芦澤明子インタビュー vol.2

インタビュー

4.ピンク映画からテレビ・コマーシャルの世界へ

──伊東英男さんの助手につかれてしばらく映画をやったあとにテレビ・コマーシャル撮影のほうに移行されていきますが、どういった経緯だったのでしょうか。

芦澤:ある時に、テレビ・コマーシャル(以下「TVCF」)のほうで人手が足りないということで撮影に呼ばれたんですよ。私もピンク映画のなかである程度経験を積んできたので問題はないと思っていたのですが、東北新社に行ったら、見たこともない機材が山のようにあって、自分が撮影部を1年もやっていたのにまったくその機材の扱い方が分からなかったんですね。それはとてもショックでした。そういった経験から新しい機材などを覚えたいと考えて、ピンク映画の量を減らしてTVCFの仕事を増やしていったのです。ピンク映画でそのまま助手について続けていれば、もっと早く撮影者としては一本立ちできたでしょうね。
 それにTVCFというのは歴史が浅かったので、男性・女性の壁があまりなかったんですね。業界自体が生まれたばかりで、上からこうやれって言われることもなかったし、いろいろ自由にできました。ですから、非常に居心地がよく、どっぷり浸かっていったんですよ。  幸せなことに、その頃はTVCF業界がこの世界で一番元気があったので、いろいろな才能のある人たちが集まってきて、瞬時に作品を作るというかんじで刺激的でした。

──さきほど名前のでた森田芳光さんもTVCFを作っていましたし、撮影監督の坂本善尚さんも大林宣彦監督と組んでたくさんのTVCFを作ったそうですね。

芦澤:ええ。今、一番元気がある若い人たちがどういう場所に集まるのかは分かりませんが、その当時はTVCF業界がそういうところだったんです。

──姫田真左久さんが時代の流れからかつて撮影所で学んだようには技術の伝承ができない、という問題意識から「グループ動」という撮影助手の集まりを作られていましたが、芦澤さんもそのような時代の流れというのは感じていらっしゃいましたか。

芦澤:ひとつの時代が終わって、また新しい時代が始まるというのは感じていました。技術の習得ということでいえば、当時のTVCFの魅力というのは映画だったらなかなか使えない新しい撮影機材や特機[*1]をどんどん試せたということです。新しい機材を使うことがひとつのステイタスみたいな雰囲気でしたから。あるディレクターには「セットを組むよりもでかい家に住むようにならなければクリエーターとして一流じゃないよ」、なんて言われるくらい(笑)、ぜいたくなところでした。
 私が撮影者として一本立ちした一番最初の仕事が「週刊住宅情報」のTVCFだったんですよ。ディレクターは川崎徹さんでした。川崎さんっていうのは切れ味鋭い演出をされて「ミスター・コマーシャル」という感じだったのです。その上、すごく仕事が早くて、あっという間に終わらないと気が済まない人だったんです。私は新人だから、すごく心配してドキドキしていたら、「芦澤ね、人をフルサイズで撮るときにね、頭を切ってしまうようなサイズでは困るけど、頭さえ入っていればいいよ。僕が編集でなんとか繋ぐから」っておっしゃったんですよ。このひと言のおかげで平常心で撮影にのぞめました。他に川崎さんから言われたのは「同じカットじゃないカットで繋がらないカットはない」ということでした。「カットが繋がらないけど大丈夫でしょうか?」と聞いたときに平然とそう言われて。出来上がりを見ても実際そうでしたから。ですから、今でも悩んだときは「同じカットでないもので、つながらないカットはない」って考えちゃうんですけど(笑)。

──劇映画『よい子と遊ぼう』(1994)以前はTVCFメインで映画にまったく関わらなかったのでしょうか。

芦澤:TVCFの仕事がとても忙しかったので(笑)、関わるどころではなかったんですけど、いつか映画をやりたい、という気持ちはありました。

──映画界の人材がTVCFに流れたりまた戻ったりといった、映画とTVCFの間に人の行き来はあったのでしょうか。それとも完全にそれぞれ分かれていましたか。

芦澤:かなり行き来はありました。映画をやっているキャメラマンや撮影助手さんでも、TVCFの仕事をやっていました。キャメラマンの中堀正夫さんは、TVCFの仕事で大忙しながらも、映画『帝都物語』(実相寺昭雄監督、1988)、『歌磨呂 夢と知りせば』(同監督、1977)などの作品を次々と撮っておられました。撮られた映像のすばらしさのみならず、そういう仕事ぶりに憧れておりました。

──中堀さんは他にも『幻の光』や『鏡の女たち』(2003)などの撮影を担当されていますが、TVCF時代にすでに何かしらの接触はあったのですか。

芦澤:話は前後しますが、ピンク映画の撮影助手をやっている時、映画『無常』のスタッフにどうしても近づきたくて、つてをたどって「コダイ」へ辿り着きました。「コダイ」は実相寺昭雄監督を中心にした制作集団です。そこでATG『あさき夢みし』(実相寺昭雄監督、1974)を撮ることを知り、なんとか見習いでつけて欲しいと頼み込んだのです。その時のキャメラマンが中堀正夫さんだったのです。技術レベルの高い撮影部の中で、どうしようもない見習いでした。結局、撮影が終わった時点で自分から引いてしまって……。もっと食いついていたら、映画撮影への道はもっと近いものになっていたはずです。とはいえ、その後もこちらから押し掛けては、いろいろ教えていただいています。

──80年代にCM業界で働いていたときは同時代の映画を観ていらっしゃいましたか。印象的な作品があれば教えてください。

芦澤:『火まつり』(1985)は非常によくて何度も観ましたね。やはり、田村正毅さんのキャメラの移動の仕方というのはすごいなぁ、と思いました。あの作品は森とか非常に行きづらいところで撮っているじゃないですか。あと、札の辻(ふだのつじ)という五叉路のようなところに村の人々が集まっている場所がありました。その人たちをさりげなく撮りながら、ふっと気付くとものすごい移動で違う視点から撮っているというところなんかは非常にびっくりしました。もちろん物語も面白かったのですが、どうやって撮っているのか、そこを研究しました。まだ六本木シネ・ヴィヴァンがあった当時で、朝一の回はだいたい観客が3人とか5人程度でした。何度も通いましたね。
 映画のフィルムの現像には、標準・増感・減感[*2]があります。『火まつり』は減感を全面的に使った表現が特徴的で、減感っていいな、という印象はそのときに持ちました。あの暗い森が日常的な見え方ではなく森全体が生き物のように見えました。どうやって森の中を撮影したのか本当に知りたくて飲み屋まで聞きに行きましたが、教わったのは酒のほう。だいたい人に聞こうなんて考えが甘いですよね。


5.移動撮影、手持ち撮影

──同時代の海外のキャメラマンはどのようにご覧になっていましたか?

芦澤:クリストファー・ドイルの手がけたウォン・カーワイ作品が鮮烈でした。大胆な移動撮影、手作りのフィルターでつくられた色彩の映像とか。彼は手持ち撮影を得意としていますが、それに深く関係しているのはキャメラマンの身長、長身のクリストファー・ドイルの視線の高さなのだと思います。キャメラマンの身体が映像に影響を与えている。たちかえって私の場合は、手持ち撮影をするにも身長の高さがきびしいなあと感じたりすることもあります。あと、手持ち撮影のことでいえば、ロビー・ミュラーが『奇跡の海』(1996)でたいへん複雑な撮り方をしているのを見たときにも驚かされました。まるでキャメラ自体にひとつの配役が与えられているかのような、人格的な動きをさせますね。
 きちんと三脚をたてて撮っていて、じゃあ、ここから手持ちなのかとか、ここからステディカムなのか、あるいはレールなのか、という判断は難しいです。やはり映画の文脈を変えてしまうわけですから。ずっと同じスタイル・パターンで撮影していれば、それはそれできちんとしたものにはなるんですけど、まとまりすぎてしまう部分もあります。やはり、ここからの移動をなんで移動するのか、どうすればその作品に相応しいかということを考えます。

──同じ移動でもレールを敷くか敷かないかといった判断にも関わるわけですね。

芦澤:当然のことですが予算とか時間とかいった物理的な制限から考えるのではなく、その作品には何がいいのか、と考えます。単に安定した画面の移動がいいから、ステディカムを呼べばいいのか、多少画面が揺れていてもここは手持ちでやるべきなのか、というようなことを考えますね。またその次のカットをどうするのかというのが重要になってきます。
 例えば『奇跡の海』みたいに全編、手持ちで撮影するという一貫したものもそれはそれで大変だと思いますし、(その手法を選択した)勇気はすばらしいと思いますけれど、いろいろな要素の入った撮影は、どこでどういった撮影技法を選択するかと考えるのが楽しくもあり、難しくもあります。また私が手持ちだと思っても、監督がレールを好んだり、その逆のケースもあります。そういうやりとりが面白いです。

──やはり映画を見始めた頃の『無常』や『暗殺の森』の移動撮影や、80年代に何度も観たという『火まつり』のキャメラの動きといったものが、ずっと芦澤さんのなかで熟成されてきたということでしょうか。

芦澤:ええ。そうですね。

──それらの映画の移動はどちらかといえばスムースな移動が多かったように思うのですが。

芦澤:動きのあるところはレールでスムースなものを目指すのか、そこで違うものを入れることによってカットごとに火花が散るようなものを目指すのか、といったことですね。どういう火花の散らせ方をするかということ。例えば黒沢監督の『LOFT』(2005)じゃないですけれども、小さいキャメラを使うというのもひとつの方法ですし、いつもいつもスムースな映像であればいいということではないですよね。最初の頃はスムースなものがいいなぁ、と思っていましたが、最近はあえてリズムを壊す、という意味での移動という選択もあるな、と考えています。そういう意味では『火まつり』と同じ田村さんの撮影で『ウンタマギルー』(1989)はかたちにこだわらないというか自由奔放だけれどもいろいろな要素も詰まっているという感じがして好きです。私は撮る人の感覚が自然に出ているようなものを好みます。『ウンタマギルー』の撮影は非常に膨らみがあって、観ているだけも飽きないし、いろいろと学べます。
 ステディカムがあまり好きではないのは、多分、身体的なものがないんですよね。安定感にいってしまうじゃないですか。でも、身体感覚というか揺れたりとか、想像外のものが出てくる、そういったことを大事にしたいな、と思う時には、いわゆる見苦しいというところが多少あっても手持ちの撮影を選択したりします。
 ただ、近頃は手ぶれというのが視聴者の不快感を誘うので、激しく揺れているものをオンエアするのはいかがなものか、という話がどうもTV局内ででているらしいんですね。それってすごく表現の間口を狭めてしまうし、画一性が求められているようで嫌な話だなと思っています。4月にクランクアップした廣木隆一監督の映画の撮影でも、ラボの人に「この揺れは大丈夫ですよね」と言われて、最初は何のことか理解できなかったんですけれど、そういった事情があることを知ってショックでした。

──芦澤さんの劇映画の最初の作品である『よい子と遊ぼう』では冒頭の塾のシーンから手持ちの移動があり、電器屋のシーンでもレールの移動が多用されていて移動撮影への好みが初期から出ていると思うのですが、『サンクチュアリ』(2004)にしろ『刺青 堕ちた女郎蜘蛛』(2006)にしろ、ああいった揺れる映像というのは、芦澤さんのキャリアの中でも最初からあったものではないような気もしますが。

芦澤:それは作品の内容にあわせてどうしようか、と考えた結果ですね。私の生理・身体感覚とイコールかどうかは分かりませんが、やはりキャメラマンは作品ごとに変貌したいなと思っているので、『サンクチュアリ』ではそういう手法を選択したということです。ただやっているうちにだんだんと身体感覚の一部になってしまうところはありますよね(笑)。

──瀬々敬久さんの『ユダ』(斉藤幸一撮影、2004)と『サンクチュアリ』という2作は同じパナソニックのDVキャメラを使い、ロケ地も関東近郊で撮られていて、性同一性障害であったり、同性愛者といった登場人物たちが手持ち主体のキャメラで描かれていくわけで共通点も多いと思うのですが、両作品のルックは随分違うように思えます。『ユダ』のほうは光も柔らかく、手持ちのキャメラワークも滑らかで「心地よい」印象を受ける一方で、『サンクチュアリ』は光も冷たく暗めに押さえられていて、キャメラワークもギクシャクして暴力的で「居心地の悪い」印象を受けました。それが『サンクチュアリ』の世界に非常にマッチしていたと思うのです。もちろん監督の意図というのもあるのでしょうが、それとともに芦澤さんの志向性が出ていたように感じました。

芦澤:監督の狙いを実現しようと思って撮影しても、どうしても撮影者の身体的・生理的な部分がでます。そこが面白いわけで、やはり映像はミックスされたものですから。私としては監督の狙いをどう具体化するかということだけを考えたのですが、そこに撮影者の個性が出るわけで、そういう意味ではキャメラマンって怖いんです。監督が言っていることを現実化しようして、結果として自分が出てしまうという。ええ、やはり心地よさとか安定を壊したい、というのはあったと思います。それで極端に走ってしまうと狙いと離れてしまいますが。私としてはああいう撮り方というのは『よい子と遊ぼう』以来、久々のことだったので、結構冒険しましたね。

──例えば西山洋市監督の『ぬるぬる燗々』(1996)とか万田邦敏監督の『UNloved』(2002)とかはフィックスが多いですよね。

芦澤:こういうのが狙いなのだとはっきりしていれば大丈夫ですね。『UNloved』の場合は一度、ここは移動したほうがいいかな、と提案したことがありましたけど、そういうことはそんなに頻繁なことではなかったです。監督がものすごくカットを計算していましたから。

──『みすゞ』(2001)も五十嵐匠監督の狙いだというようにフィックス主体ですよね。そういったフィックス主体の映画のなかに不意に移動撮影があらわれる瞬間があると思います。『UNloved』であれば木漏れ日の中で仲村トオルさんと森口瑶子さんが並んで歩く後退移動であったり、『みすゞ』であれば林道で田中美里さんと加瀬亮さんが歩くシーンをとらえるトラヴェリング撮影と、いずれもすばらしい移動撮影があると思います。

芦澤:山口県でのロケハンの時から「ああいう移動」をやりたくて。

──ふたつとも木漏れ日のなかの移動撮影のため、光が射したり陰ったりと多様な動きが画面に出ていて非常に印象に残ります。

芦澤:(『みすゞ』の)あの場合は姉弟のあいだで愛が告白されるという設定です。監督がそのシーンをあの森でどうしてもやりたい、とおっしゃったんです。その場所には近くに川が流れていたんです。川が近くにあって、その音がとても大きいところで録音部としては、かなり条件のきついところでしたし、撮影部としてもその林道は道幅が狭く、傾斜していたので水平を保つのも大変な場所でした。でも監督がここの空気に感じるものがあるとおっしゃったので、各パートが頑張って撮影することになったんです。それで移動に関して言いますと、ステディカムか手持ちという選択肢でした。ステディカムを呼べば画面の安定度というのは絶対的にあるんですけれど、ステディカムも手持ちもどちらも嫌だな、と考えてもっと不安な感じがでる方法を模索しました。それで考えたのが、中途半端かもしれませんが、ふたつの中間くらいの振動を選んだんです。ヘリコプターの撮影などで使う耐震装置というのがあるんです。その耐震装置をバズーカという支軸につけて、そこにキャメラを乗っけて傾斜移動をしたんです。そうすると傾斜移動車自体はガタガタ揺れるんですけど、耐震装置がある程度衝撃を吸収して、揺れが中途半端で変な移動ができたんですね。さきほど話した作品のなかでどういう移動を選択するかという意味で、このシーンは自分なりの工夫ができて、非常に気に入っています。

──あのシーンでなされるふたりの会話では田中さんと加瀬さんは絶対同一カットでは写らないですよね。ふたりの受ける光もそれぞれ違いますし、あれはそれぞれ別々にまとめて撮ったのでしょうか?

芦澤:はい、そうです。あの林道がくねくねと曲がっていて、劇中でやりとりする台詞を一度に撮影できるほど移動車をひくことは不可能でした。だから映画ではふたりが長い距離を歩いているようですけど、10メートルくらいの距離を何度も行ったり来たりして撮影しているんですね。それぞれの芝居のところを、道が10メートルしかないので1カットずつ、そこで切って「はい、こちらに戻ってまた始め」という感じで。傾斜ですから降りるのは楽でもカットがかかって登って戻るのは大変でした。あそこは85ミリのレンズを使って絞りを2.8とか開放に近い数値で撮ってボケあし[*3]を利用しているから、奥の背景があまりはっきり見えないんです。しかも朝から撮影を始めてお昼頃までやっていましたから、だんだんと光の様子も変わってきて、同じ場所をふたりが繰り返し歩いているのに、歩き進んでいるように見えるのです。ですから、もう何十回も同じ場所で繰り返し撮ったわけです。あれは編集の宮島竜治さんの力にも助けられてよい感じでカットが繋がっていたと思っています。


6.光や色彩をどうするか──『UNloved』『みすゞ』

──『UNloved』はレストランのシーンが素晴らしいと思いました。黒がすごく出ていて、そこに印象深い赤い色が配置されていますよね。また喫茶店のシーンでも植木鉢の赤色が印象に残ります。

芦澤:喫茶店のシーンでは万田監督は中庭との遠近感といった空間性や奥の赤い植物が植えられた植木鉢の配置にすごくこだわっていました。それだけ色にこだわっていたんだと思いますよ。

──「赤」といえば、『UNloved』という作品全体の色彩は押さえられていると思うのですが、いま話題になった喫茶店のなかの植物鉢や仲村トオルの会社のオフィスの入り口の壁の色やりんごの色といったものが目につきました。その他も含めての色彩設計というのは監督と話をされたりしましたか?

芦澤:色彩ということでは黒色はきちんと黒くしたい、という監督の希望がありましたね。それは私が常々思っていることと同じでした。キャメラマンによってハイライト部分のとび方、中間の色彩、フェーストーン等を大事にするところがいろいろで、それが個性になるのです。私は圧倒的に黒から設計します。この作品のなかの赤色とかはっきり描かなくてはいけない色以外は、色の濁りを大事にしたい、と思っていました。

──『UNloved』では部屋のなかの窓が基本的に写らず外光もほとんど入ってきません。仲村トオルさんの部屋は赤系の色彩、森口瑤子さんの部屋は台所が青系で、ダイニングが赤ぽくなっていると思います。また台所とダイニングの開けっぴろげの境界ではふたつの光の色が混じったりするところもありますよね。あれはあえてやっているのでしょうか。

芦澤:そうですね。あれは照明技師の金沢正夫さんと相談しました。ミックス光といっても単純に赤と青のふたつの光がある、というのではなくて、赤と青の混ざり合い方というのが私にとって重要ですね。光の色が混ざりあってどういう風に濁っていくか。色が濁ることが好きなんです。金沢さんも濁り色が大好きな人なんです。色は常に透明で濁らない方がいいと考える照明技師さんもおられます。技師さんの生理もありますし。私は言い方は変ですが、「不健康」な光をつくってくれる技師さんと仕事をしたいと考えています。
 『UNloved』では、各ライトにいろいろなフィルターをつけたものが混ざっている部分を確認して、濁り色を大事にしました。例えば、仲村さんの部屋も赤ぽいといっても、やはり濁っているところがあるんです。そこにはこだわりましたね。
 それぞれの部屋の光のトーンやイメージというのは、衣装合わせなどをしているうちになんとなく出てきたものです。衣装合わせというのは重要で、監督がキャメラマンやスタッフにではなく俳優さんと話をしているときにどうしたいのか、というキーワードが見つかります。そういった言葉を拾いながら、それを具体化していくとだいたい上手くいくのではないか、と思うんです。監督が衣装に限定しながら話しているなかから、かえって見えてくるものがあります。そういったヒントというのは、万田さんに限らず俳優さんに対して監督が話をするとき、話の中にたくさんちりばめられていると思います。

──終盤、松岡俊介さんに去られてひとり残った森口さんに当たる光が青から赤に変わるといった演出がなされていました。

芦澤:あれは金沢さんが万田さんの言葉からいろんなヒントを得て、発想したものです。あの光は結構クリアなんです。あんなにクリアになっていいのかな、とも思ったんですよ。私のほうはもっと濁った世界を感じていたのですが、監督と金沢さんと話しているなかで、監督が最後は鮮明な光にしたいということで、ああいうかたちになりました。

──冒頭、雨から始まって、最後は夜が明けて朝の光に変わっていくという……

芦澤:だから結構「空気」なんですよ。冒頭の雨から朝の空気まで、というように実は「空気」の流れを表現しているのではないかな、と私は思うんですけど。

──それは芦澤さんが脚本を読んだ上で、そういったプランを立てるのでしょうか?

芦澤:作品によって違いますが、『UNloved』の場合は確か脚本家から「空気」というキーワードが出たんですよ。「空気」を表現できないかな、と言われたわけです。それを実現するにはどう考えたらいいか、と。それでいろいろアイデアを出し合って、ああいうトーンになったのです。

──スーパー16ミリのキャメラでああいうトーンでいくと芦澤さんのほうで決めて、テスト撮影の結果をみて万田さんはどうおっしゃいましたか?

芦澤:いいんじゃないの、って感じでしたね(笑)。他の選択肢というのはやらなかったです。これでいくよ、っていう感じで。他のアイディアも見つからなかったし時間もなかったもので。

──かなり大胆な選択だったと思うのですが。

芦澤:もう今はできないくらい大胆ですね(笑)。あれは増感をしたんですね。好感度の500のフィルムの2倍増感だから1,000くらいです。普通は室内だと高感度で、デイシーンは低感度でやるんですけど、高感度フィルム増感の1,000のままで屋外も撮影しました。そうすると絞りが45とかになってしまってファインダーが真っ暗になっちゃうわけですよ。ですから『UNloved』では外での撮影が苦労しましたね。そういう扱いづらさがあってもどうして増感をしたかというと、万田さんが湿度というか湿気のある映像を作りたい、と言葉ではっきりとは言われませんでしたが、そういうことを望んでいるように私のほうで解釈したわけです。冒頭から手が出てきて、雨が降って、というのがありましたから。ですから湿気のある画面というのを狙ったために増感したということですね。具体的には湿気というものをザラザラした感じで出そうと思ったんです。そういった粗い感じをどうだしたらいいか、というと高感度のフィルムというのは通常でもザラザラしているものですから、それをさらに倍に増感すれば、よりザラザラ感も増すんじゃないか、ということですね。それに加えてプレミアプリント[*4]というのは黒がかっちり出やすいので、ザラザラした粒状性をさらに黒く際立たせます。それで、そういった手法を選択しました。

──『UNloved』と『みすゞ』は比較的同時期に撮影されていますよね。また照明技師も同じ金沢正夫さんです。ただ両作品のルックというのはまったく対照的であると思います。『UNloved』が増感して、非常に人工的な光だったのに対して『みすゞ』が自然な光を目指していたように思います。

芦澤:『UNloved』の場合は「湿度」というコンセプトがありましたが、『みすゞ』の場合は大正という「時代感」ということを考えました。普通はアンバーにしたりとかわかりやすい方法を採りがちなんですが、そうじゃない方法で時代の空気というのを出すにはどうしたらよいかな、と考えました。そのために『UNloved』とは逆に減感という方法をとりました。ただ、意外と両方に共通しているのは「黒」が締まっているということです。「黒」からの出発です。
 時代の雰囲気を出すのは色ではなくて、なんといっても光です。全体に『みすゞ』は軟調[*5]にしているんです。このインタビューで話しながら振り返ってみると、私は必ず増感か減感をしている、ということに気付きました。『みすゞ』は『火まつり』と同じように減感をしていて、『叫』(2006)や『UNloved』は増感をしていて、結果的に普通にフィルムを使っていないんだな、と発見しました。そうすることによって、光が柔らかかったり、硬かったりと非常に強調されますよね。

──『UNloved』というのが室内でほとんど窓自体が写らない、もしくはカーテンなどで遮蔽されているのに対して、『みすゞ』では窓を画面に入れることで外光が室内に入り込むようにして撮られています。

芦澤:『みすゞ』の場合は、あの空間の中にいる金子みすゞのキャラクターというか……いつも彼女は外を見ているけれど家の中にいるという捉え方ですね。それでわりと窓外をギリギリ見えるか見えないかぐらいにしました。
 ロケセットの撮影では、かなりのライトを持っていっても、窓外向けだと外がとんで真っ白になってしまうんですね。窓外にその時代を表す建物などがあっても、そこがとんで真っ白になってしまってはまずいわけです。それで外をとばさないようにするにはどうしたらよいかというと、室内の光をあてていけばいいのですが、そうすればする程、ロケセット自体の香りのようなものが消えていってしまう。それも嫌なのです。『みすゞ』の場合は窓が開いていることも多かったので、巨大な黒い紗などを照明の金沢さんが用意してくださって窓のずっと離れたところに張ったんです。そういうかたちで外の光を落としながら屋外のニュアンスをつくりました。主人公の金子みすゞがどんな気持ちで外を見ていたのかな、と考えながら。
 それとこの映画は軟調なんですが、屋内の陰の部分は漆黒でありたかったのです。その当時発売されていた一番軟調のネガフィルムを使って減感し、一番黒が締まるポジフィルムを使う組み合わせをやりましたね。そのテストは「もうやめてくれ」と言われるくらいやりました。そういうことを理解してくれるラボのタイミングマン[*6]の協力があったから上手くいったんだと思います。

──外光は紗で柔らかくし、室内の陰はぐっと落としたということですね。照明の数というのは少なかったんでしょうか。

芦澤:撮影規模にしては照明の数は多いほうだったと思います。ただ光を直接当てるのではなく、間接的に光を殺しながら使っていました。ですからキャメラの周りはセンチュリー[*7]や照明機材が濫立して林みたいになっていましたよ(笑)。
 あの映画はどこから光が来ているかあからさまには分からないじゃないですか。そういった妙な世界というか……日常のなかでも、どこから光が来ているか分からないボンヤリした時間というのがありますよね。そういう時間感覚を狙いで作りました。『UNloved』はどこから光が来ているか分かりやすいですよね。そういうのとは対比的な作り方でした。ただ、あれもね、『UNloved』と同じで色の濁りを大切にしているのです。


(つづく)


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[脚注]

1.特機
撮影を補助する機材として使用される特殊な機材。ドリー撮影に使われる移動車やレール、雨風を振らせる送風機やタンク車などのことを指す。

2.標準・増感・減感
フィルムの現像では、現像時間・現像温度・攪拌を加減することにより仕上がりの異なるプリントが得られる。現像時間を長く、温度を高く、攪拌を多くするほど現像が進み、画像は黒く・濃く仕上がり、粒状性は粗くコントラストが上がる。このような現像処理は増感と呼ばれる。減感では、逆にそれらの現像処理を低く抑えることで、画像は白く・淡い仕上がりとなり、コントラストの低いフラットな印象が得られる。一般的な適正数値による現像処理が標準と呼ばれる。

3.ボケあし
ピントの合っている鮮明な部分とぼやけて見える部分の間にある、うっすらがボケ始める段階の領域。

4.プレミアプリント
コダックの映画上映用フィルム。正式な名称は「コダック VISION プレミア カラープリント フィルム 2393/3393」。特徴としては黒がよく締まり、暗部は深く、色彩も鮮やかなトーンが再現される。そのためHD撮影された作品やAVIDなどでデジタル編集された作品を焼き付けるフィルムとしても使われる。

5.軟調
画面の中の明暗のコントラストを軟らかくつけていく画調のこと。

6.タイミングマン
フィルムで撮影された映像をフィルムへとコピーする際に色彩を補正する作業を行うオペレーター。

7.センチュリー
撮影時に使われる照明機材でスタンドの一種。不整地スタンドとも言う。上下に伸び縮みするポールの部分とそれを支える3本の足から成る。足の角度や高さを自由に変えることができ、不整地でも鉛直に立てられるのが特徴。移動時には折りたたむこともできる。

12 Sep 2007

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