第19回東京国際映画祭レポートvol.1

三浦哲哉

【10/21 土曜日】

 第19回東京国際映画祭が開幕した。16時から、六本木に敷かれたレッドカーペット上に内外の映画人たちが続々と登場し活況を呈したが、オープニング作品を監督した御大クリント・イーストウッドの姿はそこにはなかった。『父親たちの星条旗』と、続く『硫黄島からの手紙』のプロモーションのために彼が来日するのは11月のことらしい。代わりに、この日もっとも注目を浴びたのは我が国の首相、安倍晋三だった。ポピュリズムをまるごと相対化してしまうかのような『父親たちの星条旗』が上映される場に、世界から右傾化路線を危険視されてもいる安倍晋三が現れるということ。ともかくも映画の孕む批評性が尖鋭化した瞬間だった。
 安倍はセレモニーの中で「日本映画の海外普及に取り組む」旨を強調したが、これは来年度からの映画祭再編を睨んでの発言だと思われる。経済産業省が推進しているコンテンツ振興関連事業の一環として、2007年から東京国際映画祭は、東京ゲームショウ、東京国際アニメフェアと共に「国際コンテンツ・カーニバル」へと統合されることがほぼ決定しているのだ。経済産業省の事業趣旨自体はまったく正しいし、東京国際映画祭がこれまでしてきた日本映画の「海外普及」が十分ではなかったことを考えれば、このようなテコ入れの機会は受け入れるべきだろう。
 ただし、国際映画祭の多くがマーケティングの場であることは常識ではあるが、コンペティション部門が有名無実化していいということにはならない。どの映画に賞を与え、どの映画に賞を与えないか、その選別いかんによって、映画祭全体の信用が決まる、といったら言い過ぎだけれども、ともかく、「販売促進」と並行して、是非まともな「権威」を築くことを願う。来年からの大規模な変容を前に、第19回目を迎えた東京国際映画祭は、一本筋の通ったヴィジョンが示せるだろうか。
 コンペティション部門の上映作品は全部で14本。「商業性と芸術性」を共に満たすものがセレクトされた、とある。加えて、「国際色の豊かさ」、「ローカリティー」、「新しい才能」などが選定の基準となっている。デンマーク、中国、韓国、オーストラリアなど広い地域からそれぞれ作品が選ばれており、新人監督によるデビュー作も多く目につく。 さて、その内実はどうか。ともかくもスクリーンに視線を注ぐべきだろう。


『2:37(TWO THIRTY 7)』(@プレス試写)

 友人が手首を切って自殺し、そのあと自分も「14錠のコデイン全てとジムビームをボトルの4分の3ほど」飲んで死のうとしたという監督、ムラーリ・K・タルリが実体験をもとに、若干19歳で制作を開始したという作品。ただし、文法無視のギラギラした映画なのかと思いきや、実に知的かつ冷静に構築されている。ガス・ヴァン・サントの『エレファント』(2003)を参照しているのはあきらかだし、コンペティションであることを考えるとちょっと許容範囲を超えた似かただとも思ったが、単なる模倣にとどまらない形式的な試みもそこかしこに見られる。才気の走るステディカム。ただ、若年俳優たちが実に器用に演じている高校生たちはものの見事にステレオタイプで、絶望が見え隠れするにも関わらず、全般的にはアッパーなハイスクール・セックス・コメディの雰囲気が期せずして瀰漫(そして実際、みんなセックスのことばっかり考えている)。


『考試』(@プレス試写)

 中国の東北部、とある過疎地の小学校に20年間勤務した女教師の実話をもとに、本人たちが総出演して作られたドキュメント・ドラマ。先生と児童達の間に交わされる愛情が描かれるのだが、「文化庁推薦」のような枠で公開されることを想定しているのだろうか、行儀が良すぎる。

 かなりかっちりしたシナリオがある様子で、出演者が自発的に振る舞うという具合にはなっていない。キアロスタミを引き合いに出すのははばかられるが、それにしても先生の話し方や歩き方の固さには目を覆ってしまう。素人俳優にありがちなことだが、手のやり場に困っているのがわかる。先生の旦那が飲んべえで、貧しいはずなのにトラ皮張りでめかしこんだ中型バイクを乗り回していたり、そういうひょんな細部には惹かれるが、いかんせん段取り臭く、結局のところフレーミングが被写体の自由を拘束してしまっている。


『グラフィティー』(@プレス試写)

 新人監督や、いまだ紹介されざる監督たちのタイトルが並ぶこのコンペティション部門は、「才能の発掘」といったら聞こえはいいけれど、あきらかに破綻してしまっているような映画が紛れ込む危険もある。「恐るべき子供」なんていうけれど、「映画が簡単に撮れるはずはない」という単純な事実を確認して終わる場合がいかに多いことか。とくにまず役者の演出で躓くケースが多い。

 と、考えていた矢先、映画大国アルメニア出身の監督が届けた『グラフィティー』の堂々たる貫禄にはただただ圧倒されてしまった。鈴木則文のようにおおらかで、晩年のサム・フラーのように破天荒。そう形容しても決して誇張にはならないだろう。
 モスクワの美学校からロシアの片田舎にやってくる主人公は、ただハンサムなだけでなく、チャウ・シンチーのように洗練された軽さがある。彼を取り巻く老人たち、中年たちがまたことごとく魅惑的だ。でっぷりと太った体にウォッカを流し込む仕草のいじらしさ。

 『グラフィティー』には批評家受けするような前衛性は希薄だし、形式上の実験がこの作品の持ち味ではない。この映画の作り手たちは、伝統の上にしっかりと足を据える。それはアクション映画の伝統だ。肉体に語らせること。例えば、青々とした草原に戦車隊の長い長い列が出現し、それを見た飲んだくれの老人が満面の笑みで踊りだす。孤独なせむし男の運転するバキュームカーが村を巡回し、愛しのひとに向けてクラクションを鳴らす。また、いざというときはそのホースがきっちりと武器に変貌する……。伝統というよりは「たかが映画」という余裕だといったほうがいいかもしれない。こういう映画は、だから、常に絶対的に新しい。


『ドッグ・バイト・ドッグ』(@プレス試写)

 日本のスクリーンやブラウン管では、刑事が容疑者相手に暴力をふるような場面はとんと見なくなったけれど、『ドッグ・バイト・ドッグ』に登場するのはまさに暴力刑事。なぐるけるは当たり前。水の入ったバケツに相手の頭をゴボゴボとつっこむ水責めなどなど、非道。しかも全員無能。大丈夫なのか、香港警察。
 十字架を背負ったふたりの主人公のバトルの周囲には悲惨が幾重にも取り巻く有様で、殺人、拷問、近親相姦、嘔吐、帝王切開、等々の残酷メニューが次々と消化され、そしてふたりが辿りつくのは、阿鼻叫喚の地下闘技場だった……。確信犯的に不快指数上昇を目指すこの手のバイオレンス・ホラーを楽しめるかどうかは、設定の過剰さに託された作り手の遊び心をいかに汲み取れるかにかかっている。もちろん汲み取る義理など誰にもないのだけれど。


『クロイツェル・ソナタ』(@プレス試写)

 トルストイの翻案映画。いまの映画市場で、「トルストイ」というキーワードで売れるのだろうか。はなはだ心もとない。映画自体の内容は、豪華な「昼メロ」といったところか。ただそれでも、細部細部がほんの少しずつ貧乏くさい。ヴィスコンティのように、調度品からして本物の中の本物というわけにはいかない。当たり前だけど。
 ヒロインのヴァネッサ・インコントラーダはエマニュエル・ベアール似の美人なのだが、撮り方に不満を覚える。「肉欲」がテーマだからなのかもしれないが、胸をむんずと掴まれたり、なんだか扱われ方が「安い」。



【10/22 日曜日】

 オーチャード・ホールに行列ができている。会期中、渋谷109の前では映画祭日報が配られる。すでにプレス試写で数本のコンペティション作品を見ていたのだが、すっかり『グラフィティー』が基準になってしまった。上映が平日なのだけれど、是非、少しでも多くのひとにこの作品を見て欲しい。


『魂萌え!』(@渋谷オーチャード・ホール)

 阪本作品の中で、友人といまでもよく話題にのせる名場面がある。『愚か者 傷だらけの天使』(1998)の中盤、豊川悦司が覆面をかぶり田舎のプロレスに参加して、トップロープ最上段からフライングボディーアタックを敢行するところ。あそこでカメラが引いて、ガリガリの豊悦の身体を大観衆の中にポツンと見せる呼吸には本当にしびれた。『魂萌え!』にもこれに匹敵する場面がある。夜の中央線の車内にて、まばらな乗客の中に混じって窓際に立つヒロインの風吹ジュンが前ぶりなしに嘔吐するところ、さらにこのカットの後、窓に頭をもたせかけた顔のクロースアップ。群集のなかの独りのスター、全盛期のネオレアリスモのような。
 59歳にして夫と死に別れたひとりの女性が改めて人生の歓びを発見するというのがこの作品の筋なのだが、もちろんここに阪本はかつてのようなケレン味たっぷりのショットを紛れ込ませることはしない。ごく慎ましい画面が続くだけである。しかし、ぼんやり空を見上げたり、あるいは窓の外の景色を見下ろしたりという動作を捉えた仰角や俯瞰のショットが繰り返されることで、人称を越えた、生と死とを越えたなにものかが画面に充満しはじめるかのよう。映写技師として働く彼女を見上げるラスト付近のロングショットも素晴らしかった。冒頭で彼女が空を見上げる動作と対応しているからだ。
 主演の風吹ジュンほか女優たち、みんないいが、特筆すべきは三田佳子だろう。死んだ夫の携帯電話先の声としてまず登場するのだけれど、その慇懃な話し方の裏から匂うドギツい官能。また、いよいよ姿を現すファーストカットの衝撃は並みではない。この瞬間、三田はカトリーヌ・ドヌーブを超えていたかもしれない。


『浜辺の女』(@プレス試写)

 ホン・サンス最新作。シナリオを書きあぐねている映画監督役にはキム・スンウ。友人のチャンウクには気鋭のコメディ・リリーフ、キム・テウ。「監督、さっきの店に戻って店員に謝ってください」「なんで謝るだ」「あんな態度、人としていけませんよ」「あいつが悪いんだ」「僕は絶対譲りません、戻って謝ってください」……というようなやりとりが繰り返されるうちに、彼らの滑稽な打算や成算が浮き彫りになる。名人芸ともいうべき会話の面白さ。ただ、上映時間2時間12分は少し長く感じた。


『チェンジ・オブ・アドレス』(@プレス試写)

 歴史あるジャンル・自作自演コメディ映画の新顔、エマニュエル・ムレ登場。眉毛のつながったファニー・フェイスが早くも本国フランスではえらい人気だという。ムレ氏の芸風は、あえていえばルビッチ。不条理な台詞を涼しい顔でいってのけるところ、いかにも優雅なのである。『チェンジ・オブ・アドレス』は、派手さはないが、細部まできっちり管理された完璧主義者の作品だ。生活雑貨の色彩ひとつとってもいちいち趣味がよく、ローバジェットでもまったく貧乏くさくない。シネフィル的な自足感もないではないが、ムレ氏のとぼけたたたずまいで相殺されている。

 だがなんといってもシナリオの面白さがずばぬけている。予定調和のハッピーエンドが「まんまと」実現されるのだが、その「まんまと」のさじ加減がいい。2年にいちどくらいのペースで、ムレ氏の新作を見れたらすごく嬉しい。日本配給はまだ決まっていないようだが、まずこのそっけないタイトルをなんとかしたいところだ。



vol.1 vol.2

10 Nov 2006

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