映画が生まれる場所
──第64回カンヌ映画祭報告

瀬尾尚史

 今年のカンヌ映画祭における、テレンス・マリックの最高賞パルム・ドール受賞という何の驚きも無い結末は、映画祭のコンペティションは如何に在るべきかを改めて問いかけた。確かに、圧倒的な映像美によって生命誕生から一組の父子の物語までを綴る壮大な交響詩『ツリー・オブ・ライフ』は、パルム・ドールに相応しい作品と言えるだろう。
 『ツリー・オブ・ライフ』は既に去年の映画祭での出品が予想されていたものの、結局は完成が間に合わなかっただけに、今年は満を持しての登場であり、映画祭開幕前からパルム・ドール大本命と目されていた。今年の審査員長であったロバート・デニーロはマリックにパルムを与える為に選ばれたとさえ言われていたのだから、この結果はあまりに予定調和的で、ここまで筋書き通りであったことに驚かされた程である。
 次点にあたるグランプリには、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン『Once Upon A Time In Anatolia』とジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ 『The Kid With A Bike』の二作品。ジェイランは、夜の荒野を警察と容疑者が死体を捜して回る場面だけに1時間半近くを費やし、そこでの人物達の感情の機微を、優れた演出力で浮かび上がらせていく。大きな出来事の欠如という点では、如何にも映画祭的な映画であり、作家映画の牙城であるカンヌでこそ評価されるべきフィルムであろう。一方、父親に捨てられた少年の絶望と、彼の引受人となった女性との交流を描いたダルデンヌ兄弟の新作は、その繊細さや展開の見事さに格の違いを感じさせた。ひたすら走り続ける少年や自転車の疾走感がフランソワ・トリュフォーを想起させるような、映画の根源的な快楽に満ちた佳作であった。ただ、彼らの作品としては比較的軽いタッチの小品であり、既に二度のパルム・ドールを受賞している彼らに今更二等賞のグランプリを与える必要があるとは思えなかった。
 監督賞にはニコラス・ウィンディング・レフンの『Drive』、脚本賞にはヨセフ・シダーの 『Footnote』という、相当好みの分かれる作品が並んだ。昼間はスタント・マンとして、夜は運転手として犯罪に手を貸す寡黙な男が主人公の『Drive』は、題材がデニーロの出世作『タクシー・ドライバー』を思わせることもあり、受賞を予想する声は聞かれていたものの、散漫な物語構成に突如として挟み込まれる暴力描写には必然性は感じられず、受賞は意外な気がした。大学教授の父子の葛藤を描いた『Footnote』は、テーマに目新しさは無いが、大学のアカデミズムの世界を舞台にしたことによる新鮮味とリズムの良い展開が評価されたのであろう。
 将来有望な若手監督に与えられることの多い審査員賞にマイウェンの『Polisse』が選ばれたのは妥当と言える。パリ警察の少年保護課を舞台に様々な人間模様を描き出し得たのには、俳優陣の好演に拠る部分が大きいし、こうした矢継ぎ早の会話ばかりが目に付く擬似ドキュメンタリー風のフランス映画には、もはや目新しさは感じられない。だが、社会性が強く、しかも日常的なテーマを、緩急を巧みに使い分けながら描いた力量は認めざるを得ない。
 映画祭の話題をさらったのは俳優賞が与えられた二作品であった。まず女優賞はラース・フォン・トリアー の『Melancholia』で花嫁を演じたキルステン・ダンストが受賞。公式記者会見でトリアーが「ヒトラーに共感する」などと述べた為に今年の映画祭から追放されたことがスキャンダルとなったが、結果的には昨年のシャルロット・ゲンズブールに続き、連続してトリアー作品から女優賞が生まれたことになる。地球への小惑星の接近と、結婚式でメランコリーに陥る新婦を描いた作品自体は、プロローグの力強さには圧倒されるものの、全体的には冗長の感は否めない出来であった。一方、男優賞を受賞したのは、ミシェル・アザナヴィシウスの『The Artist』で、映画のトーキー化の波に付いて行けずに落ちぶれていく映画スターを演じたジャン・デュジャルダン。『The Artist』は白黒スタンダードの無声映画という異色作で、当初はコンペ外の特別上映であったものが直前にコンペ作に変更された。サイレント映画へのオマージュとしてはあまりにも稚拙で安易な部分ばかりが目に付くのだが、時折見受けられる映画的な巧さや、犬の好演(名演技を見せた犬に贈られるパルム・ドッグを受賞)にも助けられて、高いレベルのエンターテイメント作品に仕上がっている。だが、元々はテレビの人気者であったデュジャルダンの受賞はフランス人を喜ばせたものの、本命と言われたミシェル・ピコリ(『Habemus Papam』)やショーン・ペン(『This Must Be The Place』)の素晴らしさを凌ぐ程の演技を見せていたとは言い難い。

 そもそも受賞結果に関しては、全ての人を納得させるようなものが存在する筈も無く、審査員間の妥協の産物に他ならないと考えれば、あれこれと文句を付けるのが無意味なことも承知している。そうは言っても多くの人が疑問符を付けるようなケースは在る訳で、例えばアキ・カウリスマキの『Le Havre』が今回無冠に終わったこともその一つと言えるだろう。不法滞在の少年を靴磨きの男が匿うという単純な物語なのだが、カウリスマキならではの繊細で優しさに満ちたスタイルによって、ジャン・ルノワール的な人間賛歌が描き出される。マリックもカウリスマキも、隅々まで映画作家の世界観で満たされているという点では共通しているが、マリックが映像で観客をひたすら圧倒するような意志に貫かれているのに対して、カウリスマキはシンプルな映画の力で観る者の共感や幸福感を導き出すことに成功している。カウリスマキは『過去のない男』(2002)で、既にグランプリを受賞しているだけに、中途半端な賞を与える必要は無いのかもしれないが、二度パルムを取っているダルデンヌ兄弟にグランプリを与えているだけに、カウリスマキが無冠に終わったのは釈然としない(ちなみに『Le Havre』は国際批評家連盟賞を受賞)。
 また、映画作家の世界観の表出という意味では、19世紀末の娼婦館を舞台に、見る/見られるという関係性を密閉空間で徹底して審美的に描きあげたベルトラン・ボネロの『House Of Tolerance』が無冠に終わったことも個人的には納得し難かった。カンヌでの受賞は、その作品の海外セールスや他の映画祭での上映機会に大きく影響するだけに、ボネロのような将来有望な映画作家にこそ賞を与えるべきであろうし、そういう意味では『ブンミおじさん』にパルム・ドールを、『神々と男たち』にグランプリを与えた去年の審査員の選択は賞賛に値した。
 その一方で、先述したトリアーや、ペドロ・アルモドバル(『The Skin I Live In』)の新作が、彼らのフィルモグラフィーを考えれば、決して出来が良いとは言えないフィルムに過ぎなかったこと、また日本勢の二本(河瀬直美 『朱花の月』と三池崇史 『一命』)が、賞に絡むような作品レベルに達していなかったことも、映画祭におけるコンペティションの在り方について考えさせられた。
 結局のところ、カンヌ映画祭はトリアー(今回が9回目のカンヌのコンペで、『奇跡の海』で1996年にグランプリ、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で2000年にパルム・ドールを受賞)やアルモドバル(今回が4回目のカンヌ・コンペ)といった、「定期会員」と呼ばれる監督の新作であれば、無条件にコンペに入れてしまうのだろうか。また、カンヌの申し子と言える河瀬直美の作品であれば、外国人受けを狙ったような凡作であっても選んでしまうのか(例えば青山真治の『東京公園』のような作品こそが日本を代表するべきではないのか)。また、しばしばコンペティションの選から漏れた作品が集まると言われていた「ある視点」部門で、今年はガス・ヴァン・サントやブルーノ・デュモン、ホン・サンスといった著名監督の、しかも高いレベルの作品が並んでいることも、最近のセレクションにおける不可思議な事柄の一つであろう(ちなみに昨年の「ある視点」では、マノエル・デ・オリヴェイラとジャン=リュック・ゴダールの新作が上映された)。こうなると、コンペティションを嫌って、コンペ外の特別上映を自ら選択するウディ・アレン(今年は『Midnight In Paris』が映画祭のオープニング作品として上映)のような態度が、既に高い評価を得ている映画作家には相応しいのかもしれない。
 こういった疑問が数多く浮かんでくることからも、カンヌが如何に影響力の大きな映画祭であるのかが良く解るのだが、結局のところ賞を選ぶのが審査員達であるように、コンペティションの作品を選んでいるのは映画祭ディレクターなのであって、そこに個人的な好みや思惑が含まれているのは当然のことと言える。そして、世界中に映画祭が乱立し、ワールド・プレミアを奪い合うような状況の中では、プログラミング担当者の力量や個人的なコネクションが、そのままセレクションの水準に反映してしまうことがしばしば見受けられる。それはカンヌとて例外ではない。コンペティション部門はともかくとしても、以前から「ある視点」と平行部門である監督週間との間での作品の取り合いはよく知られていたし、そのせいかもう一つの平行部門である批評家週間は、それらの部門で落選した作品の寄せ集めではと思わせるようなレベルの低いセレクションであったこともしばしばであった。しかし、今年はそうした構図が一変していた。

 フランス監督協会が主催する監督週間は、一昨年を最後にオリヴィエ・ペールがロカルノ映画祭のディレクターに転出した為、彼の下でスタッフを務めてきたフレデリック・ボワイエが内部昇格の形で昨年よりディレクターに就任。初年度にあたる去年のセレクションは、ペール時代にはしばしば見られた実験的なスタイルを持った意欲作は少なかったものの、骨組みのしっかりとした物語映画を中心に手堅くまとまっていた。ところが今年はボワイエの堅実な路線が裏目に出た感があり、ありきたりな人間ドラマや作り手の独りよがりな感性を押し付けられるような駄作ばかりが目に付いた。そうは言っても、ジャンヌ・ダルクの最期の日々を静謐に格調高く描いた『The Silence of Joan』(Philippe Ramos)や、少年同士のゆすりの物語を長回しと画面外を巧みに活用した独特のスタイルで描き出した『Play』(Ruben Ostlund)のような発見が無かった訳ではない。しかしながら、『ソフィアの夜明け』が一昨年に同部門で上映された(その後東京国際映画祭でグランプリを受賞)カメン・カレフの新作『The Island』は才気は感じられるものの展開に無理がある完全な失敗作であったし、アンドレ・テシネの『Unforgivable』に至っては映画がどこに向かっているのかさえ判らず、失敗作にすら成りえない有様であった。
 やはり今回の監督週間におけるセレクション全体のレベルは相当に低く、それを反映してか、例年一般の観客が長蛇の列を作る為に、満員で入れないことが少なくないにも関わらず(映画祭のバッジや招待券無しでは入場不可能な公式部門とは違って、平行部門は一般の観客がチケットを買って観ることができる)、今年は週末の昼間の上映以外は空席が目立っていた。結局、フレデリック・ボワイエは映画祭閉幕から一ヵ月後の六月下旬にディレクターを解任されることになる。
 そうした監督週間の低迷と対照的であったのが、今年50周年を迎えた批評家週間の充実ぶりである。フランス映画批評家組合が主催するこの部門は、クリス・マルケル、ベルナルド・ベルトルッチ、ジャン・ユスターシュ、フィリップ・ガレル、ケン・ローチなど、数々の巨匠映画作家の初期作品を紹介してきた輝かしい歴史を持っている。だが、コンペティションでは長編第一作と二作目のみを扱い、しかもメイン会場からは遠い小さなホールでの上映ということもあり、近年は注目を浴びることは少なかったように思う。しかしながら、去年あたりから作品のレベルが上がってきて、今年はカメラ・ドール(映画祭全体の新人監督賞)を受賞した『Las Acacias』(Pablo Giorgelli)をはじめ、17人の女子高生が同時に妊娠するという実在の出来事を瑞々しく映画化した『17 Girls』(Delphine&Muriel Coulin)や、少年と少女の出会いと別れを丁寧に描いたブルガリア映画『Ave』(Konstantin Bojanov)など、小粒ながら今後が楽しみな若手監督達の佳作が並んでいた。また、オープニング作品として上映された『Declaration of War』(ヴァレリー・ドンゼッリが監督・主演)は好評を持って迎えられ、『ターネーション』で注目を浴びたジョナサン・カウエットの新作(『Walk Away Renee』)が特別上映されるなど、ここ数年では最も充実したラインナップだったと言えよう。そうした作品選定に少なからず影響したと言われるのが、「カイエ・デュ・シネマ」誌の元編集長であるシャルル・テッソンが選定委員会に加わったことだ。そのテッソンが来年の映画祭からは選定ディレクターに就任するだけに、批評家週間からは一層目が離せなくなるだろう。

 リュミエール大劇場での公式上映が、ハリウッド大作(今回は『パイレーツ・オブ・カリビアン』最新作が上映)や、既に評価が定まった監督達の新作披露の場という側面が強いだけに、新たな映画の可能性を発見する場という、映画祭が本来持つべき役割は二つの平行部門が担っていると言えるだろう。またカンヌ映画祭は、世界最大の映画見本市(マーケット部門)という顔も持っており、そこでは出来上がったばかりの作品が世界中の映画セールス会社によって出品されており、あらゆるジャンルのフィルムが製作規模や質を問わず、玉石混淆の状態で上映されている。その結果、カンヌでは公式部門と平行部門、マーケットを含めると毎日百本から二百本近いの上映スケジュールが組まれている。映画祭には、リュミエール大劇場のレッド・カーペットでメディアや群集の注目を浴びる作品がある一方で、ホテルの会議室を改造した小さな会場で、数人の業界関係者だけの為だけに上映されている作品もあるのだ。カンヌで上映会場を渡り歩く毎日を送っていると、その途方も無い規模の大きさと作品の数に飲み込まれそうになることもしばしばだが、その中から映画の可能性を広げる様な傑作と出会い、しかも世界で最初に陽の目を見る瞬間に立ち会えるというのは、カンヌ映画祭でしか味わえない僥倖なのだろう。

08 Jul 2011

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