K編集長のcinema days vol.5
──オートクチュールの重力

石橋今日美

"TRON: LEGACY" Film Frame ©Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

 CGを初めて全面的に使用した劇場用長篇『トロン』(スティーヴン・リズバーガー監督、1982)が製作された当時、「カイエ・ドゥ・シネマ」の批評家だったオリヴィエ・アサイヤスは、本作をルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や映画『カリガリ博士』(1919)と比しながら賛辞を隠さなかった。一方、オンラインゲームやSNSの流行を知らなかった時代の観客にとって、『トロン』の舞台そのもの、コンピューター・システムによって統制されたヴァーチャルな世界が共感を呼ぶには、あまりにも「早すぎた」のだろう。手で触れることのできる未知の生物との遭遇を描いた『E.T.』(1982)の記録的なヒットに対し、『トロン』の商業的失敗は明らかだった。スクリーン上でも、実生活でも、仮想空間というものが、ますます「リアルな」響きを持つ今日、かつて興行的失敗に泣いたリズバーガー監督を製作チームに迎え、『トロン:レガシー』(ジョセフ・コジンスキー監督、2010)が作られた。『トロン』の遺産は負と転じるのか、それとも……

 「『アバター』を超える未来の3D映画、誕生」という宣伝文句に多少なりとも惹かれて映画館に足を運んだ観客は、ディズニーのこれまで以上に精緻な3Dロゴが消えた後、肩すかしをくらうような印象を受けるかもしれない。本編が始まる直前、作品の一部は2Dでの鑑賞が前提になっているが、上映中に立体視用のメガネは外さないように、という「注意書き」がスクリーンに映し出される(少なくとも日本のマスコミ用試写では)。これはむしろ逆効果ではなかったか。緊急時以外に押すなとされるボタンを実際に押せば大変なことになるが、暗闇の中でひそかにメガネを外すくらい問題ない。にわかに、何が3Dで、何が2Dで描かれるのか、という抗えない興味を覚える。その答えを見出すのに、それほど時間はかからない。作品は、デジタル界を動かす大企業エンコム社のトップ、ケヴィン・フリン(『トロン』同様、ジェフ・ブリッジスが演じる)がある日突然、姿を消してから20年後という設定で始まる。ケヴィンを恨みながら成長した息子サム(ギャレット・ヘドランド)は、エンコム社の社運を賭けた新製品発表を鮮やかに妨害した後、父からのものらしい謎のメッセージを受け取る。手がかりを求めて主人公が思い出の場所、父が経営していた一見アナログなゲームセンターを訪れる際、フィルムは2Dを選択する。古めかしい建物を正面からシンメトリックに捉えたロングショットは、古典的な遠近法を見捨てることなく、2次元で提示される。見る者が日常世界における遠近法の効果を実感できる場面では3Dを濫用しない。フィルムは最後までこのルールに忠実であるように思われる。全編をショット単位で検証することはできなかったが、作品の進行につれて、メガネを外しても映像がぼやけない2Dのタイミングが自ずと分かってくる。特に現実世界でアクションが展開する前半部、観客の実体験からその場の様子を類推できるような風景の描写や、建造物の荘厳さを静謐なショットで引き出す場合、古き良き絵画的・写真的遠近法の効果、2次元の奥行きのイリュージョンが積極的に用いられる。『アバター』(2009)が独自のリアリズムに基づき、作品世界のトータルな3Dでの表象を披瀝したのとは対照的だ。

 芸のない推測であることは承知の上で言うなら、2Dの選択は、監督デビューでいきなり大作を任されることになったジョセフ・コジンスキーの経歴と切り離せないだろう。映画監督より以前に、ナイキやアップルのCMの映像クリエイターとして知られている彼は、コロンビア大学で建築学の修士課程を修了している。現実に存在しえる建物を、とりわけシンメトリーの美学で正確に描き出す手腕には、建築学のソリッドなバックグラウンドが感じられる。われわれの眼と身体感覚が長らく馴染んできた遠近法というマジックは、ここではすたれることはない。

 では肝心のデジタル3Dは、どこで力を発揮しているのか。まず目立つのは、あるオブジェ(主観ショットにおける武器、爆破で飛び散る何かの破片など)がスクリーンの「こちら側」に向かって飛んでくるように見える場面である。これは、まったく驚きに値しない、50年代ハリウッドの立体視作品から今世紀の3D流行の始まりまで観察される使用法だ。それに対して2Dのショットと機能的にコントラストをなしていたのが、アナログな透視図法の経験を超える時空間の創出のための3D援用である。理論的にコンピューター・システムの世界、トロン・シティでのパートが主な対象となる。主人公サムがディスクとライフ・サイクルを駆使して、命がけのゲームを繰り広げるシーン(『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』[1999]のポッド・レースの場面をはじめ、今なお参照される『ベン・ハー』[1959]スタイルの競技場、観客の配置)から、創造主に反旗を揚げたクルーが密かに武力を蓄える反逆軍の基地まで、3Dで描かれたデジタル空間の広がりとそこを埋め尽くす群衆は文字通り眩惑的で、実生活での知覚体験を瞬時に打ち消す途方のなさを見せつける。

"TRON: LEGACY" Film Frame ©Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

 すべてを3Dで表現できる時代に敢えて2Dを採用する確信犯的な「アナクロニズム」もさることながら、『トロン:レガシー』を特徴づけるのは、SF映画というジャンルにおいて成功した「スタイリッシュな」達成である。ここで言う「スタイリッシュ」とは、超未来都市の建築美や飛行マシンのデザインにとどまらない。一見人間の外観をした兵士の体が粉々に砕け散る、そのきらめく破片のひとつのような細部にまで、五感で耽溺したくなる独自のスタイルを確立しているのだ(パリの老舗セレクトショップcoletteが本作のフランス公開を前に、フィルムにインスパイアされたアイテムを特集するのも無理はない)。見た目も着心地も悪そうな、もこもこの宇宙服はもちろん登場しない。父を追ってトロン・シティに入ったサムが、撮影時に電気で発光するランプを縫い込んだスーツを着用する場面は、まるでファッション・フィルムの一部であるかのように見えるだけでなく、着る者の肌とボディを直に想起させるセンシュアリティーを持っている。また『ブレードランナー』(1982)や『スター・ウォーズ』シリーズなどと異なり、『トロン:レガシー』ではヒーローは白の発光、悪者は赤、とストイックに色のパレットを限定することで、グリッドで構成された作品世界のリアリティーを鮮やかに具現化している。特にクライマックスが近づくにつれて、この色づかいは3Dとの相乗効果を高める。

 動物や少年少女が主役を飾り、観客の「泣き」のつぼを外さないディズニー映画のストーリー展開をこの作品に期待するのは難しい。捨てられたと思いこんでいた父に対する息子サムの相反する感情、エディプスコンプレックスは中途半端であり、サムと有能な女戦死クオラ(日本では早々に放映が打ち切られたが、世界的に人気のTVシリーズ『House M.D.』のバイセクシュアルな女医役で知られるオリヴィア・ワイルドが好演)との恋愛はあまりにも淡すぎて、棚からぼた餅的な印象を免れない。だが、そうしたドラマをここに求める必要はない。3Dが映画産業だけでなく、携帯端末の分野にまで進出する今日、2Dと3Dのイリュージョンの見事な融合の果てに生まれたのは、新たな「不思議の国」とその徹底したスタイルだ。そう、ここでは飛行マシンも、単なるリアルさの執拗な追求を離れて、ふんわりと優美に停止する。まるでオーダーメードで仕立てられた重力をまとっているかのように。

『トロン:レガシー』  TRON: LEGACY

監督:ジョセフ・コジンスキー
脚本:エディー・キツィス、アダム・ホロヴィッツ
撮影:クラウディオ・ミランダ
プロダクション・デザイン:ダーレン・ギルフォード
衣装デザイン:マイケル・ウィルキンソン
音楽:ダフト・パンク
出演:ギャレット・ヘドランド、ジェフ・ブリッジス、オリヴィア・ワイルド、マイケル・シーン、ボー・ガレット、ブルース・ボックスレイトナー

2010年/アメリカ/125分

10 Jan 2011
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