芦澤明子インタビュー vol.3

インタビュー

7.HD撮影──『オーバードライヴ』、『LOFT』

──『オーバードライヴ』(2004)は東京と青森でトーンを変えていますよね。

芦澤:そうですね。東京のほうはグリーン系を多くして、わりと普通のビデオの感じで撮って、青森のほうは比較的グリーン系を少なくして黒を締める、という対比を強調しました。筒井武文監督から「不思議の国のアリス」というヒントをいただいていたので、現実的なものに囚われずに何でもありだと考えていました。
 あれはHDで撮って、フィルムに変換したものなんですね。HDからのフィルム変換がはやり始めた頃で、みんなフィルムっぽいトーンを狙っていたのですが、そうじゃなくてHDにはHDの表現領域があるんだ、ということを目指しました。HDで撮影するとフィルムで撮るよりも照明の量が少なく済むから楽だろう、とプロデューサー・サイドも考えていたんですけど、HDをフィルムとは別のHD固有の表現能力のあるメディアとして成立させることを考えると照明の量もかえって増えてしまいます。プロデューサーも「こんなはずじゃなかった」と驚いていましたね。一般的にHDというのは光量が少なくてできるだろう、と思われているのですが、HDのよさを引き出すにはライトがこんなに必要なんだよ、ということを主張することになりました。ものすごい数を使いましたからね。

──『オーバードライヴ』と『LOFT』は同じソニー製のシネアルタですが、その2作の間でHDそのもののクオリティというのは変わったのでしょうか?

芦澤:ええ、もう。日進月歩しています。

──同じHD撮影でも照明が多く使われた『オーバードライヴ』と『LOFT』では撮影的にも随分違うのでしょうか? さきほど出た「窓」ということでいえば、中谷美紀さんの仕事部屋というのは複数の部屋が開けっぴろげになっていて、大きな窓に囲まれているためにデイシーンでは外光があらゆる方向から部屋に入り込んできます。安達祐実さん扮する幽霊(?)が現れたとき、中谷さんは何度も振り返りつつ、部屋から部屋へと動くことで彼女の顔や体に当たる光が逆光になり、また順光になり、と随伴するキャメラ動きと相俟って画面に複数の運動感が出ているのが、非常にすばらしいと思いました。

芦澤:もちろん『LOFT』でも常識的な範囲での照明機材の量はあったわけですが、天候の変化が激しく対応しきれませんでした。流動的な雲の動きをどう読むか。あとは、気合いです。あの時も少し前までは曇天だったのですが、もしそのまま曇天で撮影したとしたらまた違う印象になっていたでしょう。時間的な制約もある中で、自然の光を上手くコントロールできたと思います。もしフィルムで撮っていたとしたらもっと落ち込んだ映像になっていたかもしれません。『LOFT』は本当に天候に恵まれたのですが、窓外が白く飛びそうなときに、フィルムではできないHDならではの微調整をかなりしました。またフィルムと違って現場にVEさんがいるということは、現像所が現場に来ているのと同じようなことです。VEの鏡原圭吾さんのセンスと能力をうんと発揮していただきました。

──その点、同じHDらしさということで照明を多く焚いた『オーバードライヴ』との違いはどうだったのでしょう。

芦澤:『オーバードライヴ』の場合は外で撮る場合も場所を「セット」化して撮っています。何といっても「不思議の国のアリス」ですから。全部作り込みました。だから太陽に反するようこともやっているわけです。それが狙いであるので、それだけ照明の比重は大きかったです。『LOFT』の場合はロケセットの広さに限りがあって、照明を沢山持って行けばよいというわけではなかったので、その場所の光を活かす方向で考えました。それでも光の明暗のバランスが追いつかない場合はさきほど言ったHDの特性を活かして調整をしました。

──『LOFT』のほうに戻ると、東京が舞台の屋内シーンの窓は全面ブラインドがおちているか、逆にまったく遮光されていない状態。いっぽう緑沼の豊川悦司さんの館は半透明の磨りガラスのような窓ですよね。

芦澤:ええ、そこは美術部さんが汚したりして頑張りました。あの窓を通して恋愛があるわけじゃないですか。だから窓越しに奥が見えるような見えないようなああいうものじゃなきゃいけないだろう、というのが監督はもちろんスタッフの中にもあったんです。窓には緑沼の緑ではないですけど木の緑が程よく入って、といった感じ……あれがまずベースにありました。奥をどれくらい感じさせるか、その点で緑の見え方をどうするかというのは皆こだわってやっていきました。この窓の汚し方をやり直してみて、とか。ビデオを使って写り方を試したりとか。
 東京の編集部はよく見ると蛍光灯がついているところと消えているところがありますよね。あれは黒沢監督流の「映画としてそのシーンにぴったり合っていれば成立する」という流れの中でうまくいったところです。

──黒沢さんとの『LOFT』ではたいへん実験的な撮影方法をとられていて、メインとなる芦澤さんのAキャメラと「ある視点」と呼ばれたBキャメラとふたつ同時にキャメラを廻していますね。

芦澤:結果的にはBキャメラはAキャメラと同じ方向から撮ることになりましたけど、黒沢監督はBキャメラの位置をまったくコントロールされなくて、手持ちでも三脚を使ってもいいし、好きなところに置いてくださいと言っていました。Bキャメラには北村恵さんという女性の撮影助手(チーフ)の人が来てくれました。私からも彼女には移動車のじゃまにならないところだったらどこにカメラを置いてもいいと言いました。だから撮影ではBキャメラはまったくの放任状態。ずいぶん自由そうにやっていたので私もBキャメラをやってみたいなぁとも思うくらいでした(笑)。Bキャメラマンが彼女でよかったです。Bキャメラが自由ななかでもどこか生理が近いようなところがあって……作品ができてから気づいたのですが。

──キャメラ位置の高さについて普段どのように配慮されていますか?

芦澤:映画の冒頭におくシーンとして、なんでもない風景の実景を撮ることがよくありますけど、それをどのような高さでどのような視線で撮るかによって映画と自分との関わり方やフレームが決まってくると思うんです。だから、シーン1とかの映画冒頭の引きの画をどの高さで撮影するのか決めるは、けっこう考えてしまいます。その部分に自分自身の生理が出てくるというよりも、その作品の中で監督が何を考えているのかがもっともはっきり出てくるものだと思うからです。初めて仕事をする監督から「もう少し低く」と言われたりすると自分の作品に対する判断を考え直したりもしますね。黒沢監督からは初めて仕事をするときに「僕は夜のシーンのブルーとローアングルは好きではありません。それ以外は何やってもいいですよ」というようなことをまず言われました。
 「高さ」は非常に難しいと思います。極端に言えば、その作品のトーンを決めてしまうところがあるわけですから。

──『叫』(2006)のように役者の背が高い場合はどのような問題がありましたか。

芦澤:俳優さんが決まった段階でみなさん背が高いことはわかっていましたし、手持ちカメラでの撮影があることも監督から言われていましたので、高さを調整することについてはかなり苦労しました。浸水している家の中で役所広司さんが歩く姿をキャメラが追うシーンがありましたけど、キャメラの高さが低いと役者さんの肩口から撮っても、肩越しの奥の映像は見えないんです。手持ちカメラで撮影された映像からカメラマンの背の高さを感じさせてしまうのはイヤだったので、ドアウェードーリーという台車の上に箱をおいて狙い通りの高さになるようにしてみました。そうするとカメラがかなり揺れてしまうので、ゴムのチューブを使ってカメラを吊してみたりとかしました。これから日本人の俳優さんでも背の高い人が多くなってくるでしょうから、屈強ではない私みたいな身長のキャメラマンが手持ちをするときには、皆そういうことで悩むんじゃないでしょうか(笑)。

──画面のサイズについてはどのようにつくられていますか? 画面の切り取り方や被写体との距離感とも深く関係しているようにみえるのですが。

芦澤:それと周りの空間をどう見せるかですね。フレームの外にあるものをどのように感じさせるかです。私は画面の余白にあるものを大事にしています。
 現実に大きな広がりを持つものを切り取った映像は、なぜかたいてい物足りなく感じるものなんです。たとえば大平原の広大さに圧倒されて撮った映像はだいたい現実よりもつまらないものに感じられます。そこに広さは感じられません。広がりを描くことは何年やっていても難しいことです。


8.『叫』

──『叫』では画面に赤が連鎖していきながら、それのまわりにある風景や土地そのものもしっかりと呼応したかたちで映像に収められていたように思います。

芦澤:『叫』の台本を読んだ時その行間に書かれている「空気」は感じ取っていました。俳優さんたちとは別のもうひとつの主役が東京湾岸という「場所そのもの」なので、それをどのように表現するか。美術監督の安宅紀史さんはそのあたりを十分理解した上でセットを組み、小道具を配置してくれたおかげであのようになったんです。監督ははっきりと言葉ではおっしゃられないけど、すべてのスタッフが黒沢監督の意図されていることにたいして応えた結果が、あのような仕上がりになったのだと思います。

──赤い色がまず目に飛び込んでくるのは女優たちの衣装でした。先ほど、衣装合わせの時に監督の意図を知るヒントが見つけられるとおっしゃいましたが、『叫』の衣装合わせの時はいかがでしたか。

芦澤:そこが不思議なのですが、『叫』では赤を強調した衣装合わせをしてはいないんです。今考えてみると、黒沢監督はむしろそうすることによって撮影時に赤を目立たせられるとお考えだったのかな、とも思います。映画の後半で出てくる小西真奈美さんの花柄のドレスには具体的な指示が出ていたので、黒沢監督の中ではあらかじめ計算できていたのだと思います。ただ、もし監督が撮影の前に好みをあんまりはっきりと言ってしまうと、スタッフが考えなくなってしまうでしょ。黒沢監督は作品に対してのスタッフの想像力をどこまで広げさせることができるのかを考えていらして、時々、私たちスタッフに想像力を発揮できるキーワードを言ってくれるんです。

──『叫』にも主人公の自宅室内シーンがありますが、『LOFT』と比べて違ったところはありましたか?

芦澤:『LOFT』の場合はすべてロケセットで撮影しましたので、光のコントロールは自然を味方につけるわけです。まず太陽ありきです。『叫』では役所広司さんが演じた吉岡の家は東宝のスタジオ内のセットで撮影して、そのほかはロケセットでした。スタジオの撮影で怖いところは、すべてがつくれると考えて進めていって、結果的にいかにもスタジオで撮ったような映画に仕上がってしまうことです。そこには十分気をつけました。今回は市川徳充さんという若い照明技師さんとご一緒して、彼はミックス光が大好きな方でしたので、うまくいったと思います。

──『叫』では窓そのものから入ってくる光がとても強いですね。

芦澤:その強い光のおかげで逆にセットで撮られたことをわかりにくくできたのではないかと思いますね。弱い光だといろいろなものが見えすぎてしまうから。考えてみると『LOFT』も『叫』も窓の話ですね。

──VFXでいえば人が飛び降りるシーンがワンカットで撮られていました。黒沢さんはワンカットのなかでその出来事が紛れもなく起こったのだ、というかたちでVFXなどの技術を映画に使われることがあると思います。
 『回路』(2001)にも同様のシーンがあるのですが、『叫』の場合は飛び降りる高さが高さだけに最初観たときにはVFXなのか本当にワンカットで落ちたのか正直分かりませんでした。

芦澤:屋上から人が落ちるシーンは、監督の狙いで手持ちカメラで撮ったように揺れているんですよね。あれは、(本番のテイクとは別に)同じ場所で同じようにわざと手持ちで撮影しておいて、その軌道を合成しているわけです。手持ちの感覚をデータ化して、それによって画面が揺れるようにあとで加工しました。さきほどの移動撮影の話ではないですけど、どのような要素を映像に加味するかを考えた結果です。あれが三脚に据えて撮っただけの、カチッとしたキャメラの追い方だと自然には見えませんよね。

──葉月里緒菜さんが登場するシーンもたいへん作り込んでいますね。

芦澤:彼女はこの世の存在ではないということで、映像にはいろいろと効果を足してます。メイクとライティングには相当こだわりました。人間でもなく「あちらの人間」でもない感じを出して、しかも身の毛のよだつように美しくしたかったのです。

──葉月さんが登場するシーンでは、彼女が接近してくるところに光を当てているだけですか。

芦澤:そのシーンはCGを使ったのではないかとみなさんおっしゃいますけど、現場で彼女の移動に添って現場でライティングしています。照明の市川さんもそういう「変なこと」をするのが好きな人だったので波長があいました。
 黒沢監督の場合はここぞというところにはCGも使いますが、アナログでやれるところはできるだけアナログでやっています。葉月さんの出てくるところなど可能な限り現場でやろうという強い意志を感じました。

──葉月さんの口元にも部分的に特殊な光を当てていたのでしょうか。

芦澤:もちろん口元にも光を当てているのですが、少しだけCGの助けを借りました。CGはよい意味での味付け効果として使い、基本的には現場で作り上げることが多かったです。

──『叫』の過去の回想にあたるシーンで船上から廃屋を撮影されていますが、そこでの粗さのある映像はポストプロダクションで加工がくわえられたものですか。

芦澤:私としてはあのような映像こそ8ミリで撮りたかったくらいです。でも実際は35ミリで撮影したネガをポジに焼き、そのポジからネガを焼いて再びポジを焼くという作業を2回くわえてあのような仕上がりになりました。東京現像所のタイミング広瀬亮一さんは作品の狙いをよくわかってくれたので、とても仕事がしやすかったです。現像所の方たちとの信頼関係はとても大事です。


9.HDとフィルムそれぞれの特性

──最近の映画では35ミリで撮ったのかそれともHDで撮ったのかちょっと見ただけでは区別できない作品もありますね。

芦澤:いま、HDで撮影しフィルム化されたどこかツルっとした映像が多くなっています。逆にフィルムも軟調のフィルムが多くなってきているので、気をつけないとHDのようなテイストになってしまいます。『叫』では『UNloved』と同じような発想でそれがフィルムの持ち味である粒状性を強調させました。
 また、DVD化するためにフィルムをテレシネする時も、フィルムタッチをどうデジタルで表現するかにこだわります。『叫』のDVD化の作業ではあの粒子状のフィルムの質感をどう残せるか、ということで徹夜作業になってしまいましたね(笑)。『叫』のような作品だと、家庭でDVDを見る時に部屋の電気をつけて見るかそうでないかでずいぶんと違ったものに見えるじゃないですか。どのような環境でDVDが見られるのかはわからないのですし。

──HDが広げた表現領域とはどのようなものだとお考えですか。

芦澤:『叫』ってフィルムっぽいと言われることが多いですが、HDから得たヒントも活かされている映画だと思います。HDではフィルムっぽく仕上げるのが主流ですが、逆にHDの特性をフィルムにフィードバックするのもありかなと考えたんです。例えばコントラストの付け方なんかがそうですね。また、HDをフィルムに近づけるにしてもフィルム以上のものが出てくるわけはないですから、それならば独自のよさを追求するのよいんじゃないかと思います。HDには撮っている現場で調整がきくという利点があります。光を飛ばすことも簡単にできます。空の映像が飛びすぎていることは、してはいけない悪い例だと元来言われてきたんですけど、私は空を飛ばすのが大好きなのでどんどんやっています。ただ心配しているのは、HDでもフィルムでも誰が撮っても技術的に失敗しない「使いやすい」安全なものになろうとしている傾向があることです。HDやDVで撮る気軽さがフィルムにも求められている傾向なのかな、と思います。それはそれでいいことですが、失敗して学ぶということも大切だと思います。もっとも失敗を許されない現場になってきていることを思うと「撮影所が機能していた頃」がうらやましいです。
 デジタル技術の進化は日進月歩でして『LOFT』も仕上げ期間中にキネコ(デジタル信号をフィルムに置き換える作業)のマシーンが改良され、狙いに近づくことができました。ただ、一般論として考えればHDはフィルムに近づこうとして、フィルムはHDに近づこうとしていて……もうちょっとそれぞれの独自性を大事にして欲しいと思います。

──最近芦澤さんはDV、HD、8ミリといった多様なメディアを使った仕事をされていますね。

芦澤:日本はデジタルの聖地ですから、発展していくのは当然だと思います。けれども選択肢は広いほうがよいと思います。若い監督さんたちがいろいろな場面で選択肢を狭められているのはよくないと思いますね。私が「フィルム文化を存続させる会」[*8]に加わっているのはそのためです。


10.キャメラマンとしての「闘い」

芦澤:「日本映画バブル」と呼ばれる時代の中で、黒沢監督をはじめ作家性の高い作品を作り続ける監督さんたちの仕事も、それ自体ひとつの「闘い」なんだなと日々感じています。プロデューサーや出資者からは「もっとわかりやすく」とか「もっとみんなが楽しめるように」とかいろいろ意見が出される中で、上手に選択しながら作品を作り続けていく。譲れないところは譲らない……これってひとつの闘いですよね。

──同じくキャメラマンとしての「闘い」というのもあるのではないでしょうか。

芦澤:そんな大げさなものはありません。しかし、例えば、スタンダードサイズで映画を撮ったとしてもそれをきちんと上映できる映画館がほとんどないんですよ。シネコンにはスタンダードサイズを上映できるレンズさえその設備にはありません。映画バブルで映画館の数はたくさんあるんですけど、映画を撮ることの自由さが増えたように見えながらその選択肢はどんどん狭まっているように感じます。画一的な映画だけが撮りやすいようになっている現状に対して闘わなくてはならないのではないか、と思います。8ミリに関しても何も言わなければもうとっくになくなっていたはずなので、そうしたメディアを残していかなくてはなりません。
 1:1.66のサイズで撮られた映画がフレームの頭が切れたかたちで上映されているのに、それに対して多くの人が違和感を覚えていないのを見ると、作り手側の人間として、「これでいいのか」と強く感じます。

──いろいろな規模の大きさの映画に関わっておられるのもそのためですか。

芦澤:規模の小さい映画から学ぶことは多いですよ。そこではスタッフの仕事が撮影部・照明部と厳密に分かれてなくてゆるやかに掛け持ちだったり、それほど撮影の経験を積んでいない人と一緒だったりするので、光の作り方にしてもより具体的な言葉で指示を出さなくちゃなりません。こちらとしては、とても勉強になるのです。

──撮影所時代の映画はやはり現在ではいろいろな意味で再現不可能な部分があると思うのですが、それを踏まえて現在、映画を作る上で例えば成瀬巳喜男をはじめとした過去の作品から学ぶべきところや違いはどういうところにあると思いますか。

芦澤:俳優さんたちの存在感や素晴らしい演技を引き出す力がまず違いますね。それと同時にモノクロの映像で撮影するだけの技術の蓄積が私たちにはないと感じます。加えて、女優さんたちをどう美しく、魅力的にとらえるか。学ばなくてはいけないところが沢山あります。今までの話の中で芝居についてあまり触れていないですけれど、芝居をどう撮るかが、映画の基本であって、先人たちの作品を観ると私はあと100年やっても追いつけないような気がします。

──撮影所なきあと芦澤さんらの世代はその技術を自力で身につけられていったわけですね。

芦澤:ノスタルジックになって言うわけではありませんが、すべてフィルムで撮っていた時代はフィルムのアパチュアにほんの小さなゴミが入ってしまっただけでも撮影部にとっては大事件で、撮影の助手さんたちはより入念にカメラを掃除したり整備したりしたものです。ところがデジタルの時代になると、それよりも重大なことが起こっていたとしても、デジタルだからこんなものということで我慢してしまうことあります。ほんの小さな傷でラボからガンガン言われて、扱いに神経質になっていたフィルムの時代と比べると、その神経の使い方に大きなギャップを感じます。デジタルの功罪の「罪」だと思いますね。技術的な面ですこしずつゆるい方向に流れていっていることを危惧してます。
 今キャメラマンになろうとしている若い人たちもフィルムの仕事をやりたがっている人が多いのですが、まだ経験を積んでいない人たちにはDVやHDといった手軽なメディアの仕事しかオファーされなくて、そこではフィルムの経験を蓄積できないのでフィルムの仕事からますます遠ざかる。これもまた気の毒なことで何とかしたいです。今後、古典芸能のように(笑)一部の人だけフィルムで撮っているようなことになってしまったら、それこそ表現の衰退です。

──それでは希望はまったくないのでしょうか(苦笑)。

芦澤:やはり映画学校をはじめとした場所で若い人たちがフィルムで撮影することのできる機会を増やして欲しいということです。デジタルの作品が増えているから、学校でそれを教えるというのではなく、デジタルの仕事が増えているからこそ、学校ではその基本となるフィルムをもっと教えて欲しいです。
 先日、東京藝術大学映像研究科の卒業制作作品を少しだけ見させてもらいました。最初から全部を観たわけではないので、作品の面白さという意味での評価はできませんが、35ミリフィルムで撮られたその作品はもう一度じっくり見直してみたいと思わせる力のあるものでした。藝大はフィルム撮影の教育にも非常に力を入れているようですね。そういった中からDV、HD、フィルムというメディアを軽々と横断することのできる若い才能が出てくるのではないかと期待しています。


[終]


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[脚注] *8.「フィルム文化を存続させる会」
富士フイルム社製シングル8フィルムの生産維持、フィルム文化存続のための社会的アピールおよびインフラストラクチャーの整備を活動目的にして2006年に発足された団体。ジャンルを超えた様々な映画人たちが発起人・賛同人として参加している。URL:http://filmmover.exblog.jp/http://filmmover.exblog.jp/

12 Sep 2007

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