<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
   <title>flowerwild.net</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.flowerwild.net/" />
   <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://www.flowerwild.net/atom.xml" />
   <id>tag:www.flowerwild.net,2008://1</id>
   <updated>2008-03-27T11:03:36Z</updated>
   
   <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 3.33-ja</generator>

<entry>
   <title>自由の代償──ダグ・リーマン『ジャンパー』</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.flowerwild.net/2008/03/2008-03-17_182233.php" />
   <id>tag:www.flowerwild.net,2008://1.107</id>
   
   <published>2008-03-17T09:22:33Z</published>
   <updated>2008-03-27T11:03:36Z</updated>
   
   <summary>［film］『ボーン・アイデンティティー』の監督最新作</summary>
   <author>
      <name>三浦哲哉</name>
      
   </author>
         <category term="film" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="266" label="D・リーマン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.flowerwild.net/">
      <![CDATA[<p>
<div class="imagelong"><img src="http://flowerwild.net/images/jumper001.jpg"></div>
</p><p>　いまあらためて、瞬間移動という主題で1本の映画が作られた。宣伝もストレートにこの点のみを強調する。「行き先、無制限」。広告には、エジプトのスフィンクス像のうえに寝椅子で寝そべりリラックスする男の写真。瞬間移動は、映画史のほとんどはじめからある主題だが、しかし『ジャンパー』は、ジョルジュ・メリエスのトリック撮影や、あるいはドラえもんの「どこでもドア」の牧歌的なファンタジーなどとは一線を画すだろう。この単純素朴で古めかしい主題が、ハリウッド「最新の」アクション映画監督として知られるダグ・リーマンによって作られる。そのこと自体が見ものなのだ。
</p><p>
　監督ダグ・リーマンの近作を振り返ると、たしかに『ジャンパー』へと繋がるある傾向が見出せる。それは端的に述べて、ショットの細分化の追求と、空間の視覚的連続性の廃棄である。これはもちろんダグ・リーマンに限ったことではなく、昨今のハリウッド・アクション映画における大きなトレンドであるわけだが、しかしこの傾向を意図的にひとつの完成形において示したのが彼の『ボーン・アイデンティティー』（2002）だったといえるのではないか。マット・デイモン扮するボーンが戦闘に身を投じると、ひとつのカットはものの数秒、あるいはコンマ何秒という短さで切り替わり続ける。断片となったボーンの動作は、ほとんどその初動のみが記録されるだけだ。足を踏ん張ろうとする、拳銃を撃とうとする、飛び上がろうとする、その一瞬の運動感覚だけが再現される。すると次にその肉体の意志が、やはり細分化された敵役たちの倒れる姿へと次々と接続されていく。万能感を漲らせた高速の舞踏。こうした構成を仮に「残像のモンタージュ」と名付けることができるかもしれない。筋肉感覚だけを一瞬喚起させると、映像はコンマ何秒の間隔で次々と消えていく。観客は速読を強いられるように、あるいはマンガを一気に飛ばし読みするときのように、頭の中でアクションを想像的につなぎあわせていくことしかできない。ここには観客の注視を許すショットの持続はなく、かつてのアクション映画がまきちらしていた齟齬感が意識にのぼる余地もない。彼らのアクションがひとつなぎに成立することと、きれぎれになったイメージを読み取ることが、等号で結ばれているのである。<br>
　たしかに、こうした高速化を同時に空虚化であると指摘することもできるだろう。だがそれでも『ボーン・アイデンティティー』が秀逸だと思われるのは、元CIAエージェントの主人公が記憶喪失をわずらうという設定においてである。自身の過去の履歴を何も覚えていないが、しかし主人公の肉体には戦闘マシーンとしての身体的記憶が刻み込まれており、襲われたときは条件反射で戦闘の技術が再生される。主人公も、はじめは自分に何が起きたのかわからない。肉体が無意識下で反応し、いつのまにか、敵方が倒れている。このズレ──不随意的にアクションする身体と、時間差で事態を了解する意識、その間隔こそ、おそらく『ボーン』シリーズで使用された「残像のモンタージュ」の原理そのものである。アクションが繋がった後で、初めて気付く、というその間隔。マット・デイモン扮するボーンは、したがって「残像のモンタージュ」を自ら生きる、血肉を備えた分身である。
</p><p>
　続く『Mr. & Mrs. スミス』（2005）はスパイ映画のパロディだが（戦闘シーンがすべて夫婦ゲンカの延長という設定）、パロディのメタ視点を可能にしていたのも、『ボーン』でその成果を実証済みの「残像のモンタージュ」である。ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー扮するスパイ夫妻の無敵ぶりは、たとえばかつてのシュワルツェネガー映画のように弾丸が勝手によけていく、というのとは性質が違う。ワンカット数秒という目まぐるしいモンタージュのなかで、ベクトルを欠いた銃撃と爆発がどこともわからない場所で交差すると、いつのまにか勝負は決してしまう。つまり、観客には決してアクションの全体を注視することができないがために、ふたりの行動はいかに無理に思えようとも違和感を喚起することなく成立してしまう。この作品の眼目は、だからアクションそのものの充実ではなく、その渦中にいるにもかかわらず本質的にはそれと無関係でいられる夫妻の「余裕」にある。アンジェリーナ・ジョリーがそのようにして設けられた「余裕」を魅惑的に身体化していたかどうかは、個人的に疑問だが。
</p><p>
　ともかく、ダグ・リーマンの近作は、少なくとも方法的な自覚に裏打ちされていたということはできるだろう。それが作品の優劣に直結するとはいわないが。『Mr. & Mrs. スミス』はパロディとしての着地点を、『ボーン』シリーズは主人公の意識と身体の乖離をモンタージュの構成と重ねることによって、しかるべき着地点を確保していた。さて、そこで最新作の『ジャンパー』なのだが、この作品はそのような意味における着地点がまったく欠落していることによって驚くべき映画となった。空間の底が抜け、しかも、いかなる補填もなされなかったのだ。
</p><p>
　『ジャンパー』は、主人公がその能力に目覚める場面から始まる。気弱な幼い主人公が、恋心を抱くヒロインにプレゼントを渡そうとすると、いわゆるジャイアン的な少年の横やりが入り、詳細は省くが、凍てついた河で溺れてしまう。その絶体絶命の状況が彼の資質を覚醒させ、気付くとある図書館の一室へ瞬間移動している。こうして自身に異能があることを知った少年は、ドメスティック・ヴァイオレンスの常習者らしき父親から逃れて、一人暮らしを始める。生活資金は銀行の金庫から頂戴する。理想的なマンションを借り、素晴らしいジャケットに身を包み、気が向いたときはスフィンクス像の頭のうえで日光浴をしたりしながら、およそ一切の制約から免れた究極の自由を満喫するのである。
</p><p>
<div class="right-withtxt"><img src="http://flowerwild.net/images/jumper002.jpg"></div>

　ここまでの展開は、いわゆる超能力ヒーローものの常套をそのまま踏襲しただけであるといえる。しかしたとえばサム・ライミの『スパイダーマン』（2002）と比べたとき、本来喚起されてしかるべき覚醒者の快楽が希薄なことに驚かされる。そう、瞬間移動は、そもそもがあまりに淡泊な能力なのだ。ようするにただ場所から場所へ移動できるというだけで、それが肉体的な快楽として感覚されることがまったくない。『スパイダーマン』のメタモルフォーゼははるかに具体的だった。朝目覚めると、がりがりだったトビー・マグワイヤがCGでムキムキにパンプアップされている。分厚いメガネをかけると視界に違和感があるので、外してみると近眼が直っている。その驚き。いじめっ子やヒロインたちとの関係性の変化も、胸躍るような細部の演出で肉付けされている。<br>
　この違いを、演出家としてのサム・ライミとダグ・リーマンの力量の差であるといってしまうこともできるだろう。アメリカの学校で粗暴な少年が覚醒前の主人公をまってましたとばかりにからかう場面は、いわばお約束の見せ場であるはずだ。そこが「なっていなかった」のにまず拍子抜けしてしまう。生真面目に目をらんらんと光らせるいじめっ子に生理的嫌悪感だけが喚起されるばかりで、予定調和を悠々と演じさせる余裕がまるでない。『Mr. & Mrs. スミス』で救いになっていたブラッド・ピットの器用さも、この子役には求めるべくもない。同様に、成長した後のヘイデン・クリステンセンにも。<br>
　とはいえ、『ジャンパー』の淡泊さは、やはり瞬間移動というアイディアそのものに起因するというべきだろう。再び『スパイダーマン』と比べるならば、トビー・マグワイヤもCG合成された空間で自動車や飛行機よりも速く移動していたが、それは手首から発射される蜘蛛の糸を高層ビルの突端に次々と接着し、振り子の要領で前進するという不自然で手間のかかる方法をとっていた。そしておそらく、この不自然さと手間こそが、観客に快楽を供してくれる当のものなのだ。同じく超能力ヒーローものである『ファンタスティック・フォー』（2005）が好ましく思えるのは、徹頭徹尾、超能力者の不自由に焦点が当てられているからである。ジェシカ・アルバ扮する透明人間は、透明になるときにいちいち服を脱ぐ。その弟が炎の塊になるときも、お気に入りのスーツが燃えてしまい、ぶつぶつと不平をもらすことになる。岩石男は、力の加減がわからずにグラスを握りつぶしてしまう。<br>
　また瞬間移動に関して忘れられないのは、トニー・スコット監督『デジャヴ』（2007）でデンゼル・ワシントン扮する主人公が装置で過去へと転送される場面だ。転送装置の作動にともない心臓が停止してしまうために、転送先を病院に設定し、「蘇生されたし」の手紙を添付するという、途方もない手間。少しでも重量を軽くするためにパンツ一丁になる点も心得たものなのだが、最も衝撃を受けたのは、転送された直後、やや引き気味のカメラポジションで捉えられたデンゼルの体がこれでもかと振動している姿である。おそらく撮影現場では本人がただ体を上下に震わせていただけであったように見受けられるのだが、瞬間移動という科学技術の効果が、ブルブル震えるという素朴な肉体運動で表現されている点に、ひとつの逆説が浮かび上がる。それは、超能力者の自由が、その肉体的な不自由を通してしか具体的に描かれることがないという事実である。
</p><p>
　当たり前だが、無制限の自由などというものは視覚的に表現しようがないのだ。最終的には、俳優の肉体に現れる制約（たとえばデンゼルの身体の震え）に囲われることによってしか、この種の自由は感覚されえない。ところが『ジャンパー』には、その意識があまりに希薄だった。唯一あるとすれば、それはジャンパーたちをハンティングする謎の集団のリーダーに扮したサミュエル・L・ジャクソンにだろうか。彼は「報い（consequence）を受けろ」と主人公に要求する。無制限の自由は神にのみ属するべきであり、したがってジャンパーはこの世に存在することが許されない、というのだ。このフィルムになんらかの具体性を与えることができるか否かは、彼の双肩にかかっていた。たとえば、『マトリックス』シリーズの設定を、語り部のモーフィアス演じるローレンス・フィッシュバーンの奇形的名演技が支えてしまったように。しかし、サミュエルのキャラクター造形は、白髪のヘアスタイル以外に魅惑的な突出部分を持つことがなかった。ジャンパーを捉えるための装置も、SFガジェットとしての魅力を備えているとはいいがたい。物語上も、彼はジャンパーを捕獲することができないままで終わる。闘いはそれなりに拮抗しているのだが、それもよく見てみるとジャンパーが能力を有効に生かしていないからだけであって、やはり瞬間移動能力の前に敗北は当然なのだと思う。<br>
<div class="left-withtxt"><img src="http://flowerwild.net/images/jumper003.jpg"></div>

　そうして、銀行から盗みだした金で生計をたてている主人公はいかなる代償も払わずに（かつてのヘイズコードに抵触するところだ）、エンディングを迎える。そもそも驚いたのは、彼がこの能力を一切、いわゆる「正義」のために役立てようとしないことだ。テレビのニュース映像として、見ず知らずの人間が河で遭難している光景が一瞬、映されるのだが、彼は介入しようとしない。本当に、ロンドンのパブで女性を口説いたり、ガールフレンドをローマの遺跡に忍び込ませたりということしかしないのである。後は、仕置き人からひたすら逃亡して、最後にとばっちりを受けたガールフレンドを救出するだけ。もちろん、この特殊能力を持つことによってジャンパーたちが孤独を強いられているということはあるようだし、だから報いはすでに支払われているといえないこともないのだろうが、実際のところ、主人公が今後もジャンパーとしての自由を謳歌し続けることに変わりはない。つまり物語上も底が抜けているのだが、これはいったいいかなることか。<br>
　それならば、結局のところ支払われなかった「報い（consequence）」とは、シリーズ2作目の予告を意味するのだろうか。それを匂わせる伏線はいくつもあったように思う。サミュエルもまだ死んではいない。しかし、超能力に目覚めた主人公がシリーズを通して専ら不自由を生き続ける『スパイダーマン』の自覚がなければ、ジャンパーはひたすら無意味にどこでもない場所を逃げ続けるだけの結果になるのではないだろうか。
</p>
<p>
<div class="info">
『ジャンパー』　JUMPER<br><br>

監督：ダグ・リーマン<br>
製作：サイモン・キンバーグ、アーノン・ミルチャン、ルーカス・フォスター、ジェイ・サンダース<br>
原作：スティーヴン・グールド<br>
脚本：デヴィッド・S・ゴイヤー、サイモン・キンバーグ、ジム・ウールス<br>
撮影：バリー・ピーターソン<br>
音楽：ジョン・パウエル<br>
プロダクション・デザイン：オリヴァー・スコール<br>
出演：ヘイデン・クリステンセン、ジェイミー・ベル、レイチェル・ビルソン、サミュエル・L・ジャクソン、ダイアン・レイン<br><br>

2008年／アメリカ／88分<br><br>

2008年3月7日（金）より日劇１ほか全国<超拡大>ロードショー公開！<br>
（20世紀フォックス映画配給）<br>
</div>
<div class="copyright">画像の転載および複製を禁じる。©2007 Twentieth Century Fox</div>
</p>

]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>［エディトリアル］よじれる笑い</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.flowerwild.net/2008/03/2008-03-14_111640.php" />
   <id>tag:www.flowerwild.net,2008://1.106</id>
   
   <published>2008-03-14T02:16:40Z</published>
   <updated>2008-03-14T23:46:06Z</updated>
   
   <summary>特集「笑い声の消えゆく地点」</summary>
   <author>
      <name>三浦哲哉、土田環</name>
      
   </author>
         <category term="editorial" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="特集記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.flowerwild.net/">
      <![CDATA[<p>
　サイレント映画の終焉が台詞を中心とするトーキー映画の笑いを用意したとすれば、むしろ、観客にとって聞き取りを要求するという点において、イメージに対する沈黙を強いる方向ができあがったといえるのだろうか。現在のテレビで必要以上に映像と音声に被せられているテロップや観覧席の笑い声のオーバーラップは、見る者の視界を覆い、視線とスクリーンとの出会いを遮るという意味において、音を持つに至った映像の歴史において退行を示しているといっても過言ではない。たしかに、笑いを誘い出そうとする観客への露骨な目配せは、チャップリンであれキートンであれ、サイレント映画の多くのなかにも見出すことができる。人々の笑いが映画館に満ちあふれていたような時代、観客と映画の笑いとが一体化する地点を安易に想定してしまうのはナイーブに過ぎるかもしれない。しかし、映画が完成し、上映される時、作品は制作者の手を離れ、観客という他者の視線、想像力の介入を余儀なくされる。映画で笑いが輝くとすれば、双方に残された余白＝スクリーンこそが、裸となった自身の姿を目にしてともに笑うほかにやりようのない場と化す時ではなかったか。
</p><p>
　自己の内側から外へ。笑いが私たちの通常持っている固定観念を逸脱する行為から生まれるのだとすれば、そこにはある種の自由があるはずだ。トランプのジョーカーは、「はみだし者」を意味すると同時に「冗談を言う」人間のことでもある。政治風刺劇に嘲笑が付きものであるのも、笑いが制度におもねることのない力、自己をさらけだすだけでなく他者をも開こうとする力を持つことを示している。だが、現在のブログやメールに頻用される「（笑）」、テレビで芸人たちが自分のギャグに対して口にする「すべる」といった表現は、自己韜晦、照れ隠しにとどまらず、どこかで笑いが自己完結していることを示してはいないだろうか。いずれにせよ、それがエンターテイメントとして観客を単純に笑わせるものであれ高度に構造化されたユーモアであれ、私たちは内面化された状態から笑いの思考を始める時代のなかにいる。
</p><p>
　現在の「笑い」のねじれ、あるいは、いびつさ。北野武と松本人志が2007年6月2日に同時に公開することとなった2本の映画はそのことに示唆的な作品だったのではないか。80年代と90年代にテレビにおける笑いのかたちを作り変えた当事者であるふたりは、映画では自分の笑いがそもそもいかにして成立しているのかを意識した──自家撞着すれすれの──作品を発表した。成功したともいえるテレビ活動の後で、否定的に見れば映画としては失敗した、肯定的に見れば映画に対して挑発的な作品。彼らの映画、そして、同時代人としてテレビの笑いを独自な視点から語ってきたエッセイスト・ゴム版画家ナンシー関の活動を通して、いま映画のなかの笑いについて考察したい。また、笑いが作られ、消費されてきた現場を生きてきた瀬川昌治のインタビューは、経験そのものがユーモアとスリルさえともなって、日本映画史の「正統的」ともいうべき喜劇の姿を照射してくれることになる。
</p><p>
　吉本興業が黄金期を築くにあたって大きく貢献した木村政雄は、その著書のなかで、吉本が成長した理由について述べている。藤山寛美の説教芝居に代表される松竹新喜劇が、あくまでも日本の貧しさに照らし出された芸であり、日本が豊かになればやがて消えゆくものであるのに対して、吉本はくだらなさの一点を追求したことで時代に制約されない笑いの企業戦略を立てることができたという（『笑いの経済学』）。くだらなさも均一化、消費されることの宿命を逃れることはできない。時代さえも超越したかのような「荒唐無稽」という無責任な言葉をそのまま形容詞として使うことが現在どれほど許されているのだろうか。
</p><p>
（三浦哲哉、土田 環）
</p>]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>大巨人のはにかみ──松本人志『大日本人』</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.flowerwild.net/2008/02/2008-02-12_213553.php" />
   <id>tag:www.flowerwild.net,2008://1.105</id>
   
   <published>2008-02-12T12:35:53Z</published>
   <updated>2008-03-15T00:54:27Z</updated>
   
   <summary>特集「笑い声の消えゆく地点」</summary>
   <author>
      <name>三野友弘</name>
      
   </author>
         <category term="film" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="特集記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="264" label="松本人志" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.flowerwild.net/">
      <![CDATA[<p>
<div class="imagelong"><img src="http://flowerwild.net/images/dainihonjin001.jpg"></div>
</p>
<p>
<strong>1. 現実と虚構の往還</strong>
</p>
<p>
　昨年1月、約600人もの報道陣を前に『大日本人』（2007）の製作発表記者会見が開かれ、松本人志の監督デビューが公表された。それから松本は、約半年後の劇場公開に先立って、数々のTV番組、雑誌から膨大な量のインタビューを受け続けることになる。<br>
　そして、そのような華々しさとは趣きが異なるものの、本作『大日本人』の劇中においても、松本演じる主人公・大佐藤大（だいさとう・まさる）は、現実の松本人志と同様にTV局の密着インタビューを受ける。一見すると平凡な中年男にすぎない大佐藤だが、まもなく取材を通じて、彼が "大日本人" という伝統職を継いだ六代目だと判明する。彼の家系は、身体に高圧電流を流すことで大巨人に変身するという遺伝体質を持ち、代々その特殊能力を活かして、日本国内に出没する巨大生物 "獣" を退治してきたという。TV局は、そんなヒーローの知られざる実態に迫ろうと、大佐藤の私生活に密着していたのだ。しかし、軍備が整った現代において、大日本人の不要論が持ち上がり、世間の風当たりは厳しい。さらに大佐藤は、妻子との別居、跡取り問題、かつて英雄だった祖父（四代目）の介護など、私的な問題も数多く抱えている──。<br>
　このような物語を持つ本作は、大きく分けてふたつのパートで構成されている。ひとつは、TV局が大佐藤に密着取材するドキュメンタリー形式のパートである。手持ちカメラで捉えられた大佐藤の私生活は、どこまでも侘しい風景として現れる。曇天、あるいは雨さえ降り頻る索漠とした住宅地、祖父を預けた老人福祉施設、出張先のスナック、自宅近辺の安居酒屋、そして無趣味な古惚けた一軒家と荒れ果てた庭──。このパートは、随所に素人役者を起用した効果も相俟って、映画的スペクタクルとは無縁の、生々しい生活感に覆われている。対照的にもうひとつのパートは、巨大化した大日本人と獣との戦闘がCGを駆使して描かれ、円谷プロ的な特撮ヒーローの世界を髣髴とさせる。<br>
　大佐藤のうらぶれた生活と、そこに忽然と立ち上がる大巨人のフィクション。片やドキュメンタリー形式、片やCGのヒーローものという、現実と虚構の奇妙な混淆。この両極の間に広がる大きな落差を、松本人志が孤独に往還し続けている。本稿では、その落差の広がりの中に、松本の素顔を探っていきたいと思う。
</p>
<p>
<br>
<strong>2. 地に咲く笑い</strong>
</p>
<p>

　まず『大日本人』のドキュメンタリーを模した部分であるが、ここに広がるうら寂れた風景はどこに由来するかと考えた時、それを松本人志の出生地・尼崎市に求めるのはあながち間違いではないだろう。松本の笑いの独自性は、尼崎市で過ごした高校時代までにすでに完成していたと、松本の幼馴染である放送作家・高須光聖が証言している。ドキュメンタリー形式のパートにおける大佐藤の生々しい生活が、松本人志その人の生まれ育った環境に由来するのではないかと考えたときに、『大日本人』に息づくある一面が明らかになるはずだ。<br>
　一大工業都市として名を馳せた同市は、大阪湾に面した市の南部が阪神工業地帯の中核として大いに発展し、戦前には東洋最大と謳われた尼崎第一・第二発電所が相次いで竣工して、松本の少年期に当たる70年代半ばまでフル稼働していた。しかし、巨大な火力発電所が巻き上げる煤塵は市内一円に降り注ぎ、見上げる空は慢性的に鼠色に曇っていたという。小中学校の各クラスには2メートル大の箱型の空気清浄機が1台ずつ設置され、授業中に「光化学スモッグ注意報が発令されました。窓を閉め、空気清浄機を作動してください」と校内アナウンスが入ることも日常茶飯事だった。こうした劣悪な環境でありながら、人口密度は高く、低所得者が肩を寄せ合って、貧困を恨みながら日銭を稼いでいた。もちろん、松本家も例外ではなかった。さらに同市は、被差別部落民や在日コリアンが多い土地で知られ、数多くの公害訴訟と並び、部落解放や朝鮮人学校を守る運動が戦前から綿々と繰り広げられ、差別と偏見、貧困と暴力とが一緒くたになって遍在していたという。<br>
<div class="right-withtxt"><img src="http://flowerwild.net/images/dainihonjin002.jpg"></div>

　この尼崎の独特の世界観は、『大日本人』の中にも色濃く反映されている。例えば、尼崎第一・第二発電所は大佐藤が巨大化する施設の第二電変場・三河電変場であり、光化学スモッグ注意報は獣の襲来を告げる防衛庁からの出頭命令であり、被差別部落民は国民から疎まれている大日本人（大佐藤）であると見なすことも可能だろう。何より、大佐藤の古惚けた一軒屋と曇りがちな空が、『大日本人』の舞台は旧・尼崎市ではないかという錯覚を誘うのである。<br>
　貧乏ゆえに、金のかからない遊びを考えなければならなかったという松本は、小学5年生にしてクラスメイトに漫才を披露していたという。そのレパートリーの多くは、尼崎の「変な」大人たちを観察し、ネタにして笑い飛ばすというものだった。その感覚は、『大日本人』に起用した中年男にカメラを向け、「正義とは何か？」「命とは何か？」と禅問答のように問い、素人ゆえの生真面目なリアクションを引き出す場面の笑いに通じている。名もない庶民の抱える「貧困」「差別」「偏見」──そういった哀しみを直視し、笑いに引き寄せながら社会の中に居場所を用意する。というより、松本自身が実はその対象に含まれているのであり、他人を高みから見下ろすほどの余裕はなく、自分自身をまず救済しなければならないという逼迫感が、尼崎時代から引きずる松本の本音だったのではないか。<br>
</p>
<p><br>
<strong>3. 仕掛けられた落差</strong>
</p>
<p>
　松本は自分の笑いが尼崎という「逆境」で育まれたと語っているが、「芸人」の歴史はそもそもが逆境の歴史でもある。とりわけ明治維新によって近代化が進められる以前、芸人は非人と称される被差別民として扱われていた。単なる無芸の物乞いや、奇病、畸形も辻芸（大道芸）の一種に数えられ、象やラクダなど異国の動物とともに蟲惑的な見世物空間を現出させていたのである。そして当時の一般庶民は、彼ら芸人を見ることで、自らの社会的優位を確認することができた。つまり芸人は、"落差" そのものを示し出す存在であり、その落差が、社会の姿を相対的に測る物差しになっていたのである。<br>
　近代化以降の日本では、そのような芸人の事情もすっかり様変わりしたが、それでもなお、松本人志の笑いはかつての見世物芸人の姿を髣髴とさせる。例えば『ごっつええ感じ』の名物コント、「トカゲのおっさん」シリーズでは、半身トカゲの中年男を松本自らが演じている。このフリークスは、人間らしい生活を夢見ながらも、汚い世間の言動に翻弄され、見世物としてストリップ小屋に売り飛ばされた挙句、終いには刑務所にぶち込まれてしまう。あるいは、スタジオの会議室に召集された独身男たちが、松本の出鱈目な命令にいじり倒され、笑いの餌食となる素人観察ドキュメント『働くおっさん人形』。踊りながら "生き地獄" なる歌を熱唱させられる中年男たちの狂態は、さながら平成版・見世物小屋の趣を呈した。他にも、老芸人・ピカデリー梅田が入れ歯を外してお下劣な笑いをとる「ピカデリー・シリーズ」など、見世物的な松本企画の番組は例を挙げたら枚挙にいとまがない。<br>
　かつて江戸の市中に見世物小屋が軒を並べたように、現代の日常的空間であるTVにおいて、露悪的な見世物小屋を建て続けてきたのが松本人志である。常に "子供に見せたくない番組" の上位にランクされてきたそれらの番組群は、世間の常識に大きな落差を仕掛けることで、社会の自明性を揺るがしてきた。<br>
　例えば、通常ありえないクローズ・アップで入れ歯の外れた老人の顔を大写しにするとき、本来なら大切に遇されるべき老人が、グロテスクな汚れ役に変身する。と同時に、一般的に考えられていた敬老精神の概念が脱臼するのだ。同様に、『ごっつええ感じ』の「世紀末戦隊ゴレンジャイ」などヒーローものを模したコントも、5人の戦闘服の色がカブるなど、惨めさを強調することでヒーローの自明性を脱臼させている。つまり、老人・ヒーローという一般化されたイメージを、落差によってズラしているのである。<br>
　この手法は、『大日本人』を貫き、一般的なヒーローものを成立させているはずの様々なコンセプト（「勧善懲悪」など）を脱臼させるだろう。例えば、かつては英雄だった大佐藤の祖父、四代目の場合である。今や認知症になってしまった祖父は、夜中に老人福祉施設を脱走して勝手に巨大化し、ふんどし姿で街中を徘徊して市民に大迷惑をかけた挙句、最後には愛孫の大佐藤に足蹴にされて昇天してしまう。このあり得ない落差が、老人とヒーローの両概念を一遍にズラしている。さらにいえば、四代目を演じた俳優・矢崎太一氏の老いさらばえた肉体は、物語を超えた生々しさで観客に迫ってくる。枯れ枝のように痩せ細った身体でアクションを演じる姿の危なっかしさ。成れの果てとなったヒーローの惨めさが、哀しさと滑稽さのギリギリのラインで示されているのだ。またヒーローらしからぬといえば、そもそも主人公の大佐藤自身、近隣の住民から石を投げつけられて自宅の窓ガラスを割られたり、全国各地の国民から罵声を浴びたりするなど、ヒーローとは正反対の冷遇に処されている。ヒーローたちがその有様なら、怖いはずの "獣" たちも、漫才師の海原はるか扮する締ルノ獣が1・9分けの髪を振り乱すなど、いかにも間抜けな造形で、あるべき姿からズラされている。<br>
　かつて被差別民だった江戸の芸人は、落差によって社会の自明性を揺るがす、文字通りの "汚れ役" だった。松本の笑いにもそれと同じダイナミズムがみとめられる。しかし、決定的に違う点がひとつある。確かに松本は、老人やヒーローを汚れ役に祭り上げたが、同時に、笑いという演出を通して彼らに情けをかけ、結果として彼らの存在を救済している点だ。例えば海原はるかが髪を振り乱したとき、その下に隠れていた頭皮が無防備に晒される。それをそのままの映像として放り出せば、身も蓋もなく醜怪である。だが、切り返された大佐藤の表情や間を含めた緻密な演出によって、観客に笑いが生じる。人のコンプレックスを暴露し、殊更に強調して見せながらも、それらは演出の呼吸の中で笑いとして生成し、その瞬間に彼らの弱みはチャームポイントに反転して、そっくりそのままの姿で肯定される。社会の外側にずり落ちていた忌避すべき辺境者たちが、その落差を逆転させるのだ。ともすると弱い者いじめと批判される松本の笑いは、その点でむしろ大らかなユーモア精神に支えられたギリギリの人間賛歌へと転じるのである。<br>
　考えてみれば、松本人志その人が、貧しかった社会の底辺から瞬く間に億万長者へと登りつめ、巨大な"落差"を一足飛びに乗り越えた存在である。まったくの無名から赫々たる名声を掴んだその飛躍により、社会的な立場や世間への発言力も、まるで "別人" のように変化した。それでもひとりの人間であることに変わりがない彼は、その激しい落差を今なお自らの内側に抱え込んでいる。冒頭で述べたふたつのパート、うらぶれた大佐藤の私生活と、天を衝く大巨人の虚構とは、等しく松本人志の世界であり、強迫観念的に繰り返されるその伸縮運動に、彼の人生が抱え込んだ落差が炙り出されているのだ。
</p>
<p><br>
<strong>4. 松本人志のユーモア</strong>
</p>
<p>
　孤独な辺境者を、笑いで引き上げてきた松本人志。ともするとその「否定的」「秩序破壊的」な側面を強調されがちな松本の笑いは、むしろ、"肯定" と "ユーモア" の観点から語り直されなければならない。ここから、特にその方法論に焦点を絞り、松本の笑いを再検証してみたい。<br>
　松本のユーモアの性質を語るにあたり、まず注目したいのは、"命名" と "実演" と仮に名づけうる営みであり、その組み合わせである。松本の笑いは、まず名前を付けるところから始まる。例えば本作の主人公に名づけられた「大佐藤大（だいさとう・まさる）」という名前は、等身大と大巨人との落差を簡潔に示し、敢えて命名の意図を丸見えにすることで滑稽な印象を生んでいる。それは、タイトルの「大日本人」についても同様である。<br>
<div class="left-withtxt"><img src="http://flowerwild.net/images/dainihonjin003.jpg"></div>
　そして松本のユーモアの真価は、"命名" がただちに "実演" という次の段階に発展する時に現れる。"命名" されることで肉体性を帯びてしまった架空の存在が、さらにそこからどのような顛末を辿っていくのか、松本は具体的に転がして見守っていこうとする。俗に、一度嘘をつくと、それを守り通すために、新たな嘘を100回もつかなければならないという。だがある意味でそれは、非常に冒険心に溢れた創造行為となりうる。松本は、自ら立ち上げた「大日本人」という嘘（フィクション）を実演するにあたって、現場の流れを慎重に見極めながら順撮りしていったという。つまり、嘘を新たな嘘で展開させるには、その過程に柔軟に対応できる順撮りという方法が最も相応しかったといえる。そして、もともと松本は、このように架空の設定を真に受け、我が身を持って実演してみるというやり方のスペシャリストだった。<br>
　例えば、『ガキの使いやあらへんで』のフリートークは、視聴者から寄せられた奇抜な質問を、松本が徹底して "真に受ける" ことから始まる。例を挙げると、「悪魔から三叉の槍を取り上げるとどうなるか？」「食べてすぐ寝ると牛になるというが、具体的にどう牛に変化するのか？」「ドラキュラは十字架を何と勘違いしてあれほど恐れるのか？」など、そもそもトークの出発点となる質問それ自体が嘘（フィクション）の側から提出される。それに対して松本は、さらなる嘘の上塗りで応じるのだ。例えば、「カーナビの案内を永遠に無視すると最後にどうなるか？」という質問に対しては、モニターから『リング』の貞子に似た悪霊が出現すると答える。しかし、そもそもモニターが小型なので、その中から這い出してきた悪霊も小人サイズでまったく迫力がないという。<br>
　嘘の設定も、いったん真に受けなければ出てこない発想である。言ってみればこれは、実際に "臍で茶を沸かす" とどうなるか、敢えて実演することで生じる笑いである。本作でも、このような方法によって、自ら立ち上げた「大日本人」という大きな虚構に肉体性を与えている。そして、いたる場面で奇妙な生々しさが獲得されることになるのだ。<br>
　例えば、大佐藤が古びたスクーターに跨って、第二電変場に向う場面。自ら施設の重たいゲートを開け、バイクに跨り、曲がりくねった坂道をノロノロと登り続ける。カメラは執拗に、大佐藤の横顔を、あるいは背中を長回しの1カットで追いかける。移動だけを示すならほんの数秒で事足りるカットに、実に2分以上もの長尺を割いている。この理不尽な長さが、大佐藤の孤独な内面を深く抉り出しながらも、どこか滑稽なニュアンスを纏わせている。<br>
　また、大佐藤が巨大化する過程を律儀に描いた三河電変場の場面がある。まるで巨大な国旗のごとくポールに掲揚され、高らかに風にはためく謎の紫色の布。それが次のカットで、巨大化する大佐藤のためにあらかじめ用意されたパンツだと示される。大佐藤は、その巨大なパンツにすっぽり全身を包まれて変身するのだ。あるいは逆に、等身大に戻る場面では、「大日本人誘致認定旅館」なる建物の大広間に大佐藤が横たわり、2〜3日かけて静かに縮んでいく様の一齣が描かれている。他にも、電変場の施設で働く中年の従業員たちや、UAが扮する、自らの営利目的に従って大佐藤を利用する商売上手なマネージャーも含め、通常なら描かれないヒーローの舞台裏を拾い上げている。それが、「大日本人」というフィクションにユーモア溢れる現実味を与えているのである。
</p>
<p><br>
<strong>5. "真顔" と "はにかみ"</strong>
</p>
<p>
　そのようにして作られた本作で、松本人志が映画界に第一歩を刻んだ日、北野武の13作目『監督 ばんざい！』（2007）が、いかにも意味深な巡り合せで同日公開を迎えている。メディアが煽り立てたふたりの対決構図に倣うわけではないが、本項では特にふたりの "顔" を比較することで、松本の表情が生み出す様々な効果について考える。とはいえ、松本の1作目とたけしの13作目を比べるのは公平性を欠くので、互いの1作目を中心に見ていく。<br>
　それぞれで主演を務めているふたりだが、『その男、凶暴につき』（1989）でたけしが晒した、TVの親しみやすい笑顔から完全に逸脱した "真顔" は、自制のきかないやけくそ気味の凶暴性を漂わせ、仇役・白竜の狂気漂う能面と併せて私たちを驚かせた。また、『HANA-BI』（1997）で起用した薬師寺保栄までもが、TV的とは言い難い凶悪な犯罪者面を晒していたことを考慮すると、たけしはTVと映画を別物として演出していることが分かる。それに対して、松本が演じた大佐藤は、終始その顔に恥らうような笑みを浮かべている。この表情は、たけしの真顔と違って、松本が普段からTVで見せている "はにかみ" その通りである。もちろん、各々の顔がTVのイメージを纏っていようとなかろうと、本来映画の質とは関係ない。しかし観客に対して、それ自体独立した物語を映画で見せるにあたり、TVで定着したイメージからいかに距離を計るか、その匙加減は、ふたりにとって大きな問題だったはずだ。<br>
　たけしの場合、どこか自殺衝動を思わせる開き直りで、あっさりとTVの自己像を葬り去っている。芸能界にも、映画界にも、あるいは人生そのものにすら属さない、あるいは属せない、そんな属性を欠いた傍観者的な淋しさがたけしの危うい魅力であり、その孤独が真顔によって晒されている。開き直ったその顔の強度は、もはやいかなるものによっても相対化され得ない。もし本気で死を覚悟してしまった人間がいたなら、我々は何と言って彼を呼び止めたらよいか。そこに有効な言葉など見当たらない。そんな没コミュニケーションの真空地帯へ、前倒しされたデスマスクのようにたけしの真顔が幽々と漂っている。実際、『その男、凶暴につき』でたけしが演じた我妻刑事は、ほとんど自殺行為といっていい銃撃戦に自らを追い詰め、無残に散る。それは、フライデー襲撃事件や原付事故で禁断の一線を超えてみせた、現実のたけしの死生観と重なり合うかのようだ。言葉で繋ぎとめられない没コミュニケーションの真顔、それは相対化されない絶対的な虚無と孤独を表している。<br>
　対して、『大日本人』における松本の顔はどうか。彼はTVで見せる "はにかみ" を、ほとんどそのまま反復している。相対化しえない顔をたけしが目指したのだとすれば、松本のはにかみとは、自己を相対化した瞬間に反射する含羞の運動である。ここで注目すべきは、ファーストシーンからほぼ全編に渡って大佐藤に密着し続けるインタビュアーの存在である。この取材者は、大日本人不要論を唱える世間の代弁者として、悪意に偏った質問ばかり大佐藤にぶつけ続ける。つまり、このインタビュアーが、大佐藤の惨めな姿を映し出す鏡になっている。松本は、自虐的ともいえる歪んだ鏡を己の手前に配置することで、笑いと哀しみを生み出していたわけである。<br>
　そうした、自分を他者として眺めるような感覚が、照れを含んだ "はにかみ" として顔に表れているのだが、その感覚が強まると、劇中の "彼" がはにかんだ瞬間、ふと我に返って素に戻るような、あるいは演技そのものが浮き彫りになるような印象が生まれ、それを観ている観客の我々にも、その "彼" が大佐藤のなのか、松本人志なのか、奇妙に曖昧に思われてくる。はにかみによる距離の導入が、彼の顔を素に戻らせたり、フィクションに傾けたりしているのだ。なるほど、この映画が松本の自己言及的な作品ならば、演じている松本そのものがメタレベルから対象化されなければならない。そして、劇中の大佐藤に対して、現実の松本人志が上位に立ったり、下位に回ったりする、その主体を巡る上下感覚が、うらぶれた私生活と大巨人の虚構を往還する、本作の主題に還流されているといえるだろう。<br>
　従って、松本のはにかみを、単なる照れや恥じらいといったナイーブな心理的側面とは別な視点から捉えることも可能である。つまり、"照れている自分" すらをもう一捻り相対化し、自己批評しようとする構造であり、そこで照れと同居する逞しさである。一見すると怖いもの知らずの『その男、凶暴につき』におけるたけしが、むしろ鋭敏すぎる臆病さゆえか、心を塞いで没コミュニケーションの死地へ身投げしているように見えるのに対して、本作でインタビュー形式を採用した松本は、逆に臆病に見えながらも、その対話形式によって自分の真っ当な権利を主張し、社会に対して頑なにコミュニケーションの回路を開き続けている。だから松本のはにかみは、言葉以上のメッセージを多彩なニュアンスで観客に訴えかけてくる。時には明瞭に、内面の声が聞こえそうなほどである。いってみれば、このはにかみとは、ややもするとたけし的な絶対的孤独へと暴走しかねない自分に対する、良識的なストッパーの発動である。別な言い方をすれば、他者の視線を取り込んだ自己の客体化であり、自己批評である。そして自己批評である限り、そこには言葉を介したコミュニケーションの余地が保たれ続けるのだ。<br>
</p>
<p><br>
<strong>6. フィクション化された自己、それ自体が素顔であるということ</strong>
</p>
<p>
　冒頭からずっと大佐藤に付き纏い、悪意的な質問を繰り返すインタビュアーは、たとえ大佐藤が誠実に答えても揚げ足を取ってみせる。例えば、大佐藤が三河電変場へ向う新幹線の中で、以下のようなインタビュアーとのやり取りがある。
</p><p>
── "獣"って言われてますよね？　大佐藤さん。怪獣のことですか？　一般的には怪獣って言ってますけど。
</p><p>
大佐藤：要するにその、我々にとって "怪" 獣ではないんだよね。だから、怪しくはないんだよ。現実に僕たちは戦っていかなくちゃいけないんだから、何を怪しがるんだっていうね。そういう意味も込めて、代々 "獣" って呼んでたんじゃないかなって。高校ぐらいの時にそんなこと思ったんだよね。
</p><p>
──確認はしてないんですか？ そうなのかどうか、思っただけで。
</p><p>
大佐藤：…………
</p><p>
このやり取りは、誠実に答える大佐藤と、その言葉尻を捉えるインタビュアーの滑稽さを伝えているが、一歩引いてみると、「2ちゃんねる」のような匿名の電子掲示板に見られる類の、揚げ足取りに近い感性がインタビュアーの言葉に漂っている。なるほど彼は、全編に渡ってカメラの後ろに留まり、顔も名前も明かさない匿名的な存在である。<br>
　本作が松本の自己言及的な映画である限り、大佐藤（＝松本人志）を客体化させる役割が何らかの形で必要だったはずである。そしてこのインタビュアーは、劇中の大佐藤と現実の松本人志に対する "世間の声" を重ね合わせながら、その役割を果たしている。また本作において松本は、たけし的な没コミュニケーションに陥るのを回避し、インタビュー形式を利用しながら社会への対話を固持していると先述した。しかしこのインタビュー形式は、最終的に、世間との正常な双方向的コミュニケーションの限界へと松本を追い込むことになる。<br>
　ファーストシーンでインタビュアーは、雨も降らないのに折り畳み傘を手にしている大佐藤へ、馬鹿にするような態度で「降らなかったですねぇ」と言う。しかし、その傘は大佐藤にとって、必要な時だけ大きくなるという、自分と似た者同士の存在であり、大袈裟に言えば分身である。空模様と関係なく片身離さず持ち歩いている、大切なものなのだ。それをインタビュアーが馬鹿にするファーストシーンは、やがてラストシーン間際に訪れる以下の決定的場面を、すでに予告していたかのようにも思われる。<br>
<div class="right-withtxt"><img src="http://flowerwild.net/images/dainihonjin004.jpg"></div>
　小雨降るアーケード街の安居酒屋で、大佐藤が酒を飲んでいる。インタビュアーはすでに敬語を捨て、タメ口で失礼な質問を畳み掛けている。気分を害した大佐藤は、「もう帰る」と言い、いつもの折り畳み傘を手に取って、千鳥足で店の外へ踏み出す。その傘を見たインタビュアーが、「今日も持ってきてたの？ マメだねぇ」とからかう。その瞬間、大佐藤はすかさず半身を翻し、捨て台詞を大声で叫ぶ。<br><br>

「大日本人だよ!!」<br><br>

この、ほとんど文脈を欠いた声が、店の外から叫んだため、アーケードに跳ね返って意味深長に残響する。ふたりはこれ以降、映画の中でひと言も言葉を交わさない。大佐藤とインタビュアーの、最後のやり取りである。乗り越えられなかった誤解・偏見・差別が生み出す、どうにもならない断絶の彼岸で、それでも大佐藤は自分の存在を精一杯に叫ばなければならなかった。その切実な声が、世間（＝インタビュアー）と大佐藤との間にぽっかり空いた空洞へ、虚ろに木霊したのである。<br>
　もちろんこの切実な響きは、松本人志自身の肉声でもある。この瞬間、自身の存在を闇雲に叫ぶという身振りにおいて、劇中の大佐藤に対し、現実の松本人志が最も深く同化しているともいえるだろう。しかし皮肉なのは、松本人志が自分の存在を主張するときに、"大日本人" という自ら命名した虚構の名を叫んでしまう事態である。渾然一体となったかにみえる大佐藤と松本は、その瞬間さえ実は断ち切れており、「自分は自分である」と言うことすらできない。どうあがいても、堂々巡りし続ける現実とフィクションの円環から逃れられない。それが松本人志の宿命だからこそ、「大日本人だよ!!」という叫びは、極めて本質的に切実なのである。<br>
　またこの切実さは、そっくりそのままラストシーンにも持ち越されている。居酒屋でインタビュアーと別れた後、間もなくして、ミドンという最大の強敵と大佐藤が対決する。圧倒的な力の差から窮地に追い込まれる大佐藤だが、そのとき突如、映画の終幕を告げるかのようなブザーが鳴り響き、「ここからは実写でご覧ください」という字幕が画面いっぱいに示される。何のことか戸惑う観客をよそに、以下のようなラストシーンが展開する。
　戦意喪失した大佐藤の前に、どこからともなく唐突に登場するウルトラマン似の一家。これまでの物語と一切関係ないスーパージャスティスと名乗るその謎の一家は、大佐藤の見守る前でミドンに執拗なリンチを延々と繰り広げ、容赦なく葬り去ったあと、大佐藤を連れて空の彼方へと飛び立って行くのである。問題なのは、この場面において物語が切断されているだけでなく、撮り方においてもそれまでの文法が捨て去られ、CGではなく、着ぐるみの実写で描かれている点だ。<br>
　この飛躍したラストシーンに、多くの観客が言葉を失ったという。しかし先ほどの視点から見ると、ここでもまた現実とフィクションとの二重化が、より野蛮に示されているのが分かる。あからさまな着ぐるみを纏った主人公は、大佐藤というよりも、もうほとんど松本人志であり、実際、巨人というよりも等身大である。しかもそれは、CGというフィクションのヴェールを剥ぎ取られた、剥き出しの実写（現実）で描かれている。だが、物語上の大佐藤はまだスクリーンの中に留まり続け、フィクションの名残りを着ぐるみとして身体に纏わせている。いったい物語は、まだ続いているのだろうか。仮に続いているとしても、フィクションと現実のどちら側に属しているのか。乱れた遠近法の中で、違和感だけが飛び出している。虚と実の両義性は高められているが、決して止揚されず、矛盾したまま放り出されている。この飛躍的なラストは、これまで丁寧に築き上げてきた『大日本人』の物語をどの地上にも着地させず、さらなるメタレベルの高みへと一挙にインフレーションさせて、破裂している。これまで幾つもの二項対立で自らを現実／フィクションの振幅に晒し続けてきた松本だが、もはやその針が振り切れてしまって、どちらを指しているか分からない。そんな異常な事態であるといえる。あのたけしの真顔とは別の意味で、松本もまた言語の届かない没コミュニケーションへと突き抜けてしまったのだろうか。だが、それでもなお、この場面においてさえはにかみ続けている松本、あるいは大佐藤……。
　考えてみれば、自分の真顔を絶対零度に凍結させたたけしに対し、間断なき "はにかみ" で自己を解凍し続けてきたのが松本である。その点で、行きすぎに見えるラストシーンもまた松本がこれまで繰り返してきたのと同じ身振りであるというべきだろう。その顔は、物語に定着することを恥じ入るかのように、さらなるメタ化を目指して揺れ動く。あたかも浜辺の波跡ように、虚と実の波が延々と交錯し、互いに互いを洗い流し続けるカンバス、それこそが松本人志の "素顔" である。
</p>
<p>
<div class="imagelong"><img src="http://flowerwild.net/images/dainihonjin005.jpg"></div>
</p>
<p>

<div class="info">
『大日本人』<br><br>

監督・企画：松本人志<br>
脚本：松本人志、高須光聖<br>
企画協力：高須光聖、長谷川朝二、倉本美津留<br>
撮影：山本英夫<br>
音楽：テイ・トウワ、川井憲次（スーパージャスティス音楽）<br>
プロデューサー：岡本昭彦<br>
製作総指揮：白岩久弥<br>
配給：松竹<br>
出演：松本人志、竹内力、ＵＡ、神木隆之介、海原はるか、板尾創路、街田しおん<br><br>

2007年／日本／113分<br><br>

2007年11月28日DVD発売（発売元：よしもとアール・アンド・シー）
</div>
<div class="copyright">
画像の複製および転載を禁ず。ⓒ2007 吉本興業
</div>
</p>]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>デジタル化する粒子──『砂の影』甲斐田祐輔</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.flowerwild.net/2008/02/2008-02-09_231124.php" />
   <id>tag:www.flowerwild.net,2008://1.104</id>
   
   <published>2008-02-09T14:11:24Z</published>
   <updated>2008-03-17T09:52:35Z</updated>
   
   <summary>［film］カメラマンたむらまさき、録音技師菊池信之が参加し、8mmで撮られた話題作のレビュー</summary>
   <author>
      <name>三浦哲哉</name>
      
   </author>
         <category term="film" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="263" label="たむらまさき" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="262" label="甲斐田祐輔" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="62" label="菊池信之" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.flowerwild.net/">
      <![CDATA[<p>
　冒頭、一瞬だけ映し出された砂丘のイメージは、その向こうにあるはずの海を想像させる。8mmで撮られた海。だが海は映されない。虚ろな表情の女性が通り過ぎ、砂のイメージだけが残される。その後『砂の影』は、その大半を薄暗い室内シーンに費やすことになる。<br>
　そこで、この作品の制作者たちが8mmフィルムを選択したのは、ひとが「リュミエール的」と形容するような、初期衝動にまかせて無垢な光の戯れをフィルムに焼き付けようという意思からではないのだということに思い至る。空、海、逆光で照らされた木立や風にたなびくカーテン……これら半透過性の流体は、確かに、フィルムで捉えられたときとりわけ光線の快楽を供してくれる。その快楽をデジタルで再現することは難しいと、フィルム愛好者たちは考える（少なくともHDカメラ以前は）。8mmはそのもっとも手軽な媒体であり、8mmカメラで海や空や窓を映したことのあるものは、その始源的な映画の快楽を忘れることができないはずだ。しかし、繰り返し述べるが『砂の影』は、そうしたいかにもフィルム的な主題の一歩手間に留まり続ける。
</p>
<p>
<div class="right-withtxt"><img src="http://flowerwild.net/images/sunanokage001.jpg"></div>
　冒頭現れた女性がその後辿ることになる物語を、以下のように要約することができるだろう。この女性はユキエという名前のOLであり、俳優志望の恋人・玉川と自室で暮らしているが、玉川はすでに生きておらず、悪臭を放つその死体を隠しながらユキエは妄想の中で彼と戯れ続けている。やがて勤務先で真島という男性と出逢い、彼との接触の中でユキエは自身の閉ざされた世界からの離脱を迫られる……。<br>
　物語の焦点は、追い詰められて心を閉ざしたユキエが、真島に対して心を開くことができるか否かにある。そしてユキエに想いを寄せる真島は、彼女をドライブに誘う。唐突に、どのような思いつきだろうか「ドライブ行こう」と言って待ち合わせ場所を指定し、車で彼女の来るのをじっと待つ。セックスではなく、ドライブ。ドライブこそがふたりの融和を約束するかのように。<br>
　もし仮に彼女が薄暗い自室を出て真島のところへ来たとして、ドライブへ行った先には何があるか。冒頭で一度映され、それきり宙吊りになっていた砂丘だろうか。さらに砂丘の向こうに映されるはずの海……。それこそフィルムを融解させるような光の充溢によって、それまで作品の大半を占めていた室内の闇が打ち消されるような結末が訪れるのだろうか。だが、かろうじて抱かれる期待はあえなく潰えさる。自動車がふたりを乗せて発車することはなく、海も、車窓を流れる木立も映されることはない。
</p><p>
　つまり『砂の影』は、ふたりの男女の融和への憧憬を描きながら、最終的にそれを厳しく断ち切っている。これは、8mmフィルムへの郷愁を禁じる身振りと軌を一にしているように思われる。だからといって、ここでは融和や回帰の不可能性が改めて悲しげに物語化されているわけではないし、まして直接的な光と情愛へのルサンチマン（恨み節）が綴られているわけでもない。『砂の影』は、端的に、闇を捉えようとする作品である。
</p><p>
　まず『砂の影』が「8mm映画」であるという認識を訂正しなければならない。『砂の影』は、デジタルで最終的にフォーマット化された作品である。撮影は8mmフィルムでなされたが、次にデジタルに変換されている（再度読み込まれている）。実のところ、この作品のフォルムは、8mm＋デジタルという二重構造によって決定されている。この二重構造があってはじめて、唯物的な8mmフィルムの影が対象として捉えられる。つまり、粒子（＝砂）の影。
</p><p>
　心を閉ざしたヒロイン・ユキエが引きこもる薄暗い部屋の中で、カメラは闇を捉える。闇とは、心理的な比喩のことではない。闇が映るのである。暗所を映すことで8mmフィルムは、粗い粒子を露呈する。その粒子の姿が、デジタルの層に定着するわけだ。これは強い陽光の下では起きない現象である。
</p><p>
　ここで観客は、フィルムを見る。対象として見る。8mmよりも精細なデジタルの底に支えられて、フィルムの粒子が顕わになるからだ。するとどうなるか。観客は、見るという行為を見ることになる。
</p><p>
　カメラマン・たむらまさきの名が監督・甲斐田祐輔のそれに劣らず強調されていることの意味もここにある。見るということ、それは正確を期せば、「見える」（光）から「見えない」（闇）へと至る階梯の中で、そのもどかしさを生きつつそれでも注視し続けることだ。そして『砂の影』の特異な点は、「見えない」ものさえも、フィルムのノイズとして可視化し、感覚化してしまうところにある。
</p><p>
<div class="right-withtxt"><img src="http://flowerwild.net/images/sunanokage002.jpg"></div>
　たむらまさきは、ユキエを映し続ける。だがそこになにが見えただろうか。自意識と乖離したような華奢な（拒食症的な）身体の戸惑いがかろうじて見えるだけである。彼女の秘密が表に現れることはない。内面が解放されて外界の光の中に融解するという甘い錯覚は、厳しく禁じられている。だがそこではじめて可視化されるのは、見えないものをそれでも注視するという行為である。<br>
　デジタルのうえに定着された、見る（あるいは、見えないものに眼差しを注ぐ）という行為、それが「砂の影」の意味である。8mmフィルムが可視領域を逸脱したときノイズが晒されるのだが、そのノイズさえも包容する受け皿としてのデジタルが必要だったのだ。
</p><p>
　こうして「見える」から「見えない」への全階梯そのものが可視化されるとき、観客は覚醒し、あらゆることをその発生状態で感覚することになる。生まれつつあるイメージ、音響、演技……。本来ならばなにもないはずの闇でさえも、ノイズとして感覚化し、この見えるノイズは、たとえば音響と相互作用を起こし続けるだろう。
</p><p>
　俳優達の口から漏れる言葉を、菊池信之は決して表立たないように、しかし極めて繊細にフィルタリングしていく。音響は8mmフィルムの貧弱な磁気テープではなく、デジタル上に作られたものだ。アフターレコーディングで後から重ねられる声は、ただ同時録音のもっともらしさに近づけられるだけではない。俳優の感情表現が勝りすぎるような場合は、それを状況音にまぎれさせて中和し、言葉が説明的に響きすぎる場合は、かつての神代辰巳の映画のように大胆に唇の動きとずらしてみせる。あるいは亡霊の呟きのように、あるいはつんざくノイズのように。スクリーンに映る空間に強く関連付けたり、あるいは関連を弱めたり。これら調整や配慮そのものが聞き取れるように思うのだ。
</p><p>
　真島役を演じる俳優ARATAが、ヒロインを口説く口調の繊細なぶっきらぼうさ。この口調から感覚される、自分を客観視しうる男の聡明さ。俳優ARATAのこの配慮がなければ、ふたりの恋の始まりはひどく不自然な印象になっていたかもしれない。映像、音響、俳優の身体感覚、これらすべてを発生状態において感覚することを『砂の影』は強いるのである。
</p><p>
<div class="imagelong"><img src="http://flowerwild.net/images/sunanokage003.jpg"></div>
</p><p>
　『砂の影』は、死につきまとわれた沈痛な作品である。死とは物語上の登場人物の死のことであり、かろうじて余命を生きる8mmという媒体の死の予感のことでもある。しかしここではそれら個体の死よりも深いところでデジタルの「地」がすべてを支えている。その「地」のうえでは、死も、見えないものさえも、充実した姿で発生し続ける。ここにみとめるべきなのは死んだものへの甘美なノスタルジーとは対極の姿勢である。つまり、消えつつあるもの、死んだものさえ、いくらでも可視化し感覚化しうるというしたたかな認識がここにはある。
</p><br><p>
<div class="info">
『砂の影』<br>
<br>
監督・脚本：甲斐田祐輔<br>
撮影：たむらまさき<br>
編集：大重裕二<br>
音楽：渡邊琢磨<br>
効果・整音：菊池信之<br>
製作：滝口雍昭、山下暉人<br>
企画・プロデュース：越川道夫<br>
配給：スローラーナー<br>
出演：江口のりこ、ARATA、米村亮太郎、矢吹春奈、鈴木卓爾、足立正生、光石研、山口美也子<br>
公式HP：<a href="http://www.sunanokage.com" target="_blank">http://www.sunanokage.com</a><br><br>

2008年／日本／76分<br><br>

2008年2月2日より、ユーロスペースにて公開。<br>
</div>
<div class="copyright">
画像の複製および転載を禁ずる。 ©2008タキ・コーポレーション／エキスプレス</div>
</p>]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>瀬川昌治と喜劇役者たち〜エノケンからたけしまで──瀬川昌治インタビューvol.3</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.flowerwild.net/2008/02/2008-02-06_182000.php" />
   <id>tag:www.flowerwild.net,2008://1.101</id>
   
   <published>2008-02-06T09:20:00Z</published>
   <updated>2008-03-17T13:31:53Z</updated>
   
   <summary>特集「笑い声の消えゆく地点」</summary>
   <author>
      <name>インタビュー</name>
      
   </author>
         <category term="interview" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="特集記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="261" label="瀬川昌治" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.flowerwild.net/">
      <![CDATA[<p>
<strong>Vol.3.ジャズ文化と笑い、フランキー、クレージー、ドリフ、タモリ……そして、「浅草三部作」</strong>
</p><p>

<strong>1.ジャズ文化と喜劇役者たち<br>
　世志凡太、フランキー堺、倍賞千恵子、クレージーキャッツ、ザ・ドリフターズ、タモリ</strong>
</p><p>

──監督は、ジャズ、あるいはロック、グループサウンズなど、ビートミュージックの演奏者や歌唱者を起用されることが多いように思うのですが。
</p><p>
<div class="right-withtxt"><img src="http://flowerwild.net/images/segawa003.jpg"></div>
瀬川：故意的にではないんですけれど、やっぱり、リズムがあるんですよね。
</p><p>
──元来ジャズ・ベーシストであった世志凡太氏は監督の作品によく出られていますね。
</p><p>

瀬川：世志凡太なんかでも、端役なんかで出ていたかもしれないですけれど、『乾杯！ごきげん野郎』（1961）がデビュー作だと思います。あの頃、シャープアンドフラッツのメンバーでね、ショウをやっていて、世志凡太が結構面白いギャグやなんかをやっていたんだね。ジャズコンサートの合間にやるんですよ。それから世志凡太ショウなんていうのも別にやっていたんですよ。たまたま観たことがあるんで面白いなと思って出てもらったんです。
</p><p>
──そのショウは、お喋りとかコントなんかをやられていたんでしょうか。
</p><p>
瀬川：そうです、コントをやっていたんです。なんか盲腸炎の手術を医者がやっているうちにわかんなくなっちゃって腸を全部引っ張り出しちゃったりする、っていうようなね。それが凄い面白かったんですよ。今でも世志凡太っていうのはそういうのをやっていますけどね。場所は普通のクラブだったんじゃないですかね。お酒飲みながらジャズを聴くっていうような、ね。そういう演奏でお酒飲んで踊ったりなんかして、その合間にもうひとつコントをやるっていうようなスタイルだったんですよね。
</p><p>
──音楽、ダンス、笑い、酩酊……狂気と社交が渾然一体になった、実に贅沢な空間ですね。それから、やはり、当時、ジャズ文化と笑いというのは至近にあったんですね。
</p><p>
瀬川：そういうのがあるんじゃないですか。だから、コント的なギャグを入れた演奏をね、やっていたんですよね。やっぱりあの頃はジャズもショウ化していたから、バンドマンが色々芸をやったりするっていう。フランキーが最たるものですよね。そういう連中っていうのがいっぱいいたじゃあないですか。やっぱり浅草の舞台とおよそ縁遠いように思えてジャズの畑から芸人がいっぱい出てきて。フランキーを頂点として、勿論クレージーキャッツもそうですよね。それから、ザ・ドリフターズもそうでしょう。だから、渡辺プロがいろいろ抱えて養成していたっていうのはそっちの方ですよね。渡辺晋さん自身がジャズマンだからね。<br>
　彼らはやっぱりリズム感があって、コメディっていうのは一定のリズムがないと笑いが取れないからね。それといろいろと演奏でもギャグを入れたりするのを考える才能っていうのも持ち合わせている人も多かったんで。今はそういう土壌はないんじゃないの。あの頃と今のリズムは違うから。あの頃の昔のジャズのリズムっていうのは、エノケンさんっていうのがまったくそうですからね、あの人の特有の歌い方っていうのが非常にリズムが立っていてね、みんな観る人をノセて行くっていう、その感覚っていうのは必要ですよね。<br>
　それから、ジャズそのものに、喜劇的な要素が内在しているっていうのがありますよね。たとえば、「イン・ザ・ムード」っていう曲でひとつのフレーズの繰り返しで、それでパッと終わるじゃないですか。当時は踊ってたから、終わるとみんな拍手したり席に帰ろうとしたら、また曲が始まるっていう、あの反復の間っていうのが喜劇の間なんですよね。あれは、作曲者がそれを狙ってやったらしいよね。終わったと思わせて、また始まって、また終わったと思わせてまた始まるっていうのがね、やっぱりちゃんと間を計算しているんですよね。<br>
　それからディキシーがそうじゃあないですか。ドタバタのリズムで。馬鹿騒ぎみたいな。あのリズムに乗ればスラップスティックな芝居ができる、みたいなね。片やスウィングの方にも笑いを取れるリズムがあって。だから、前に本にも書いたけれども。「クレージーはスウィングで、ドリフはディキシーだ」って。<br>
　そのリズムっていうのは本当に大事なんですよねえ。引っ張ってって、バーンとしたりするじゃあないですか。そういう起伏があって。だいたいジャズっていうのは心理的に人間を愉快にさせるっていう要素があったんでしょうね。あのリズムっていうのは。殊にアメリカ人の陽気さっていうか、それから黒人の抑圧された中の解放されたものがリズムになっていて、そういうところが喜劇と重なるよね。
</p><p>
──当時のジャズ文化は米軍のキャンプでの文化とも密接に発展していたと思うのですが、それは日本人向けにやっていたんですね。
</p><p>
瀬川：日本人向けにやっていましたね。まあ外国人なんかも来ていましたけどね。はじめはもちろん外国人向けじゃあないですか。
</p><p>
──ジャズの司会者から出てきて、独特なトニィズイングリッシュで観客を湧かせたというトニー谷氏も、監督の作品『次郎長社長と石松社員』（1961）に出演されていますね。<br>
</p><p>
瀬川：ちょうど人気があった時だったんです。
</p><p>
──植木等さんや谷啓さん、桜井センリさんなど後にクレイジーキャッツに合流するメンバーの在籍していた、アメリカのスパイク・ジョーンズの冗談音楽を日本風にアレンジしたジャズ・コミック・バンド、フランキー堺とシティスリッカーズの公演なんかはご覧になっていますか。<br>
</p><p>
瀬川：あれは観てないですねえ。わたしの兄がジャズの評論家（瀬川昌久）でね、兄はほとんど観ていますけども。その影響もあって、ジャズなんかをよく聴いていたんですけども。
</p><p>
──フランキー堺氏はもともとジャズ・ドラマーをやられていて、ジョージ川口氏と並び称されていたほどですから、とてもリズム感のある演技をされる方だと思うのですが。
</p><p>
瀬川：だから、ぼくなんかわりかし、語りでストーリーを展開してゆくリズムっていうのを、とにかくお客を厭きさせない、お客の予想をどんどん、こうなるよっていうのではない展開をさせてゆくっていう、そういうリズムを大事にしながら演出していましたからねえ、もうぴったしだったんですよねえ。<br>
　あの人はねえ、いつも漲っているんですよね。溢れているんですよ。それがねえ、違うよね。それが芝居にも出てくるし、彼のつくる役にもね、そういう役が多くなるんでしょうね。要するにエネルギーですよ。だから「旅行シリーズ」なんかで、男やもめの世帯に怠け者の女中さんミヤコ蝶々さんが来て、ぜんぜん働かないで漬物も漬けないっていう。で、フランキーがひとりで腕まくりしてやるじゃあないですか。ああいうのをやると面白いんですよね。
</p><p>
──「旅行シリーズ」では、倍賞千恵子さんとのコンビがすごかったですね。
</p><p>
瀬川：「旅行シリーズ」っていうのは倍賞くんが初期にいろいろ支えてくれていたからねえ。だから非常に面白いものが出てきて。だから、殊に倍賞くんなんかは『男はつらいよ』をやりだして本当に善良なそこらへんにいる松竹流の山田洋次の下町の娘になっちゃったじゃあないですか。だからねえ、「旅行シリーズ」をやるのが非常に楽しみになって、息抜きにやっていたから尚更のびのびとおもいきったことをいろいろやってくれたんです。殊に倍賞くんとフランキーの夫婦のコンビがもうすごいな、と思ったのは一番最後（のコンビ作）でフィリピンロケにいったときの『誘惑旅行』（1972）で。フランキーが煙草を切らしていて、倍賞くんが煙草を吸っていて、吸わせろっていうと嫌だって言って、言い合っているうちに彼女の吹いている煙草を吸ったりして。ああいうのは、役者が上手くないとできないですよ。間が狂っちゃうと。ツーといえばカーで、ツーと言わないうちにカーと言っちゃったりとかするから。それをまた受けちゃうからね。
</p><p>
──クレージーキャッツの舞台などはご覧になられていましたか。
</p><p>
瀬川：実際の舞台っていうのは観ていませんねえ。あの頃、テレビでもやっていたでしょう。やっぱりあのメンバーは面白かったからねえ。それから、テレビでクレージーのシリーズをぼくがやった時には、藤田まことも入って、よく覚えてないけど『次郎長社長と石松社員』みたいなああいうパターンでやったんですよ。その時に植木さんが社長と課長が友達みたいなあれを潤色してやった記憶があるんですよ。サラリーマンものの16ミリで、45分のシリーズなんですよ。ぼくは2本ぐらいやったんですよね〔これは、おそらく1968年10月にTBSで放映が開始された『ドカンと一発！』という番組のことではないかと思われる。他にザ・ドリフターズが共演していたと、資料にある〕。
</p><p>
──『図々しい奴』（1964）で、谷啓氏は映画初主演ですね。
</p><p>
瀬川：ええ、シャイなひとでねえ。シャイなりに可笑しいことを言ったりして。アドリブもやりました。リズム感もとてもあります。動きも、やりとりなんかにしても。それからああいうコロコロした体型だから。『図々しい奴』も、谷啓のタイプの主人公をつくってやってくれたんです。あの前に丸井太郎っていう役者がテレビでやっていた役ですけれどもねえ、芸がぜんぜん違いますねえ。それと谷啓が「ガチョーン」とかで売り出した頃でしたから。
</p><p>
──谷啓氏はどのような方でしたか。
</p><p>
瀬川：でもあの方はねえ、こっちが言わないとなかなか自分のものを出してこないっていうか。それから、丸っこい体をしているから、病気の佐久間くんを崇めているっていう感じがね、よく出ていて。あの時も、彼の作った羊羹が中毒を出して、軍隊からいらないって言われるでしょう。そうするとその時に佐久間くんがご馳走を作ってくれて、彼が感動して泣きながら魚を食べるでしょう。ただ泣いているだけじゃあ面白くないからね。泣いてる時に、骨が歯に刺さった感じにやってくれる、って言ったら、泣きながら刺さっている感じに演じてくれて（笑）。そういう意味ではねえ、すごい上手いんですよね。面白いっていうか。だから、言えばどんどんどんどん膨らませてくれる人なんですよね。やっぱり自分の中にいろいろもっているからね。ハナ肇みたいに図々しく来ないから。極めて控えめでね。
</p><p>
──それから、植木等氏に関してはテレビで演出をされていますね。
</p><p>
瀬川：植木さんとはテレビでね。小松政夫が主役のね〔小松政夫は植木等の弟子にあたる〕。8ミリがブームになっている時に。フジテレビ系の花王名人劇場［1979-1990／関西テレビ製作］でやってくれって言われて。その時に植木さんがで出てくれてね。これに犬塚弘も出ていたし。<br>
　小松が8ミリを秋葉原で買って帰るところから始まって、その一家の親父が植木さんで、奥さんが山口いずみで。息子がふたりいて。植木さんが8ミリを面白がって、植木さんに取られちゃうんですよね。それで、なにかひとつドラマを作ろうっていうんで、しっちゃかめっちゃかにやっているんですよね。
　小松は会社勤めしていて、上司の犬塚弘から電話がかかってきて、ご馳走するからっていうから呼ばれて、ついでに向こう家庭を撮ろうっていうんで、8ミリを持って押しかけてゆくと、向こうは玄関で犬塚が8ミリを持って待ち構えていて、結局は向こうの8ミリの題材にさせられちゃって、ご馳走を食べようと思ったら全部作り物で（笑）。結構今観ると面白いんですよね。
　小松が女性のヌードを撮るっていうことになってね、代々木公園の林の中で。そうしたら植木さんもそれを嗅ぎ付けて撮りに来ちゃうっていう。それでもめたりなんかして（笑）。
</p><p>
──そして、渡辺祐介監督から引き継いでザ・ドリフターズの映画を2本（『ドリフターズのカモだ!!御用だ!!』『正義だ!!味方だ!!全員集合!!』ともに1975年）監督されていますね。
</p><p>
瀬川：ドリフの方が、ドタをやりますよね。もっと跳ねるっていうか。クレージーはもっと上品っていうか。芝居そのものもね。長さんはあの後テレビでずうっとまともな役をやっていたけど、やっぱり素晴らしい役者でもあったんですよね。加藤茶もそうですね。加藤茶は、だけど、自分だけの主役っていうのはできないよね。いかりや長介さんの脇で突っ込みをやるとかね。『カモだ!!御用だ!!』のアパートのシーンで長さんと加藤茶が差し向かいで酒飲んで、こぼした水に混ざったダイヤを拾うっていうシーンがあるでしょう。あれはねえ、ぼくがそういう芝居をつけて、加藤茶がダイヤの入ってしまった長さんの水割りを密かに取って、彼のと変えようとするっていうところの間ね。あのふたり、さすがにねえ、凄い間ですよ。
</p><p>
──ドリフターズが全員で出られるシーンではいかりや氏が指示をだして行ったのですか。
</p><p>
瀬川：ドリフが固まって何かやるっていうシーンは、長さんにだいたい任せてね。ほとんどそうです。あれはチームですからね。まあ、芝居はあんまりそうではないけれど、ギャグに関しては、自分で考えたやつをね。こっちも任せちゃってね。大概追っかけになるでしょう、これ。だから追っかけのところは、長さんいろいろ考えてよって言って。セットもそれに合わせてつくってもらって。『正義だ!味方だ!!全員集合!!』の後半で屋根を上がっては滑り落ちるって、あるでしょう。あれも長さんのアイデアで屋根のセットをつくって。あの映画でやっていることは、わりと彼らのやっているレパートリーの中にいろいろあるんですよ。
</p><p>
──それから、ドリフターズ第6の男、と云われた、すわ親治氏も両作に出演されていますね。
</p><p>
瀬川：今は、劇団ザ・ニュースペーパーっていうのに入っているんですか〔すでに脱退〕。その前に俵山栄子っていう物真似をやる芸人がいるんですけど、これがぼくは好きなんで、結構俵山栄子の小さい舞台も観に行ったりして。その時に、彼女が奥さん役で、すわ親治くんがお父さん役で、結構面白い芝居をしているから、誰？って聞いたらすわ親治で、それで会っていろいろ話したら、ボーイの役で出てたっていうんでね。
</p><p>
──タモリ氏も、もともと早稲田のジャズ研究会に所属してステージで司会をされていたようですし、ジャズミュージシャンの山下洋輔氏の宴会に乱入したことが芸能界に入るきっかけになった方ですね。今でもジャズのレーベルを友人たちと経営されています。監督の『九八とゲーブル 喜劇役者たち』（1978）がタモリ氏の映画初主演ですね。劇中に今では貴重な四ヶ国語麻雀の映像も見られますね。そのように当時は特にブラックな笑いを中心にやっていたと思うのですが。監督のコメディ観との間に、齟齬はありませんでしたか。
</p><p>
瀬川：あの時はないですね。タモリの売り出しの頃なので。だからほとんど意見を言われないで、こちらの言うとおりに。まあ、あの人の持ちネタはね、使わせてもらったりはしたんですが。タモリはねえ、芸をちゃんと持っていますよね。四ヶ国語麻雀とかね。面白かったですよね。タモリもどっちかといえば受けにまわってやっているでしょう。タモリをどう使おうかっていうんで、結構苦労したんですよ。本当は今から考えれば、もっと愛川（欽也）さんが突っ込んでタモリさんはすごい鬱な感じっていうのを出せたら面白かったのにねえ。片っ方が躁病で、片っ方が鬱病でっていうそういう視点でやりたかったんだけれどねえ。本当はねえ、もっと面白い話なんですよ。タモリは狂人だけど、愛川も自分もおかしいんじゃないかと思いだして。芸人っていうのはやっぱり狂ったものだっていうのがテーマですからね。タモリはそういう雰囲気を充分持っていて。そう、狂気をね。これは、だからタモリに非常にあっているストーリーだったのにねえ。
</p><p>
──それから、ギャグ監修で、「面白グループ」とクレジットがありますが、これは高平哲郎氏〔放送作家。著述家。現・『笑っていいとも!』スーパーバイザー〕らが参加していたということなのでしょうか。
</p><p>
瀬川：高平哲郎さんがねえ、まだ若いころでギャグマンとして、くっついてきたんですよ。本当に若かったから。『九八とゲーブル』の時は、高平さんもまだ、学生くらいかなあ。遠慮して向こうも何も言わなかったんでねえ。あの人は今、舞台とかですごい活躍されているでしょう。あの人は昔の映画をよく知っているしね。彼のミュージカルは昔の名画のパロディがいっぱい詰まっていて……ぼくは好きですね。この間、島田歌穂主演のミュージカルを円形劇場でやられていて、高平さんがいたので、本当にもう30年ぶりに会ったんです。すごい白髪になっちゃっていてねえ。
<br></p><p>


<strong>2.浅草三部作</strong>
</p><p>
<div class="imagelong"><div class="captionlong"><img src="http://flowerwild.net/images/segawa004.jpg">「浅草三部作」出演・制作の村山竜平氏（写真左）と</div></div>

</p><p>
──こうした観劇体験や演出体験を経て、監督は、『東京・浅草・キネマクラブ』を嚆矢とした「浅草三部作」という舞台の演出をされていますね。それはどんなお芝居だったのでしょうか。最後に観劇には遅れてきてしまった者に是非、教えていただきたいのですが。
</p><p>
瀬川：あれはねえ、ぼくがよく使っていた大部屋の俳優さんで村山達平君っていう人がいるんですよ。劇団昴かなんかを出た、すごく熱心な男で。彼の友人がバブルですごいお金持ちになってお金を出してくれるっていう話になって、じゃあ芝居をやろうよっていうことになって。それから、呉恵美子っていう女優もぼくはよく使っていたんですよ。松竹の子役で、ほんと子供のころから。呉くんもそういう芝居をやりたいっていうことで。大部屋に近い連中が芝居をやろうっていうんで。それでまあ、はじめたんです。ぼくも浅草の小屋の芝居が好きだったから。浅草を舞台にして。<br>
　脚本も書いて。あと、もう亡くなっちゃいましたけれども、加瀬（高之）くんっていうライターが書いて。<br>
　はじめ、戦前なんですよ。浅草の小屋で、映画がサイレントからトーキーになって、弁士がいらなくなって、伴奏していた楽士もいらなくなるっていう時代で。その時の小屋で二本立てでやっているショウの方の一座の話を書いたんですよ。で、菊田（一夫）さんの浅草ものっていうのをちょっとヒントでいただいたんですけど。そこに、家出をしたお嬢様が座員になりたいって言って来て。警察に追われてるアカを、前田吟さんの息子で、前田淳くんっていうなかなか芝居の感度のいい子なんですけれども、そういう連中を集めて芝居をやったんですよね。<br>
　それで結構評判がよかったものですから、続編ということで、戦時中の不況時代に浅草の劇団が巡業に出かけるっていう、で、ドサの小屋を舞台にしたドラマを1本書いたんです。<br>
　東北の「帝国劇場」っていう劇場で、本当に客の入らない掘っ立て小屋で。で、座長がエノケンさんの弟子だったっていう設定にしてあるんですよ。実際にエノケンさんの弟子で、女エノケンって言われた武智豊子が半分モデルになっているんですが、それを呉くんがやって。彼女の出演している劇場の小屋主のおやじが不況のあまりそこに出ている女の子たちを自分の経営しているキャバレーの女給に出せっていう要求を撥ね退けてね、その代わり東京からエノケンさんを連れてきますって言っちゃうんだよね。そうすると、当のエノケンさんが最後来るんですよ。それが、2話目で、「男の花道」みたいなやつなんですよ。<br>
　3話目は、戦争中でもう舞台を踏めなくなっちゃった女座長のところに女ばっかりの慰問隊を結成して上海の陸軍を慰問に出せっていう命令が来て、また舞台が踏めるっていうんで大喜びするんです。その仲介をしたインチキなマネージャーみたいのがいて、その頃本当に芸があるプロはそんなところに行くのは嫌だといって人が集まらないんで、浅草で焼け出されたズベ公たちを、上海に行けばうまいものが食える、好きなものが買える、と言ってだまして、元松竹少女歌劇団っていう触れ込みで連れて来る。それを管理している情報局の役人が徴用された素人で、女優の名前も知らないのをいいことに、彼女たちを押し付けてドロンしようとする。ところが、それが出発前にバレてしまう。そうすると、情報局の役員っていうのは、どうでもいいから人数だけあわせてくれと言い出す。仕方なしに足りない分を、そこに関係しているおばさんをふたり、ヤマトナデシコとかっていう芸名の女芸人にして絡めて。それで、上海に行くと、上海の兵隊っていうのは、芸がどうであろうと、女の子が来て小学校の唱歌を歌うっていうだけで感動しちゃうっていうんですよ。そうすると何にもわからない女の子たちが逆に感動して芸人意識にめざめちゃって、もっとしっかりやらなきゃ、って。そうなった時に、女の子たちがニセだっていうのがバレて。軍に連隊長にも慰安にひとり出せって言われて。その中にアタマのトロい子がひとりいて、その子が主役なんですけれども、「なんでも天皇陛下のためになりますか」っていうのが彼女の基準でね。その子が慰問に行くんですよ。そうすると、連隊長とはかみ合わなくて、へどもどしちゃって、そうこうしているうちに終戦になっちゃうっていう、そういう話なんですよ。<br>
　それは結構評判がよかったんです。主演は、『デパート！秋物語』（TBS製作、1992）で使っていた中里博美という東宝の女の子でねえ、すごくいい芝居をして、その年の東宝の演技賞だかをもらったんですよね。その三作を舞台でやったんですよね。
</p>
<p>
──お話いただいた筋書きのなか、グレンミラー楽団の「イン・ザ・ムード」の軽快なリフの躍動を
彷彿とさせるような、役者の方々の肉体の弾むさまが目に浮かんでくるようです。本日はどうもありが
とうございました。</p>
<p>
（インタビュー・構成：寺岡愉治、資料提供：村山竜平）
</p><p>
［完］
</p>
<p>
<div align="center"><a href="
http://www.flowerwild.net/2008/02/2008-02-06_180000.php
">vol.1</a>　<a href="http://www.flowerwild.net/2008/02/2008-02-06_181116.php">vol.2</a>　vol.3</div>
</p>

<p>
<公演データ>
</p><p>
瀬川組公演　『東京・浅草・キネマクラブⅡ　花村豊子一座旅日記』<br>
公演日：1992年9月23〜30日／会場：シアター・V・アカサカ<br>
作・演出：瀬川昌治／脚本：加瀬高之／音楽：義野裕明／振付：灰原明彦／美術：北川弘／監修：瀬川昌久<br>
舞台監督：大本周平／舞台監督助手：増田義彦／照明：尾村美明／音響：飯田博茂／制作：村山竜平<br>
結髪：丸山澄江／殺陣指導：深作覚<br>
出演：呉恵美子（花村豊子役）／矢尾一樹（村尾一郎）／辻三太郎（松山天童）／村山竜平（大滝信造）<br>
前田淳（前島洋）／飛鳥裕子（飛鳥京子）／駒けんじ（エノケン）／谷本小代子（秋葉民江）／木村修（秋葉増造）<br>
工藤ゆかり（九条まゆみ）／一見直樹（東野）／寺岡里佳（原口八重子）／永沢あゆみ（秋川みゆき）<br>
藤富真知子（松野照子）／伊藤葉子（石丸リエ）／大田沙也加（石丸美和）／永島和恵（内海きよ）<br>
小坂恵子（榊原真紀）／藤本美奈（大森和枝）／柏木たかし（本木・持田）／福留美幸（木所・カメラマン）<br>
友情出演：千葉繁（秋葉増造）／銀河京（踊り）<br>
</p><p>
瀬川組公演　『東京・浅草・キネマクラブⅢ　紅弁天部隊上海へ行く』<br>
公演日：1993年9月24日〜28日、10月10日〜12日／会場：シアター・V・アカサカ<br>
作・演出：瀬川昌治／脚本：加瀬高之／音楽：義野裕明／振付：灰原明彦／美術：大田創／照明：尾村美明<br>
舞台監督：大本周平／舞台監督：吉田タカシ／音響：飯田博茂／小道具：鈴木廣二／結髪：丸山澄江<br>
制作：村山竜平／太鼓・振付：小野里元栄／作詞：楠木千尋／タップ指導：杉本幸一<br>
太鼓基礎指導：河乃裕季／方言指導：川本いずみ<br>
出演：呉恵美子（花村豊子役）／矢尾一樹（村尾一郎）／村山竜平（山上龍造）／谷本小代子（谷小百合）<br>
駒けんじ（エノケン）／沢田健（松山天童）／李媛（李香蘭）／中里博美（春野さくら）／仲良太郎（参謀）<br>
南咲也子（張花苑）／山崎あかね（亀山うさぎ）／藤冨真知子（神島恵子）／伊藤葉子（藤山キン）<br>
寺岡里佳（藤山キン）／保正美和（藤山銀子）／岡壁裕美（藤山銀子）／呉めぐみ（麗玉）／永島和恵（麗玉）<br>
溝口珠緒（麗華）／小坂けい子（麗花）／一見直樹（市川大尉）／橋本淳（市川大尉）／福留美幸（唐木一等兵）<br>
柏木タカシ（藤木一等兵）／泉見洋平／浜野志乃<br>
友情出演：篠井也津子<br>
特別出演：橋達也（松下武）／大和なでし子（小山うめ）／平凡太郎（連隊長閣下）<br>
</p><p>
注：第一回公演の資料が入手できなかったため、第二、第三公演のみのデータしか掲載できないことをお詫びいたします。また、データ中で役名が重複しているのはダブルキャストです。
</p>

]]>
      
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>瀬川昌治と喜劇役者たち〜エノケンからたけしまで──瀬川昌治インタビュー vol.2</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.flowerwild.net/2008/02/2008-02-06_181116.php" />
   <id>tag:www.flowerwild.net,2008://1.102</id>
   
   <published>2008-02-06T09:11:16Z</published>
   <updated>2008-03-17T13:29:01Z</updated>
   
   <summary>特集「笑い声の消えゆく地点」</summary>
   <author>
      <name>インタビュー</name>
      
   </author>
         <category term="interview" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="特集記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="261" label="瀬川昌治" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.flowerwild.net/">
      <![CDATA[<p>
<strong>Vol.2.新宿：ムーランとストリップ、森繁、渥美、たけし</strong>
<br></p>
<p>
<strong>1.新宿：ムーランルージュ、森繁久弥</strong>
</p><p>
──新宿にあった芝居小屋、ムーランルージュ新宿座〔1931-1951年。浅草の興行界からやってきた佐々木千里によって開かれた軽演劇とレビューの芝居小屋〕に監督は通われたそうですが、当時、どのような演し物をしていたのでしょうか。
</p><p>
<div class="right-withtxt"><img src="http://flowerwild.net/images/segawa002.jpg"></div>
瀬川：ドラマと踊りとね。ドラマは結構、社会風刺なんかがあってね、わりと見ごたえがあったんですよ。学生客が結構多くて。戦時中は、劇場に検閲官はいましたが、よく芝居であるみたいに、途中に入ってちょっと止めろとかそういう風なのはなかったですね、ぼくが観た時には。勿論台本の検閲とか、直接観に来たりはしていましたけれどもね。一番後ろに席があったみたいだけれども。国策芝居だから国民の士気を鼓舞するものをうたった、その合間に、その隙間にね、作者の時代風刺みたいなものが入っている、というのが面白かったんですよ。国策一辺倒じゃなくて。書いていた人たちも、中江良夫さんだとか、大都映画で監督もされていた小崎政房さんだとか、インテリの人たちですからね。ちょっと辛い所とか、風刺したりというのが面白かったんです。一味違ったんです、他の芝居とは。名作がいくつもあったんですよね。「にしん場」とか。にしん場に犇めき合っている人間たちの人情とかなんかを通して時局の風刺みたいのがあってね。<br>
　お客さんはたくさん入ってましたねえ。狭い小屋でしたけどね、200人ぐらいでいっぱいになっちゃうぐらいじゃないですか。合間に女たちがレビューなんかを踊ったりして。それがなんともいえなくて。それで踊っていると、舞台が近いから女優さんたちのお化粧の匂いが香ってきて、そういうのがまたよくてね。
</p><p>
──戦時中も踊りはあったんですか。
</p><p>
瀬川：踊りはありましたよ。まあ、踊りは大丈夫だったんじゃないですか。あの頃よく言われていたけど、股下三寸はみせちゃあいけないっていうのがあったけれども、それでもお色気っていうのはあったんです。<br>
　それで、殊に印象に残っているのは沖縄の歌をよくやっていたんですよね。「♪沖縄よいとこ一度はおいで」なんていうやつをよくやっていたんです。それで踊るんです。
</p><p>
──衣装は和風なんですか。
</p><p>
瀬川：そうです。でもギリギリのね、前をパーッと開いたらスカートで、足を上げてなんていうのはやっていましたけどね。
</p><p>
──ジャズなどの洋楽は禁止されていたと思うのですが、その曲のリズムはジャズ的なリズムだったのでしょうか。
</p><p>
瀬川：ジャズは、もうあの頃は、なかったですね。洋楽はもうダメでした。リズムは、もちろん、そうです。
</p><p>
──メロディは和風ではあるけれども、リズムはそういうジャズ的なものだったのですね。
</p><p>
瀬川：そうです。
</p><p>
──そのお話は大瀧詠一氏の「分母分子論」〔洋楽の分母に、邦楽の分子が乗ることによって日本のポップスが構成されているという音楽文化論〕を想起させられます。しかも戦時中の敵性音楽が禁止されていた頃にもそれが適応しうるというのが興味深いところです。<br>
　ところで、戦後のムーランルージュの活動期間は短かったようですね。
</p><p>
瀬川：短いですね。1年か2年じゃないですか。戦後も、今の三越の裏の辺り、新宿の武蔵野館っていうのがあった通りにあったんですよね。如月節子っていうね、可愛い女優さんがいたんですよ。ぼくは戦争に行く前にもちょっとムーランに凝っていたんで、彼女をよく観に行っていて、その名残もあったんです。学生時代ですけどね。<br>
　戦後、ぼくの友達に如月節子の話をしたら「よく知っとるよ」とかって言うんでねえ、また行ったりなんかして。それで戦後ちょっと行ったりして。女優さんは、明日待子と小柳ナナ子が両看板でやっていたんです。その時に森繁さんが出てて、ちょっと一味も二味も違う人でね、面白いなあと思ってねえ。
</p><p>
──森繁久弥氏は残念ながら監督の映画には出ておられませんが、助監督時代に新東宝でよく顔を合わせておられたようですし、監督が多く助監督としてついておられた松林宗恵監督の映画にたくさん出演されています。ご著書の中で瀬川監督は、新東宝の撮影所に主役としてやって来られた森繁氏に対して、「昭和24年に新宿のムーランルージュという小さなレビュー小屋で森繁さんの舞台を見ていた私は、その何とも言えない味のある芝居が強く印象に残っていたので、決して若いとは言えないこの新人のデビューを期待して見守っていた」〔『乾杯！ごきげん映画人生』 47-48頁〕と記しておられます。その時、森繁さんはどんなお芝居をなさっていたのでしょうか。
</p><p>
瀬川：どんな芝居だったですかねえ。名作の「にしん場」とか、多分そういうのだと思うんですよね。
</p><p>
──あんまりギャグはやられないんですか。
</p><p>
瀬川：あんまりギャグはやらないんです。お芝居はもっと真面目な、ね。
</p><p>
──戯曲主体のお芝居だったようですね。
</p><p>
瀬川：そうですね、出ている人も役者の人たちですから。まあ、そういう意味では多少、笑いはありますよね。森繁さんなんかもキャラクター的には笑わせていました。
</p><p>
──新東宝の映画で森繁氏は、たとえば『森繁のデマカセ紳士』（渡辺邦男監督、1955）などキワモノ的な演技を見せておられますが、ムーランルージュではそういう芝居をしていたのではないんですね。
</p><p>
瀬川：はじめ、新東宝では新人だから非常に安手に使われていてねえ。ムーランルージュの芝居はアチャラカじゃあないんです。だからあの頃の芸術祭賞かなんか賞があったりすると時々貰ったりなんかして。斎藤豊吉さんや小崎政房さんなんかが結構ムーランの脚本を書いていて、わりと有名な文芸家がね、遊びにちょっと書いたりしたのが多かったんです。
</p><p>
──軽みのある演技が森繁さんの特徴だと思うのですが、当時からそういった演技をされていたのでしょうか。
</p><p>
瀬川：ええ、軽みのある。ムーランの専属の役者に入っていますね。だから1年ぐらいじゃないですか。
</p><p>
──主役だったんですか。
</p><p>
瀬川：ええ、主役です。ぼくより10歳以上〔森繁氏は1913年生まれ〕ちがうので、そのころももう35、6でした。
</p><p>
──森繁さんの名前を決定的にした『夫婦善哉』（豊田四郎監督、1955）の時が41、2歳だったようですね。ところで、森繁さんはどういう経緯で映画界に入られたのかご存知でしょうか。
</p><p>
瀬川：新東宝に入って来られたのは佐藤一郎さんっていう早稲田を出たプロデューサーが新東宝で結構メインで大物監督を引っ張ってきて、その早稲田の関係で森繁さんも多分引っ張られたんだと思うんです。はじめ新東宝に入ってこられたときは、NHKのラジオ番組「愉快な仲間」のレギュラーだったんですよね。それで人気が出ていて。それとムーランぐらいで。それで、あんまり知られていなくてね。でもぼくは森繁さん芝居っていうのは、やっぱり従来にない味があって、凄いなと思ったんですけれども。
</p><p>
──どのような点が従来と異なっていたのでしょうか。
</p><p>
瀬川：つまり自然体ですよね。自然体でしかも滑舌がはっきりしていて。それから、動きが角（かど）ばらないで。つまり後年の森繁さん流の芝居っていうのをあの頃からやっていてねえ。<br>
　ぼくは本にも書いたと思うんですけども、ぼくが一番最初についたのは『アマカラ珍騒動』（1950）っていう、もう本当にプログラムピクチャーでね、中川（信夫監督）さんがなんでも引き受けちゃうから、ぼくはほんとに駆けまわっていたんですけども、それの主役でしょ。で、（柳家）金語楼さん相手ですから、軽いムーランばりの芝居だと思うんですが……ぼくは記憶がないんですけれども、とにかく安手でね。撮影所を舞台にしたやつで、セットがぜんぜんいらなくて、もうとにかく撮影所の中で撮っているっていうだけですからねえ。金語楼さんが夜警でね、森繁さんが大道具さんで、泥棒が入るかなんかといった話だったと思うんですけれども。その作品でも森繁流の芝居をやっていた記憶がありますね。最初森繁さんと、やっぱりムーランで観ていたから、面白いなと思っていたんですけど、ちょっとシャシン自体は失望をしてね。ただ、今、映画のガイド本を見ると中川さんの傑作だって書いてあってね。中川さんって、何でも観られるように仕立てちゃうからね。そういう技術を持っていた方だから。そういう点では勉強になりましたけれども、ね。<br>
　それで、本格的に森繁さんがほとんど主役で出たのは藤田進のね、『新遊侠伝』（佐伯清監督、1951）でした。佐伯さんの演出と森繁さんの芝居っていうのは違うんですよね。佐伯さんはやっぱり任侠的な後の東映的な芝居でしょう。森繁さんっていうのは崩してやるから。しょっちゅう怒鳴られていましたよ。
</p><p>
──『腰抜け二刀流』（並木鏡太郎監督、1950、前記の佐藤一郎がプロデュース）というのが森繁さんの新東宝での第1作ですね。
</p><p>
瀬川：あれが一番最初でしょ。ぼくはあれを観たんですけれども、ちょっとがっかりしました。<br>
　森繁さんは「三等重役」の第1作目（東宝製作、春原政久監督、1952）に出て、浦島人事課長役で、おそばを鋏で切るっていうね、あの役で一躍有名になったんですね。
</p><p>
──それが後の「社長シリーズ」に繋がってゆくわけですね。
</p><p>
瀬川：それからやっぱり森繁さんっていうのは、役者としての考え方っていうのをしっかり持っている方です。本にも書きましたけれども撮影の合間に喫茶店兼バーみたいなところで、森繁さんのボヤキを聞いたりなんかして、そのときもやっぱり思ったんですけれども、あの話の面白さっていうのは森繁さんの芝居の面白さに繋がっていると思いますね。
</p><p>
──ちょっととぼけた感じでお話になるんですか。
</p><p>
瀬川：ちょっととぼけた感じでありながら、芯のしっかりしたことをおっしゃるんです。
</p><p>
──東京の喋りもできるし、もともと大阪でお生まれになっていて、関西の喋りもおやりになりますね。
</p><p>
瀬川：ええ、凄いですよね。この間、フィルムセンターの川島（雄三）さんの特集で『暖簾』（1958）を観たんですが、二役をやっていて〔この映画で、森繁久彌は親子二代にわたる大阪商人を一人二役で演じている〕あれも凄いですよね。
</p><p>
──川島さんの映画では、一方で、結構ゲテモノ的な『縞の背広の親分衆』（1961）なんかもおやりになっていますね。
</p><p>
瀬川：あれもゲテモノですねえ。『グラマ島の誘惑』（1959）もゲテモノですねえ。ハチャメチャを徹底してやるところが川島さんらしいですよねえ。アナーキーになっちゃって。
</p><p>
──森繁さんは、歌でも、映画でも、舞台でも成功された方ですね。シリアスなものも、軽妙なものもおやりになって。
</p><p>
瀬川：誰でも日本人がもっているような心情に訴える魅力があるんですね。喋りにしても、そうなんですよね。
</p><p><br>


<strong>2.ストリップ：脱線トリオ、渥美清、コント55号、ビートたけし、太地喜和子</strong>
</p><p>
──戦後、軽演劇は、ストリップ劇場の幕間の劇として、生存してゆきましたね。
</p><p>
瀬川：ええ、だからみんな軽演劇で育っているんですね。新宿セントラル劇場っていうストリップ劇場ができて、必ず脇に由利徹とかそういうのが出ていて。ストリップと軽演劇の二本立てでしょう。だからそういうので結構面白いギャグをやっていたっていうのを覚えていますよね。由利徹とか脱線トリオ〔由利に南利明、八波むと志の3人組。命名者は後述の井原高忠〕とかがねえ、ストリップの合間にショートコントをやっていて、面白いネタをいっぱいやっていたんですよね。<br>
　もともとは、中村屋の並び、伊勢丹の反対側に、帝都座という日活の5階建ての映画館があって、その5階に小ホールがあって、そこで本当のおっぱいを出したストリップの第一号をやっていたんです。その時は動いちゃいけないっていうんで額縁ショーといって、額縁の中に立っているだけでしたけれども。そこから新宿にストリップがパッと芽生えて行ったんです。<br>
　その新宿セントラルっていうのはその後にできた小屋なんです。よく、そこへ行きましたよ。戦後の新宿では人の集まるところだから娯楽が雨後の筍のように出てきて。ストリッパーの衣装は脱ぐ前はやたらとキラキラしたのをつけていましたね。それと、当時面白いのはセントラルにはお客によく見せようっていうんで花道があったんですよね。それで舞台でパッと脱いで、スポットが当って花道を渡ってくるでしょう。そうするとお客がまだ馴れていないから、みんな硬くなって振り向かないで緊張して正面見てるんですよね、それがすごくおかしくてさ（笑）。まだそういうのを見るのがうしろめたいという気持ちがあったんじゃないですか。ぼくらなんかは仲間で行ったから喰らいついて見ましたけれども。
</p><p>
──その頃、靖国通り界隈や歌舞伎町はどんな雰囲気でしたか。
</p><p>
瀬川：道幅もあんな広くなくて、それから都電も通っていたんですよね。西武線の駅の方からカーブして、あの向こう側に角筈っていうエリアがあるんですよね、そこから市電が出ていて。雑然としていましたよね。靖国通りを渡った、今のコマ劇場の辺りは色々な地権の関係があって、あっちは尾津組が支配してたんだよね。それが焼け野原になっちゃって、先ず温泉マークの連れ込み旅館がいっぱい建って。コマ劇場のところはずうっと空き地だったんですよね。そこで、闇市がやっていたんですよね。靖国通りの右側が、コマへ行く方が焼け野原で、左側が、焼け残ってたんです。そこが松竹セントラルっていう小屋で、ストリップの常打ち小屋だったんです。靖国通りに面した、今のテアトル新宿の辺りですかねえ。
</p><p>
──コントの雰囲気はどんな感じでしたか。
</p><p>
瀬川：勝手に台詞を変えちゃったりするから。勝手にその筋書きと反対のことをやりだしたりなんかして、もう食い合いなんですよ。そうすると台本にない反対のことを言って、「お前言えねえだろう」とかって言うと、「なに言ってんだよ」って、それで掛け合いをするっていう、お互いにイジメ合って食い合って、それで笑いをとるっていう。そういうのを鍛えられているからねえ。相手をやっつけてやろうっていう、修羅場のケンカみたいなね。本人はトチッちゃって「参りました」になるとダメでしょう。だから、即興芸っていうのをどんどん身につけていって。<br>
　由利徹の脱線トリオは面白かったですね。八波むと志がやっぱり威勢がよくて。南（利明）はあの頃から名古屋弁を使ってたのかなあ。3人ともぜんぜん毛色が違うじゃないですか。<br>
　ショートコントみたいなので、西部劇をモジってやっていて。アメリカの男たちがたむろしているバーのセットで、そこでテキサスの哲っていう役名のガンマンの由利徹が酒を飲んでいると、向こうから南利明か八波むと志どっちかが来てね、で、喧嘩になって。撃ち合いになって、由利徹がフォークをかざして殴りかかろうとすると撃たれて、テーブルの上に伏して、フォークにステーキを刺して立ち上がって、「テキサスの哲と言われた男がこんなテキを刺すとは!」なんて言って死んじゃうのを覚えていますけどねえ。由利徹に話したら、よく覚えてますねえ、なんて言って（笑）。
</p><p>
──ストリップ劇場のコントではつまらないと野次が飛んだりするんですか。
</p><p>
瀬川：そう、野次が飛んだり。本当に親近感がありましたからねえ、舞台に。客席に来たりなんかもしますからねえ。そういうのも面白かったよねえ。小さい小屋といっても、200人ぐらいは入ったんじゃないですかねえ。客層は、大人の男が中心ですから、本当に面白くないと笑わないんです。今、新宿のルミネで演っているような吉本の芸人は若い娘向けですからぜんぜん違うんです。
</p><p>
──音楽は生演奏でつくのでしょうか。また、どんな曲を演奏していたのでしょうか。
</p><p>
瀬川：音楽は生ではなかったです。あの頃だと、レコードですかねえ。ジャズもありましたねえ。ジャズがアメリカから来て結構流行っていたでしょう。それから歌謡曲ですよね。「リンゴの唄」なんていうのも結構それで踊ったりなんかしてましたよね。
</p><p>
──渥美清氏も、映画以前にはストリップ劇場のコントに出演されていたわけですが、その時代のコントで、何か記憶に残っている演技は、ありませんか。
</p><p>
瀬川：ひとつ覚えているのは、浅草で出ていた……「フランス座」っていうんですかねえ……あれでやっぱり渥美清がダントツに面白かったですねえ。どういう役だったかよくわからないけど、戦後で物がなくて、オーバーが着れなくて、インバネスっていう当時の和服の外套みたいなのを着て長い襟巻きをしてね、それがすごく長くて。なんかで見得を切るのかな。最後に見得切って、長い襟巻きをどういう訳かクルクルクルッと巻いちゃって、首絞められちゃって、ゲッっていうような、くだらないギャグを覚えてます。ただ、そのくだらないギャグがねえ、たとえば渥美を通すと、結構面白いんですよね。
</p><p>
──その渥美氏の芸がやがて『男はつらいよ』で寅さんという役柄に収斂していってしまうのを、ストリップ劇場の頃から渥美氏を観てこられた監督は、どのように感じられましたか。
</p><p>
瀬川：だから、あの人は品行方正になっちゃって。まあもちろん芝居がすごい幅の広いレパートリーを持っている人だからね。ただ、寅さんっていう役になりきっちゃったら、一定のああいうパターンでしか芝居ができなくなっちゃったでしょ。ぼくは、あれでやりましたよね、『喜劇 初詣列車』（東映製作、1968）で。あの人はね、ああいうしっちゃかめっちゃかなところがあるんですよ。それがすごい面白いんでねえ。『初詣列車』の時はなんか、そういうのをやりたいなと思っていてね。たまたまその頃はヒッピーとかも流行っていて。だからぼくは『初詣列車』っていうのが一番好きなんですよ。渥美がボディ・ペインティングの中で泳ぐのを財津一郎とやったり、そういうストリップの時の渥美の一面を出したいなと思ってやったんです。で、高嶋政伸とぼくがテレビドラマの『HOTEL』で付き合ったときに、「もうあれが最高だ！」って高嶋が言っていたけどねえ（笑）。
</p><p>
──たくさんの睡眠薬をチャンポンにして飲んでラリってしまうというシーンもありますね。
</p><p>
瀬川：ああいうのをねえ、こういうのやってよ、って与えるといっくらでも膨らませるんですよ、彼は。そういうドタバタのネタをいっぱい持っているから。長髪のカツラを後ろ前で被ったりとか（笑）。でもそうやっていて、昨日のことを思い出すとかっていう風に繋げないとね。それだけやっていると、またドタやってる、っていう風になるからねえ。だからそうならないようにいろいろ工夫はしましたけれどもねえ。<br>
　このあいだ、渥美さんとねえ、浅草で座付き作家をされていた井上ひさしさんのね、浅草時代の対談を読んでいたんですけどね、やっぱりああいう土壌が今はなくなっちゃっているから、もう渥美さんみたいな喜劇役者はもう育たないですね。素質があるにしてもね。吉本興行なんかが一生懸命やっているけれどもあれは使い捨ての芸人を養殖しているだけであってね。
</p><p>
──それから前衛音楽の指揮者が大泉滉氏で、皿を割ると渥美氏が叫ぶ、という曲を上演するシーンも可笑しいですね。
</p><p>
瀬川：あれはねえ、皿が割れて「アオーッ」っていうのはねえ、思いついたんで、あのギャグをどういうふうに使おうかっていうんで、小松を探して歩くっていうプロセスの中でね。ああいう反復のギャグっていうのは……当時日テレ（日本テレビ）でああいうナンセンスをやっていたディレクターが何人かいるんですよね。みなさんがああいうのを面白がってくれていてねえ。で、日テレで1回『追っかけろ』っていう1時間ものの連続ドラマをやったんですよ。井原高忠君っていう学習院の3年後輩なんです。それでター坊、ター坊っていうんですけれども、彼が日テレで権勢を握っている時に、8ミリ映画で喜劇シリーズで、「追っかける」っていうのをテーマにワンクール〔3ヶ月間にわたる13回の放映〕やろうっていうことで。世界各国に監督が行って、キャメラマンと、本当に少人数のスタッフなんですけれども、あと助監督ともうひとりで6人ぐらいで、8ミリカメラを持たせて。で、ドラマを藤村俊二さんが、世界各地に行って、誰かが逃げるのを、おヒョイが〔藤村氏の通称〕追っかけるっていうテーマだけで、っていうのがあって〔この番組は、『スーパースター・8★逃げろ!』日本テレビ製作、1972年、4回で打ち切りになったのが有名な番組のようで、瀬川監督が担当されたのは第3話と思われる〕。
</p><p>
──日本テレビで『ゲバゲバ90分』（1969-1971）などをやっておられた頃ですね。井原氏とはその後組まれていないのでしょうか。
</p><p>
瀬川：ないですね。ただ、『乾杯！ごきげん野郎』っていうのを撮った時に、井原くんがそういうのをやっていたんでね、そういう指導っていうんで、来てもらって……
</p><p>
──えっ！あれを井原高忠氏がやっておられるんですか。
</p><p>
瀬川：テレビでショウ番組やっていたから……〔井原氏は伝説的なショウ番組『光子の窓』や『11PM』のディレクター〕
</p><p>
──クレジットはされていないですね。
</p><p>
瀬川：ええ、クレジットないですね。まあ、日テレにいたからですかねえ。
</p><p>
──演出というか段取りみたいなものをされたのですか。
</p><p>
瀬川：ショウのときに動いたりなんかしますでしょう。夢のところとか。あるいは、みんなが練習で歌っている時とか。振り付けは別ですが。井原くんもバンドをやっていたので、世志凡太とか、サウス（南