White Light / White Heat──
S・スピルバーグ『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』

月永理絵

長い空白を経てつくられた「インディ・ジョーンズ」シリーズ最新作を前に、一体なぜ今になって新作がつくられる必要があったのかと、思わず首をかしげてしまった。しかし、おそらく最新作『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』がつくられた一番の目的は、老いたインディ・ジョーンズに、もう一度光の射す場所に眼を向けさせることにあったのだろう。『未知との遭遇』(1977)を思い起こさせるそのラストシーンで「何か」が出現した一瞬、画面に映りこんでいたのはインディ・ジョーンズの後ろ姿のみであった。インディの旧友であり今回の旅の案内役であるオックスリー(ジョン・ハート)はぐったりとその場に座り込み、その物体と同じ画面には映されない。それどころか、第1作に引き続いて登場したマリオン(カレン・アレン)は、21年前にインディが発したある言葉を忠実に守るかのように、息子のマット(シャイア・ラブーフ)とともに頭を地面に垂れ、決してその姿を見ようとはしない。だからこそ、ひとりぽつねんと佇むインディの後ろ姿を目にするとき、私たちは、それまで暗い影に覆われていた彼が、ここで新たな光を見つけたことに気づくのである。

前作『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989)から、劇中でも、そして映画の外でも同じように経過した19年という時間のなかで、スピルバーグやジョージ・ルーカスが、それぞれの映画監督(プロデューサー)としての地位や評価を大きく変えたのは、誰もが認めるところだろう。しかし『クリスタル・スカルの王国』を覆うのは、何も彼らの変化だけではない。この長いブランクによるもっとも大きな事件は、ハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズの老いである。肉体の衰えは当然のことながら、最初の登場シーンからすでに、その顔には何とも言えない疲労の表情が浮かんでいるのを見逃してはいけない。冒頭において「もう若くない」と彼につぶやかせることで、その疲労の原因をもっともらしく説明してみせてはいるけれど、そんな言葉で片付けられないほどの何かを、彼は背負ってしまっている。その理由を追求するかのように、やがて彼とアメリカ合衆国との関係が、前3作までのそれとは大きく変わってしまったことが判明する。インディが第二次世界大戦中には政府の諜報活動を行っていたこと、しかもベルリンでは二重スパイとして活躍し、軍部の要人からも信頼される働きぶりを見せていたことさえ証言されるのだ。

その物語が常に政治や歴史に言及していたとしても、インディ・ジョーンズ自身は、ただの考古学者として、あるいは墓泥棒として、政府とは何の関係もない個人としてあらゆる問題に対処してきた。シリーズのなかで明確にアメリカ政府の存在が映されたのは、おそらく第1作の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)だけだったはずだ。ドイツからの電信についての意見を求めにきた軍部の男ふたりは、ナチスが狙う聖櫃の捜索をインディに依頼する。そして、聖櫃を手に入れたインディは最後にワシントンを訪ね彼らに宝を受け渡すのだが、当時の彼は政府からの要請で聖櫃を探しにいくことも、単に後ろ盾を得たというくらいにしか感じていないようで、まだ政治との関わりについて無邪気な様子を見せている。第2作の『魔宮の伝説』(1984)ではあからさまなアメリカ政府の姿は描かれないし、『最後の聖戦』でもまた、彼が行動を開始するのは父親を助けるため、そして聖杯を探し出すためであり、ヒトラーの姿を目の当たりにしても、彼にとっては祖国を守ることよりも聖杯を見つけること、そして父親を助け出すことの方がずっと大事だったはずだ。ところが、『クリスタル・スカルの王国』でのインディには、そのような無邪気さは見られない。「軍の倉庫に用があるわけがない」と自嘲気味につぶやくとき、そしてKGBのエージェントでもあるスパルコ(ケイト・ブランシェット)に10年前に見たはずのある遺体について問われたとき、彼が不意に見せる、後ろめたいとしか言いようのない奇妙な表情。それを見れば、彼がアメリカ軍の施設や彼らの策略に決して無関係ではなかったという事実がわかるだろう。この19年間に経験したであろうインディの影の歴史が、その瞬間ふと画面に立ちあらわれるのだ。いまや、彼は孤高のヒーローではなく、戦時中のアメリカ合衆国との関係を背負った、元スパイでもある年老いた男としてそこにいるのであり、それこそが、何とも居心地の悪そうな、疲労しきった表情の理由でもある。

『クリスタル・スカルの王国』が、そのシリーズのなかでも、とりわけ『レイダース』と大きな関わり方をしていることは、マドンナであるマリオン役のカレン・アレンの再登場からもすぐにわかる。21年前に出会った彼女と再会し、彼女が自分の息子を生んでいたことを知る。さらに、スパルコに捜索を強要される、ネバダのアメリカ軍倉庫は、第1作でアメリカ軍部によって葬り去られたあの聖櫃が眠っている場所でもある。そして何よりも、『レイダース』で衝撃を与えたラストシーンが、ここでもまた繰り返される。前作では、聖櫃から溢れる光を目にすることで強大な力を手にしようとしたナチス陣営の顔面および身体を崩壊させ、今作では、すべての知識を得ようとしたスパルコが瞳から火を噴き出しながら身を滅ぼしていく。

『レイダース』のラストシーンで私たちを驚かせたのは、主人公たちふたりが救出される際に、目を閉じるという手段がとられたことだ。縄で縛り付けられたわれらがヒーローは、聖櫃のなかから飛び出す怪しい光を見た瞬間、「絶対に目を開けるな」とヒロインに告げ、固く目を閉じたまま自分のまわりで起こっている何かをやり過ごそうとする。彼らが目をあけたときには、聖櫃の蓋は閉じられ、その光を目にした者はすべて消え去っているのだった。『キッスで殺せ』(1955)を思い出すまでもなく、櫃から溢れ出す無気味な光は、すぐさま核の存在を思い起こさせる。こうして第1作からすでに、インディは核の恐怖という暗い影にさらされ、強烈な光を前には目を閉じるしかないことを学んでいたのである。

核といえば、今作のなかでもっとも物議を醸すといってもよいシーンのひとつが、インディが遭遇する核爆弾の実験シーンだ。ネバダの軍事基地内につくられた核実験用の町に逃げ込むと、実験開始のアナウンスが突如鳴り響く。もちろん、彼は咄嗟の機転でそのピンチを乗り切るわけだが、安全な場所に逃げ仰せたとでもいうかのように呆然ときのこ雲を眺めるその姿には、誰もが違和感を覚えるはずだ。ただ鉛の塊に身を隠しただけで、あれほどの近距離でまともにきのこ雲を眺めることが、果たして可能なのか? 一瞬の光に対しては目を閉じることに成功したわけだが、きのこ雲を目にしたとき、決して目にしてはいけないはずのものを見てしまったことに、彼は気付いていたのではないだろうか。だからこそ、最後にあの「何か」が現れる一瞬、彼だけはひとり立ち尽くし真っ正面からそれを見つめようとする。まるで、自分にはもはや目を閉じることは許されていない、とでもいうかように。驚くことにその後ろ姿は、きのこ雲を前にしたときのそれとまったく同じ姿なのだった。

アメリカ政府の姿を最後の瞬間まで映さないことで、その影の歴史を浮かび上がらせた『ミュンヘン』(2005)や、幼い娘の瞳を黒い布で覆うという、目を閉じることをさらに衝撃的なかたちで映してみせた『宇宙戦争』(2005)などは、その画面の黒さや物語の陰惨さが、かつて「インディ・ジョーンズ」シリーズを撮ったスピルバーグの作品とは思えぬ暗さを見せていた。本作品は、一見、これらの作品の後につくられたとは思えぬほど、気楽さと明るさを前面に押し出した映画のようにも思える。しかし結局のところ、スピルバーグが、そして『シンドラーのリスト』(1993)以降にタッグを組み続けているキャメラマンのヤヌス・カミンスキーがその暗さを封印したのは、以前のシリーズがもっていた明るさに立ち返るためではない。ここでは描かれない、インディ・ジョーンズが体験した空白の19年のなかに、その黒い影はしっかりと刻まれている。だから、マリオンとの結婚式シーンにおいて、異様なほど白い光に包まれた映像を目にしようとも、何も驚くことはない。私たちの目には見えなかった光が「何か」から溢れ出す瞬間を、きっとインディはひとり目にしていたのだから。『クリスタル・スカルの王国』は、疲弊しきったインディを、もう一度光の前に立たせることを使命とした映画なのだ。しかしその光が決して目にしてはいけないものである以上、それがまた別の暗い影を落としているという事実に、インディは今後どのように立ち向かうのだろうか。

『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』 INDIANA JONES AND THE KINGDOM OF THE CRYSTAL SKULL

監督:スティーヴン・スピルバーグ
製作総指揮:ジョージ・ルーカス、キャスリーン・ケネディ
脚本:デヴィッド・コープ
撮影:ヤヌス・カミンスキー
編集:マイケル・カーン
音楽:ジョン・ウィリアムズ
配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン
出演:ハリソン・フォード、シャイア・ラブーフ、レイ・ウィンストン、カレン・アレン、ケイト・ブランシェット、ジョン・ハート

2008年/アメリカ/122分

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公式サイト:http://www.indianajones.jp

18 Jul 2008
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