谷中にて──映像の肉感的握力

舩橋 淳

●コスタの言葉

 私事で恐縮だが、ニューヨークから日本へ居を移し、もう1年が経った。当初は一時帰国のつもりで、ニューヨークで撮影する次回作の準備が整い次第とんぼ帰りする気概でいたのだが、東京の高密度なシネフィル・コミュニティにいったん触れてしまうと、その刺激に陶酔してしまい自作よりもよほどおもしろい他人の映画と自作との狭間でもがきながら新作を温めるのが映画作家として避けては通れぬ道ではないかと思うようになった。2008年は『コロッサル・ユース』(2006)にすっかり打ちのめされ、鈴木英夫レトロスペクティヴに心の底から感動し、東京国際映画祭でキム・ギヨンの魔力にげんなりし、『コッポラの胡蝶の夢』(2007)で思わぬ幸福感を味わった。また近所の谷中でアピチャポン・ウィーラセタクンと遭遇し、渋谷でペドロ・コスタと対談し、有楽町のフィルメックスでAmir NaderiやChow Keungなどアメリカ、中国のフィルムメーカーと交歓するということも可能であることを知った。ニューヨークではFilm Forumという老舗シネマテークでPreston Sturgesの脚本家時代の作品を発見したり、Anthony MannやJoseph H. Lewis、Robert SiodmakなどのB noirに耽溺したり、自分が決定的に映画史から遅れて生まれてきた焦燥を自覚しながら、その潮流を辿り直すという体験を求め得たのだが、日本に移ってみると、今度はマキノ映画100周年を目撃し、脚本家としての伊藤大輔を再確認したりと、日本映画史も圧倒的な量と質でシネマテークを埋め尽くしており、太平洋のどちら側にいようが映画史を遡行し、思索する日々の作業は問題なく続けられることを実感した。

 ペドロ・コスタは、撮影者と被写体は短い撮影期間中、浮気のような関係を結ぶのが常であるが、自分は被写体と2年、3年つきあい、関係を深めてゆくことで実人生に近づこうとしている、と言った(「私たちは囚人であるとともに、番人でもあるのです」──ペドロ・コスタ × 舩橋淳 対談)。この言葉は私自身の制作姿勢の根っこに引っ掛かっていたある問題を射貫いており、対談後しばらく消化できず、まんじりとしていた。故・佐藤真氏は、「とことんまで被写体とつきあい、長時間つきあうこと」がドキュメンタリーの基本だと定義しつつも、一時的な取材関係ではなく、5年も10年も被写体の方々とつきあう小川伸介・土本典明のような関係構築を、作品ごとに背負って生きることは不可能だという諦念を自分は抱えている、と私に洩らしていた。この諦念は現代のドキュメンタリー映画作家全てが少なからず抱えている困難のように思える。つまり、撮影者は被写体の「実人生に近い」関係を結びたいという理想と、それが不可能である現実の狭間でもがき苦しみつつ、最も誠実な距離の取り方を探っているのではなかろうか。

●谷中での撮影

 昨年コスタと対談した頃、私は都内のとある映画学校でアクティングの講義をしていた。当初はニューヨークで辟易していたアクターズ・スクール、スタニフラフスキー・システム系の「演じる芝居」から出来るだけ離れ、役者の肉体だけを浮上させようとする試行錯誤の空間であったのだが、続けるに従って、拙宅周辺の谷中のドキュメンタリー・フッテージと交差させることで、下町の光に役者を収めてゆく魅力を見出していった。谷中は寺町と言われ数多の寺社仏閣が隣立し、その中心に谷中霊園がどしりと腰を下ろしている。そこは元来、長耀山感応寺(今の日蓮宗天王寺)の敷地だったのだが、1874年明治政府により東京府管轄の公共墓地となった。桜並木がすらりと突き抜け、都心であるにも拘わらず常にひんやりと静まりかえった霊園の大気が、私を強く引きつけた。周辺には昔ながらの茶屋、花屋、墓石屋、大工店が、リーマンブラザーズ破綻や世界恐慌などどこ吹く風、昔ながらの家内制手工業を守り続けていた。そこで私は墓石の仏名をしたためる書の達人、象嵌職人、江戸大工の棟梁、江戸火消しの纏(まとい)や神楽面の職人などに取材を行い、そのフッテージとフィクションを現場で合成しながら撮影を進めてゆくという極めて向こう見ずな制作スタイルを採った。そして当然のごとく、様々な箇所で破綻が生じた。台本で想定したフィクションと事実が齟齬をきたし、さらに作家として重要なことだが、カット割りが決められた劇映画スタイルで撮影された画面と、のっぴきならない状況に手持ちカメラで突っ込んでいったドキュメンタリーの画が全く異質なものとして対立するようになった。もちろんフィクション、ドキュメンタリーに本質的な差異は存在しないことはこの論考でも繰り返してきた。しかし制度としてのフィクション、つまり6名ほどのスタッフと数人の役者を組織し「よーい、スタート」、「はい、カット」で時間を切り取ってゆくシステムと、私ひとりでキャメラを抱え、車いすに乗った郷土史家の日常生活と延々とつきあい、歯を磨いたり、珈琲を飲んだりしている時間を見つめてゆくというアプローチは、全く異質の映像を生んだのだ。

 「フィクション」パートの撮影をある寺の境内で撮影していたある日、私はひとりの老婆に出会った。彼女はその寺の墓守で、ふらふらとあちこちに体をぶつけながら、墓場を通り抜け、ひとつの墓石を掃除していた。興味を持った私は、撮影の合間にこの老婆に話しかけた。彼女は気さくに応じてくれ、墓守の仕事についていろいろ話してくれた。墓守を続けて35年になること、盲目であること、にも拘わらず500以上ある墓石の場所と名号を記憶していることなどを語ってくれた。「じゃぁ、今日は○○さんのご法事なんで墓石洗っとかないとねぇ」と呟き、おっちらと腰を上げ、水桶と杓子と束子を手に墓場をゆらゆらと歩んでいった。その後ろ姿を見た私は直ぐさまワイズマンの『視覚障害』(1987)を思い出し、キャメラで追いたいという強い衝動に駆られた。「フィクション」パートの撮影を終えた翌週、私はひとりでその寺を訪れ、寛容な住職の許可を得て朝5時から墓守ばあさんの日常をドキュメントすることにした。

 薄明に開門。寺のお堂、廊下、各部屋を掃除し、参拝者用の樒(しきび)の束を作る。撮影に慣れてくると墓守ばあさんは本堂脇にある自宅へ私を招き入れ、生い立ちから昨今の葬祭事情までいろいろと話してくれた。キャメラの前で全てを見せてくれるばあさんを前にし、私はある戸惑いを覚えた。撮影には快く同意してくれたものの、ずっとつきあっているうちに彼女はキャメラを意識しなくなり、無防備にキャメラに身を委ねるようになっていた。撮る側の責任という言葉が脳裏をかすめ、いったいこのフッテージを使用してよいものかどうか迷った。というのは、ばあさんと私の関係性において、彼女がおそらく理解していないだろう映画の波及力──大スクリーンに照射され、多く観客が一同に視線を送るという行為のインパクト、を知りながら撮影を進めることは、イメージの搾取ではないかという疑問に突き当たったのだ。しかも盲目の彼女はできあがった映画を見ることはできない。
 それ以上撮影を進めるためには、共犯関係を築くしか術はないように私には思えた。一方的なイメージの収奪ではなく、どんな映画なのか、何がねらいなのか、作家として本心を共有してゆくしか、このばあさんを撮ることはできないと考えた。そして翌週、寺を再び訪れた時、洗いざらいに打ち明けた。そんな映画には協力できないと固辞されることを覚悟したが、拍子抜けするほどあっさりとばあさんは撮影継続に同意してくれた。そして、「次は本堂で○○さんの33周期のご法事があるわよ」と情報を提供してくれたり、他人との撮影交渉を仲立ちしてくれたり、惜しみなく協力してくれる作品の良き理解者となっていった。
 のべ2週間の撮影期間中、谷中では喜んで出演してくれる方もいれば、固辞される方もいた。快諾したものの、撮影したあとにやはり自分の話した内容は使わないで欲しいという人もいた。ドキュメンタリースタイルとは、人々の揺れ動く意志と相対しながら、コミュニケーションの場を創造し、共通理解にたどり着こうとする行為なのかもしれない。キアロスタミが『クローズ・アップ』(1990)や『10話』(2002)で発見したもの、つまりフィクションが現実と溶け合い、独特の輝きをもった画面が暴走し始める奇跡が起きやしないかと期待が頭を掠めたことがあったが、そんな野心は烏滸がましいと自戒し、ただひたすらどんな映画をも参照としない、生々しいショットを捉えることに現場で集中した。驚いたのは短からぬ撮影期間のうちに、「フィクション」と「ドキュメンタリー」の撮影制度の違いを超越し、画面の質が溶解を始めたことだった。撮影に何度も協力してくれた郷土史家の老人は、「フィクション」パートの物語に共感し、次第にフィクショナルなキャラクターを自ら「演じる」ようになったり、逆に作業中の象嵌工芸職人との対話など台本なしの即興を強いられた学生俳優たちは、いつしかドキュメンタリー的な自然さで画面に収まるようになっていった。地元谷中の老職人たちに惹かれ、そこに学生をぶつけてみれば何かが起きるのではないか、という私の安易な目論見は想像を超えた展開を見せ始めた。
 短い期間しか撮影できない役者の「実人生につきあう」ことが不可能であるなかで、映画史を参照しつつ、その何ものとも似ないショットを切り取ろうと懸命に頭をひねる劇映画的アプローチと、大きな撮影クルーを解体し、小さなカメラと少人数のスタッフで、被写体と人間対人間のつきあいをしながら、対話するようにキャメラを回してゆくコスタ的アプローチ。言い換えれば、役者のドキュメントを短時間で撮ろうとすることと、長期間掛けて素人の生活の中にひとつの物語(=フィクションと呼んでいいだろう)を見いだしてゆくこと。これらは一見真逆のように見えるが、驚くほど似通った画面になってしまうことがある。それが映画固有のやっかいな、つかみきれない魔性なのだろう。

●完璧なショットの「遠さ」

 ギアを世界の映画に戻そう。昨年10月、11月の東京国際映画祭、Tokyo Filmexはシネフィルの触手を刺激する作品に満ちていた。それは、キム・ギヨンのいい加減なのに破壊力満載の毒のことであり、また、これも毒々しいナデリの新作『Vegas』(2008)のことだが、この両巨人は誰かが擁護すると思うのでとり上げずに擱く。また、『完美生活』(2008)、『木のない山』(2008)(ともにFilmexで上映)など軽々とフィクションとドキュメンタリーの境界を超越した作品についても、もう近年ずっと言われてきたコンテクストであるので触れる必要はあるまい。それよりも私にとり刺激的だったのが、東京国際映画祭で見た『スリー・モンキーズ』(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、トルコ・フランス・イタリア、2008)である。ここ数年流行の西欧資本により東欧で撮影された国際共同制作プロジェクトは、劇映画のシステムでかっちりと撮られた「フィクション」で、これでどうだといわんばかりの鋭利な映像で埋め尽くされていた。ENR(別称ブリーチ・バイパス。スピルバーグが『プライベート・ライアン』[1998]以降使っていることで有名な、V・ストラーロが開発したテクニカラー版銀のこし)の暗い黄金色トーンが、鬱屈とした人物の翳りを逆光ぎみに捉え、湖や雲の表情をフィルムでしかあり得ない物質感により描いた。圧倒的な映像センスであることは間違いない。交通事故で人を轢いてしまった政治家が、罪のない自らの運転手を身代わりとして服役させる闇取引をし、それが契機となり運転手の家庭が徐々に崩壊してゆくというストーリーだが、家族の誰もが隠し事を持ち、苦いわだかまりを抱えたまま生きてゆかざるを得ない人生の暗部を活写していると絶賛する批評もあった。しかし、私の瞳はある違和感を覚えた。映像を完璧に統御できるはずと信じ切っている作家の傲慢さが画面に漲っており、それが見るものを遠ざけ、感性を凝固させてしまうように思えたのだ。L・V・トリアーやG・V・サントが時に見せるような、完璧なショットを撮ることが、物質と人物の織りなす有機関係を平板化させ、冷却してしまう罠と言えようか。成瀬の人物たちが家庭空間に根を下ろし、息づいているかのように見えること、または、コスタ作品のヴァンダがある自然さととも室内空間に収まっていること。このような人物と空間の有機的な繋がりは、我々が画面に向かって感性を押し広げ、行き渡らせてゆく前提だと思う。しかし、『スリー・モンキーズ』の人物たちは明らかに「遠かった」。物理的にキャメラから遠いわけではなく(数多く鋭利なクローズアップがある)、まるで血の通った人間でないかのような、掴み所のなさを漂わせていたのだ。同じヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の前々作『冬の街/ディスタント』(2002)もスクリーンで見たことがあるが、やはり同じような画面の完璧さで均一化されており、そのシャープな突出がヨーロッパを中心とした映画祭で高い評価を得たようだった。
 興奮にまかせ批評を書いてしまいたいという作品ではなく、しかし、どこかで引っかかっていた『スリー・モンキーズ』の「遠さ」。そのもやもやを解消してくれたのが、年末公開されたソクーロフの新作『チェチェンへ 〜アレクサンドラの旅〜』(2007)であった。試写にゆくこともできず内覧用DVDで見たにも拘わらず、ロシア人作家の画面には感動するしかなかった。巨匠という語が発散させる鈍重なイメージから遠くかけ離れ、『太陽』(2005)、『牡牛座 レーニンの肖像』(2001)の近作を凌駕する圧倒的な出来映えである。

 深夜、チェチェンの戦線へロシア兵の集団がひとりの年老いた女性を拉致してゆく。「いやよ、ひどい」と抵抗する老婆は強引に列車から下ろされ、その大きく鈍重な肉体は、闇の中にぽつねんと見える軍テントへ連行されてゆく。この年老いた巨体の持ち主は、自分の意志でここへ連れて行かれたのだろうか、それとも強制収容として、この長屋のような基地へ連れて行かれるのだろうか。闇の中で抵抗を続け、泣き言を言い続ける彼女を凝視している分には事態はいっこうに明らかにならない。
 しかし、翌日、老女がテントの一室で自分の孫と再会を果たすことで、人はその真意を知り、腑に落ちる。ロシア人作家は過酷な銃撃戦や血が飛び散る大虐殺によってではなく、褐色の世界に佇むテント村と、ざわざわと落ち着きなく屯する兵士たちの時間によって戦争を描いてみせる。『日陽はしづかに発酵し…』(1988)の日本兵のように極寒の大地で身をもてあましている兵士の肉体を据え、不毛そのものを映像化してしまう才能には毎度のように驚嘆してしまう。近年のソクーロフは、母子であろうが(『マザー・サン』[1997])、父子であろうが(『ファザー・サン』[2003])、祖母と子(今作『チェチェンへ〜』)であろうが、肉親同士がひとつの室内空間を共有したとたん、愛を奏で始める。近親相姦、ゲイセックスとも言われかねないが、思わず息を呑むような美しい光の中で接近するふたつの肉体が、スクリーン上で異様な熱気を帯びてゆく。『チェチェンへ〜』では、孫息子が祖母の髪の毛を梳かし三つ編みを結ったり、たくましい腕に祖母の頭を凭せ掛け、添い寝してみせたり、ソフトフォーカスと微少のスローモーションが組み合わされたような、停滞しぼやけた世界へと我々を陶酔させる。前半わらわらと老婆を取り囲んでいた兵士はどこへやら、世界はひとりのロシア人兵士と、そのたくましい腕に身を委ね三つ編みを結ってもらう祖母、このふたりの肉体だけが占有する恋愛空間となってしまう。作品のラスト、汽車にのり軍キャンプを離れてゆくアレクサンドラの横顔を捉えた美しい移動ショットがあるが、これは孫を思う老婆というよりも、男との邂逅を終えて去るときの上気した「女の顔」だった。
 35mmデジタルインターメディアだの、HDだの、と映画におけるフィルムに対するデジタルイメージの可能性、という議論の不毛さは、この作品がHD(私もSony F900 CineAltaで撮られたと知り心底おどろいたクチだ!)で撮影されたことを知れば自明となる。ソクーロフはこのように驚くべき画面を35mmでも、デジタルベータでも既に撮っており、『チェチェンへ〜』が例え35mmリまたはDVで撮られていようがおそらくは傑作になったに違いないと、人は容易に納得できるからである。撮影メディアの違いは、作家の感性により容易に超越されてしまうという事実がここにある。
 『スリー・モンキーズ』の「遠さ」とは、運転手を刑務所に服役させた政治家とその運転手の妻が不倫に落ち、それが運転手の家族にバレてしまうが誰もそれをおおっぴらに口にすることはできないというドラマの凡庸さではない。壮麗な画面を作り上げることに作家が拘泥するあまり、家族同士や、不倫関係の男女の接近・対立が、フィルム言語として肉体化されていないことではないかと私は思う。ショットとは、こましな映像センスの持ち主がフォーマリスティックにアプローチすれば撮れてしまうほど甘いものではなく、混沌とざわめく人間たちの実存の現場を生み出し、その中で身の落ち着きどころを探し倦ねる肉体同士の邂逅をこれしかないという光の中で掴み取る、極めて肉感的な握力が発揮されるものだと思う。ドキュメンタリーだろうが、フィクションであろうが、システム、アプローチの違いはあれど、作家はその肉感的な握力をいかに発揮しようかと思案しつつ被写体と向き合うのであり、それを放棄してフォーマリスティックに美しいショットを撮るだけの作品は、魂の抜けた屍に過ぎない。ソクーロフの肉体の接近を描く技術は傑出しており、親子だろうが、兄弟だろうが、ふたりの人体を同じ画面に収める手つき=演出によりあくまで物質的な官能を作り上げる。その実践があり、初めて通俗的な意味解釈からは遠く離れた映画が生まれるのだと思う。

谷中暮色 Deep in the valley

監督・編集:舩橋淳
脚本:舩橋淳、根岸 彩子
撮影:水口 智之
照明:関 輝久
音楽:ヤニック・ダジンスキー
製作:ENBUゼミナール、デジタルハリウッド
出演:野村勇貴、佐藤麻優、加藤勝丕、小川三代子

2009年/日本/129分/HD
公式HP:http://www.deepinthevalley.net/

12 Mar 2009

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