第21回東京国際映画祭レポート vol.5

石橋今日美

 04年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞と女優賞をW受賞した『ヴェラ・ドレイク』(2004)の監督マイク・リーの新作、WORLD CINEMA部門出品の『Happy-Go-Lucky』(2007)。一瞬「リー違い」(スパイク・リー)?!と思ってしまうほど、一変した作品世界に驚く。まさにタイトルを体現するかのような若き小学校教師の主人公ポピー(サリー・ホーキンス)は、タフなユーモア精神とオープンマインド、寛大さと強烈な個性の持ち主。カラフルでエキセントリックなファッションも、主人公のキャラクターと陽気なハーモニーを奏でて実に印象的。『アメリ』(2001)のヒロインのごとく、お人形めいた「不思議ちゃん」ではなく、成熟した女性の内面も持ち合わせている。この人物造型の厚みとその存在自体が全編を通して作品の魅力となっているあたりは、準備期間に時間をかけてキャストと話し合い、登場人物を作り上げていくシネアストならではというべきか。映画において観客を泣かせるよりも笑わせる方が難しい、とは定説だが、本作はポピーの日常世界をめぐる「喜」「楽」と「怒」「哀」を絶妙なバランスで描いてゆく。それが最も際だつのが、女性主体のフェミニンな世界にいささか異分子的存在として介入してくる自動車学校の教官との関係だろう。仏頂面で口数の少ないシリアスな教官が、次第に不愉快な本性をあらわにしてゆくと、どんな時でも落ち込むことを知らないかのようなポピーでさえ、ブルーになってしまう。「実存的問題」に直面するヒロイン、という表現はいささか大袈裟だが、彼女が他者とのつながりにおいて、本来持ち合わせていたポジティヴなパワーを回復してゆくくだりが、限られた台詞で丁寧に綴られる。ラストで友人と公園の池のボートの心地よい揺れに身を任せるポピーの姿は、空疎にドラマチックな「泣かせる映画」の安易なカタルシスからほど遠く、見る者の心にそっと絆創膏を貼ってくれる。

 なかなか連日通うことが叶わなかった今回の映画祭で、個人的に喜ばしいサプライズ・フィルムだったのが、WORLD CINEMA部門、メキシコの若手監督フェルナンド・エインビッケによる『レイク・タホ』(2008)。映像表現の形式主義と形容すればよいのか、まず全編に及んで登場人物たちに対するカメラのアングルがほとんど正面、背面、90度に分類され、「もっともらしく」見える角度や被写体に近い距離からのショットは少ない。あたかもカメラが登場人物たちに接近することを知らないかのように。辺鄙な田舎道で車を衝突させた主人公の少年が、町に戻り修理屋を探す様子は、彼が画面左から右へ歩く固定のロングショットの連続で綴られる。画面を直線的に横切る彼の他には無人の空間にやけに目立つさまざまな看板を見ていると、作品世界が2次元に収斂し、グラフィカルな絵はがきになったような錯覚さえ覚える。修理に必要な車の部品を求めて、少年は年老いた機械工、カンフーおたくの自動車部品の店の少年とそこで働く若い母親に、いわば「たらい回し」にされ、なかなか目的を達成できない。画面構成で大胆さを見せつけるエインビッケ監督は、共同執筆のシナリオでも語りの果敢さを発揮する。車を直すことが作品の主軸のプロットかと思いきや、次第に少年の家庭が、野球選手だった父の死によって耐え難い空虚に変容したことが明らかにされる。部品探しの途中で挿入される、生前父を知る男性が彼に手渡すユニフォーム、浴室に閉じこもったままの母親の数ショット、家の庭にテントを張って暮らす弟との短い会話といった最低限の要素で、無の「存在」が立ち上がってくる。そもそも乾燥した埃っぽい作品世界のどこに、タイトルの湖があるのか、それは何かの象徴でしかないのか? 車の修理がようやく終わっても、答えが見つからない素朴な問いは、ラストで解決される。父親に関する記事を集めたスクラップブックをめくる幼い弟は、父の死という事実を理解していない。少年はあえて説明することなく、まだ足りないものがあると指摘し、車に張ってあったステッカーをはがして、張り直す。カメラがアップで捉えたステッカー、そこにはいかにも観光客向けの派手なデザインに「Lake Tahoe」の文字が記されていた。ビジュアルとシナリオ構築の両面において、見る者を肯定的にうならせるフィルムだが、次はどのような作品に挑むのか。形式的に同じ手は通用しないだろう、などと早くも楽しみになってくるのだった。

[完]

23 Nov 2008
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