瀬川昌治と喜劇役者たち〜エノケンからたけしまで
──瀬川昌治インタビューvol.3

インタビュー

Vol.3.ジャズ文化と笑い、フランキー、クレージー、ドリフ、タモリ……そして、「浅草三部作」

1.ジャズ文化と喜劇役者たち
 世志凡太、フランキー堺、倍賞千恵子、クレージーキャッツ、ザ・ドリフターズ、タモリ

──監督は、ジャズ、あるいはロック、グループサウンズなど、ビートミュージックの演奏者や歌唱者を起用されることが多いように思うのですが。

瀬川:故意的にではないんですけれど、やっぱり、リズムがあるんですよね。

──元来ジャズ・ベーシストであった世志凡太氏は監督の作品によく出られていますね。

瀬川:世志凡太なんかでも、端役なんかで出ていたかもしれないですけれど、『乾杯!ごきげん野郎』(1961)がデビュー作だと思います。あの頃、シャープアンドフラッツのメンバーでね、ショウをやっていて、世志凡太が結構面白いギャグやなんかをやっていたんだね。ジャズコンサートの合間にやるんですよ。それから世志凡太ショウなんていうのも別にやっていたんですよ。たまたま観たことがあるんで面白いなと思って出てもらったんです。

──そのショウは、お喋りとかコントなんかをやられていたんでしょうか。

瀬川:そうです、コントをやっていたんです。なんか盲腸炎の手術を医者がやっているうちにわかんなくなっちゃって腸を全部引っ張り出しちゃったりする、っていうようなね。それが凄い面白かったんですよ。今でも世志凡太っていうのはそういうのをやっていますけどね。場所は普通のクラブだったんじゃないですかね。お酒飲みながらジャズを聴くっていうような、ね。そういう演奏でお酒飲んで踊ったりなんかして、その合間にもうひとつコントをやるっていうようなスタイルだったんですよね。

──音楽、ダンス、笑い、酩酊……狂気と社交が渾然一体になった、実に贅沢な空間ですね。それから、やはり、当時、ジャズ文化と笑いというのは至近にあったんですね。

瀬川:そういうのがあるんじゃないですか。だから、コント的なギャグを入れた演奏をね、やっていたんですよね。やっぱりあの頃はジャズもショウ化していたから、バンドマンが色々芸をやったりするっていう。フランキーが最たるものですよね。そういう連中っていうのがいっぱいいたじゃあないですか。やっぱり浅草の舞台とおよそ縁遠いように思えてジャズの畑から芸人がいっぱい出てきて。フランキーを頂点として、勿論クレージーキャッツもそうですよね。それから、ザ・ドリフターズもそうでしょう。だから、渡辺プロがいろいろ抱えて養成していたっていうのはそっちの方ですよね。渡辺晋さん自身がジャズマンだからね。
 彼らはやっぱりリズム感があって、コメディっていうのは一定のリズムがないと笑いが取れないからね。それといろいろと演奏でもギャグを入れたりするのを考える才能っていうのも持ち合わせている人も多かったんで。今はそういう土壌はないんじゃないの。あの頃と今のリズムは違うから。あの頃の昔のジャズのリズムっていうのは、エノケンさんっていうのがまったくそうですからね、あの人の特有の歌い方っていうのが非常にリズムが立っていてね、みんな観る人をノセて行くっていう、その感覚っていうのは必要ですよね。
 それから、ジャズそのものに、喜劇的な要素が内在しているっていうのがありますよね。たとえば、「イン・ザ・ムード」っていう曲でひとつのフレーズの繰り返しで、それでパッと終わるじゃないですか。当時は踊ってたから、終わるとみんな拍手したり席に帰ろうとしたら、また曲が始まるっていう、あの反復の間っていうのが喜劇の間なんですよね。あれは、作曲者がそれを狙ってやったらしいよね。終わったと思わせて、また始まって、また終わったと思わせてまた始まるっていうのがね、やっぱりちゃんと間を計算しているんですよね。
 それからディキシーがそうじゃあないですか。ドタバタのリズムで。馬鹿騒ぎみたいな。あのリズムに乗ればスラップスティックな芝居ができる、みたいなね。片やスウィングの方にも笑いを取れるリズムがあって。だから、前に本にも書いたけれども。「クレージーはスウィングで、ドリフはディキシーだ」って。
 そのリズムっていうのは本当に大事なんですよねえ。引っ張ってって、バーンとしたりするじゃあないですか。そういう起伏があって。だいたいジャズっていうのは心理的に人間を愉快にさせるっていう要素があったんでしょうね。あのリズムっていうのは。殊にアメリカ人の陽気さっていうか、それから黒人の抑圧された中の解放されたものがリズムになっていて、そういうところが喜劇と重なるよね。

──当時のジャズ文化は米軍のキャンプでの文化とも密接に発展していたと思うのですが、それは日本人向けにやっていたんですね。

瀬川:日本人向けにやっていましたね。まあ外国人なんかも来ていましたけどね。はじめはもちろん外国人向けじゃあないですか。

──ジャズの司会者から出てきて、独特なトニィズイングリッシュで観客を湧かせたというトニー谷氏も、監督の作品『次郎長社長と石松社員』(1961)に出演されていますね。

瀬川:ちょうど人気があった時だったんです。

──植木等さんや谷啓さん、桜井センリさんなど後にクレイジーキャッツに合流するメンバーの在籍していた、アメリカのスパイク・ジョーンズの冗談音楽を日本風にアレンジしたジャズ・コミック・バンド、フランキー堺とシティスリッカーズの公演なんかはご覧になっていますか。

瀬川:あれは観てないですねえ。わたしの兄がジャズの評論家(瀬川昌久)でね、兄はほとんど観ていますけども。その影響もあって、ジャズなんかをよく聴いていたんですけども。

──フランキー堺氏はもともとジャズ・ドラマーをやられていて、ジョージ川口氏と並び称されていたほどですから、とてもリズム感のある演技をされる方だと思うのですが。

瀬川:だから、ぼくなんかわりかし、語りでストーリーを展開してゆくリズムっていうのを、とにかくお客を厭きさせない、お客の予想をどんどん、こうなるよっていうのではない展開をさせてゆくっていう、そういうリズムを大事にしながら演出していましたからねえ、もうぴったしだったんですよねえ。
 あの人はねえ、いつも漲っているんですよね。溢れているんですよ。それがねえ、違うよね。それが芝居にも出てくるし、彼のつくる役にもね、そういう役が多くなるんでしょうね。要するにエネルギーですよ。だから「旅行シリーズ」なんかで、男やもめの世帯に怠け者の女中さんミヤコ蝶々さんが来て、ぜんぜん働かないで漬物も漬けないっていう。で、フランキーがひとりで腕まくりしてやるじゃあないですか。ああいうのをやると面白いんですよね。

──「旅行シリーズ」では、倍賞千恵子さんとのコンビがすごかったですね。

瀬川:「旅行シリーズ」っていうのは倍賞くんが初期にいろいろ支えてくれていたからねえ。だから非常に面白いものが出てきて。だから、殊に倍賞くんなんかは『男はつらいよ』をやりだして本当に善良なそこらへんにいる松竹流の山田洋次の下町の娘になっちゃったじゃあないですか。だからねえ、「旅行シリーズ」をやるのが非常に楽しみになって、息抜きにやっていたから尚更のびのびとおもいきったことをいろいろやってくれたんです。殊に倍賞くんとフランキーの夫婦のコンビがもうすごいな、と思ったのは一番最後(のコンビ作)でフィリピンロケにいったときの『誘惑旅行』(1972)で。フランキーが煙草を切らしていて、倍賞くんが煙草を吸っていて、吸わせろっていうと嫌だって言って、言い合っているうちに彼女の吹いている煙草を吸ったりして。ああいうのは、役者が上手くないとできないですよ。間が狂っちゃうと。ツーといえばカーで、ツーと言わないうちにカーと言っちゃったりとかするから。それをまた受けちゃうからね。

──クレージーキャッツの舞台などはご覧になられていましたか。

瀬川:実際の舞台っていうのは観ていませんねえ。あの頃、テレビでもやっていたでしょう。やっぱりあのメンバーは面白かったからねえ。それから、テレビでクレージーのシリーズをぼくがやった時には、藤田まことも入って、よく覚えてないけど『次郎長社長と石松社員』みたいなああいうパターンでやったんですよ。その時に植木さんが社長と課長が友達みたいなあれを潤色してやった記憶があるんですよ。サラリーマンものの16ミリで、45分のシリーズなんですよ。ぼくは2本ぐらいやったんですよね〔これは、おそらく1968年10月にTBSで放映が開始された『ドカンと一発!』という番組のことではないかと思われる。他にザ・ドリフターズが共演していたと、資料にある〕。

──『図々しい奴』(1964)で、谷啓氏は映画初主演ですね。

瀬川:ええ、シャイなひとでねえ。シャイなりに可笑しいことを言ったりして。アドリブもやりました。リズム感もとてもあります。動きも、やりとりなんかにしても。それからああいうコロコロした体型だから。『図々しい奴』も、谷啓のタイプの主人公をつくってやってくれたんです。あの前に丸井太郎っていう役者がテレビでやっていた役ですけれどもねえ、芸がぜんぜん違いますねえ。それと谷啓が「ガチョーン」とかで売り出した頃でしたから。

──谷啓氏はどのような方でしたか。

瀬川:でもあの方はねえ、こっちが言わないとなかなか自分のものを出してこないっていうか。それから、丸っこい体をしているから、病気の佐久間くんを崇めているっていう感じがね、よく出ていて。あの時も、彼の作った羊羹が中毒を出して、軍隊からいらないって言われるでしょう。そうするとその時に佐久間くんがご馳走を作ってくれて、彼が感動して泣きながら魚を食べるでしょう。ただ泣いているだけじゃあ面白くないからね。泣いてる時に、骨が歯に刺さった感じにやってくれる、って言ったら、泣きながら刺さっている感じに演じてくれて(笑)。そういう意味ではねえ、すごい上手いんですよね。面白いっていうか。だから、言えばどんどんどんどん膨らませてくれる人なんですよね。やっぱり自分の中にいろいろもっているからね。ハナ肇みたいに図々しく来ないから。極めて控えめでね。

──それから、植木等氏に関してはテレビで演出をされていますね。

瀬川:植木さんとはテレビでね。小松政夫が主役のね〔小松政夫は植木等の弟子にあたる〕。8ミリがブームになっている時に。フジテレビ系の花王名人劇場[1979-1990/関西テレビ製作]でやってくれって言われて。その時に植木さんがで出てくれてね。これに犬塚弘も出ていたし。
 小松が8ミリを秋葉原で買って帰るところから始まって、その一家の親父が植木さんで、奥さんが山口いずみで。息子がふたりいて。植木さんが8ミリを面白がって、植木さんに取られちゃうんですよね。それで、なにかひとつドラマを作ろうっていうんで、しっちゃかめっちゃかにやっているんですよね。  小松は会社勤めしていて、上司の犬塚弘から電話がかかってきて、ご馳走するからっていうから呼ばれて、ついでに向こう家庭を撮ろうっていうんで、8ミリを持って押しかけてゆくと、向こうは玄関で犬塚が8ミリを持って待ち構えていて、結局は向こうの8ミリの題材にさせられちゃって、ご馳走を食べようと思ったら全部作り物で(笑)。結構今観ると面白いんですよね。  小松が女性のヌードを撮るっていうことになってね、代々木公園の林の中で。そうしたら植木さんもそれを嗅ぎ付けて撮りに来ちゃうっていう。それでもめたりなんかして(笑)。

──そして、渡辺祐介監督から引き継いでザ・ドリフターズの映画を2本(『ドリフターズのカモだ!!御用だ!!』『正義だ!!味方だ!!全員集合!!』ともに1975年)監督されていますね。

瀬川:ドリフの方が、ドタをやりますよね。もっと跳ねるっていうか。クレージーはもっと上品っていうか。芝居そのものもね。長さんはあの後テレビでずうっとまともな役をやっていたけど、やっぱり素晴らしい役者でもあったんですよね。加藤茶もそうですね。加藤茶は、だけど、自分だけの主役っていうのはできないよね。いかりや長介さんの脇で突っ込みをやるとかね。『カモだ!!御用だ!!』のアパートのシーンで長さんと加藤茶が差し向かいで酒飲んで、こぼした水に混ざったダイヤを拾うっていうシーンがあるでしょう。あれはねえ、ぼくがそういう芝居をつけて、加藤茶がダイヤの入ってしまった長さんの水割りを密かに取って、彼のと変えようとするっていうところの間ね。あのふたり、さすがにねえ、凄い間ですよ。

──ドリフターズが全員で出られるシーンではいかりや氏が指示をだして行ったのですか。

瀬川:ドリフが固まって何かやるっていうシーンは、長さんにだいたい任せてね。ほとんどそうです。あれはチームですからね。まあ、芝居はあんまりそうではないけれど、ギャグに関しては、自分で考えたやつをね。こっちも任せちゃってね。大概追っかけになるでしょう、これ。だから追っかけのところは、長さんいろいろ考えてよって言って。セットもそれに合わせてつくってもらって。『正義だ!味方だ!!全員集合!!』の後半で屋根を上がっては滑り落ちるって、あるでしょう。あれも長さんのアイデアで屋根のセットをつくって。あの映画でやっていることは、わりと彼らのやっているレパートリーの中にいろいろあるんですよ。

──それから、ドリフターズ第6の男、と云われた、すわ親治氏も両作に出演されていますね。

瀬川:今は、劇団ザ・ニュースペーパーっていうのに入っているんですか〔すでに脱退〕。その前に俵山栄子っていう物真似をやる芸人がいるんですけど、これがぼくは好きなんで、結構俵山栄子の小さい舞台も観に行ったりして。その時に、彼女が奥さん役で、すわ親治くんがお父さん役で、結構面白い芝居をしているから、誰?って聞いたらすわ親治で、それで会っていろいろ話したら、ボーイの役で出てたっていうんでね。

──タモリ氏も、もともと早稲田のジャズ研究会に所属してステージで司会をされていたようですし、ジャズミュージシャンの山下洋輔氏の宴会に乱入したことが芸能界に入るきっかけになった方ですね。今でもジャズのレーベルを友人たちと経営されています。監督の『九八とゲーブル 喜劇役者たち』(1978)がタモリ氏の映画初主演ですね。劇中に今では貴重な四ヶ国語麻雀の映像も見られますね。そのように当時は特にブラックな笑いを中心にやっていたと思うのですが。監督のコメディ観との間に、齟齬はありませんでしたか。

瀬川:あの時はないですね。タモリの売り出しの頃なので。だからほとんど意見を言われないで、こちらの言うとおりに。まあ、あの人の持ちネタはね、使わせてもらったりはしたんですが。タモリはねえ、芸をちゃんと持っていますよね。四ヶ国語麻雀とかね。面白かったですよね。タモリもどっちかといえば受けにまわってやっているでしょう。タモリをどう使おうかっていうんで、結構苦労したんですよ。本当は今から考えれば、もっと愛川(欽也)さんが突っ込んでタモリさんはすごい鬱な感じっていうのを出せたら面白かったのにねえ。片っ方が躁病で、片っ方が鬱病でっていうそういう視点でやりたかったんだけれどねえ。本当はねえ、もっと面白い話なんですよ。タモリは狂人だけど、愛川も自分もおかしいんじゃないかと思いだして。芸人っていうのはやっぱり狂ったものだっていうのがテーマですからね。タモリはそういう雰囲気を充分持っていて。そう、狂気をね。これは、だからタモリに非常にあっているストーリーだったのにねえ。

──それから、ギャグ監修で、「面白グループ」とクレジットがありますが、これは高平哲郎氏〔放送作家。著述家。現・『笑っていいとも!』スーパーバイザー〕らが参加していたということなのでしょうか。

瀬川:高平哲郎さんがねえ、まだ若いころでギャグマンとして、くっついてきたんですよ。本当に若かったから。『九八とゲーブル』の時は、高平さんもまだ、学生くらいかなあ。遠慮して向こうも何も言わなかったんでねえ。あの人は今、舞台とかですごい活躍されているでしょう。あの人は昔の映画をよく知っているしね。彼のミュージカルは昔の名画のパロディがいっぱい詰まっていて……ぼくは好きですね。この間、島田歌穂主演のミュージカルを円形劇場でやられていて、高平さんがいたので、本当にもう30年ぶりに会ったんです。すごい白髪になっちゃっていてねえ。

2.浅草三部作

「浅草三部作」出演・制作の村山竜平氏(写真左)と

──こうした観劇体験や演出体験を経て、監督は、『東京・浅草・キネマクラブ』を嚆矢とした「浅草三部作」という舞台の演出をされていますね。それはどんなお芝居だったのでしょうか。最後に観劇には遅れてきてしまった者に是非、教えていただきたいのですが。

瀬川:あれはねえ、ぼくがよく使っていた大部屋の俳優さんで村山達平君っていう人がいるんですよ。劇団昴かなんかを出た、すごく熱心な男で。彼の友人がバブルですごいお金持ちになってお金を出してくれるっていう話になって、じゃあ芝居をやろうよっていうことになって。それから、呉恵美子っていう女優もぼくはよく使っていたんですよ。松竹の子役で、ほんと子供のころから。呉くんもそういう芝居をやりたいっていうことで。大部屋に近い連中が芝居をやろうっていうんで。それでまあ、はじめたんです。ぼくも浅草の小屋の芝居が好きだったから。浅草を舞台にして。
 脚本も書いて。あと、もう亡くなっちゃいましたけれども、加瀬(高之)くんっていうライターが書いて。
 はじめ、戦前なんですよ。浅草の小屋で、映画がサイレントからトーキーになって、弁士がいらなくなって、伴奏していた楽士もいらなくなるっていう時代で。その時の小屋で二本立てでやっているショウの方の一座の話を書いたんですよ。で、菊田(一夫)さんの浅草ものっていうのをちょっとヒントでいただいたんですけど。そこに、家出をしたお嬢様が座員になりたいって言って来て。警察に追われてるアカを、前田吟さんの息子で、前田淳くんっていうなかなか芝居の感度のいい子なんですけれども、そういう連中を集めて芝居をやったんですよね。
 それで結構評判がよかったものですから、続編ということで、戦時中の不況時代に浅草の劇団が巡業に出かけるっていう、で、ドサの小屋を舞台にしたドラマを1本書いたんです。
 東北の「帝国劇場」っていう劇場で、本当に客の入らない掘っ立て小屋で。で、座長がエノケンさんの弟子だったっていう設定にしてあるんですよ。実際にエノケンさんの弟子で、女エノケンって言われた武智豊子が半分モデルになっているんですが、それを呉くんがやって。彼女の出演している劇場の小屋主のおやじが不況のあまりそこに出ている女の子たちを自分の経営しているキャバレーの女給に出せっていう要求を撥ね退けてね、その代わり東京からエノケンさんを連れてきますって言っちゃうんだよね。そうすると、当のエノケンさんが最後来るんですよ。それが、2話目で、「男の花道」みたいなやつなんですよ。
 3話目は、戦争中でもう舞台を踏めなくなっちゃった女座長のところに女ばっかりの慰問隊を結成して上海の陸軍を慰問に出せっていう命令が来て、また舞台が踏めるっていうんで大喜びするんです。その仲介をしたインチキなマネージャーみたいのがいて、その頃本当に芸があるプロはそんなところに行くのは嫌だといって人が集まらないんで、浅草で焼け出されたズベ公たちを、上海に行けばうまいものが食える、好きなものが買える、と言ってだまして、元松竹少女歌劇団っていう触れ込みで連れて来る。それを管理している情報局の役人が徴用された素人で、女優の名前も知らないのをいいことに、彼女たちを押し付けてドロンしようとする。ところが、それが出発前にバレてしまう。そうすると、情報局の役員っていうのは、どうでもいいから人数だけあわせてくれと言い出す。仕方なしに足りない分を、そこに関係しているおばさんをふたり、ヤマトナデシコとかっていう芸名の女芸人にして絡めて。それで、上海に行くと、上海の兵隊っていうのは、芸がどうであろうと、女の子が来て小学校の唱歌を歌うっていうだけで感動しちゃうっていうんですよ。そうすると何にもわからない女の子たちが逆に感動して芸人意識にめざめちゃって、もっとしっかりやらなきゃ、って。そうなった時に、女の子たちがニセだっていうのがバレて。軍に連隊長にも慰安にひとり出せって言われて。その中にアタマのトロい子がひとりいて、その子が主役なんですけれども、「なんでも天皇陛下のためになりますか」っていうのが彼女の基準でね。その子が慰問に行くんですよ。そうすると、連隊長とはかみ合わなくて、へどもどしちゃって、そうこうしているうちに終戦になっちゃうっていう、そういう話なんですよ。
 それは結構評判がよかったんです。主演は、『デパート!秋物語』(TBS製作、1992)で使っていた中里博美という東宝の女の子でねえ、すごくいい芝居をして、その年の東宝の演技賞だかをもらったんですよね。その三作を舞台でやったんですよね。

──お話いただいた筋書きのなか、グレンミラー楽団の「イン・ザ・ムード」の軽快なリフの躍動を 彷彿とさせるような、役者の方々の肉体の弾むさまが目に浮かんでくるようです。本日はどうもありが とうございました。

(インタビュー・構成:寺岡愉治、資料提供:村山竜平)

[完]

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<公演データ>

瀬川組公演 『東京・浅草・キネマクラブⅡ 花村豊子一座旅日記』
公演日:1992年9月23〜30日/会場:シアター・V・アカサカ
作・演出:瀬川昌治/脚本:加瀬高之/音楽:義野裕明/振付:灰原明彦/美術:北川弘/監修:瀬川昌久
舞台監督:大本周平/舞台監督助手:増田義彦/照明:尾村美明/音響:飯田博茂/制作:村山竜平
結髪:丸山澄江/殺陣指導:深作覚
出演:呉恵美子(花村豊子役)/矢尾一樹(村尾一郎)/辻三太郎(松山天童)/村山竜平(大滝信造)
前田淳(前島洋)/飛鳥裕子(飛鳥京子)/駒けんじ(エノケン)/谷本小代子(秋葉民江)/木村修(秋葉増造)
工藤ゆかり(九条まゆみ)/一見直樹(東野)/寺岡里佳(原口八重子)/永沢あゆみ(秋川みゆき)
藤富真知子(松野照子)/伊藤葉子(石丸リエ)/大田沙也加(石丸美和)/永島和恵(内海きよ)
小坂恵子(榊原真紀)/藤本美奈(大森和枝)/柏木たかし(本木・持田)/福留美幸(木所・カメラマン)
友情出演:千葉繁(秋葉増造)/銀河京(踊り)

瀬川組公演 『東京・浅草・キネマクラブⅢ 紅弁天部隊上海へ行く』
公演日:1993年9月24日〜28日、10月10日〜12日/会場:シアター・V・アカサカ
作・演出:瀬川昌治/脚本:加瀬高之/音楽:義野裕明/振付:灰原明彦/美術:大田創/照明:尾村美明
舞台監督:大本周平/舞台監督:吉田タカシ/音響:飯田博茂/小道具:鈴木廣二/結髪:丸山澄江
制作:村山竜平/太鼓・振付:小野里元栄/作詞:楠木千尋/タップ指導:杉本幸一
太鼓基礎指導:河乃裕季/方言指導:川本いずみ
出演:呉恵美子(花村豊子役)/矢尾一樹(村尾一郎)/村山竜平(山上龍造)/谷本小代子(谷小百合)
駒けんじ(エノケン)/沢田健(松山天童)/李媛(李香蘭)/中里博美(春野さくら)/仲良太郎(参謀)
南咲也子(張花苑)/山崎あかね(亀山うさぎ)/藤冨真知子(神島恵子)/伊藤葉子(藤山キン)
寺岡里佳(藤山キン)/保正美和(藤山銀子)/岡壁裕美(藤山銀子)/呉めぐみ(麗玉)/永島和恵(麗玉)
溝口珠緒(麗華)/小坂けい子(麗花)/一見直樹(市川大尉)/橋本淳(市川大尉)/福留美幸(唐木一等兵)
柏木タカシ(藤木一等兵)/泉見洋平/浜野志乃
友情出演:篠井也津子
特別出演:橋達也(松下武)/大和なでし子(小山うめ)/平凡太郎(連隊長閣下)

注:第一回公演の資料が入手できなかったため、第二、第三公演のみのデータしか掲載できないことをお詫びいたします。また、データ中で役名が重複しているのはダブルキャストです。

06 Feb 2008

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