2006年、フランスにおける成瀬巳喜男の現在

アントワーヌ・デ・メナ

 成瀬巳喜男生誕100周年記念として東京国立近代美術館フィルムセンターで開催された全61本のレトロスペクティヴ(2005年9月〜10月)から1年、今回パリ日本文化会館(MCJP: Maison de la Culture du Japon à Paris)によって彼の31本のフィルムがパリの観客のもとに届けられた(2006年11月〜12月)。1983年にロカルノ映画祭、1998年にサン・セバスチャン映画祭、そして2001年にシネマテーク・フランセーズで行われたレトロスペクティヴに続き今度はMCJPが彼の作品を西洋の観客に(再)発見させた。成瀬はいまだ多くの不遇に遇い、溝口、黒澤、小津の三者からなる主要なレフェランスの後塵者として不当に扱われてきたのだ。
 "Naruse: le quatrième grand du cinéma japonais(成瀬──日本映画4人目の巨匠)"と銘打たれた今回のレトロスペクティヴは大きな成功を収め、48回の上映に9,000人以上の観客を集めた。また計31本のフィルムの紹介(うち5本はフランス初上映)にはジャン・ナルボニによる書物『Mikio Naruse, les temps incertains(成瀬巳喜男──揺らぐ時間)』(Ed. Cahiers du cinéma, coll. Auteurs, Paris, 2006)の出版が伴い、また同じく発売のDVDボックスには3本のフィルム(『めし』[1951]、『浮雲』[1955]、『鰯雲』[1958])とともに貴重なボーナスが収録されている。なかでも特筆すべきは、成瀬の助監督を務めた石井輝男のベルナール・エイゼンシッツによるインタヴューや、彼の多くの作品でキャメラマンを務めた玉井正夫に関する佐藤央の短編ドキュメンタリーだ。さらに、こうした成瀬の仕事を包括する要素には、彼が同名の傑作を作り出した林芙美子作『浮雲』仏訳の2005年における出版を付け加えるべきだろう。

 まず以下に記すのはファブリス・アルデュイニ氏との簡単な質疑応答だ。MCJP映画プログラム責任者である彼に、今回のレトロスペクティヴおよびフランスにおける成瀬の現在に関して聞いた。


──ロカルノ、サン・セバスチャンそしてシネマテーク・フランセーズに続いてMCJPが新たなレトロスペクティヴを企画するに至った理由は?

FA:サン・セバスチャン、シネマテーク・フランセーズでのレトロスペクティヴの後、観客がついに——彼らはすでに小津をよく知っているわけですが——成瀬に向かい合い、その重要性に見合った評価をする準備ができたと我々は感じました。ですから出発点はひとりの素晴らしいシネアストを(再)発見してもらうことで、つまり我々は彼を日本映画の4人目の巨匠としてみなしたのです。また国際交流基金(ジャパンファウンデーション)の協力によって、我々の望んだ通り多くのフィルムがニュー・プリントされ、レトロスペクティヴのヨーロッパ巡回が可能となりました。フランス国内、ドイツ(ケルンとミュンヘン)そしてオーストリアで巡回が現在進行あるいは予定されています。

──長い間フランスのシネフィリーは成瀬よりも小津を好んできました。なぜこのような状況が根強く続いたのでしょう?

FA:彼はキャリア晩年の数作品を完全にはコントロールできませんでした。その事実が実際の才能の評価を貶めてきたことは確かでしょう。1969年まで生きた彼とは逆に、1963年に亡くなった小津は60年代後期のスタジオの斜陽を経験しませんでした。最終期の成瀬はプロデューサーの強制によってまったく自らの意図に反した状況でフィルムを作ることになりました。なかでも挙げるべきは女優および脚本家との契約です。その時期の数作品が彼の全体像に釣り合わない事実はこうして説明されます。

──成瀬の全体像を普及させる作業が終了したいま、今日のフランスの観客が得た彼の認識とはどのようなものだと思われますか?

FA:私が思うに、観客は日本映画の理解においてより成熟し、今後彼らは日常を主題に持つ、より親密さを備えた映画に興味を持つはずです。この種類の映画は現在までその居場所をうまく見つけられず、溝口や黒澤の映画が見せる審美的な魅了を前にして後景に退けられています。おそらくいまや観客は成瀬映画が持つ内容に慣れ親しみ、カップルの間に生まれる心配ごとやら、金銭あるいは不義を巡る問題などに普遍的な観点から感じ入ることができるはずです。そうした日常の数々の物語は見事な技巧において纏められています。それは必ずしも映像において偉大な表現法というわけではないのです。
 最後に私が強調したいのは、今回の30本以上のフィルムの上映がプレスに大きなインパクトを与え、また観客にとっては50年以上ものキャリアに渡る成瀬に慣れ親しむよい機会となったことです。今回のレトロスベクティヴによって、素晴らしい一貫性を持つ彼の仕事の全体像を紹介できたわけです。


 映画批評家であり、60〜70年代には「カイエ・デュ・シネマ」誌編集長を務め、またかつて大学とFEMISで教鞭をとったジャン・ナルボニは、今回のレトロスペクティヴの一環として成瀬を巡る簡単な講演会を行った。主にそこで語られたのは、彼自身の書物で展開されている論考のいくつかだ。この書物は2部構成を持っている。
 第1部でナルボニは成瀬における主題の反復を強調し、小津、ドライヤー、ベルイマン、アントニオーニあるいはトリュフォーといった様々な作家との平行関係を積み重ねる。またチェーホフへの参照によって彼が橋渡しするのは「ある傾向の演劇と映画」であり「それらはともに波乱や派手な出来事に乏しく、生の絶え間なき推移と日々の流れに透かしとられ、日常の反復と時間の過ぎ去りに取り憑かれている」[*1]。  すでに知られた成瀬像とは逆に、彼は細かな差異への鋭敏な感覚とともにさまざまなフィルムのヒロインから一覧を作り上げ、その特徴となる忍耐強さ、生への執着、弱さの拒否によって彼女たちが何らかの悲惨主義の対蹠に位置していることを強調する。また成瀬のリズミカルな性質を明らかにするのにナルボニはまず、それを定義する黒澤の的確な言葉を引用し(「穏やかな表面を持った深い河、その奥底には荒々しい流れが秘められている」[*2])、そしてシューベルトとの音楽的な近親性を打ち立て、両者の多くの共通点を浮かび上がらせる。「スムーズな緊張度、つまり表面上の安楽さと隠されたハーモニーの複雑さ、見かけの脆さと実質的な不屈さ、絶え間なく変化する調子が困惑を引き起こしながらそれを越えた比類なき印象を与える。つまりすべては〈作られた〉のでなく根源から流れ出てきたという印象である」[*3]。さらにこの第1部でナルボニは然るべきプロダクションにおけるコンテクストを幾度も強調し、プロデューサー城戸四郎と成瀬との関係や、その原作からいくつもの代表作が生み出された林芙美子の世界と成瀬の世界との類似を詳細に論ずる。
 この書物の持つ正確さへの意志に敬意を表すべきだろう。それによってナルボニは成瀬における筋立てと登場人物の複雑な交錯を書物のうちに復元してゆく。そうした細心の手付きの下に第2部があり、それは代表作とみなされるフィルム30本の詳細なシノプシスと、ロカルノ映画祭用にオーディ・ボックが編纂した『Mikio Naruse』や、蓮實重彦・山根貞男編のサン・セバスチャン映画祭カタログなど過去の資料を参照した網羅的なフィルモグラフィーから成り立っている。
 成瀬への繊細かつ思慮深い多元的なアプローチによってジャン・ナルボニが断固退けるのは、数多の還元的な批評言説とクリシェな監督像だ。それらは彼の作品を、小市民が描かれた二流のリアリズム映画やら、複雑さを欠いた甘味物へと落とし込んでしまう。だがあらゆる悲惨主義から遠く離れ、登場人物への異化的な接近の綿密さとともに、慎ましくも強靭なリアリズムに結び付く成瀬の作品は、ここではまったく逆に語りと映像の大きな豊かさにおいてその姿を現すのだ。


 今回のレトロスペクティヴの31本のうち20本を見ることで(あるいは再見して)、これまで自分に未知であった様々な角度から私は成瀬を発見するに至った。ジャン・ナルボニが正当に強調するように、成瀬が屋外撮影の嗜好をほとんど持たない〈スタジオ〉監督だとする固定観念は、戦前・戦後の多くのフィルムに見られる外部風景の広がりによってまったく覆される。それはとりわけ『君と別れて』(1933)、『夜ごとの夢』(1933)、『乙女ごころ三人姉妹』(1935)でドラマ全体の要素として使用される港や河川という空間に当てはまる。また数十年後の『秋立ちぬ』(1960)においては、いくつもの工場が散逸し、海流に向き合う広大な空き地が、主人公の少年を迎え入れる。海岸風景を探しに出発した彼らがついぞその風景を発見するには砂丘を回り道する必要があるのだが、それはまるでかつての遺物か自然環境の廃墟かのようにそこへ現れる。その砂漠の空間を扱う壮大な手付きは強いノスタルジックな次元をこのシーンに与え、それを前にして我々は同じく『君と別れて』、『妻よ薔薇のやうに』(1935)、『浮雲』、『杏っ子』(1958)あるいは『鰯雲』に現れる山や海の風景の野蛮な横溢に思いを馳せるだろう。ナルボニが指摘するように、雨、風、太陽の繊細な光、冷たく爽やかな大気や暑さに飽和する大気、あるいは雷鳴の轟き──それがスタジオ内のショットだろうが野外のそれだろうが──などもまた自然の攪乱として、登場人物の感情的な揺らぎとその変化しやすい気質の延長として作用する。そして『稲妻』(1952)──その年の「キネマ旬報」トップ10の第2位となったフィルム──のなかでこそ、こうした自然要素の表現が成瀬において最高潮に達したと私には考えられる。
 『めし』に続き林芙美子の小説を翻案した2本目のフィルム『稲妻』は間違いなく「対位法による傑作であり(…)無数の事件に彩られ、それらが不可視のうちに筋を再開させつつ(死、出発、帰還、別離、資金の強奪とゆすり、欺瞞、結ばれ解消される婚約や交際)、だがそれらの事件はいっさい表に見せられず(その反響のみが姿を現す)、ただ同様のリズムとともに運び流され、ひとつの面となってゆく」[*4]。物語が終わるのは高峰秀子演じる清子と母との間の、不意の異様に激しい口喧嘩だ。緊張度が極みに達するのは、遠くで稲妻が沈黙のうちに空を切り裂き清子の虚ろな視線に光を返すときであり、そこでこそ彼女は自らを変化させ、すぐさま母との和解に赴く。鮮やかな手付きによって慎み深く決定的に、成瀬の用いる手法が強く肯定するのは、そこに描かれた現実とその要素を成す登場人物たちとが生きる絶対的な連続性だ。
 彼の空間──屋外であると同時に親密な空間──が持つこうした統一性と多次元の力によってすぐさま成瀬の作品は日本映画の傑作群のうちに居場所を見つけるだろう。それは、土、水、火、空気からなる四大要素の扱いのうちに激しさとミニマリズムを連結させた山中貞雄の傑作『人情紙風船』(1937)から、野蛮な自然が叙事的な姿で遍在する『デルス・ウザーラ』(黒澤明監督, 1975)までを結ぶ連なりである。この重要な時代的契機たる2本のフィルムは用いられる手法が正反対ながら(『人情紙風船』はすべて屋内のセット撮影、『デルス・ウザーラ』は屋外撮影)、その意図の普遍性において非常に近しく、その2本の間で成瀬は混合的な作品を作り上げる。つまりそこでは舞台装置と野外とが断絶なしに共存しているのだ。複数の筋における非常に平板な些事の数々に完璧に適合しつづけながらも、実際その空間は隠喩的な射程を有している。だがそれは決して手管の見せびらかしとして現れるわけではない

 ここまで本論に渡って述べてきたように、「形式の性質としての万物の有機性」[*5]は成瀬において舞台装置と自然的要素との問題を大きく越えてゆく。まさしくここでは彼の作品に通底する不変性が重要なのだ。成瀬は類い稀な視点から世界を出現させ、そこで扱われる主題──それがどんなものだろうが──を称揚し、それらに普遍的な威厳を与えるのだ。

2007年1月20日、パリ

[翻訳:松井 宏 ]


[脚注]

*1.
Jean Narboni, Mikio Naruse, les temps incertains, Ed. Cahiers du cinéma, coll. Auteurs, Paris, 2006, p.95.

*2.
Ibid., p.75.

*3.
Ibid., p.83.

*4.
Ibid., p.118.

*5.
Ibid., p.167.

03 Feb 2007
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