老いた肉体を引き受けるために──『監督・ばんざい!』北野武

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月永理絵

 前作『TAKESHIS'』(2005)では、売れない俳優の北野武と映画監督・タレントとして活躍するビートたけしというふたりのたけしを登場させながら、最終的にはどちらがビートたけしで北野武なのかという問題などどうでもよくなるほどに、さまざまな"たけし"の姿を混在させてみたわけだけれど、『監督・ばんざい!』でもまた、映画監督キタノ・タケシとそのダミー人形であるたけし人形が二人一組で登場しつつ、そこからさらに複数の映画と俳優・たけしが派生していく。
 2作続けての"たけし"映画となったこの2本の自己言及的なフィルムを見ても、おそらく誰も笑うことなどできないだろう。くだらなさを懸命に演出しようとしている最新作『監督・ばんざい!』をお笑い映画として見ることができる人などまずいないはずだ。それは、ここに映されているくだらなさがあまりに本気だからだ。画面に向かってひたすらコントを重ねていく『みんな〜やってるか!』(1995/監督:ビートたけし)と比べてみるとよくわかるように、ここにはくだらないことをくだらないままに撮れなくなってしまった、映画監督としての苦悩が明らかに現れている。『TAKESHIS'』で、役者を目指す北野武だけではなく、芸能界で成功したビートたけしをも丹念に描いてみせなければならなかったように、自身の姿をネタにしなければすでに映画を撮れないところにまで北野武は追いつめられているのだろうか? そもそも私たちは、北野武の映画を見て心の底から笑えたことなどあっただろうか?  もちろんくだらなさを演出することが如何に困難であるかということくらい北野武は十分自覚しているはずで、むしろ映画によって観客を笑わせることなどできないということを知っているからこそ、北野武はこれほど本気で闘ってみせなければならなかったのではないだろうか。

 初期の作品から一貫して彼の映画に必ず挿入される「笑い」とは、決して笑う者=観客など求めない、それ自体で完結したユーモアであったはずだ。いくつかの作品を除いて、北野武の映画のなかには、いつも自身の顔を堂々と晒す俳優・ビートたけしの姿があった。『その男、凶暴につき』(1989)、『3-4×10月』(1990)、そして『ソナチネ』(1993)までの作品で見せるビートたけしの顔は、いつも沈黙とともにどこかを見つめ続け、観る者を不安にさせていた。そんな不気味な顔から突如「笑い」が生み出されようとするとき、何か宙に浮いた時間が映画のなかに姿を現す。『3-4×10月』で、ブリーフ姿でぶら下がるビートたけしのおどけた姿から、渡嘉敷勝男に自分の女とのSEXを促すシーンへの突然の飛躍を目にしたとき、あるいは海辺のシーンで、人々の間を飛び交うボールが笑いを誘うための道具からいつの間にか凶器に変わってしまうとき、そこには、思わず笑みを浮かべてしまった者がそのうすら笑いを引っ込めることができなくなった気まずさだけが残される。そして、柳ユーレイやダンカンたちがただ黙って見つめるしかないように、「迂闊に笑うわけにはいかない」という不吉な予感だけがポツンと横たわっている。だからこそ、『ソナチネ』での海辺での相撲シーンを見ても、あるいは『HANA-BI』(1997)での岸本加世子との間でたびたび行われるコミカルなアクションを見ても、緊迫感のなかに突如現れた奇妙な時間として眺めることしかできないのだ。

 しかし『監督・ばんざい!』では、こうした宙に浮いた笑いを許さないかのように、徹底して空白の時間を埋めてみせている。そのために用意されているのが、映画の中に設置された演者と観客の関係だ。かつての北野映画では、いつ誰が演者になり誰が観客になるかわからない緊迫感があったために、人々は気まずい笑みを浮かべるしかなかったというのに、この最新作では始めから最後まで、くだらなさを笑う観客が存在し続けている。『菊次郎の夏』(1999)での井手らっきょの一連のコントシーンで、彼を見つめて笑う観客を用意してみせた時から、北野武がすでにこれまでとは違う、本当に人々を笑わせるための「お笑い」を成立させようとしていたのだと見ることもできるだろう。それにしても、『監督・ばんざい!』での観客と演者との関係は、あまりに律儀に用意されすぎている。それらは、テレビのバラエティ番組で不可欠なあの笑い声のように、笑うべきところで笑い、あるいは笑うべきところで笑わずに無理矢理オチをつけようとするギャグを成立させるための型(かた)としてあるにすぎない。
 『TAKESHIS'』での岸本加世子はいわばつっこみ役であり、オフの声として北野武を常にじゃまする存在であったわけだけれど、『監督・ばんざい!』での彼女は、さらにもうひとりの女(鈴木杏)を引き連れ、再びたけしの後を追い続ける存在として登場する。しかしここでの彼女たちの役割は、つっこみ役であることよりも、熱心な観客として設定されていると言った方がいいだろう。
 演壇の上でどこまでもボケ続ける江守徹の前には、律儀に笑い声を立てる若者たちが用意されているし、ビートたけし演じる吉祥寺太が空手道場でコントを繰り広げる際には、今度はまったく無反応な若者たちを観客として整列させている。敵のもとへと送り込まれたビートたけしがマトリックスのパロディを交えたギャグを披露するときにも、やはり追いかけてきた鈴木杏と岸本加世子らが彼のギャグに律儀に反応してみせているし、逃げ出した鈴木杏らがビートたけしと井手らっきょから執拗に追いかけられるシーンでは、最終的に行き着いた先の警察署で、女たちは慌てて警察官たちを外へと連れ出してくる。そして彼女たちと警官たちが見守る前で、ふたりの男たちは思う存分コントを演じるわけだが、まるで自分たち以外の観客を準備するために逃げ回っていたかのように、彼女らは警察官たちとともに律儀に彼らのコントに対するリアクションをしてみせる。
 執拗なまでにナレーションを用い、そしてふたり以上の観客を常に用意させてしまうほどに、北野武は、なぜ人々を笑わせ大げさにコケさせなければいけなかったのだろう。それは彼自身が、そうでもしなければこの映画でくだらなさを見つけることができないとはっきりと自覚しているからだ。くだらなさをくだらないままに撮ることもできず、それでも皮肉な笑いで映画のすべてを壊してしまうために、映画の前の観客たちではなく、映画のなかにいる観客たちを大笑いさせてみせる。そしてこのとき、そんな必死の身振りでしか笑いやくだらなさを演出することができなくなったのは、果たして演出家としての監督・北野武なのか、それとも俳優・ビートたけしなのかという疑問が生まれてくる。
 蝶野と天山の乱闘シーンや『菊次郎の夏』につづく井手らっきょのコントシーンでは、大声で笑うわけではないにしろ、とりあえずそのくだらなさを受け止めることができる。しかし、吉祥寺太演じるビートたけしが果敢にギャグを演じるとき、そして撮ろうとした映画を無理矢理挫折させるナレーションが聞こえてくるときには、絶対に笑えないという不吉な予感が漂っている。まるで軍服のようにも見える青い詰め襟を着込んだビートたけしが佇んでいる様を見て、その悲壮なまでに真剣な表情を見て、笑うことができる者など果たしているだろうか? カンヌ映画祭でのレッドカーペットで見せたあのチョンマゲ姿や、たまにテレビのなかで大仰におどけてみせる彼の姿を見ても不安気なうすら笑いを浮かべるしかないように、私たちはもう、北野武の映画を見て笑えないというよりも、ビートたけしの顔を見て笑うことができなくなっているのかもしれない。

 バイク事故後の顔をためらうことなく画面に登場させた『HANA-BI』からは、俳優としてのビートたけしの肉体を引き受ける何か悲壮な覚悟が感じられた。その後の『Dolls』(2002)ではその姿を見せなかったものの、『BROTHER』(2001)やとりわけ『座頭市』(2003)において、そろそろ老いを感じさせる自身の肉体を惜し気もなく酷使してみせたとき、確かに『その男、凶暴につき』『3-4×10月』での俳優ビートたけしとはまた違う、新たなたけしへと変化した彼の肉体がそこにはあった。『監督・ばんざい!』というこの最新作から、映画監督としての北野武の苦悩と闘いが痛々しいほどに見えてくるのは確かだが、同時に、俳優としての自身の肉体をどのように振舞わせるべきかという苦悩が浮かび上がってくるように思える。だからこそ、ギャング映画風、小津安二郎風、純愛映画風、ホラー映画風……といういくつものジャンル映画風の演出を見ても、演出方法の違いよりもそこでビートたけしがどのように振る舞うのかということに目が向いてしまう。私たちは、ピストルを撃ちまくる彼の姿に以前にはなかった重々しさを感じ、ただの老人のようにしか見えない内田有紀とのツーショットに過剰な物語を見出し、そしてワイヤーアクションの明らかなキレのなさを目の当たりにするだろう。この映画は、まるで次々に仮装をくり返すビートたけしの無様な姿を延々と見せるためにあるようだ。
 そもそもお笑いタレントとしてのビートたけしは、自身の肉体を仮装させることに執拗にこだわり続けてきた。漫才からそのキャリアを始め、ピンとなってからもラジオなどで見せる卓越した話芸がビートたけしの魅力であったのは確かだが、80年代以降の「オレたちひょうきん族」しかり、私たちがブラウン管のなかにその姿を見るとき、彼は常に何らかの仮装、あるいは仮面をつけていたはずだ。ジャン=ピエール・リモザンによる『北野武/神出鬼没』(1999)のなかで、「まるでわざわざ顔を汚すかのように」テレビ番組でいつも仮装をする理由を指摘されると、それはテレビに身を売った者のある種の抵抗のようなつもりだったと答え、しかしいつしか仮装すること自体が自分のトレードマークになってしまい、かぶり者をしていないと真面目に笑いをやろうとしていないと言われるようになってしまった、と苦笑いをしてみせていた。また、俳優としてのビートたけしが悪役を演じることが多く続いたのは、『戦場のメリークリスマス』(1983)で自分の顔がスクリーンに映ったとき、観客席から笑いが起こるのを見て、俳優としてやるならまずはお笑いの顔を封印しなければと思い敢えて悪役を続けたのだ、とも答えている。
 もちろんこうした言動をそのままに受け止めるわけではないにしても、テレビタレントとしても、映画監督としても、自身の顔をどのように変化させるか、その顔が観客にどのように受け止められるかということについては、彼は十分すぎるほどに意識的であったはずだ。事故後のビートたけしが、定番であった仮装を止め素顔にスーツ姿でブラウン管のなかにたびたび現れるようになったのは、彼自身が、自分の姿がもう笑いを誘うものではなくなったことを痛切に感じ取ったからではないだろうか。あの事故の直後の記者会見でまだ後遺症が残るいびつな顔を晒してしまったとき、そして『HANA-BI』においてその顔を大胆にも映し出してみせたときから、彼は自分の体を仮装させるのをやめ、「笑い」からは遠ざかった自身の肉体を引き受ける覚悟を決めたのだ。

 『監督・ばんざい!』が、映画監督・北野武の自己言及的なフィルムであるとすれば、その闘いは俳優・ビートたけしの肉体のなかに現れている。はりぼてのロボットのなかからはい出した彼を見て、鈴木杏が「私、この人と結婚する」とつぶやくように、もう誰にも笑ってもらえないとわかりながらも執拗にコントを繰り広げ、一方で老いた肉体と陰鬱な表情を晒してみせるビートたけしの姿こそ、観るものの胸を打つ。周到に用意された観客たちはこのみすぼらしい肉体を受け入れる鈴木杏の姿を映すためにこそ登場させられたのかもしれない。
 在るべき場所に身を置くのではなく、在ってはいけない場所に、あるいは居場所など絶対にみつからない場所にこそ、自らの身を文字通り置いてみせるその振る舞いのなかに、果たして北野武の映画の未来が浮かび上がるのかはまだわからないけれど、自身の年老いた肉体を引き受ける覚悟を決めたビートたけしが次にどんな姿をスクリーンに晒すことになるのか、私はただそれを見届ける日を待ちつづけたいと思う。

『監督ばんざい!』

監督・脚本・編集:北野武
音楽:池辺晋一郎
撮影:柳島克己
出演:ビートたけし、江守 徹、岸本加世子、鈴木 杏、吉行和子、宝田 明、藤田弓子、内田有紀、木村佳乃 、松坂慶子、大杉 漣、寺島 進、蝶野正洋、 天山広吉
ナレーション:伊武雅刀
プロデューサー:森 昌行・吉田多喜男
製作:バンダイビジュアル、TOKYO FM、電通、テレビ朝日、オフィス北野
配給:東京テアトル、オフィス北野

2007年11月11日DVD発売(販売元:バンダイビジュアル)

06 Feb 2008

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