ヨコハマ国際映像祭フォーラム・レポート vol.1

三浦哲哉

ヨコハマ国際映像祭2009 CREAMフォーラム
基調講演 「35年後──「見出せないテクスト」再考」

「今、わたしたちは映像の海を前にして毎日生活をしています」と、この映像祭のパンフレットには書かれている。従来型の「映画祭」ではなく「映像祭」を開催することの意義がここに集約されている。事実、「映像」はあまりに急速に日常生活を浸食し、改めて距離をとって観賞する──たとえばスクリーンの上でじっくり眺める対象であるだけはもはやなく、すでにわたしたちを波のようにさらってゆきかねない「環境」になろうとしている。わたしたちの日常そのものが、いまや一種のインスタレーション・アートになりつつあるといえるのかもしれない。数十年前ならば美術館やギャラリーのなかでしかありえなかった映像のかたちが、いまや日常に溢れかえっている。ヨコハマ国際映像祭は、そのような今日的な様相における「映像」に広く焦点をあてるべく企画・開催されたといえるだろう。

 おそらく、ここでは相反するふたつの姿勢が求められている。ひとつは、さらに深く、この「映像の海」のなかに潜ること。映像祭のキーコンセプト「ディープ・ダイブ」である。毎日の生活を取り巻く映像もすでに充分すぎるほど刺激的であるが、それを上回る徹底的な映像の奔流に身を投じ、アーティストたちが作り出した加速装置のなかで、その最先端を体験すること。そのことで、いまだ萌芽的にしか現れていない映像社会の未来像を透視することができるかもしれない。もうひとつは、映像の流れから一旦、身を引き剥がし、いわば波止場から、醒めた反省の眼差しを様々な海流に向けてみること。未来へむけてわたしたちをせき立てる奔流に乗る前に、あらためて、過去から現在へ至る大状況を俯瞰することもまた、必要とされているだろう。
 その意味で、映像祭の初日、新港ピアにおいてなされたレイモン・ベルールの基調講演は、今日的な映像の様々な奔流を見極めるための揺るぎない視座を確保するための、絶好の波止場になった。

 ベルールは映画研究の大御所として、とりわけ記号論の流行とともに最も原理的に過激化した70年代フランスの映画研究の立役者のひとりとして知られるが、70年代後半からは映画だけでなく、ビデオ・アートをはじめとする多種多様な表現に対して極めて旺盛な批評活動を展開している。ベルールの講演は「35年後──『見出せないテクスト』再考」と題された。彼が語るのは、その氾濫と普及ぶりばかりが喧伝される映像の姿とは対極にある、「見出せないテクスト」──語っても語っても逃れてしまう、本質的にはかない映像の姿だった。加速化し、ますます増殖する一方の21世紀の映像の状況においても、真に問題なのは、そのような「見出せなさ」であると語ることで、ベルールは映像祭全体に力強い楔を打ち込むかのようだ。

 「見出せないテクスト」とはなにか。ベルールの講演はその説明に尽きているといってもいい。これはそもそも彼が映画の分析にいそしんでいた時代、1975年に用いた言葉である。映画は、見出せないテクストであるとベルールは言った。どういうことか。まず第一に、映画はその物質的な意味で、見いだしがたい。現在のようにDVDも衛星放送もVHSもなかった時代、綿密な分析をしようという場合、それはフィルムそのものへアクセスし、編集機にかけて検分することを意味した。当然、それは非常な困難を伴ったし、また、とうてい万人に開かれているわけでもなかった。第二に、より本質的な理由であるが、映画は引用することができない。というよりも、引用したとたんにその元の性質を変えてしまう。文学におけるテクスト研究ならば、基本的には作品の言葉を、そのまま本質的な変更なしに引用することができるし、また言葉はそれ自体、有限の文字と単語の組み合わせである以上、それを記号の束に分解することにはなにがしかの根拠があるようにも思われた。ところが映画の分析の場合は事情が異なる。少なくとも書物における映画の分析の場合、元の映画は、言葉と、そして印刷される有限数のフォトグラム(コマ写真)によってそのごく限られた要素によって記述されるしかない。映画は、それ自体が記録であるにもかかわらず(シネマト-グラフ)、引用されることができない。唯一残された手段は、フィルムをフィルムで引用することだろうが、それはもはや記述や分析を超えた創作の領分──ゴダールがしたのはそれである──に属するだろう。この二つの理由によって、映画は、見出せないテクストである。映画それ自体はたえず逃れ去り、したがって映画の分析は、ある意味で不可能を運命づけられた営みなのである。

 だが、なぜそれをあえて言う必要があったのか。映画が「見出せないテクスト」なのは当たり前のことのようにも思える。映画は──とくに35ミリフィルムは、いまだに一般に普及しているほとんどのデジタル・メディアが及ばない圧倒的な情報量を持つ。それが一秒間に24コマの速度で変わり続けるのであるから、人間の情報処理能力が追い付くわけはない。運動するイメージを言葉に翻訳することという本質的な困難があるのだ。文学研究をモデルとして、映画を記号の束に還元することなど初めから無理な相談である。

 ベルールは、なにもただこのような当たり前の事実の確認をしているわけではない。ベルールにとって問題だったのは、映画のテクストを見いだすことにあったのではない。それがほとんど不可能であるからこそ分析の言葉が鍛え上げられる、そのような逆説のなかに彼の掛け金はあったのだと思う。映画そのものを記述することには原理的な困難が伴う。したがって分析者は、分析概念そのものを柔軟に組み替える必要に絶えず迫られる。つまり、映画との不可能な出会いにおいて思考と言葉が賦活されることが、映画のテクスト分析の意義だった。実際に、当時のベルールのテクストを手にとってみたとき、なにより印象的なのはその長大さである。逃れ去る映画それ自体に対するベルールのある敬虔さが、おそらくこのあまりに執拗な思考の冒険を要請していたのだ。また、この逆説は、ベルールの時代の同伴者だったロラン・バルトの転回──システマティックな記号学から、読者ひとりひとりが読む行為によってはじめてテクストを生成する新たな「テクスト分析」への転回とも通じるところがあるだろう。ある種の正解としてのテクストを想定せず、また、そのようなテクストを割り出すための普遍的な解釈格子などありえないと断じることによって、生成的なテクストの分析が開始される。ベルールが構想したのも、そのような意味における「映画の分析」にほかならない。

 ところが、ベルールは「映画の分析」がある時点から困難になると考えはじめる。分析の営みに変更を迫る出来事が1970年代に進行するからである。それはビデオの普及であり、ビデオを駆使した映画研究の新しいアプローチの台頭だった。ベルールは講演のなかで、はじめてその姿を目の当たりにしたときのことについて語っている。フランスのテレビ番組「現代のシネアスト」シリーズにおいて、マックス・オフュルスの『たそがれの女心』が、解説者によって、クリップ映像を用いて分析されたのだ。いまではありふれたことになってしまったが、当時としてはまさに画期的なことだったという。そこでは、引用できないはずのものが、引用されてしまったからである。それ以後の展開については、おおく説明を要さないだろう。VHSはやがてDVDにとってかわり、さらにブルーレイが登場し、衛星放送とインターネットによって映像コンテンツは一挙に普及する。現代のシネフィルたちはそれをせっせと自分のハードディスクに貯め込んでいる。かつて映画がフィルムでしか見られなかった時代は昔日のものとなった。ベルールはその結果、映画があたかも「見出せるテクスト」であるかのように考えられるようになったと診断する。無論のこと、いまでも映画館でのフィルム体験とDVD観賞の間には本質的な違いがある。しかし問題は、映画と言葉の関係にある。かつて「見出せないテクスト」に向かって、ひとは記述の言葉を鍛える必要性に迫られたのであるが、いまやひとは、映画を記述する労をとるまもなく、デジタル化して操作可能になった映像素材を直に編集して引用すれば済んでしまう。少なくともそのような錯覚が蔓延している。だからこそ、ベルールは「映画の分析」の時代は終わったと語らざるをえなかった。彼にとって、映画とそれを記述しようとする言葉の緊張関係は失われてしまったのである。

 その後のベルールの、ビデオ・アート、インスタレーションへの転回は、必然的なものだった。少なくとも分析の営みにとって、言葉がその追い付けなさを突きつけられるのは、それらにおいてであるとベルールは考えたのだと思われる。つまり、映画が「見出せるテクスト」になったかのように見える現在、インスタレーションの領域においてこそ、「見出せないテクスト」の資格にふさわしい実践がなされる。講演の後半は、この新たな「見出せないテクスト」がいかなるものであるかが語られた。2002年にベルリンのグッゲンハイム美術館で発表されたビル・ヴィオラの『Going Forth by Day』。2005年にマルティーヌ・アブカヤ・ギャラリーで展示されたアニエス・ヴァルダの『Les Veuves de Noirmoutier』。アンヌ=マリー・ドゥゲが監修したビデオ・アーティストたちの画期的なDVDコレクション「anarchive」について。ダニエル・ヴァレ・クライナーのふたつのフィルム、『Escape from New York』(1997-2001)と『Le Jardin qui n’existe pas』(2001-2005)。ジェイムズ・コールマンの『Charon』(1989)。そして一度上映した作品をいかなる手段によっても複製ないし翻訳することを禁じたコールマンのポリシーについて。

 これらに共通するのは、戦略は当然それぞれ異なるが、一度限りの上映の状況と作品の経験が不可分であるということである。したがって、これらの作品は引用することができない、優れて「見出せないテクスト」なのだ。『Going Forth by Day』は、複数のスクリーンを配置することによって観客の能動的な参加を引き出し、ひとりひとりに特異な経験を与えている。クライナーの『Escape from New York』は、ふたつのスクリーンを用い、両者がおなじシークエンスを、それぞれ逆向きに進行するように上映する。ここではクロノロジックな継起という枠組みさえ解体されることで、観客の記憶回路への侵犯がなされているのだとベルールは解説する。このような経験が引用できないのはあきらかである──にもかかわらず、それを語ろうとすることに意味があるのであり、ベルールのこの講演はその実演だったといえる。また、そうしたインスタレーションを、DVD化するとしたとき、特定の環境と本来切り離すことのできない、或る一度限りの上映体験を、平板なスクリーンにどのように移し換えるか、そのときどのように繊細な配慮と戦略が必要になるかが「anarchive」シリーズでは示されている。ベルールにも大きな影響を与えたというティエリー・クンツェルの作品を集めた『Title TK』(2006)は、実に648頁という厚さのブックレットが付属して、その映像を補っている。逃れ去る対象そのものへの敬意がもたらすこの長大さと執拗さは、まさにベルールの流儀に通じている。

 映画からビデオ・インスタレーション・アートへ。ベルールの35年に連続性があるのは疑いようがない。彼は、記述者にとっての言葉が決して追い付くことのない対象を追い求めてきたのだ。あらゆる映像が、コンピューターのうえで通約可能な「コンテンツ」として一様に流通し普及するという楽天論があまりに屈託なく主張される現在の状況を鑑みれば、ベルールのこのほとんど反動的とさえいいたくなる姿勢こそが貴重であることは明らかである。グローバルな記号や言葉へ翻訳されてしまうことを頑なに拒む映像の実践、つまり「見出せないテクスト」は、現在こそ必要とされている。

27 Nov 2009

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