K編集長のcinema days vol.1

石橋今日美

ゾエ・カサヴェテス『ブロークン・イングリッシュ』(2007)

 単なる同姓の偶然ではなく、あのカサヴェテスの娘の処女長編作。となるとやはりソフィア・コッポラの名も映画のPRで引き合いに出される。作品と直接関係ないが、ふたりはプライベートで非常に仲が良い(オムニバス作品『ニューヨーク・ストーリー』[1989]のフランシス・F・コッポラ監督、共同脚本・衣装ソフィア・コッポラによる『ゾエのいない人生』の「ゾエ」は偶然か、と思わず邪推したくなる)。「もし私の名字がスミスだったら、こんなに簡単にはいかなかったでしょうね」とソフィア・コッポラは、長編デビュー作の製作条件が恵まれたものであった事実を認めているが、監督としての独自のポジションを築くのに苦戦している兄のローマンを見れば分かるように、当然ながらシネアストの「サラブレッド」が続々と自然に生まれるわけはない。この作品でゾエ・カサヴェテスが、客観的にファミリーに恵まれた点は、冒頭そのたたずまいが、寛大さに満ちた輝きを放つジーナ・ローランズをキャスティングできたことだろう。だが、ヒロインの母親に扮する偉大なママの存在は濫用されることなく、作品はNYのホテルのVIP顧客の対応に追われるノラ(自身の名前が役柄より主張する女優ではなく、「インディペンデント映画の女王」パーカー・ポージーの起用は大正解)にフォーカスしてゆく。

 30過ぎのシングル、マンハッタンのワーキング・ウーマンの世界といえば、『Sex and the City』(2008)が想起されるかもしれないが、本作はその対極にあると言ってもいい。「カリスマ・スタイリスト」パトリシア・フィールドが「バービー人形を着せかえる気分」で揃えた最新モードの衣装、セックスまつわるオープンできわどい会話、観光ツアーが組めるホットなロケ現場……きらびやかでファッショナブル、刺激的なイメージが売りの『Sex…』だが、その根底には「女の友情」「嫁入り」という古今東西、今昔を問わない主題があり、4人の登場人物のキャラクター、関係性は何度も映画化されてきた古典「若草物語」に集約されるだろう。対してゾエ・カサヴェテスは、「私の王子様探し」やガールズ・トークの表層的な陽気さでは救われない、現代の独身女性のよるべなさ、存在の耐えがたい「重さ」を浮き彫りにしてゆく。周囲の女性がゴールインする中、結婚はおろか恋人もいない自分に焦燥感を抱くこと自体に疲れ、哀しんでいるかのようなノラ。鏡をのぞけば、それなりに年齢を重ねた自分から目をそらすことはできない。かといって、アグレッシヴなまでにフェミニティーを主張し、能率的にパートナー探しにいそしむニューヨーカーにはなりきれない。そんな彼女がある日出会ったのは、訛りのある英語で情熱的に口説くフランス人ジュリアン(役柄を楽しんでいるかのようなメルヴィル・プポー)。彼にようやく心を開き始めたところで、ジュリアンはパリに帰ると言い出し、ノラに一緒に来ないか、と誘う。その言葉に決断できなかった彼女だが、女友達の所用につき合ってパリへ。メガロポリスで自分自身を失いそうなよるべなさはここで、異邦人としてどこにいるかも分からない男性を探して、漂泊する心に重なる。そこには、ハリウッド映画が継承してきたエッフェル塔や凱旋門、「モードの都」の華やかさなど、記号としてのパリは登場しない。見る者はノラと共に石畳の道をさすらう。恋する女性の盲目さに敢えて身を任せ、あてもなく彷徨っているうちに、いつしか突き抜けたような解放感、ネガティヴな感情にとことん翻弄された後のささやかなカタルシスが彼女の全身から漂ってくるかのようだ。そこに至るために、監督はヒロインを異郷に向かわせたのかもしれない。不意にやってくるラストは、単なる予定調和ではない。パリほど出会いの「主観的偶然」の奇跡が似合う街はないからだ。ノスタルジックではかないガーリーな世界でも、はじけたラブ・コメディでもない、「私」が落とすリアルな影に繊細な光をあてた「ウーマンリーな」1本。

『ブロークン・イングリッシュ』 BROKEN ENGLISH

監督・脚本:ゾエ・カサヴェテス
製作総指揮:トッド・ワグナー、マーク・キューバン
撮影:ジョン・ピロッツィ
衣装デザイン:ステイシー・バタット
編集:アンドリュー・ワイスブラム
音楽:スクラッチ・マッシヴ
出演:パーカー・ポージー、メルヴィル・プポー、ドレア・ド・マッテオ、ジャスティン・セロー、ピーター・ボグダノヴィッチ、ベルナデット・ラフォン、ジーナ・ローランズ

2007年/アメリカ・フランス・日本/98分

12月13日(土)より、恵比寿ガーデンシネマ・銀座テアトルシネマ他全国公開



アレクサンドル・ソクーロフ『チェチェンへ アレクサンドラの旅』(2007)

 第一次大戦中、フランスの空軍でパイロットとして活躍したウィリアム・A・ウェルマン監督の戦争映画に『戦場』(1949)がある。クリスマスの直前、ベルギーのバストーニュで優勢な独軍に苦戦する米国第101空挺師団からは、戦争映画というジャンルが期待する戦闘のスペクタクル性やたくましいヒーロー像を見出すことは困難だ。そこに描かれるのは、見えない敵に怯え、寒さと濃霧に震える苦難に満ちた停滞の時間、ひもじさと疲労を抱えた男たちの姿だ。なかでも印象的なのが、空腹にあえぐ彼らが卵を手にする場面である。兵士のひとりは貴重な食料を食べ損ない、割れた卵をヘルメットに入れたまま、重い足取りで仲間に続く。戦争映画において兵士の身体の一部のように頭部を保護するはずのヘルメットに生卵、割れた卵への恥も外聞もない執着。それは、どんな派手な銃撃戦や空中戦よりも戦争というものの本質を捉えたイメージではなかったか。人殺しという非日常が日常化され、人間の三大本能をとことん抑圧して、常に生死の境にある戦争の極限状況、そんな状況下で生きることとは何か、をヘルメットの生卵は雄弁に語りかけてくる。そしてアレクサンドル・ソクーロフの新作は、ウェルマン作品の生卵を想起させずにはいられない。

 報道統制下にあるチェチェンの最前線でオールロケを行いながらも、本作には戦闘場面は皆無である。「戦争に美学はない」と言い切るソクーロフは、無論若い兵士たちを英雄化することもない。『アレクサンドラの旅』というタイトルが示唆するように、作品を牽引するのは、ロシア駐屯地に勤務する孫のデニスを訪問する老婦人アレクサンドラ、撮影当時80歳の世界的オペラ歌手、ガリーナ・ヴィシネフスカヤの存在そのものと言っても過言ではないだろう。快適さとはほど遠い列車の旅を経て、彼女と共にわれわれは孫デニスのいる戦場に降り立つ。熱気と埃がこもった兵士たちのテント群で、愛する孫との再会を果たす彼女は、周囲に希釈されたような見えない戦争の狂気に、まったく動じる様子を見せない。たとえその心底に破壊に対する行き場のない怒りと悲しみがあったとしても、そうした感情さえも超越した人間的なスケール感を彼女はたずさえている。そして「ここじゃ何もすることがない」と兵営のゾーンを超えて、爆撃の爪痕が残る町に向かい、ロシア語が堪能な敵国であるチェチェンの女性と仲良くなり、彼女の自宅で供されたお茶の味についてあれこれ愚痴りさえする。そして、チェチェンの青年に送られて、駐屯地まで戻ってくるのだ。孫のテントに帰ってゆく彼女を見送る青年をキャメラはないがしろにしない。彼のまなざしには、目の前の殺戮者たちへの憎悪を超えた何か、戦争の不条理さに改めて不意打ちされたような衝撃と悲哀が入り交じり、見る者に決定的な印象を残す。ソクーロフは非日常が日常化された世界をスペクタクルに仕立てることなく、こうした非戦闘員たちの奇跡的な「日常性」、かろうじて保たれた人間性の身振りを照射する。それが最も際立つのは、デニスが祖母の解き放たれた長い銀髪を三つ編みにする場面だろう。シルバーの優しい輝きを放ちながら背中に流れる柔らかな髪の毛と、武器を扱う無骨な手がふれあい、編み目がひとつひとつできていく様は、一瞬二人がシェルターによって別の時空間において守られているかのような錯覚さえ覚える。すると、それが幻であるかのように、ソクーロフは希有なひとときを共有する祖母と孫の姿を乳白色の光でフェードアウトさせる。大尉である孫はほどなく別の戦地に移動を開始し、戦車の列を見送りながら、アレクサンドラは、列車に乗り込んで帰路につく。大量殺人からあらゆる大義名分や美化、偽の「正義」を取り払った明晰さで、彼女が士官に問いかけていた言葉は、低くうなる戦車のエンジン音にかき消されることなく、ラストまでわれわれの心にこだまする。「破壊ばかりで、建設はいつ学ぶの?」

『チェチェンへ アレクサンドラの旅』 ALEKSANDRA

監督・脚本・撮影:アレクサンドル・ソクーロフ
製作総指揮:ドミトリー・ゲルバチェフスキー
編集:セルゲイ・イワノフ
音楽:アンドレイ・シグレ
出演:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、ワシーリ・シェフツォフ、ライーザ・ギチャエワ

2007年/ロシア・フランス/95分

12月20日(土)より渋谷ユーロスペースにてロードショー

03 Dec 2008

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