第21回東京国際映画祭レポート vol.3

石橋今日美

 映画は時間の芸術である、などと書くと、埃をかぶった映画の教科書を開いてしまったような気もあるが、WORLD CINEMA部門出品『シルビアのいる街で』(バルセロナ出身の監督ホセ・ルイス・ゲリン、2007)はまさに映画独自のアート性を軽やかかつ親密に証明してくれる。物語はひとりの青年(近寄りがたく現実離れした美男子でもなく、赤貧にあえぐヒッピーがかった美学生風でもない、繊細な面影のグザヴィエ・ラフィトはナイス・キャスティング)が4年前に愛した女性シルヴィアに再会しようと仏ストラスブールにやってくるという、あってないようなもの。その「あってないようなもの」感は、ネガティヴな印ではなく、本作の魅惑といってもいい。かつての恋人と偶然すれ違うことを待っている青年を、冒頭からまったくといっていいほど説明的なショットを排除しながら、映し出す。台詞らしい台詞は一切なく、筆者のように、何の予備知識もなしで映画を見た者は、彼に寄り添う形で作品の時空間を体験する。陽の当たるカフェのテラスで、目の前で談笑している女性客たちをひとりスケッチする彼。主観ショットや彼のまなざしを共有するのではなく、主観的な時間の流れ、彼の寄る辺なさにさえ次第に心地よく包み込まれ、シンクロナイズしてゆく希有な感性の贅沢がここにはある。スケッチブックのアップには、シルビアではない女性たちが美しい白昼夢のようにかわるがわるデッサンされる。デッサン用紙がこすれるかすかな音に、どこかミツバチのささやきにも似たカフェの環境音。サウンドの精密な設計も、作品に対する見る者の知覚を一層鋭敏にしてくれる。
 青年はある日、シルビアと確信する、その佇まいが透明感に満ちた若い女性(ゲイが養子をもらおうと奮闘する仏映画『Comme les Autres』[2008]では、がらりとキャラクターが違う、タフで可憐なコメディエンヌぶりを見せてくれたピラール・ロペス・デ・アジャラ)を見かけ、彼女の後を追う。タイトル通り「シルビアのいる」街のさまざまな場所を通り過ぎてゆくふたり。女性の後を男性が無言で追う、というごくシンプルなアクションが、あらゆるドラマの可能性を秘めているように見える。そして、ついに再会か、と思いきや……トラムの中で、思い切って声をかけた女性はシルビアではなかった。ストーリーのクライマックスでもある、人違いが判明するまでの演出は、これまでのピッチを裏切る過剰なドラマ性を求めない。シルビアは永遠に幻影となってしまった失望感がかすかに漂うが、ふたりの出会いは恋の始まりを見ているかのようでもある。男女の始まりと終わりがとけ合うほんのひととき。そのミステリアスで宿命的な時を経て、青年は再びひとり街の中に戻る。一切の無駄やひけらかしを捨てたとき、現代映画がいかに外界の事物から、豊かな広がりを持つ想像的世界を創造できるかを体現するフィルムだった。

13 Nov 2008
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