Q & A with Julien Hirsch(ジュリアン・イルシュ)vol.1

インタビュー

Introduction

 日本でひそかに撮影が進められているジャン=ピエール・リモザン監督のドキュメンタリー。その撮影監督ジュリアン・イルシュ(イルシュは仏語式発音で、日本では通常ジュリアン・ハーシュとクレジットされる)は、ジャン=リュック・ゴダールやアンドレ・テシネ、ジャン=ピエール・リモザンといった映画作家の作品をはじめ、今秋フランスで公開され話題を呼んだ『Lady Chatterley』のパスカル・フェランやローランス・フェレイラ・バルボサなど、若手監督の意欲作を手がけてきた。長年アシスタントを務めたキャロリーヌ・シャンプティエに続く、次世代のフランス映画のトップ・キャメラマンとして注目される彼に、ようやく話を聞く機会を得たのは10月初旬のこと。ようやく、というのも、昨年からすでに何度かロケで来日していたのだが、かなり流動的な撮影スケジュールのために、なかなかタイミングが合わなかったのだ。夕刻、クルーが滞在するホテルに到着すると、ちょうどその日の撮影を終えたイルシュが、ブロンドのウェーブヘアをなびかせてロビーに入ってきた。すぐにホテル近くのカフェに移動して、さまざまな監督とのコラボレーションや映画撮影のポリシー、愛するフィルムについて語ってくれた。時には揺るぎないプロフェッショナリズムを、時にはシネフィルらしい情熱をのぞかせながら。いかにも判で押したような受け答えというより、率直でエモーショナルな対話は、予定の時間をいつの間にか超えて、カチリとテープが切れるまで続いた。
(Special thanks to : Julien Hirsch, Yu Kumagai/聞き手、構成:石橋今日美)


『NOVO』(2002) ©Unifrance Film International

目次

1. キャメラがあれば、より多くの物事が見える
──監督業断念からアシスタント時代──

2. 最もエキサイティングなシネアスト
──ジャン=リュック・ゴダールとのコラボレーション──

3. 軽快なキャメラワークを目指して
──アンドレ・テシネと手持ちキャメラ──

4. 映画作家の言語を理解する
──DVと映像のマチエール──


1. キャメラがあれば、より多くの物事が見える
──監督業断念からアシスタント時代──

── まず、どのような経緯で撮影の分野に?

JH フランスのエコール・ルイ・リュミエール(映画部門、音響部門、写真部門がある国立高等専門学校)を出て、注目していたふたりの撮影監督、当時は若い世代に属していたティエリー・アルボガスト[1]とキャロリーヌ・シャンプティエに電話したんだ。ちょうど彼女は、アラン・キュニー[2]の監督作『L'Annonce faite à Marie』(1991)の撮影準備に入ったところで、一緒に仕事をすることになった。それから11年間、彼女の助手をやって、あるとき、さすがにアシスタントはもういいだろうってことで、撮影監督として独り立ちしたんだ。

── 10代の頃から映画に興味を?

JH そうだね、映画はすごく好きだった。将来映画界で何をしたいかはまだ分からなかったけど、とにかく映画館に通ってた。パリ郊外に住んでいて、そういうところには普通、面白い作品をやる映画館はあまりないんだけど、ちょうど大きな文化施設がオープンして、商業的な大作以外のフィルムをいっぱい見ることができた。世界中の映画に触れることができたんだ。共産主義的な地区だったから(笑)、ロシア映画や、日本映画、当時フランスで見ることができたあらゆる作品を発見した。ヌーヴェルヴァーグの作品もね。70年代のことだけど。

── 一番印象に残っている作品は?

JH たくさんあるけど、映画作家として最も印象的だったのはブレッソン。あの衝撃は忘れられない……

── どんな意味で?

JH あらゆる意味で。まず作品自体が魔法のようで、独特で、そこに流れているエモーションに心打たれた。そして非常に神秘的で明確なフォルムがある。いつも念頭にあるシネアストだけど、あまりにも傑出していて、パゾリーニのように参照項としては使えない。パゾリーニは、映像の面で自分にとって重要な監督。ゴダールは、まさにインスピレーションと発見の宝庫だね。他にも重要な監督はたくさんいるけど……

── ハリウッドのクラシック作品は?

JH それほどでもない。奇妙なことに、フォードやホークス、ヒッチコックといった映画作家の作品は好きだけど、頭から離れないようなフィルムじゃない。

── では早くからルイ・リュミエールに行こうと決めていたのですか?

JH 決意したのは早かった。撮影監督になろうと決めたのもね。在学中、3人の学生にそれぞれ作品を監督する権利が与えられるから、そのために必死で頑張って映画を撮った……。でも壊滅的だったね。

── 壊滅的?

JH そう、大失敗だった。本当に嫌な体験だった。でも写真には興味があって、ルイ・リュミエールは写真に力をいれている学校だから、後悔はしてない。

── 監督という立場で居心地が悪かった?

JH いや、あまりにも多くの能力が必要だった。そもそも悩みの種のひとつだったのが、キャメラを通してしか、物事が見えてこないということ。監督をしていると、撮影の現場では見ていなかったものが、ラッシュには映っている。自分がキャメラについているときは、そうしたことはめったに起こらない。何といっても監督の最も大切な仕事のひとつは、見ること、すべてを見ることだからね。

── キャメラにつく方が、映画に関わりやすい、あるいはよりインスパイアされる?

JH というよりキャメラを担当する方が、自分が作品の役に立っているという印象があるんだ。例えば、キャメラを通して見たものについて語ったり、そうやって監督の仕事に影響を与えたりね。自分は監督よりも、撮影監督のポジションを活用できると思う。

── 物語的な要素、何かを語ることへの苦手意識は?

JH それはない。反対に大好きだよ。むしろキャメラを通した方が、よりナラティヴになれる気がする。僕にとって物語ることは、とても重要なことのひとつなんだ。

── キャメラを介在させると、世界は何かを語るための素材になって、逆にキャメラがないと……

JH キャメラがないと、世界はより不明確なものに思えるね。キャメラがあってこそ、いろんなものがよりよく見えるし、実際、映画を見ている方が、実生活よりも多くの物事が見えてくる。

── それにしても、キャメラを通した方が、よく見えるというのは非常に示唆的ですね。

JH でも同時に、現実よりも多くの物事を見せる作品というのは、偉大な監督によるものであって、どんな作り手にもいえることじゃない。

── 実際、キャロリーヌ・シャンプティエと仕事をしてみてどうでしたか? 彼女はプロとしてかなり厳しく、ある種大変なキャラクターだという気がするのですが。

JH 11年もアシスタントをやっていたからね……。とても強い何かがあったのは確かだね。いわゆる普通のアシスタント、「撮影助手」という気は一度もしなかった。興味の対象を分かち合っているという印象だった。それから根本的なこととして、彼女が組んでいたのが、自分に映画の仕事をしたいと思うきっかけを与えてくれた人々だったという事実があったしね。

── 例えばゴダール?

JH そう、例えばね。

── 一番最初のゴダール作品は?

JH アシスタントとしては『ゴダールの決別』(1993)。

── 彼女との仕事を通して、得られたものは大きかったですか?

JH もちろん。一番初めがアラン・キュニーの作品で、撮影に2年かかったこともあって、最終的には僕が撮影監督として仕上げた。それから、アルノー・デプレシャンの『魂を救え!』(1992)があって、撮影はおそろしく大変だったけど、本当にあらゆることを学べて興味深かった。その後にゴダール作品だね。だからこの3作品だけでも、まさにここが仕事をしたい場だって思えた。短編映画やアルノー・デ・パリエールの長編『Drancy Avenir』(1997)の撮影監督をしながら、11年もアシスタントを続けたのは、やっぱり普通の「アシスタント」じゃなかったからで、そうでなければもっと早く辞めていただろうね。

── 撮影助手というより協力者だったわけですね。

JH その通り。確かに大変だった……。でも重要なのは、仕事に対するヴィジョンをキャロリーヌと共有しているということなんだ。

── 具体的には?

JH 物事に対する見方、何といえばいいのかな、グローバルな視点での取り組み方。イメージは「これがイメージ」というものではなくて、ひとつのアンサンブルなんだ。それは撮影班だけに関わるものじゃない。映像は一種の全体性であって、そう考えるだけでも、仕事への姿勢が変わってくる。同じ時期に、別の撮影監督ふたりについたこともあったけど、結局いつもキャロリーヌのところに戻っていた。そこに仕事の共同体があると分かっていたし、焦点距離を測るだけのアシスタントにはならなかったしね(笑)。


2. 最もエキサイティングなシネアスト
──ジャン=リュック・ゴダールとのコラボレーション──

── 撮影に際しては、どのようなアプローチを?

JH 監督に実際会ってみるまでは、シナリオ自体は重要じゃない。いつもオファーがあった作品の脚本を読んでから、監督に会う。シナリオを読みながら、「何でこのために、僕に声をかけるんだ?」って自問することもある。監督との出会いがあってはじめて、一緒に何かやることがあるって思えるんだ。「何かやること」っていうのは、「自分にできる何か」という意味だけど。

── 撮影監督としてのゴダールとの再会は?

JH 『ゴダールの決別』から10年くらいして、彼の方から電話をくれた。ゴダールという人は撮影助手と近い関係を持つこともあるんだ。ウィリアム・ルプチャンスキーのアシスタント、クリストフ・ポロックと組んで数本撮ってるしね[3]。ゴダールに近況を聞かれて、何か見せてくれないかといわれたから、『Drancy Avenir』を見せた。それから約4年間、彼の短編を何本か撮ることになった。ゴダールの仕事はよく知っていたから、誰かを発見するという感じではなかったね。未知の領域に足を踏み入れたわけじゃなかった。分からなかったのはむしろ彼の仕事において、自分がつくべき場所だった。

── 彼は仕事に関して非常に厳格?

JH 厳格という言葉は違うと思う。何というか、とてもミステリアスなんだ。こちらがいろいろ解釈して、やらなければいけないこと、あるいはやってはいけないことを把握していく必要がある。彼を理解するのは簡単じゃない。時間もかかるし、注意深くあることも欠かせない。実際の現場では、彼は最もエキサイティングなシネアストのひとりだし、とにかくその人のためにベストを尽くそうという気になる監督だね。

── 100%尽くす、という感じ……

JH そう。そんな気持ちにさせる映画作家はいるね。

── ゴダールはキャメラの位置などに関して、細かい指示は出さないんですか?

JH 彼は本当にあらゆることを見てる。こっちが照明のスイッチを入れて、それが気に入らないと、消すようにという。でも一度はつけてみないと、それが役に立つのか、立たないのか、ゴダールが判断できない。フレームも彼にとって重要な要素になってくる。

── フレーミングはその都度、彼自身が確認を?

JH 毎回、彼がチェックしてる。ただ僕が関わった作品は、ちょっと特殊かもしれない。というのも、固定ショットやキャメラの台車だけを動かすトラヴェリングの場合は、ほとんど彼が自分でフレームを決める。でも『愛の世紀』(2001)のヴィデオ・パートの一部と、特に『アワーミュージック』(2004)には、移動ショットがたくさんあったから、すべてのショットのフレーミングを僕がやることになった。何がフレームに入っているのか、逐一彼に説明していった。モニターがなかったし、たとえモニターがあっても、ゴダールは見ないからね。

── なるほど。エキサイティングな現場という感じがしますね。

JH 触発されることが多いのは、ゴダール自身がものすごい働き者だから。彼は文字通り休みなく働くんだ。撮影がないときでも、仕事場で何かしている。だから、その世界に入るだけでも非常にエキサイティングなんだ。


3. 軽快なキャメラワークを目指して
──アンドレ・テシネと手持ちキャメラ──

── ゴダール以外に、アンドレ・テシネのようなヴェテランのシネアストや、フランスの若手監督と共に仕事をされていますが、監督によって、撮影のやり方もその都度違ってきますか?

JH もちろん。取り組み方は、それぞれぜんぜん違ったものになる。でも、そうやって変化させること自体が、僕自身のやり方ともいえる。撮影監督には大きく分けて、ふたつのグループがあると思う。お互いに対立しているのではなくて、物事の見方に二通りあるという意味だけど、一方にはある映像世界を持っていて、偉大な撮影監督になれるような人々がいる。例えばダリウス・コンジ[4]とかね。彼らは独自の映像世界のために必要とされる。でも僕にはそんな世界はない。いきなり何もないところで映像を頼む、といわれてもできない。自分には監督や、何が起こるのかをきちんと把握したシナリオがいるし、現場に入るスタッフは誰なのかを知る必要がある。そうしたことすべてが、ひとつひとつのイメージを撮ることにつながっていくんだ。そして、決して同じ人々と組むことはないから、同じ映像にはならないし、仕事の仕方も変わってくる。

── テシネはどんな人物ですか?

JH どんな人物か? ……彼は作品通りの人だね。実は、テシネとはちょっと特別な時期に出会ったんだ。当時、彼は自分の作品について、いろいろ思い悩んでいるところだった。アシスタント時代、すでに『溺れゆく女』(1998) で顔を合わせていたんだけど、彼が連絡をくれたときは、とても奇妙な感じがした。

── それは『Les Temps qui changent』(仮題:移り行く時、2004)のために?

JH そう、『Les Temps qui changent』。ドヌーヴとドパルデュー主演という点も魅力的だけど、ほぼ全編手持ちキャメラで撮ろうとテシネと決めた初めてのフィルムでもあるんだ。おまけに1台のキャメラでね。これまで彼は手持ちキャメラを使わなかったし、キャメラはいつも2台だった。でも僕は2台で撮るのは大嫌いだから、その辺りはお互い同意して、彼は手持ちキャメラに親しんでいった。とうとう手持ち以外はやらせてもらえないくらいにね。個人的には、本当に気に入っている仕事なんだ。

── 舞台となるモロッコの港町、タンジェールの光は特別なものでしたか?

JH 特別だね。そもそも初めて訪れた土地だったし、光はなかなか厄介だった。セット自体が難題で、テシネは一貫して窓や、内と外の出入りがある戸口にキャメラを向けるシーンを求める。それは技術的には簡単なことじゃない。特に手持ちキャメラの長回しとなるとね。あらゆる方向に動けるようにしておかないといけないし。大変だったけど、やっていて楽しかったよ。彼の次回作[2007年3月フランス公開予定の『Les Témoins』]も同じような手法で、ほとんど全編、手持ちキャメラという点は変わらないけど、もっと抑制がきいて、落ち着いた感じに仕上がってる。

── 撮影手法の変化のおかげで、彼の映画が若返ったような気がします。テシネ作品に長らく見られなかった、新鮮さ、躍動感が見出されます。それまでは、何となくどんよりとした閉鎖感がありましたが、この作品でそれが一気に打ち破られたというか……

JH それは、彼自身が「撮影された舞台」はもうやりたくないと思っていた時期に、ちょうど僕と組んだからでもあるんだ。彼は演劇的なものからできるだけ遠ざかろうとしていた。そこから、手持ちキャメラのアイディアが浮かんだ。ある種の軽さを目指したかったんだ。彼はそれまでの撮影監督たちを、撮影に時間がかかりすぎる、重苦しいと批判していた。僕自身は、そうならないようにしたいという気持ちをよく分かっていた。アンドレにとっては、監督とキャストのための時間をできるだけ多くとることが本当に重要なんだ。だからリハーサルもほとんどしなかったし、大体の配置を決めたら、後はもう勢いで撮っていくという感じだった。ただ彼の場合は、モニターをフルに使う。画面を見ながら、「今のは全然よくなかった」とか「それだ、それで行こう」とコメントする。そうやってワンシーン・ワンショットでどんどん撮り進めて、決して同じ位置にとどまることはない。結果的に、空間演出の設計や配置に必要な時間を要することなく、かなりの数の異なるショットが撮れた。こうしたやり方は大好きなんだ。ゴダールとは無関係だけど。

── ゴダールの場合は、もっと熟慮されている?

JH 非常にね。いろいろ考え抜かれているから、ひとつのショットを撮るときに、それがなぜそうなるのか、半分でもその理由が理解できたら大したものだよ。


4. 映画作家の言語を理解する
──DVと映像のマチエール──

── これまで仕事をしてきた他の映画作家は、撮影について細かい指示を出しますか?

JH 僕はキャメラに関して、しっかりとした考えを持っている監督しか知らない。とりわけ撮影監督と一心同体になるような関係を築く映画作家たちと仕事をしてきた。そうじゃなければ不幸だよ。技術的な巧さのためだけに、起用されたこともある。道具のように扱われていると感じたら、単に機能的に動くこともできる。実際、そんなこともあった。喜ぶべきことじゃないけどね。引き受けるとしたら、一度きりだ。反対に、一度組んだ監督から声がかかるのはうれしいよ。前作で期待に応えたということの証明だから。自分にとっては重要な問題なんだ。

── 撮影を担当したいと思う監督に自分からアプローチしたことは?

JH 一度もない。最初の一歩を踏み出すのは、監督であって欲しい。大部分の監督は、何か自分がやったものを見てから連絡をくれる。でも、また仕事をしたいとは言ってこないんだ(笑)。僕が撮影した作品をもとに話し合いを始めるのは、すごくいい出発点だと思う。すべての映画監督は、それぞれ違った言語で話すから。色やコントラストについて語る人、光の揺らめき、エモーションについて語る人。こうしたことは、人によってまったく違った意味を持ってくる。シネアストの言語を理解することは、何よりも大切。でなければ、手探りで進む羽目になる。

── 監督との相互理解は、会話中心に?

JH 話すことがメインになるね。ゴダールはときどきデッサンすることもある。後は、例えばゴダールとひとつの画面、それも動きのあるショットを撮るときには──固定ショットだと、彼は頭の中で組み立てて、何も触ったりしないからね──、彼はキャメラの動きをじっと見ていて、僕がファインダーから見えるものを伝えると、「いや、もっと速く」、「もっと機敏に、いや、もう少し緩やかに」って……

── それぞれの監督に対する抜群の適応能力があるということでしょうね。

JH 適応できないと感じたら、引き受けない。撮影できないと思うよ。

── インタビューを始める前に、デジタル・ヴィデオカメラ(DV)での撮影をいくつか断ったという話でしたが、それはなぜ?

JH ドキュメンタリー作品を1本、DVで撮ったことはある。でもそれは、撮影が楽で、お金もかからなくて、明るくない場所でも撮れるなど、僕から見れば最悪の理由でDVを選んだ監督ではなかったから。さらに、その作品、アルノー・デ・パリエールの『Disneyland, mon vieux pays natal』(2002)という大好きなフィルムのための撮影法を発見したからでもあるんだ。この特別な経験を除けば、ヴィデオを使うと、撮っている間、キャメラを通して見えるものに集中しているのは自分ひとり、という気がするんだ。現場に何となくヴァカンスの雰囲気が漂って、そのせいで監督と同じムードに本気で入れなくなってしまう。ヴィデオを使いたくないのは、「これがフィルムじゃないのは残念」と思いながら撮影するのは嫌だからでもある。『Disneyland』は、映画のフィルムでは実現不可能な作品だった。だから、これに関してはヴィデオで撮る正当な理由があったんだ。

── 精神的な面も含めて、あらゆる点で違いが出てくると……

JH まったく違った道具だからね。僕はマチエール、ものの質感がとても重要だと考えている。ヴィデオの撮影で気づくのは、マチエールがまったくないということ。だから、ものの厚みをどう表現したらいいのか、輪郭がくっきり浮き出たらどうするか、映っているものが何か別のものを象徴したら……と、問題は尽きない。

── 映像自体がフラットなものになる?

JH ヴィデオではとらえきれないものがある。例えば、灰色に曇った天気。それでもやはり主に質感、映像のマチエールの問題だね。

── 色は?

JH 色については、面白い効果が生まれることもある。照明をちょっといじったりしてね。とはいえ、ウールのセーターとアクリルのけばけばしいTシャツの違いは絶対に出ない。ゴダールとヴィデオで撮影できるのは、ヴィデオと特殊なつながりを持つ映像作品だから。でも、マチエールがドラマチックな要素になる映画作家、例えばリンチみたいな人の場合、ヴィデオで作品を撮るなんて想像できない。いつか撮るかもしれないけど、『ロスト・ハイウェイ』(1997)や『マルホランド・ドライブ』(2001)を見ると、ヴィデオじゃできないって思うんだ。もちろん、同じオブジェや色を撮影することはできるけど、映像になったときには決して同じものにはならない。例えば『マルホランド・ドライブ』に、布のカバーみたいなものから始まって、キャメラがシーツをなでるように進んでいって、急に真っ暗になるショットがあるけど、こういう画面はヴィデオでは同じ効果は出せない。ブレッソンの『スリ』(1959)では、警官の高級感があって、暖かそうな分厚いウールの上着と、主人公の化学繊維っぽい貧相な上着の違いに目がいく。こうしたことは視覚的に強く訴えかけてくるし、雄弁だね。スリの小さな上着を着れば、姿勢も違ってくるし、ひとつひとつの動作がくっきりと強調される。それに対して、警官にはブルジョワ的な柔らかさが漂っている……

── そうしたことが、つまりは「映像のマチエール」?

JH その一部だね。なぜなら、イメージ自体の質感もあるから。粒子があるのか、ないのか、それは荒いのか、細かいのか、といった映像の質感。

── 女優の肌は?

JH それは別格。メイクと照明による別次元の仕事だから。ゴダール作品では、メイクしないから、ほとんどが照明の仕事になるね。女優の肌を撮るのは簡単じゃない。どんな顔であっても、クロースアップで20メートルのスクリーンに拡大されるとなると、気軽には扱えない。これはあくまで一般論だけど、フォトジェニーが非常に重要な作品もある。『NOVO/ノボ』(ジャン=ピエール・リモザン監督、2002)では、とても気をつかった。他の作品では注意しなかったというわけじゃないよ。フォトジェニーもフィルムの言語の一部で、監督とコンセンサスをとる必要がある。監督にとってそれが本当に大切であれば、仕事の他の部分を犠牲にしていかないといけない。

── 撮影監督として、これだけは譲れないというものは?

JH 僕が求めることはひとつ、監督が満足してくれること。キャストとの衝突も避けるようにしてる。雲行きが怪しくなったら、すぐに監督に話す。ケンカしたって何の役にも立たないし、敵意を持ってキャメラの前にいる人は撮れないからね。こうした細々とした事柄も、すべて映像と直接関係あるんだ。これまで、スタジオ撮影と呼べるものはやったことがなくて、スタジオの外ではフレームにいろいろ制約がついてまわる。さらに、それぞれの監督のやり方というものがある。こうした撮影の条件には、僕は割合簡単に適応できる。

── 監督と俳優のコラボレーションに加えて、撮影監督とキャストのコラボレーションといったものが想像できますが、例えばドパルデューとドヌーヴとはどんな感じだったのでしょう?

JH 『Les Temps qui changent』では、カトリーヌ・ドヌーヴとの強い関係があった。でもそれは、僕が手持ちキャメラでいつも近くにいたから。そういうやり方に彼女は慣れていなかった。おまけに、ラッシュを見たのが、彼女と僕のふたりだけだった。アンドレは見たがらなかったし。僕にはフィードバックが、撮影班以外でラッシュを見た人と話す必要があったから、カトリーヌ・ドヌーヴとの間に重要な関係が生まれた。彼女はアンドレ・テシネと親しい協力者だから、そこから一種の強力な三角関係ができて、うまく機能したんだ。

── ドパルデューとは?

JH 彼は手持ちキャメラをすごく気に入ってた。リハーサルがほとんどなくて、撮影が素早く進んでいく点もね。だからいい関係が築けた。もちろんそれは俳優とキャメラの関係だけど。早さと一種の切迫感から生じる関係性は、彼と相性がよかったんだ。実際、この作品のドパルデューは本当に素晴らしくて、感動的だった。こんな彼を見たのは久しぶりだね。


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脚注

1. ティエリー・アルボガスト Thierry Arbogast
撮影監督初期作に、ジャン=ピエール・リモザン監督『夜の天使』(1986)、リュック・ベッソン監督『ニキータ』(1990)、アンドレ・テシネ監督『深夜カフェのピエール』(1991)などがある。

2. アラン・キュニー Alain Cuny
俳優(1908-1994)。出演作に『甘い生活』(1959)、『カミーユ・クローデル』(1988)など。『L'Annonce faite à Marie』(訳題『マリアへのお告げ』)は唯一の自作自演作。

3. クリストフ・ポロック Christophe Pollock
『新ドイツ零年』(1991)、『フォーエヴァー・モーツァルト』(1996)、『愛の世紀』(2001)。ルプチャンスキー撮影監督作『ヌーヴェルヴァーグ』(1990)に撮影助手として参加。

4. ダリウス・コンジ Darius Khondji
主な撮影監督作に『デリカテッセン』(1991)、『セヴン』(1995)、『ナインス・ゲート』(1999)など。

15 Dec 2006
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