恥ずかしさの戦略──万田邦敏『再履修 とっても恥ずかしゼミナール』

三浦哲哉

万田邦敏著『再履修 とっても恥ずかしゼミナール』(港の人刊)
 万田邦敏の批評集は「恥ずかしさ」を主題に書かれた点で、本当に希有で啓発的な書物だと思う。万田のいう「恥ずかしさ」とは、1970年代に「新人類」と呼ばれた同世代のパロディ感覚やシラケの感覚とは、無関係ではないけれども、しかし似て非なるもののことである。では、それはなにか。簡単には説明できないが、本書の頁をめくってみれば、それが或る映画の歴史と結びついた感覚であることが、まず了解されるだろう。ホークスからもヒッチコックからも、さらにはゴダールからもトリュフォーからも、はたまた政治の季節からも遅れて映画を撮り始めた世代の作り手が、もはやうかつには「新しさ」を云々できず、それどころか、なにをやっても膨大に蓄積された映画的実践の模倣にしか見えないという不自由を抱え込んでしまったということ。その歴史感覚が「恥ずかしさ」の源泉にはある。

 万田の傍らにいた作り手たちも皆、この歴史感覚を問題にし、それぞれ独自のスタンスの発明を強いられてきた。たとえば、高橋洋であればこの不自由を「呪い」と呼びかえることで自らの関与の手掛かりを掴んできたといえるかもしれない(『映画の魔』)。黒沢清は「陰謀」としてそれをエンターテイメント化し(『映像のカリスマ』)、ひとまわり世代の違う青山真治は「ユリイカ」と独白し自らの方法序説を打ち立て(『われ映画を発見せり』)、また塩田明彦は「自主」という言葉に求心力を求めてきたといえるかもしれない。彼らはみなこの歴史的な不自由をめぐる「闘争/逃走」のプロセスそのものをそれぞれまず個性的に言説化する必要に迫られ(でないと映画が作れない)、その結果、映画作家にだけではなく、優れた批評家になった。かれらがとってきたこれら戦略の多様性が、現在の映画をどれだけ質的に豊かにしているかは、近年ますますはっきりしてきているし、その結果、この運動はいま正当にも「立教ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼ばれるに至っている。

 『UNloved』(2001)『ありがとう』(2006)『接吻』(2006)によって、いまやこの運動におけるもっとも有力な一翼でありつづけたことが誰の目にもあきらかになった万田もまた、他の誰とも違う独自のスタンスを発明した。それが「恥ずかしさ」の戦略である。いまこの書籍『とっても恥ずかしゼミナール』に万田が散発的に書いてきた批評テキストが集成されたことで、この戦略の全容があきらかになったといえる。
 ではそれは一体いかなるものか、というのが本題なのだが、最初にまず、それを本当に理解するためには、本書を通読しなければならないことを断っておかなければならない。なにか定式や要約としてその答え──「恥ずかしさ」とは何か──を示すことはできないからだ。最初のテキスト、そのものずばり「わたしはいかにして恥ずかしさを克服したか」と題された文章にもそのことははっきりしている。
 この文章が語るのは、一見して徹底的な無駄話である。冗長で無意味な、ただ面白いだけのテキストがここにある。ここで万田がしようとしているのは、なにか含蓄のある結論を出したり、問題を整理・分析したり、その背景を洗い出したりということではなく、ただひたすら「恥ずかしさ」の例を語ること──恥ずかしさとはなにかを具体的に言葉で演出することだけだ。たとえば、「心中天網島」をいきなりそしらぬ顔で「シンジューテンモウトウ」と言う男の逸話。ああ、恥ずかしい。あるいは、池袋で「プラウダ、プラウダ!」と叫びながらカメラの前で売り子の役を演じる女。恥ずかしい。いままさに灰になろうとして舞い落ちるアンナ・カリーナが映ったフィルム・ストリップを掌で受け止めた洞口依子。これもできすぎていて恥ずかしい。だがこの3つのエピソードの結論として、「いかにして恥ずかしさを克服したか」がまとめられることはない。

 その後、「蓮實重彦現象 ハスミ光線の彼方に」など、当時の記録として極めて興味深い話題が続き、議論は核心に接近するような瞬間もあることはあるが、結局のところ「恥ずかしさ」とはなにか、その正体と克服の方法がこれだと語られることは回避される。それでも読者は、話術の巧みさに引き込まれ頁をめくってゆくしかなく、やがてその渦中でふと、「恥ずかしさを克服すること」とは要するに万田の文体のタッチそのもののことであり、結論を述べたりまとめたりという恥ずかしい所作を回避することによって、それが成り立っているのだということが了解されてくる。
 万田は語る。「構図と意味が一致したように見える画面は恥ずかしくみにくい」。たとえば「精神錯乱者が斜めの構図で撮られていたりする」とき。「そこに映画の恥があり、そしてそこに映画の罠がある。だからその罠をきわどく避けることが映画のモラルだ」[133頁]。万田はこの微妙な「きわどさ」を問題にして、自らの語りでも延々と構図と意味の不一致を生産する。たとえば、黒沢清の自作についてのインタビューの体裁をとったテキストを読んでいると、(はじめからどこかおかしいわけだが)「ところで最後に一言断っておかなければならない。私は黒沢清ではない」というオチがつく。くだらなさとすれすれの、「きわどい」回避の身振りが一貫して演じられているということだ。これはもちろん万田の8ミリ映画『四つ数えろ』(1978)以来のフィルムと同質の文体であるといえる。
 またそこで重要なのは、万田が恥ずかしさとは無縁の場所に脱出しうるとは決して考えていないということだ。「シンジューテンモウトウ」の例にあるように、恥ずかしさは無意識の足下からやってくる。自分は恥ずかしくないと思うことこそ、もっとも恥ずかしいという逆説がある。だから「恥ずかしさ」の戦略とは、いまの自分がいかに恥ずかしいかに絶えず感覚を研ぎ澄ませながら、その「きわどい」ところで、のらりくらりと逃れようとし続ける、終わりのない営みのことを指すのだろう。そしておそらくこの点において、蓮實重彦がとりわけその野球論などでおおらかに開陳した無駄話の極意と、万田の文体は深く通じ合っているようにも思う。万田にとって「恥ずかしさ」の感覚は、自身の語り以外に支えのない語りという軽業を可能にする羅針盤のようなものとして機能したのではないだろうか。

 ただし、着地点や結論、世間的常識などから逃れて、つまり「恥ずかしさ」からきわどく避け続けようとする言説が、いま一冊の書物として実現されるにあたり、他者の介入が不可欠だった点は特筆しておくべきかもしれない。「あとがき」にあるとおり、この本の企画は最初から万田の意図としてあったわけではない。編集者の熱意に負けて、「みっともない」と思いつつ、過去に「立ち読みがベスト」と思って書かれた文章が単著としてまとめられたというのが実際だという。おそらく、これはそのような迂路を経由してでなければ、完成しなかった書物なのではないかとも思う。集中的な思索は恥ずかしさの自閉性を肥大させる結果しかおそらく生まない。しかしこの書物は1979年から現在まで、実に30年間にわたる息の長い思索の記録である。万田の軽快な無駄話が、絶え間ない「自覚」と「勇気」を必要とする創作行為の重労働によって支えられていたことは想像にかたくない。

 そしてもうひとつ、「恥ずかしさ」を回避する希有な書物が実現されてしまった理由として、万田がいまや巨匠になりつつあるからという事実も当然ながら考えられる。商業映画監督としての、あるいは教師としてのエスタブリッシュメントがあったからこそ、過去の「きわどい」テキストが書籍になりえた。そのことを真っ先に指摘するのは、誰よりも「恥ずかしさ」に自覚的な万田そのひとである。「ここ4、5年の私は、引き裂かれることによって生じたほころびを必死に取り繕うことばかりに汲々としているようだ」。そして万田は、この『とっても恥ずかしゼミナール』を恥を忍んで発表することによって、再び自身に引き裂きがもたらされることを願うと述べる。この貴重な誠実さがこそが、つまり「恥ずかしさ」の戦略の効果なのだろう。

 しかし、近年の万田のフィルムを見るにつけ、監督自身が「ほころびを取り繕うことばかりに汲々としている」と言うのは、わたしなどには想像もつかないような水準の「闘争/逃走」が問題なのだろうが、それにしてもあまりに自分に厳しいのではないかと思ってしまう。万田の映画におけるある種の無駄話は、「引き裂かれ」というよりも、いまや小津映画の挨拶のような無償の自動性を獲得しつつあるように感じられるからだ。あるいは2007年大分における「聖なる映画祭」で『UNloved』と共に上映されたブレッソン、ドライヤーの域──至高のオートマティスムへ万田は接近しているといったら言い過ぎだろうか。『Unloved』『ありがとう』『接吻』の中で最も際立った無駄話の場面、たとえば森口瑤子の終盤の長台詞、ゴルフ・トーナメントにおける赤井英和の勝利にいたるプロセスの過不足なさ、そして小池栄子の終盤の長台詞。なぜそれが可能なのか本当に不思議だが、ここでは一切のエクスキューズを必要としない──自身にしか支えられていない、ある無償の自動運動が実現されているように思う。

 だが最後に付け加えておかなければならない。純粋な無駄話にかけては、万田邦敏よりも万田珠実の方が上であるという驚愕のどんでん返しの可能性が、本書の後半では示唆されている……。

25 Nov 2009
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