へと観客を追い込んでいくかを、いわばスーパー・スローモーションで追体験させられることになる。

 著者がゴダールを純粋に内在的に経験しようとしたのと同じ姿勢が、この書物に対する読者にも要求されているといえるかもしれない。そして、静止画像とダイアグラムを用いたその「0.1秒オーダー」の執拗な分析を読書体験としてくぐり抜けることで、読者の身体にもなにがしかの変化が生じるだろう。その変化だけが、この書物に新しい価値を与えることができる。「本書が関心をもつのは別の見方-聴き方を発明すること、すなわち視-聴覚する身体の現実的な変容可能性だけだからだ」(20頁)。本書におけるもっとも感動的な瞬間は、すべての頁を辿り終え、ゴダールの映画と再び対面したときに訪れるはずなのだ。

 その点で、本書の刊行がゴダールの新作『ゴダール・ソシアリスム』(2010)の公開に同期するよう配慮されたことは重要な意味を持つ。『ゴダール的方法』をかたわらに、新しくその映像と音響を見る機会が読者に与えられるからだ。無論、平倉自身のこの作品への反応もおおいに気になるところだ。実際、この書物の最後、論述を最終的に『アワーミュージック』(2004)におけるゴダール自身の顔のイメージへと収束させ、「復活」をめぐる倫理的なマニフェストと重ねる箇所だけは、あまりにも見事に正しいような気がしないでもなかった。「後書き」で示唆されている通り、もっと無数の、はみだしたアイディアの断片が、渦巻いているはずである。ゴダールが現在もまだ新作を作り続け、そして『ゴダール的方法』が新しい映像と音響へと開かれていることは、途方もなく貴重なことである。


平倉圭『ゴダール的方法』,インスクリプト,2010年.

09 Feb 2011

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