猫のように撮る──
ペドロ・コスタ インタビュー by 舩橋淳 vol.1

インタビュー

Introduction

 ペドロ・コスタには、抑圧的な言葉がまとわりつく。それは彼の作品に対する批評に限らず、長い期間スラムで被写体と生活をともにしつつ、ローキーで撮影を進める彼自身の制作姿勢や、さらにはそうして撮り上げられた画面が湛える冷徹な美しさがいやがおうにも見るものの言葉を奪い、やたらなことでは口を開いてはならぬと緊張を強いることに起因するといおうか。人がフォードや小津、ラングと共に擁護したくなるのは、何も『血』(1989)、『溶岩の家』(1994)、『骨』(1997)の初期作品に見られた映画史的な素養や作家自身の言及によってではなく、むしろ実は『ヴァンダの家』(2000)以降の作品にも変わらず漲っているコスタらしいというしかない峻厳さが、人を慌てふためかせ、思わずフォードとか小津とか抑圧的名詞を持ち出してなんとか迎え撃とうとしてしまう、といったほうが的確に思える(これは日本のみならず世界中のコスタ批評で顕著な傾向である)。
 そして、ジャンヌ・バリバールのドキュメンタリーである新作『何も変えてはならない』(2009)が登場した。ブレッソンの「シネマトグラフ覚書」にある一節「何も変えてはならない、全てが変わるために」の断片であり、ゴダールが『映画史』(1998)にも引用したという文句は既に、冗談交じりに仲間と感想を言い合ったり出来そうもない、人を沈黙させてしまう“抑圧力”を充溢させているかに見える。スタジオであろうが、ステージであろうが、殆どのシーンが闇の中の限られたランプのもとで廻され(卓抜なラストショットなど例外はある)、屋外で陽光を捉えることを禁欲したこの作品は、またもやあの“抑圧的に美しい”コスタの映画なのだろうか、と人を身構えさせるかも知れない。
 しかし、自然光が遮られた室内空間でのリハーサルとライブを5年に渡り誠実に撮り重ねた今作は、ロックからオペレッタまで奏でられる音楽がブレスト、パリ、リスボンはたまた東京と異なる文化圏・都市間を自由に行き交う歓びに満ちている。「何も変えてはならない」と呟いてみることが、灰色の抑圧をあたりに波及させるというより、異文化の音楽空間を無媒介にスルーさせる通奏低音として響き渡り、映画的大気を解放する。この新作を、そんな清々しい体験として読み直してみたい。
 インタビューは2010年5月、東京の千駄ヶ谷、ビブリオテックで行った。(舩橋淳)

舩橋 本日はありがとうございます。今のところあなたの映画を二度見ました。

コスタ ずいぶん多い。

舩橋 ええ。前作『コロッサル・ユース』(2006)とは全く違うかたちで魅了されました。試写室の闇の中で時間の感覚を失ったといいましょうか。実際、あなたのどの作品をみても僕は時間の感覚を失ってしまいます。また画面を見つめつつ、カメラの裏側で何が起きているのか、現場はどう演出されているのか、どのショットが最後のショットになるのか、など推察してしまうこともあるのですが、あなたの映画でそんな邪推に成功した試しがない(笑)。ハリウッド流に構築された映画を見るときは、物語がどうやって始動し、展開して、終わりに至るかを感じるとることができます。いわゆる「アートフィルム」においてさえ、何らかの説話展開は存在しますし、それがある充溢感に到達して、映画が終わりを告げる、ラストショットが提示される瞬間を言い当てることができるものも少なくありません。しかし、あなたはそのような構築された展開感、画面が充溢し、輝きが増してゆく様を一つの終末的大団円に落とし込んでゆくようなことは一切しない(参照「零度の画面——ラストショットが感知不能であること」)。それだからか、僕は必ずと言っていいほど、あなたの映画のラストに立ち会ったとき、呆然とするしかない。そんなラストショットの感知不能性は、いったいなにが原因なのか。なにか特別な理由があると思いますか?

コスタ わかりません。はっきり言えませんね。ただ、この映画のラストショットは、他のショットとはかなり異なっていました。撮り方も、ポストプロダクションの進め方も異なっていたのです。コンサートの場面の音楽はミックスされた音で、24ぐらいのトラックがありました。だからレコードを作るようなものです。ギター、ドラム、ベースなどを一緒にする必要があるのです。
とはいえ、私はもっとラフな、ほとんどモノラルの音楽が欲しかったのです。ビートルズ的な意味におけるモノラルということです。ステレオで作られた「アビーロード」と、初期にモノラルで作られた「ラバーソウル」の間には巨大な違いがあります。ジョン・レノンはプロデューサーがステレオにミックスしたとき「このクソはなんだ!オレたちはこんなふうに(ばらばらに)演奏したんじゃない、オレたちは一緒に演奏したんだ」と言ったそうです。ジャン=マリー・ストローブ以前に、1965年のジョン・レノンは言ったわけですね、「分離するな。わたしたちを分離するな」と。ステレオはある種、分離を意味します。
だからわたしたちはモノラル的な方法で音を作っていきました。一緒に演奏し、時間をかけました。そして最終ショットは、すべての素材のなかで唯一準備せずに撮ったんです。 私たちは東京のラジオ局の楽屋にいて、そこで撮影するつもりはなかったのですが、突然、この部屋が白くとても明るく、そしてジャンヌたちメンバーが若干、緊張しているのを感じました。彼女たちはとても孤独で、無防備でした。この映画の他の部分とはまったくトーンが違っていることに気付きました。そこで私は素早く撮影し、録音はフィリップ・モレルがブームマイク一本でやりました。モノラルです。このラストショットが、実際にモノラルで録音された唯一のショットなのです。音響状態はかなり特別で、非常にラフ、ほとんどガレージバンドの音です。

舩橋 なるほど、ラストショットは唯一モノラルで録音されていたと。つまり音響空間の変化により、見るものが最後へと誘われる。

コスタ 実際、リハーサルのスタジオでもすべてモノラルで録音していました。でもそこにはたくさんの機材、サンプラーがあって、たくさんの音声トラックを付け加える必要がありました。映画全体はだから少しフェイク・ステレオとでもいうべきものなのです。ただ最終ショットだけは絶対的なモノラルでした。

舩橋 ドルビーなど音声空間の奥行きを与える効果は、すべてポストプロダクションでされたということですね。

コスタ ええ、そうです。というのも、現代ではそれが避けられないのです。いま、完全にモノラルで35ミリ映画を作ることはできません。やれないことはありませんが、劇場にかけてもらえません。ドルビーやDTSのノイズリダクション・システムのスイッチを消す必要がでてきますから。日本もほとんどDTSでしたね?

舩橋 そうです。

コスタ それを消さないといけない。ドルビーのスイッチをオフにすると、ブーンという汚いノイズ音が出てしまいます。とてもシンプルな音だけで音声トラックを作ることはできます、超高級の洗練されたミックス装置がなくとも。しかし、最後に必ずドルビー・リダクションを付け加えないといけない。そうしないと、今の映画館では掛けてもらえない。古いサウンドトラックでも掛けてくれるのは、シネマテークぐらいです。

舩橋 『何も変えてはならない』の音響空間は本当に素晴らしいと思います。映画批評家であり、研究者であるミシェル・シオンの語っていたことを思い出しました。シオンはジャック・タチの「僕の伯父さん」シリーズなどを挙げつつ、「その音はどこから来るの?」という問題に言及しました。とてもおかしく、ユーモアを交えて。そこでの音声は、現に見えているイメージのものではなく、思いがけない物や人から発せられたり、画面外から来たりしました。『何も変えてはならない』のモノラルの音声美学について語られましたが、今作は音の深度を感じる音響設計になっていると思いました。たとえばギターがより深いところから聞こえて来たり、ドラムがより浅いところから響いたり……と。

コスタ モノラルは品質が悪いという意味ではありません。それはクリシェに過ぎない。モノラルには複数の次元があります。距離と深さがあります。スクリーンの右や左、上や下から来ないというだけです。

舩橋 僕は音声がスクリーンの中央下から聞こえてくるように感じました。上映前、試写室のスピーカーの位置まで確認しなかったので、試写中暗闇の中で、音声はスクリーン両脇のスピーカーに加え、スクリーン下部の巨大なスピーカーからでているに違いない、と思ったのです。ところが試写が終わってみると、そこにはスピーカーがありませんでした。ただ両脇に二つあっただけです。あなたは音声がスクリーンの奥から聞こえてくるようなイリュージョンを作り出したのでしょうか。

コスタ ミキサーがとても優秀だったのです。彼は、若いけれども映画界ではお馴染みの顔とでもいいましょうか、フィリップ・ガレルの映画にも多く関わっています。とてもナイスガイで、働き者です。大金を稼ごうというのではなく、週末にも一緒に僕と作業してくれました。

舩橋 それからもうひとつ、『何も変えてはならない』で気付いたこと、魅了されたことがあります。それは壁の不在です。あのおばあさん二人がタバコをふかしているカフェを除くと、いったいどのショットが日本で撮影されたのか、あるいはパリなのか、リスボンなのか全く不明です。あなたはそれがどこであるのか、何が起きているかを示すことなく、音響とイメージの空間的連続を構築している。これにはとても心を奪われました。というのも、これまであなたが撮ってきた作品では、いつも屋外の壁を捉えたショットが印象的だったからです。たとえば『骨』の家と家の間の路地のショット。あるいは『コロッサル・ユース』でヴェントゥーラが白いマンションを背にしたショット。これらは美しいばかりか、観客は周囲の環境を感じ取ることができます。ところが今回は、屋外のショットが完全に排除されています。唯一例外的に屋外を感じられるのは、バリバールがスタジオ内の窓の近くに座っているショットぐらいでしょうか。この「どこであろうとも構わない」という規範は、どのような経緯で生み出されたのでしょうか。

コスタ これはある目的についての映画ではないし、ジャンヌ・バリバールあるいはルドルフについての映画ではありません。これは音楽を作る人々と、そのムードあるいはトーンについての映画です。もちろんこの映画はジャンヌとフィリップ・モレルと僕の三人、その友人関係から生まれました。その頃、彼女は音楽と作曲とミュージシャンたちとの生活にとても入れ込んでいました。
それからこれはいわゆる「映画クルーごっこ」から距離を置いてみる運動でした。ミュージシャン達のクールな集団性の一部になってみたいと思いました。スタジオで誠実に創作を続けるミュージシャンの集団性・コラボレーションは私にとりとても興味深く、単純に楽しそうだと思えました。映画の撮影現場の人間関係よりも、より温かく創造的で、貴重に思いました。映画では、現場が汚い権力争いの場になってしまうことがよくあります。ディレクターがいて、プロデューサーがいて、全てを把握しているかのような顔で威張り散らしている。しかし、現場のクルーは誰も映画のテーマについて理解していないとか……とても寒々しい場所です。

──あなたのスタッフは、通常あなたを入れて何人なのでしょうか。

『コロッサル・ユース』では時に5人となりましたが、本来は3、4人でした。なぜなら私が撮るのはとても狭い領域なので、駐車する必要もありませんし、メイキャップも衣装係も必要ありません。必要であれば、それぞれ自分のことは自分でします。ヴェントゥーラもヴァンダもそうでした。衣装やテキストなど自分のことは自分でやりました。私がストローブについて作った映画(『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』[2001])にも似ています。あの映画でも場所がどこであるかわかりません。彼らは小さな暗い編集室にいるだけで、それが地球のどこにあるかはわからない。ストローブの顔もダニエルの顔も見えない。暗いのでシルエットしか見えません。したがって、彼らが言うこと、編集用のモニターで起きていることに観客は集中するしかなくなるのです。
この映画の場合、音楽と人々の関係に集中してゆきます。だから、私には、駅や空港やホテルを写す類のショットは必要なかった。音楽のDVDを見ると時にはそういうものが良いと思うときもあります。ニール・ヤングがリムジンに乗って、インタビューを受けて、ホテルで休んだり。

舩橋 なるほど。場所がどこであるかを示す従来の方法論から解放されることで、ひとつのショットからもうひとつのショットへ飛躍する自由さを獲得したのだと思います。例えば、僕はストローブ=ユイレ・ショットと呼んでいるのですが(笑)オッフェンバッハのバックステージで出演者全員がラストに登壇し、観衆に挨拶をします。そのショットでは、ジャンヌや他の俳優の顔ははっきりと見えず、ステージ上の後ろ姿ばかりなのですが、次にジャンヌのクローズアップへスッと切り替わり、『何も変えてはならない』を歌い始めます。このショットの繋ぎには驚嘆しました。

コスタ 先ほども言ったように、わたしはあの手のショット──なんというべきか、ときどき「空ショット(empty shot)」といいますが、でも馬鹿げた言い方ですよね。「移行ショット」ともいったりします。[1]ともかくそのような「移行ショット」は必要ないと思った。唯一の例外はあの日本人の女性二人のショットぐらいで、インタビューもなければ、休止もいらない、映画を早く進めたいと思ったのです。
すべてがはっきりしたのは、編集のときでした。どの編集がベストか理解するのは簡単ではありません。この作品では3、4のヴァージョンがありました。最初と最後の部分に関しては固まっていて、多かれ少なかれどのヴァージョンも同じでしたが、その中間が難しかったのです。テンションを維持しなければならないのです。ですから試行錯誤を繰り返しました。
そして歌詞も大きな決め手でした。そう、私は自分が監督であるよりもレコードのプロデューサーであるような気がしたものです。サイドA、一曲目、セカンドシングル、それから裏面という具合です。そして歌詞です。どこかですべてが結びついている。オッフェンバッハの歌詞でさえ、ある困難を抱え、取り残されてゆく女性の視点から書かれていて、作品全体と深く関わっているのです。

舩橋 おもわぬ偶然で笑ってしまったのは、女性の歌のレッスンコーチが、映画のジャンルをあれこれ挙げてジャンヌを指導するところです。「メロドラマのように」と言ったり、「西部劇」と言ったり……

コスタ 実際、オッフェンバッハ作曲「ペリコール」はジャン・ルノワールのとても有名な映画でアンナ・マニャーニが主演した『黄金の馬車』(1953)の基になっています。女優についての映画です。ある日、ジャンヌが私に電話してきて、彼女がこれから初めてクラシック音楽に真剣に取り組もうとしているのだと言いました。それがオッフェンバッハでした。この曲は、大衆向けのオペラの形式で、オペレッタといいます。パリのバーやカフェで演じられ、歌もプロではない歌手のために作曲されたもので、誰でも歌うことができた。レノン、マッカートニーやギルバート・オサリヴァンのようなもので、ポピュラー・ソングだったのです。19世紀の「ヘイ・ジュード」のようなものですね。この曲で当時の人々は踊ってもいました。ポップとロックの世界のなかにオッフェンバッハが融合するのは、素晴らしいことです。

──選曲には、あなたも関わったのですか。

コスタ ええ。つまり、彼女たちは他にもいくつか曲を演奏していましたので、その中から選び出しました。僕は自分が気に入ったものと、物語を語ってくれるものとを選びました。散漫になりそうなもの、文脈から外れているものは使いませんでした。

舩橋 フィリップ・アズーリが吸血鬼映画のようだと言ったそうですが、悪、哀しみ、そして恐怖という主題が歌詞の基調になっていたように思えました。

コスタ そう。それから苦痛もです。彼女は苦しんでいる女と男について語っています。

舩橋 二年前に『コロッサル・ユース』で来日された時あなたと話しましたが、そこで印象に残ったのが、撮影を「スポーツ」のようなものだと述べていたことです。ゴダールも同じことを語っています。現場の遷ろいゆく光に反応し、被写体との関係を保ちながら、フレームを決めてゆく−−良いショットを撮るためにそれら全てのことが必要ですが、そのためには映画の筋力が鍛えられていなければならないということをあなたは強調していました。 今度の映画をみて、つくづくあなたはクロースアップを撮る達人であると思いました。コスタ映画のクロースアップは本当に美しい。俳優の顔をキャメラで切り取る筋力が鍛えられているのでしょうか。思い出したのは、ジル・ドゥルーズがかつてドライヤーとブレッソン、とりわけ『ジャンヌ・ダルク裁判』を引きながら「アフェクティヴ・フレーミング」について語っていたことです。あなたはドライヤー的な意味におけるクロースアップを継承しているのではないか。ロングショットやミディアムショットにおいてさえ、画面の深みが押しつぶされ、パースペクティブがフラットとなり、人の剥き出しの存在が浮き彫りになっているという点で、クローズアップに思えてくる。
たとえば、冒頭から二番目のショットで、はじめてジャンヌのクローズアップが登場しますが(これが鮮烈です)、彼女は闇の中でカメラを見たり、同じスタジオにいるであろう仲間の方を見たりと、様々な方向に視線を送ります。この闇の中で浮き上がるジャンヌに対し、あなたは一点、彼女の目にフォーカスを合わせています。そして彼女の視線の動きを通し、われわれ観客はこのフレームの外側を徐々に感じ始めます。フレーム外の音声、フレーム外にいる人物と彼女のコミュニケーションが聞こえてきます。つまり、徐々にゆっくりと世界が見えてくる(Slow Exposure)。

コスタ 今回の撮影は、まさにドキュメンタリー的な意味での制限がありました。わたしには次に何が起こるか知りませんでしたし、コントロールする自由もありませんでした。 ただ彼らにもう一曲やってほしいとか、同じことを繰り返してほしいとか、ドラムにもうちょっと照明の方へ寄ってくれというのがせいぜいでした。私の役割は、非常に慎ましいものだったのです。
私の仕事は、彼らの一部になることであり、彼らの注意を惹きつけずに作業することにありました。ルドルフが常に言っていることですが、演奏が真に一体化するならば、それはある種の「忘却」(oblivion)の境地であって、もはや意識はなくなります。テクニックのことも忘れ、自然になり、演奏している相手のことも忘れます。誰と誰が演奏しているというのではなく、ただひとつの存在になる。「忘却」がやってくればすべてが溶け合うというわけです。
私は、彼らが私のことを忘れ、映画のことも忘れてくれるように努めていたのだと思います。そのなかで、わたしはジャンヌのものすごく近くにいました。でもいまだに、もし彼女と話す機会があれば聞いてみたらいいと思いますが、彼女は覚えていないと言うでしょう。つまり、彼女はどの部屋で、どの曲を演奏したかは覚えていても、私と録音のフィリップがそこにいたということは思い出せないのです。
私はストローブ=ユイレの映画とまったく同様のアプローチをしました。あのときは照明を使うことができませんでした。ダニエルは私に「静かに。集中したいの。気をつけて」と言います。それでも、私と録音マンはそこを動かず、ダニエルにそっと寄り添うようにくっついていました。わたしたちは猫のような存在であるべきなのです。猫にならなければならない。もしそれがうまくいけば、私たちの距離は接近します。すべての意味において「近い」関係になります。それがこの映画のクロースアップに関わる真理だと思います。

vol.1 vol.2

脚注
1.場所・状況を示す広角ショットのこと、トランジション・ショットと呼ぶこともある。

何も変えてはならない Ne change rien

監督・撮影:ペドロ・コスタ
編集:パトリシア・アラマーゴ
録音:フィリップ・モレル、オリヴィエ・ブラン、ヴァスコ・ペドロソ
音楽:ピエール・アルフェリ、ルドルフ・ビュルジェ、ジャック・オッフェンバック 出演:ジャンヌ・バリバール、ルドルフ・ビュルジェ、エルヴェ・ルース、アルノー・ディテルラン、ジョエル・トゥー

配給:シネマトリックス
7月31日よりユーロスペースにてロードショー
公式HP:http://www.cinematrix.jp/nechangerien/

2009年/ポルトガル・フランス/103分/35mm/モノクロ/ステレオ

25 Jul 2010

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