ファンタジックな「サスペンス」
──『ナルニア国物語 第2章カスピアン王子の角笛』

石橋今日美

 「原作に忠実、見事な映像化!」──世界的に名高い文学作品のシリーズが相次いで映画化される昨今、こうした賛辞には、ある種の空虚さを覚える。例えば「彼女は衣裳だんすの扉を開け、中に入った。」という一文が原作にあったとしよう。どんな相貌の「彼女」なのか? いかなる照明、アングルで一連の動作を撮るのか? キャメラは、たんすの中にまで入るのか? などなど、このたったワン・フレーズさえ、作り手にさまざまな選択を迫る。いうまでもなく、1冊の小説は、果てしない選択肢と決断の果てに映像化される。プロットを再構築し、同じキャラクターを造型しても、文字で綴られた世界は、忠実にイメージに「翻訳」されるものではない。結局のところ、監督は原作にインスパイアされた自身の映像世界を創り出すことになる。そして、原作の愛読者のイマジネーションが、スクリーン上に広がる世界に幸運にも近ければ、観客は大満足して劇場を後にするだろう。『ロード・オブ・ザ・リング』(以下『LOTR』)シリーズは、特にこの傾向が強かったように思う。原作のコアなファンがフィルムの「選ばれし者」となり、現実に映像化された作品世界を享受し、原作との詳細な比較などに熱狂できた。一方、逆に原作に馴染みのない筆者などは、鬱屈とした灰色の空の下、知能指数を疑われても仕方がないが、目的さえ不明瞭な主要登場人物たちの旅程が終わるのを、ただひたすら堪え忍ぶしかなかった(最悪なことに、シリーズが進行するにつれて)。

 『LOTR』をめぐって、愛読者=観客から形成される想像の共同体の一種の閉塞感(原作を読んでいなければフィルムを心から楽しめない雰囲気)は、ディズニーが送り出す『ナルニア国物語』シリーズにはない。前作で4人のペベンシー兄妹と創造主アスランによって築き上げられた楽園は、1300年の時の経過のうちに、強大な戦力と凶悪な欲望を持つ侵略者、人間テルマールによって支配され、ナルニアの民は深い森に身を隠し、救いの主を待ち続けていた。新作『ナルニア国物語 第2章カスピアン王子の角笛』(アンドリュー・アダムソン監督)では、皮肉にもテルマールの王族のカスピアン王子(ベン・バーンズ。初登場にはあえて、寝起きの格好悪いショットが選ばれたのかもしれないが、徐々に王子としての風格、他のキャストと異なるエキゾチックな魅力を発揮。唯一無二のカリスマ性にはまだ及ばないが……)が、救世主を呼ぶ魔法の角笛を吹き、伝説の兄妹たちを王国に呼び戻し、楽園の復興をかけた熾烈な戦いを描く。第1作を見逃した観客にも、細かい配慮がなされた作品展開になっている。例えば、ロンドンの地下鉄から、いきなりまばゆい青空の下に広がる海岸に瞬間移動した四兄妹は、ほどなく高台にそびえ立つ廃墟が、かつての自分たちの王城であったことを知る。また、王位継承権をめぐって、暗殺の危機にあるカスピアン王子は、王国の歴史を記した細密画で、かつての楽園を治めていた王・王女たちの姿を目にする。シリーズ全体を通して、見る者にとって、王国の歴史、出来事の時間軸が参照可能なように、映像的要素が用意されている。それは、学期の変わり目が作品世界の時系列の指標となる『ハリー・ポッター』シリーズとの違いともいえる。

 シリーズものは回を重ねるごとにパワーダウンする、というジンクスも、まだ第2作目とはいえ、本作は回避している。前作では、氷の女王との対決の時が迫るにつれ、いつのまにか春が訪れた印象が強く、氷の女王(両性具有的なティルダ・スウィントンの好演にもかかわらず)がなにかしら違和感をぬぐえない存在に見えてしまった。本作で、特筆すべきは、テルマール王族の城をめぐる世界と、4人の兄妹たちとナルニアの民が集う空間設計だ。前者は、ミニチュアの模型からデジタル視覚効果(VFX)を駆使し、黒やグレーを基調に、主要登場人物たちのキャラクター、征服欲を反映したダークで冷酷な世界を確固として築き上げている。まるで城の暗い回廊の冷たささえ想起させるほどに。それに対し、ヴィヴィッドなコントラストをなすのが、ロケ撮影中心の後者で、ここでは小舟で峡谷に挟まれた河を上流する場面などは、文字通りかつてのパラダイスを彷彿させる。

 物語世界のコントラストを筆頭に、テルマールの城と、地下にアスラン塚のある石舞台での二度の戦闘シーンの展開は、独特のショットのつながりのリズムを感じさせる。換言すれば、本作はストーリーボード、絵コンテの映画なのだ。それは監督が『シュレック』シリーズを手がけてきた経歴とも無関係ではないだろう。プレス資料によれば、監督は実写の撮影中、ショットが追加・変更されたりしがちだったという。しかし、例えばVFXやCGキャラクターとの共演を必要としない、上述の小舟のシーンで、少女の顔に水しぶきがかかる、というような偶然の恩恵によるショットは求められていないだろう。画面には、あらかじめ構想された要素とアクションが収められ、バストショット、アップ、遠景など、被写体との距離の組み合わせが、実にバランスよくスムーズに編集される(編集は監督と『シュレック』シリーズでコンビを組んだシム・エヴァン・ジョーンズ)。VFXを多用した戦いの場面では、今日、視覚効果チームは、previsualizationと称する、各シーンに使用されるVFXをシュミレート的に視覚化したものを制作し、監督の合意を得ることが通例となっている。よって、必然的に本作の後半の大部分は、動く絵コンテに沿って作られていくことになる。実際、ストーリーボード的制作からのアダムソン監督の想像力の「逸脱」は、撮影後の実写ショットにCGを事後的に追加することで解決されていったという。巨額の制作費を投じたハリウッド超大作には、キャメラと現実世界の被写体がふと出会い、戯れて生まれる偶然の僥倖のショットをのんびりと待っている暇などないのだろう。

 本シリーズは、別の角度からみると、「サスペンス」の映画でもある。すなわち、全能の救世主アスランは、ペベンシー兄妹やナルニアの民のデウス・エクス・マキナであり、彼らにとってコントロールできないアスランの出現まで、作品世界は宙づり状態にある。よって作品には、見る者にその登場を待ち望む主要登場人物たちに心理的に同一化させると同時に、宙づりの状態を単なる待機、空白の時ではなく、十分に練られたプロット(今回は戦闘のみでなく、淡いラブストーリーも盛り込まれている)に基づく、アクションに満ちた、エモーショナルで想像力を刺激する説話的時間に変容させることが求められる。アスランの存在は、本シリーズの諸刃の刃ともいえるだろう。すなわち、デウス・エクス・マキナが可能にする幻惑的なフィナーレを実現するために、彼をいつ、いかに登場させるか。そのタイミングを巧緻に設定していかなければ、今後、本シリーズはワンパターンの疲弊化を逃れることは難しい。本作のラストでは、アスランの力によって、ペベンシー兄妹たちが、木の枝の空白から、元のロンドンの地下鉄構内に映像がとぎれることなく奇跡的に帰還することで、アスランのミステリアスで魔術的な存在の健在ぶりを目の当たりにしたのだった。

『ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛』 THE CHRONICLES OF NARNIA: PRINCE CASPIAN

監督・製作・脚本:アンドリュー・アダムソン
製作:マーク・ジョンソン、フィリップ・ステュアー
原作:C.S.ルイス
撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
プロダクション・デザイン:ロジャー・フォード
出演:ベン・バーンズ、ジョージ・ヘンリー、スキャター・ケインズ、ウィリアム・モーズリー、アナ・ポップルウェル

2008年/イギリス・アメリカ/147分 2008年5月21日(水)より超拡大公開中
(ウォルト ディズニー スタジオ モーション ピクチャーズ ジャパン 配給)

23 May 2008
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