第22回東京国際映画祭レポート vol.1

石橋今日美

 “Action ! For Earth”とエコ・環境問題に対するメッセージをより強く打ち出した第22回東京国際映画祭が10月17日より開幕した。今年は『アモーレス・ペレス』(2000)、『バベル』(2006)で知られるメキシコ出身の映画監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥを審査委員長に、15本のフィルムがコンペティションを競い合う。特別招待作品にはサム・ライミの新作『スペル』(2009)、今年のカンヌのオープニングを飾った『カールじいさんの空飛ぶ家』(ピート・ドクター監督、2009)など話題作が集まり、「アジアの風」は、東アジアから中東までの俊才をフォーカス。「日本映画・ある視点」では個性豊かな若手監督たちの新作が披露される。メイン会場はお馴染みの六本木ヒルズだが、日常のビジネスのための巨大なビルや商業施設に圧倒される空間で、なかなか映画祭の「ヴィレッジ」的な盛り上がりを肌で感じることが難しい。とはいえ、チケットがネット上であっという間に完売した作品もあり、プレスなどのバッジホルダーだけでなく、幅広い層の観客が足を運んでいる印象を受けた。

 映画祭に参加するために日本を離れる場合と異なり、さまざまな制約が発生し、なかなか多くの作品を制覇できない。朝から晩まで鑑賞する疲弊とは逆に無縁となる訳だが……。1作目は本年カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されたエリア・スレイマン監督の『時の彼方へ』(2008)。『D.I.』(2002)から久々の新作は、パレスチナの歴史に、監督の父母と自身の生を重ね合わせた半自伝的なフィルム。1948年、降伏前のナザレ(監督の出身地)から始まり、1970年、1980年を経て、スレイマン自身が俳優として出演する、現在のナザレに至る。冒頭、ものすごい雨の中、車を走らせるタクシーの運転手が、タイトル通り「時の彼方へ」、時系列の軸をあっけなく超えてしまうあたりから、なんとなく「エイゼンシュタインっぽい」気がしてくる。老いた母の背後に爆弾のように突然華開く花火を、窓を用いたフレームにおさめるなど、ひとつひとつのカットの構成はもちろんだが、ショット/リバースショットの編集が、画面内の要素にコントラストが生じるように、実に綿密に計算されており(たとえば有人/無人の空間、静/動)、エモーショナルな効果にも寄与している。ここでいうエモーショナルとは、軍隊の存在と暴力が日常化した世界への安易な悲しみでもストレートな怒りでもなく、「悲喜劇」という一般的に表現されるよりもパワフルな、一種の「途方もなさ」である。乳母車を押す母に、兵士たちは銃を突きつけるが、本作は『戦艦ポチョムキン』ではない。露骨な反権力的イデオロギーの表現のかわりに、殺すぞと脅され、「おまえらがくたばってしまえ!」とすたすた歩き去る母親がいる。また、携帯電話で女の子をくどく少年は、興奮と緊張からか、同じ場所を行ったり来たりするのだが、同時にいかつい戦車の大砲が彼を狙って、機械的に同じ動きをしていることなど眼中になく話し続ける。
 ステレオタイプな軍隊と市民の対立、それにまつわる群衆の悲劇の演出をあまりにも軽々と、誰にも真似できないスケールで超えてしまう「途方もなさ」がここにはある。かつてインタヴューしたアモス・ギタイはパレスチナ問題について、「疲労がすべてを終わらせる」と語っていた。スレイマン作品には、涙が枯れ果てるまで、最期の血の一滴が流されるまで苦しみ、親から子への世代に渡って消耗しきってしまうような疲労は感じられない。人々が争う、その争いの不条理さの極限に作品は、見事なまでにあっけなく到達してしまう。クラブミュージックにのせて(実際、エンドクレジットはかなりポップ)慟哭と爆笑を同時にしてみせるようなフィルムである。

23 Oct 2009
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