"It Takes a Thief to Catch a Thief " 犯罪とアメリカのジャンル映画──対談クリス・フジワラ&マーク・ロバーツ vol.1

インタビュー

1. Introduction

──泥棒は、アメリカのジャンル映画、フィルム・ノワールや犯罪映画において中心的な人物像でありつづけています。そしてある意味では、ジャンル映画と泥棒の間には本質的な繋がりがあるのだと思います。つまり、ジャンル映画には、ある種のパターンとキャラクターの反復があって、既存の映画から様々な要素が引用され、盗まれてさえいるという点においてです。
 またそこで、ある国の映画が他国の映画から、様々な要素を借用したり盗んだりするプロセスが問題になるかと思われます。ヨーロッパ映画──例えばフランスのヌーヴェル・ヴァーグー──は、アメリカ映画から影響を受けている、というよりたぶん、いろいろな要素を盗んでいます。もちろん、ここで思い出されるのはゴダールであり、特に『メイド・イン・USA』(1966)のように、アメリカの映画の諸要素をパロディー化したような作品です。この種の映画は、引用集、もしくは他の映画からの盗作であるとさえ言うことができるかもしれません。しかも『映画史』(1988-98)からもわかるように、ゴダールはいまだにその実践に勤しんでいます。
 これから「映画における盗み」というテーマで討議を進めていこうと思うのですが、そこでまず、2006年12月に東京で開かれたシンポジウムで『怪盗ルパン』(1957)が上映された、ジャック・ベッケル監督から始めてみたいと思います。ルパンというキャラクターは、モンキー・パンチの漫画や宮崎駿によるその映画版によって日本ではよく知られていますが、ジャック・ベッケルについては、単純に彼の映画を見ることができないという理由で、日本人の観客にはあまり知られていません。一方、欧米各国では、ベッケルは古典作家とみなされています。影響関係の歴史は複雑で一概には言えませんが、ともかく、ジャック・ベッケル監督がフィルム・ノワール、そしてアメリカのジャンル映画とどのような関係にあるか、その問いから始めてみましょう。

フジワラ:ジャック・ベッケルとフィルム・ノワールの関係について、最初に思い浮かぶのは彼のキャリアの初まりのことで、すなわちベッケルがルノワールと仕事をした最初の作品が『十字路の夜』(1932)であったということです。シムノンの犯罪小説に基づいたこの映画について、ゴダールがとても有名な批評を書いています。彼は、フィルムの一部が失われたことによって神秘的な雰囲気が付与され、結果的に映画は良いものとなったと述べました。この作品はとても暗い(ノワール)映画で、フィルム・ノワールとはもちろんフランス語です。「フィルム・ノワール」という言葉で理解されるようなものができあがったのは、『十字路の夜』やそういった映画からなのではないかと私は思います。それゆえに、ベッケルはフィルム・ノワールと後に呼ばれることとなるもののまさに最初の地点にいたのです。
 ただし、「フィルム・ノワール」という言葉自体に、私はいまだに困惑しています。それが実際のところ一体何なのかがよくわからないのです。もしかしたら日本やフランスでは、このジャンルについて、より厳密に語ることができるのかもしれません。しかし、アメリカにおいてこの言葉は、マーケティングのために使われるレッテルになっています──それもとりわけよく使われるレッテルのひとつです。つまり、アメリカのレパートリーシアターの館主たちが延命のためにこのレッテルを使ったわけです。彼らは、いわゆるフィルム・ノワールと呼ばれる犯罪映画、ミステリー・スリラー、ハンフリー・ボガートが出ているような映画が、客を呼べることに気付きました。実際、ボガートはアメリカのレパートリーシアターのムーヴメントと強く結び付いたスターのひとりです。ケンブリッジのブラトル劇場が1960年代に『カサブランカ』(1942)をリヴァイヴァル上映して以来そうですし、また、このリヴァイヴァル上映もあって、再びこの映画がよく見られるようになったということがあります。そういうわけで、私はアメリカ人ですから、「フィルム・ノワール」という言葉はマーケティングと結びついています。

ロバーツ:この言葉についてよく言われるのは、戦後すぐにアメリカ映画を見たフランスの批評家たちが、1945年からガリマール書店で出版されたハードボイルドもののコレクション「セリ・ノワール」との類比でこれらの映画を捉えたということです。「セリ・ノワール」のブックカバーはほぼ真黒で、デザイン的に非常にシンプルなものでした。映画批評家たちは概念の移し替えをしたのであり、その当時のフランスの文学の伝統を、アメリカ映画の伝統に投影したのです。それどころか、この「フィルム・ノワール」という言葉は大西洋を越えてしまい、アメリカ人たちがある種のジャンル映画を語るために使い始めました。しかし、言葉の借用が行われるときの常として、翻訳される中で何かが変化します。例えば、アメリカのフィルム・ノワールは「セリ・ノワール」とまったく同じではありえず、結局はマーケティング用の専門語により近いものになったのです。

フジワラ:おそらくフィルム・ノワールという概念は、ジャンル映画をアートフィルムに仕立て上げることにその主な意味があったのでしょう。アートフィルムというもの自体、アメリカの1940年代──つまりそういった映画がつくられていた時期には、ほとんど存在していなかった概念であることを思い出しておくべきでしょう。アートフィルムなどという概念を持ち出す者はいなかったのです。実験映画は作られていましたが、ほとんどすべての映画は、劇場で大衆向けに上映されるものでした。『市民ケーン』(1941)がアメリカで最初のアートフィルムだと言われることもありますね。とにかく、ここには大西洋を行き来する様々な情報の交通があったようでして、フィルム・ノワールに関しては、『ローラ殺人事件』(1944)や『失われた週末』(1945)、『深夜の告白』(1944)といった作品が、1944年や1945年に制作されたものの、フランスでは戦後1946年になるまで公開されなかったのですが、フランス人たちはこれらの作品を観て、「素晴らしい。そしてとても暗い。これをフィルム・ノワールと名付けよう」などと言ったわけです。そして、アメリカ人たちはその噂を耳にして、視覚的にも聴覚的にも、これまでよりも少しだけそれを意識して映画を作るようになります。フランス人がこうした作品を高く評価していたことは、アメリカではきっと自覚されていたに違いありません。『キッスで殺せ』(1955)などの映画に、それは明らかです。この作品は、視覚的デザインにおいて非常に洗練されており、またこうした視覚的デザインこそ、わたしたちが後年フィルム・ノワールと呼ぶ映画の特徴なのです。


2. フィルム・ノワールの「概念」

──日本では、ハワード・ホークスの『三つ数えろ』(1946)を、最初のフィルム・ノワールと考えることもあります。ところが、この作品はレイモンド・チャンドラーの小説を原作としたものでもあります。だとすれば、ハワード・ホークスはフィルム・ノワールというものの起源にはそれほど意識的ではなかったのでは、と考えてしまいます。

フジワラ:どうでしょうね。『三つ数えろ』以前にも、今日、古典的なフィルム・ノワールと見なされている映画は作られていますし、それは、われわれがこのジャンルをどのように構成したいかということに拠るのではないかと思います。フィルム・ノワールが実際にジャンルであるならば、何がそれを規定するか。ひとによっては、1940年に遡り、ボリス・イングスターがペーター・ローレを起用して制作をした『Stranger on the Third Floor』(1940)にそれを求めています。この作品には、多くの視覚的要素がありますが、これらは後年、他のキャメラマンや監督に取り上げられ、さらに押し広げられることで、このジャンルの特徴になります。たとえば階段での銃撃戦、たくさんの人影、闇の中で蠢く曖昧な人間たちの撮り方……。そこでは誰が正義で誰が悪かを見分けることができません。誰もがグレーゾーンにいるのです。敵意と緊張感に満ちていて、どの瞬間にも何かが起こりうるような雰囲気。こういったものすべてが、『Stranger on the Third Floor』にはあるのです。『マルタの鷹』は1941年に製作されましたが、これも『三つ数えろ』の前ですね。
 実際、『三つ数えろ』が公開される前にすでにこういった種類の映画は確立していたのであって、ジェイムズ・エイジーはそのレヴューで、ホークスのこの作品はすでに確立されたパターンにあてはまるものだと書いているほどです。この作品からは、あらゆる典型的な特徴を見てとれます。観客は2時間の間、催眠状態のような状態に置かれ、その夢のような雰囲気は、多くの映画において共有されていると彼は書きます。例えば、エドワード・ドミトリクの『ブロンドの殺人者』(1944)はレイモンド・チャンドラーの『さらば愛しき女よ』が原作ですが、この作品にはとても有名な夢のシークエンスがあります。このシークエンスはおそらく犯罪映画や探偵映画での初めての例のひとつであるといえるでしょう。主人公のフィリップ・マーロウ(ディック・パウエルが演じています)が睡眠薬を飲まされて意識を失う箇所です。ドミトリクは、マーロウの幻覚、苦しみに苛まれつつある精神状態を、画面に歪みを生じさせるカメラの技術によって表現しています。
 しかしながら、こうした夢幻的な雰囲気がフィルム・ノワールを定義付けると考えるのも正しくないでしょう。例えば、ジャック・ターナーは、今ではフィルム・ノワールの巨匠のひとりに数えられていますが、彼の映画には夢のシークエンスはありません。『キャット・ピープル』(1942)にはありますが、それだけです。ドミトリクが『ブロンドの殺人者』で使ったような、歪みを使う撮影方法で撮られたシーンはありません。ターナーはいつだってすべてのものを同じスタイルで撮影しました。とてもリアリスティックであり、同時に極めて詩的でもあるスタイルでです。オットー・プレミンジャーについても同じことが言えるでしょう。彼は主に『ローラ殺人事件』という作品によってフィルム・ノワールの巨匠のひとりとみなされています。ただ、彼の映画はすべて、現実と同じレベルのリアリティーを持ったとても直接的なものです。プレミンジャーの映画にも夢のシーンはありません。彼のやり方、彼の感性からすれば、それは暴挙であるといえます。こういった事実は、フィルム・ノワールという概念を疑問に付すものでしょう。

──フィルム・ノワールと呼ばれる映画を作った最初の世代に続いて、ニコラス・レイ・やロバート・アルドリッチといった監督たちもまた、今日フィルム・ノワールと考えられているものを作っています。ベッケルらヨーロッパの監督たちに対する彼らの影響についてはどのようにお考えでしょうか。

フジワラ:ニコラス・レイは、1940年代後半から50年代に商業的な映画製作に新たな意識を持ち込んだアメリカ人のひとりで、アルドリッチも同様です。『大砂塵』(1954)についてフランソワ・トリュフォーが有名なフレーズを残していることからも明らかですが、フランス人は彼らの作品に注目していました。彼は『大砂塵』を、西部劇の「美女と野獣」であると言いました。別の言葉を使えば、トリュフォーはこの映画に対して、西部劇そのものとしてというよりは、基本的にはアートフィルムとして、おとぎ話のようなものとして応答しているのです。レイは、ハワード・ホークスのような作家たちとは違うかたちで、自己に非常に意識的な作家であったと思います。彼はアメリカのフォークアーティストであることに意識的でした──これが言い過ぎだとは思いません。レイはウッディー・ガスリーと共にアメリカのフォーク・ミュージックを学び、WPAで働いているときには1930年代のアメリカのフォーク・ミュージックのドキュメンタリー制作も手伝いました。レイはアメリカの田舎のサブカルチャーにとても興味を示していて、それらの多くが彼の映画に入り込んでいます。多くの場合、目立たないかたちではありますけれども。彼はその当時の商業的拘束に制限されていましたが、いくつかの映画にはなんとかしてそういったものを入れ込んだのです。例えば、1本まるごとアメリカのジプシーについての映画である『熱い血』(1956)を作りました。だから私は、彼がアメリカにおいて商業作家がどうあるべきかという定義を変えようとすることに自覚的であったと言えるのではないかと思います。商業作家は大衆向けエンターテインメントを作る人物であるというだけでなく、社会的に重要な問題についても語る存在であるべきであり(そして少年の非行について語った『理由なき反抗』はそうでなければいったい何でしょう)、アメリカにおける人々の暮らしぶりを記録することに積極的に関わるべきであると彼は考えました。レイは、貧しい人びとについて、犯罪者であったり(例えば『夜の人々』[1948])、常に旅行しつづけるロデオ乗りであるために(『死のロデオ』[1952])アメリカ中を移動して回る人々についての映画を多く作りました。ハリウッドを舞台にした『孤独な場所で』(1950)のような映画にさえも、まるで強盗団を見るときのような印象があります。彼は、社会のメインストリームに所属していない人々による小さなグループを描くのを好みました。『夜の人々』の冒頭では、「この少年と少女は、自分の住む世界についに居場所を持たせてもらえなかった」という字幕が出ます。言い換えれば、彼らはアウトサイダーであり、別世界に住んでいるのです。レイは、芸術家としての責任が、こういった人々やその暮らしについてのあれこれを描き、祝福し、そして守っていくことにあると感じていました。われわれは、アメリカ人が芸術的な問題における一種の権威としてヨーロッパへ尊敬のまなざしを向けていたと考えますけれども、ここではヨーロッパは関係ありません。レイがそのように考えていたとは思えません。彼は自分をアメリカの芸術家だと考えており、彼にとってこの言葉はそれ相応の価値と奥行きとがあったのです。


3. ジャック・ベッケルとアメリカ

フジワラ:ジャック・ベッケルとアメリカ映画ということに関して言えば、ベッケルがどれだけアメリカのフィルム・ノワールに影響を受けたかということは私にはよくわかりません。先ほど言ったように、彼は、フィルム・ノワールというものの根本の部分に戻っていたのであり、その当時、フィルム・ノワールとはシムノンやルノワールに関連した、純粋にフランスの問題でした。『肉体の冠』(1952)のような後年の映画は犯罪を描いていますが、その時代と言葉のために、明らかにフィルム・ノワールとはまったく違うものになっています。
 ベッケルとアメリカの関係というのは興味深い問題で、アテネ・フランセ文化センターでのシンポジウムでもいくつか言及されました。例えば、ベッケルはハワード・ホークスの友人であって、蓮實重彦さんや青山真治さんが言っていたとおり、彼の作品とホークスの作品にはいくつかのつながりがあります。青山さんは『穴』(1960)における独房と、『ピラミッド』(1955)におけるピラミッドを比べていましたが、とても面白い比較だと思います。さらに、ベッケルは熱狂的なジャズ・ファンでもありました。『Les Rendez-vous de juillet』(1949)では、アメリカ人ミュージシャンが出るジャズ・クラブのシークエンスがあります。彼の映画には時々アメリカ人が登場していて、例えば『モンパルナスの灯』(1958)での百万長者がそうですし、『エドワールとキャロリーヌ』(1951)にも登場していました。このふたりはどちらも、映画の主人公たちを手助けするポジションにおり、『エドワールとキャロリーヌ』においてはきちんと成功しますが、『モンパルナスの灯』においては人々の間の誤解によってうまくいきません。蓮實さんが言っていたように、このシーンは最も面白いシーンのひとつです。作品自体は、ベッケルの中で最高の出来映えとは言えませんけれども。ベッケルがアメリカ文化のある側面を本当に高く評価していて、アメリカ人を反射的にステレオタイプ化したり、拒絶したりはしなかったというということが、これらのシーンからわかります。アメリカの百万長者を滑稽で冷淡な嘲笑すべき人物として描くのはとても簡単でしょうが、ベッケルはそのようなことはしません。彼はそういった人々を興味深い好人物にするのです。ベッケルはアメリカ人キャラクターに本当の威厳を与えていて、そこを私は評価します。
 フィルム・ノワールと比較しうるベッケル作品はいくつもあります。『偽れる装い』(1945)は、ある少女に恋し、彼女に悩まされ、最終的には狂気へと導かれるファッション・デザイナーについての作品です。他の監督はベッケルとはまったく違ったやり方でこういった主題を扱うでしょうが、ベッケルのそれは実に見事で、またとても実直なものでした。他の芸術家たち同様に狂気に対して興味を抱きはしますが、そこに偽の魅力を付与するようなことはしません。映画をより面白いものとするための手段として狂気を利用することはないですし、カメラで何かしら馬鹿げたことや常軌を逸したことをしようともしません。ターナーやプレミンジャーの「一貫性」について先ほど言いましたけれど、ベッケルもまた同じです。こういった監督たちは、映画を作るときに作品の各部分に階層を設定したりしません。「Xは空想に属していてYは現実に属している、だからこちらはこういう風に撮影して、もう一方は違う風に撮影する」だとか、「あるタイプの人間や生き方が他方に比べて優れていることを示すためにふたつのスタイルを使おう」だとかそういうことは言わないのです。物事をただ単に示そうとだけ決めているのです。ベッケルのアプローチも似たようなものです。
 おそらく『現金に手を出すな』(1954)については、アメリカ映画のモデル──あるギャングの人生についての物語──を採用した映画でありながらも、フランス人監督がそれとはまったく違うことをした作品であると指摘することができるのではないでしょうか。しかし、この映画を作る際にアメリカ映画のどれが念頭に置かれていたのかということを(もしあればという話ですが)知るのは非常に困難です。私にとってこの作品はとても新鮮で、フランスならではのギャングの描き方がみられるように思えます。フランス起源のフィルム・ノワールと結び付く俳優のひとり、ジャン・ギャバンが出ています。それゆえに、ベッケルはフランスの伝統と共に作業しているのであり、『現金に手を出すな』について、アメリカ映画に強く影響を受けてそれに直接的に反応した作品であると言うことは難しいのではないでしょうか。

ロバーツ:『現金に手を出すな』は、同時期のもうひとつのギャング映画、ダッシンの『男の戦い』(1955)と比較してみたとき、とりわけフランスの伝統の中にあるように思われます。例えば、『男の戦い』には明らかなアメリカの影響があります。特に犯罪の描き方、サスペンスの構築の仕方、プロットの組み立て方、リハーサル、逃亡方法、そして最後の銃撃戦などです。こういったものはすべて、アメリカのドラマに見られがちだった「モメント」をなします。もちろん、ダッシンがアメリカ育ちであり、ハリウッドでの赤の恐怖に追われてフランスに移ったということもあります(おそらく、部分的にはドミトリクの助けを借りたものだったでしょう)。それゆえに『男の戦い』は、ハイブリッドな作品なのですけれども、『現金に手を出すな』が目を引くのは、『男の戦い』と比較すると、恐ろしいまでドラマティックではないということです。この作品は、キャリアの絶頂を過ぎてしまい、自分がすでに得たものにすがりつこうとするふたりのギャングを描いています。新たな犯罪を計画しようとするものではありません。主要な関心は、「目が覚めると自分がもう55歳を過ぎていることに気付き、もうかつてのようには事は進まない」ということのように思えます。われわれが目撃するのは、ギャングがリラックスし、パスタを食べ、歯を磨き、パジャマを着る姿です。こういった点においてふたつの作品はまったく異なっています。

フジワラ:そうですね、『現金に手を出すな』はその点において素晴らしい。ラオール・ウォルシュが『ハイ・シエラ』(1941)において、年老いたギャングというモチーフをすでに扱っていたことを思い出します。この作品では、牢獄から出てきたボガートが年老いた中年となっているという事実から多くのことが成立しています。彼の仲間たちは、死んでいるか、投獄されているか、もしくは年を取って病気であるかのどれかなのです。それゆえに『ハイ・シエラ』は、ベッケルの作品のように年老いたギャングについての作品であり、いかにして違った生き方を選んでいくかについての作品なのです。このことは、『彼奴は顔役だ!』(1939)についても言えます。すべてが、時が過ぎていくことを描く作品なのです。映画の主人公(ジェームス・キャグニー)の周りで世界がいかに変わっていくかについての、そして、彼自身もいかにしてそれとともに変わることを学ばねばならないかについての作品です。その点でいえば、ウォルシュは、自分がギャング映画のジャンルに持ち込んだ、年を取ることの詩情において、ベッケルに先立っています。
 ベッケルの『怪盗ルパン』に戻ってみれば、この映画で興味深いことのひとつは、盗みがどのように描かれているかということであり、その盗みはお金というものの抽象的な性質を明らかにします。ルパンは、金に困って盗むわけではありません。盗みを娯楽と考えるような、紳士の盗賊とでもいえるでしょうか。盗みは彼にとって、楽しむべき趣味なのです。興味深い第二の点は、映画の途中で、仕事によって毎月どれだけの金が自分の手許に入っているかを知りたいと思わないとルパンが言うところです。彼は金の計算をまったくしません。「勘定しない」のです(彼はまさにこう言っています)。ルパンは、金こそすべてというような人間ではありません。彼にとって金銭とは実在しないもののことなのです。ルパンがしていることで重要なのは、そしてこれはベッケルが映画を作るにあたってもポイントとなることですが、金銭を実在しないものとして示すということです。ベッケルは、金銭の支配からわれわれを解放することによって、観客に大きな恩恵を施します。われわれも金銭というものについて気にする必要はないと言っているのです。映画の中の人々は金銭について非常に気を揉んでいるようでいて、それが実際には何の価値も持たないことを証明してくれます。


4. 盗みをはたらくことの大義

フジワラ:盗みが主要テーマである他の映画について考えてみますと、ヒッチコックに思い当たります。彼の様々な作品でも、ベッケルと同様のことが起きております。すなわち盗みが描かれるとき、盗まれたものの価値自体が疑問に付されるということです。例えば『マーニー』(1964)のように、なぜ人間が盗むのか、ということを私たちは問うことになります。マーニーという女性は病的な盗人であり、窃盗依存症です。盗むことが強迫観念になるのですが、その理由が本人にはわかりません。映画全体が、なぜ彼女が盗むのかということに関するミステリーのようなものとなっています。もっとも、その理由は後で見出されることになりますが。まったくもって、ヒッチコックにはそのような要素があります。ある人が何かを盗んだとき、盗んだものが、精神分析的な意味において本当は何なのか、ということです。こういったテーマを彼が描くとき、金銭や社会関係の基礎が疑問視されるのです。マーニーの世界は、フィラデルフィアの家族が街の他の人々と持っている古い社会的な結びつきや、マーニーが結婚するように強制されている上級階級の金持ちによって、拘束されています。ちょうど『めまい』(1958)がそうであったように、ヒッチコックはすべてが金銭に由来することを示します。ギャビン・エルスターという登場人物は、陰謀を影で操るキャラクターなのですが、映画の初めの方で、昔のサンフランシスコについて、そしてしたいことはなんでもできる力と自由を持つ人々のものだったかつての社会について、話します。この言葉はその後に再び繰り返されておりますし、この映画は恋愛における強迫観念の物語のように見えますが、金銭と盗みについての、金銭の力についての物語でもあるのです。ベッケルの『怪盗ルパン』のように、ヒッチコックは何度も何度も、金銭の力はわれわれの思い込みとしてのみあると言っているかのようです。もちろん、この幻想を解体するのは容易なことではなく、なぜならそれは社会全体の解体を意味するからですが(ヒッチコックはその方法をわれわれに決して示しませんでした)、その種の批判は彼の映画の中にはあったのです。泥棒についての映画における興味のひとつは、その映画が、社会のすべて、資本のすべてを疑問視しはじめる水準にまで達しているか否かにあります。

ロバーツ:『マーニー』は、まさにわれわれをそう仕向けてくれる映画です。なぜなら、われわれは彼女の動機を理解しようとして、最終的には無意識の水準にまで入り込まざるをえないからです。彼女の家族の物語を通じて、彼女がいかにして見かけ上、窃盗依存症と思われるような状態になったのか、彼女の否認を生み出した出来事は何なのかを知ることが課せられます。『マーニー』のような作品ではまさに表面上にそれがあるにも関わらず、批評家たちが精神分析を用いるのはおかしなことですね。ヒッチコックは精神分析に精通していますし、だから改めて発見というほどのことはないし、彼の精神分析に対する興味はあからさまです。盗みを扱うヒッチコックのもうひとつの作品は『引き裂かれたカーテン』(1966)で、これは『マーニー』の次に撮られています。この作品はヒッチコックにしてはあまりよい出来ではなく、ものすごく鬱蒼とした場所として描かれる共産圏の東ドイツの雰囲気のせいで少々重たい作品なのですが、物語自体は興味深いものです。ポール・ニューマン演ずる核科学者は、アメリカ政府が平和を欲せず、核戦争の可能性を減らそうとしないと主張し、東ドイツに逃亡します。それゆえにこの高潔な科学者は「平和のために働きたい」と願い、双方の破壊が確実なこの核の狂気を終わらせるであろう核防衛システムを築くために東側の手助けをします。ところが実際は、東ドイツの優秀な科学者たちを経由して、ソビエトからアイディアを盗もうとしているのです。その盗みの場面がどのように描かれるかというと、ニューマン扮する登場人物が、あたかもあらかじめその秘密を知っているかのようなハッタリを使うことで、その当の秘密を聞き出す、というものです。この作品で興味深くそして同時に奇妙な部分は、これが冷戦の物語であって、東ドイツ人たちが幾分ステレオタイプな共産党員として悪い人間に描かれている一方で──したがって、西側のわれわれは、彼らから何かを盗むことを正当化することとなります──ニューマンやアメリカ人が行うやり方は、東ドイツ側の相手よりも、もっとヌケヌケとしているということです。この映画では、リアルタイムで行われる耐えがたい殺人のシーンが展開されもしますが、それよりもっと印象的なのは、このアメリカ人の科学者が、人類のために反対側に移ったのだと演説しているところです。彼が泥棒であり政府のために働く二重スパイであることが判明するや否や、その内容のすべてが嘘のように響くことになります。人類のためとか、冷戦を終わらせるという大義に、彼が本当は興味を持っていなかったことが示されるのです。それによってわれわれは、この盗みが本当は一体何のためのものなのかを疑問に思うことになります。この映画から40年が経ち、ソ連が消え、ベルリンの壁もはるか前に崩壊し、世界におけるヨーロッパの位置は変化したのですが、それでもこの映画にはいまだ奇妙な残響があるように思います。


5.盗みの映画に立ち現れる世界の相貌

フジワラ:ヒッチコックの映画の多くが何らかの形で盗みと関わっていますね。単に象徴的なレベルにおいてだけであることもありますが。

ロバーツ:ええ。『間違えられた男』(1956)でも、ヘンリー・フォンダの演ずるキャラクターは盗みで告発されます。彼は実際には泥棒でないのにもかかわらず、それが物語の出発点になります。

フジワラ:その偽りの告発によって、ヘンリー・フォンダの目の前に、これまで知らなかった世界の全体が開かれていくところが面白いですね。彼は、告発されたときに経験しなければならない法のシステムの存在を知りませんでした。弁護士を見つけ、順番待ちをして、といったようなことをして法廷へ行くということを。オーソン・ウェルズの、おそらく『ストレンジャー』(1946)だったと思うのですが、そこには、ウェルズがエマソンから引用したこんなフレーズが出てきました。「罪を犯してみたまえ、世界がガラス張りであることがわかるから」。おそらくヒッチコックもこのフレーズを採用していて、自分の映画の原則としているように私には思えます。『間違えられた男』では、それよりもさらに先に行きます。罪を犯す必要さえもなく、ただ単に告発が行われさえすればよく、すると世界はガラス張りになるのです。
 この手の断定の中には、アメリカ映画においてなにか根本的なものがあります。フィルム・ノワールというものが存在するとして、あるいはこういった一連の犯罪映画を「フィルム・ノワール」と呼べるとするとしてですが、それら映画のすべては、世界がいかにしてガラスでできているかをわれわれに知らしめてくれるのです。このことの意味はふたつあります。世界はとても脆くて崩れやすく、いつ何時でもそこから転落してしまう可能性があるということ。しかし同時に、世界が透けて見えるということでもあります。その表面が透けているわけです。1940年代の映画には、美しく磨き上げられ、構築され、そして幻想的なまでに優雅な撃ち合いのシーンがあります。ジョン・F・サイツというビリー・ワイルダーの偉大なカメラマンの作品や、もちろん『上海から来た女』(1948)の最後のシーンで文字通りに鏡のガラスが粉砕されるところもそうです。こういった人々は、その素晴らしい才能とエネルギーを、ガラスでできた世界のイメージをつくりだすことに捧げています。
 したがって、flowerwild編集部の衣笠さんがこの対話の最初でおっしゃったように、映画と盗みの間には、深い相互関係があります。そして私が思うに、この関係がとりわけ明確で力強いものとなるのが、ヒッチコックやベッケル作品、そしてアメリカのフィルム・ノワールにおいてなのです。日本でよく知られている作品かどうかはわかりませんが、私がしばしば考えるのは、エイブラハム・ポロンスキーの『苦い報酬』(1949)です。ポロンスキーは作家で、ロバート・ロッセンが監督した『ボディ・アンド・ソウル』(1947)の脚本を書いています。『苦い報酬』は、ポロンスキーがブラックリストに載せられる前に監督した映画のひとつで、ニューヨークのギャングの物語です。ジョン・ガーフィールドがギャングの側に立つ弁護士を演じているのですが、映画のポイントは、全員が罪人であるということであるということであり、自分の手は汚れていないと主張しながらも、手を汚さない限りは仕事など何もなしえないということです。このことは、ガーフィールドの兄弟の状況をみればわかります。彼は自分を正直なビジネスマンだと考えていて、人々を助けるような人間だと思っています。彼は、隣人が飢えないようにと仕事を与えます。彼は自分が恩恵を施していると思っているのですが、実際のところはギャングのために働いているのです。実際に金を儲けてくるビッグガイと同様に、彼もまたギャングなのです。結局、彼はそのことに気付き、ビジネスについて偉大なスピーチをします。「これがビジネスだ! ガソリン1ガロンにつき3セントの不当請求、2セントは運転手に、1セントは俺に。こっちの泥棒には1セント、そっちの泥棒には2セントだ」。ここでのポイントは、このビジネスに関わるすべての人が泥棒だということです。値上げをするとすれば、消費者から盗んでいることになる。卸売りが値を上げているなら、今度は自分が盗まれていることになる。この連鎖のなかでは、皆がみな、連鎖の下にいる人間から盗んでいるのです。したがって、ニューヨークのギャングはその巨大版です。これはある種の社会批判であり、『苦い報酬』はおそらく、1949年の時点で、もっとも痛烈な批判をした映画です。他にも同じ題材の映画があったにせよ。これはヒッチコックにも通じテーマだと思います。ロバーツさんがおっしゃる通り、『引き裂かれたカーテン』で冷戦の最中に彼がアメリカを批判したとき──『北北西に針路を取れ』(1959)でもそうなのですが──それはポロンスキーがアメリカの資本主義を批判して行ったのと同様のことなのです。



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02 Apr 2007

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