自由の代償
──ダグ・リーマン『ジャンパー』

三浦哲哉

 いまあらためて、瞬間移動という主題で1本の映画が作られた。宣伝もストレートにこの点のみを強調する。「行き先、無制限」。広告には、エジプトのスフィンクス像のうえに寝椅子で寝そべりリラックスする男の写真。瞬間移動は、映画史のほとんどはじめからある主題だが、しかし『ジャンパー』は、ジョルジュ・メリエスのトリック撮影や、あるいはドラえもんの「どこでもドア」の牧歌的なファンタジーなどとは一線を画すだろう。この単純素朴で古めかしい主題が、ハリウッド「最新の」アクション映画監督として知られるダグ・リーマンによって作られる。そのこと自体が見ものなのだ。

 監督ダグ・リーマンの近作を振り返ると、たしかに『ジャンパー』へと繋がるある傾向が見出せる。それは端的に述べて、ショットの細分化の追求と、空間の視覚的連続性の廃棄である。これはもちろんダグ・リーマンに限ったことではなく、昨今のハリウッド・アクション映画における大きなトレンドであるわけだが、しかしこの傾向を意図的にひとつの完成形において示したのが彼の『ボーン・アイデンティティー』(2002)だったといえるのではないか。マット・デイモン扮するボーンが戦闘に身を投じると、ひとつのカットはものの数秒、あるいはコンマ何秒という短さで切り替わり続ける。断片となったボーンの動作は、ほとんどその初動のみが記録されるだけだ。足を踏ん張ろうとする、拳銃を撃とうとする、飛び上がろうとする、その一瞬の運動感覚だけが再現される。すると次にその肉体の意志が、やはり細分化された敵役たちの倒れる姿へと次々と接続されていく。万能感を漲らせた高速の舞踏。こうした構成を仮に「残像のモンタージュ」と名付けることができるかもしれない。筋肉感覚だけを一瞬喚起させると、映像はコンマ何秒の間隔で次々と消えていく。観客は速読を強いられるように、あるいはマンガを一気に飛ばし読みするときのように、頭の中でアクションを想像的につなぎあわせていくことしかできない。ここには観客の注視を許すショットの持続はなく、かつてのアクション映画がまきちらしていた齟齬感が意識にのぼる余地もない。彼らのアクションがひとつなぎに成立することと、きれぎれになったイメージを読み取ることが、等号で結ばれているのである。
 たしかに、こうした高速化を同時に空虚化であると指摘することもできるだろう。だがそれでも『ボーン・アイデンティティー』が秀逸だと思われるのは、元CIAエージェントの主人公が記憶喪失をわずらうという設定においてである。自身の過去の履歴を何も覚えていないが、しかし主人公の肉体には戦闘マシーンとしての身体的記憶が刻み込まれており、襲われたときは条件反射で戦闘の技術が再生される。主人公も、はじめは自分に何が起きたのかわからない。肉体が無意識下で反応し、いつのまにか、敵方が倒れている。このズレ──不随意的にアクションする身体と、時間差で事態を了解する意識、その間隔こそ、おそらく『ボーン』シリーズで使用された「残像のモンタージュ」の原理そのものである。アクションが繋がった後で、初めて気付く、というその間隔。マット・デイモン扮するボーンは、したがって「残像のモンタージュ」を自ら生きる、血肉を備えた分身である。

 続く『Mr. & Mrs. スミス』(2005)はスパイ映画のパロディだが(戦闘シーンがすべて夫婦ゲンカの延長という設定)、パロディのメタ視点を可能にしていたのも、『ボーン』でその成果を実証済みの「残像のモンタージュ」である。ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー扮するスパイ夫妻の無敵ぶりは、たとえばかつてのシュワルツェネガー映画のように弾丸が勝手によけていく、というのとは性質が違う。ワンカット数秒という目まぐるしいモンタージュのなかで、ベクトルを欠いた銃撃と爆発がどこともわからない場所で交差すると、いつのまにか勝負は決してしまう。つまり、観客には決してアクションの全体を注視することができないがために、ふたりの行動はいかに無理に思えようとも違和感を喚起することなく成立してしまう。この作品の眼目は、だからアクションそのものの充実ではなく、その渦中にいるにもかかわらず本質的にはそれと無関係でいられる夫妻の「余裕」にある。アンジェリーナ・ジョリーがそのようにして設けられた「余裕」を魅惑的に身体化していたかどうかは、個人的に疑問だが。

 ともかく、ダグ・リーマンの近作は、少なくとも方法的な自覚に裏打ちされていたということはできるだろう。それが作品の優劣に直結するとはいわないが。『Mr. & Mrs. スミス』はパロディとしての着地点を、『ボーン』シリーズは主人公の意識と身体の乖離をモンタージュの構成と重ねることによって、しかるべき着地点を確保していた。さて、そこで最新作の『ジャンパー』なのだが、この作品はそのような意味における着地点がまったく欠落していることによって驚くべき映画となった。空間の底が抜け、しかも、いかなる補填もなされなかったのだ。

 『ジャンパー』は、主人公がその能力に目覚める場面から始まる。気弱な幼い主人公が、恋心を抱くヒロインにプレゼントを渡そうとすると、いわゆるジャイアン的な少年の横やりが入り、詳細は省くが、凍てついた河で溺れてしまう。その絶体絶命の状況が彼の資質を覚醒させ、気付くとある図書館の一室へ瞬間移動している。こうして自身に異能があることを知った少年は、ドメスティック・ヴァイオレンスの常習者らしき父親から逃れて、一人暮らしを始める。生活資金は銀行の金庫から頂戴する。理想的なマンションを借り、素晴らしいジャケットに身を包み、気が向いたときはスフィンクス像の頭のうえで日光浴をしたりしながら、およそ一切の制約から免れた究極の自由を満喫するのである。

 ここまでの展開は、いわゆる超能力ヒーローものの常套をそのまま踏襲しただけであるといえる。しかしたとえばサム・ライミの『スパイダーマン』(2002)と比べたとき、本来喚起されてしかるべき覚醒者の快楽が希薄なことに驚かされる。そう、瞬間移動は、そもそもがあまりに淡泊な能力なのだ。ようするにただ場所から場所へ移動できるというだけで、それが肉体的な快楽として感覚されることがまったくない。『スパイダーマン』のメタモルフォーゼははるかに具体的だった。朝目覚めると、がりがりだったトビー・マグワイヤがCGでムキムキにパンプアップされている。分厚いメガネをかけると視界に違和感があるので、外してみると近眼が直っている。その驚き。いじめっ子やヒロインたちとの関係性の変化も、胸躍るような細部の演出で肉付けされている。
 この違いを、演出家としてのサム・ライミとダグ・リーマンの力量の差であるといってしまうこともできるだろう。アメリカの学校で粗暴な少年が覚醒前の主人公をまってましたとばかりにからかう場面は、いわばお約束の見せ場であるはずだ。そこが「なっていなかった」のにまず拍子抜けしてしまう。生真面目に目をらんらんと光らせるいじめっ子に生理的嫌悪感だけが喚起されるばかりで、予定調和を悠々と演じさせる余裕がまるでない。『Mr. & Mrs. スミス』で救いになっていたブラッド・ピットの器用さも、この子役には求めるべくもない。同様に、成長した後のヘイデン・クリステンセンにも。
 とはいえ、『ジャンパー』の淡泊さは、やはり瞬間移動というアイディアそのものに起因するというべきだろう。再び『スパイダーマン』と比べるならば、トビー・マグワイヤもCG合成された空間で自動車や飛行機よりも速く移動していたが、それは手首から発射される蜘蛛の糸を高層ビルの突端に次々と接着し、振り子の要領で前進するという不自然で手間のかかる方法をとっていた。そしておそらく、この不自然さと手間こそが、観客に快楽を供してくれる当のものなのだ。同じく超能力ヒーローものである『ファンタスティック・フォー』(2005)が好ましく思えるのは、徹頭徹尾、超能力者の不自由に焦点が当てられているからである。ジェシカ・アルバ扮する透明人間は、透明になるときにいちいち服を脱ぐ。その弟が炎の塊になるときも、お気に入りのスーツが燃えてしまい、ぶつぶつと不平をもらすことになる。岩石男は、力の加減がわからずにグラスを握りつぶしてしまう。
 また瞬間移動に関して忘れられないのは、トニー・スコット監督『デジャヴ』(2007)でデンゼル・ワシントン扮する主人公が装置で過去へと転送される場面だ。転送装置の作動にともない心臓が停止してしまうために、転送先を病院に設定し、「蘇生されたし」の手紙を添付するという、途方もない手間。少しでも重量を軽くするためにパンツ一丁になる点も心得たものなのだが、最も衝撃を受けたのは、転送された直後、やや引き気味のカメラポジションで捉えられたデンゼルの体がこれでもかと振動している姿である。おそらく撮影現場では本人がただ体を上下に震わせていただけであったように見受けられるのだが、瞬間移動という科学技術の効果が、ブルブル震えるという素朴な肉体運動で表現されている点に、ひとつの逆説が浮かび上がる。それは、超能力者の自由が、その肉体的な不自由を通してしか具体的に描かれることがないという事実である。

 当たり前だが、無制限の自由などというものは視覚的に表現しようがないのだ。最終的には、俳優の肉体に現れる制約(たとえばデンゼルの身体の震え)に囲われることによってしか、この種の自由は感覚されえない。ところが『ジャンパー』には、その意識があまりに希薄だった。唯一あるとすれば、それはジャンパーたちをハンティングする謎の集団のリーダーに扮したサミュエル・L・ジャクソンにだろうか。彼は「報い(consequence)を受けろ」と主人公に要求する。無制限の自由は神にのみ属するべきであり、したがってジャンパーはこの世に存在することが許されない、というのだ。このフィルムになんらかの具体性を与えることができるか否かは、彼の双肩にかかっていた。たとえば、『マトリックス』シリーズの設定を、語り部のモーフィアス演じるローレンス・フィッシュバーンの奇形的名演技が支えてしまったように。しかし、サミュエルのキャラクター造形は、白髪のヘアスタイル以外に魅惑的な突出部分を持つことがなかった。ジャンパーを捉えるための装置も、SFガジェットとしての魅力を備えているとはいいがたい。物語上も、彼はジャンパーを捕獲することができないままで終わる。闘いはそれなりに拮抗しているのだが、それもよく見てみるとジャンパーが能力を有効に生かしていないからだけであって、やはり瞬間移動能力の前に敗北は当然なのだと思う。

 そうして、銀行から盗みだした金で生計をたてている主人公はいかなる代償も払わずに(かつてのヘイズコードに抵触するところだ)、エンディングを迎える。そもそも驚いたのは、彼がこの能力を一切、いわゆる「正義」のために役立てようとしないことだ。テレビのニュース映像として、見ず知らずの人間が河で遭難している光景が一瞬、映されるのだが、彼は介入しようとしない。本当に、ロンドンのパブで女性を口説いたり、ガールフレンドをローマの遺跡に忍び込ませたりということしかしないのである。後は、仕置き人からひたすら逃亡して、最後にとばっちりを受けたガールフレンドを救出するだけ。もちろん、この特殊能力を持つことによってジャンパーたちが孤独を強いられているということはあるようだし、だから報いはすでに支払われているといえないこともないのだろうが、実際のところ、主人公が今後もジャンパーとしての自由を謳歌し続けることに変わりはない。つまり物語上も底が抜けているのだが、これはいったいいかなることか。
 それならば、結局のところ支払われなかった「報い(consequence)」とは、シリーズ2作目の予告を意味するのだろうか。それを匂わせる伏線はいくつもあったように思う。サミュエルもまだ死んではいない。しかし、超能力に目覚めた主人公がシリーズを通して専ら不自由を生き続ける『スパイダーマン』の自覚がなければ、ジャンパーはひたすら無意味にどこでもない場所を逃げ続けるだけの結果になるのではないだろうか。

『ジャンパー』 JUMPER

監督:ダグ・リーマン
製作:サイモン・キンバーグ、アーノン・ミルチャン、ルーカス・フォスター、ジェイ・サンダース
原作:スティーヴン・グールド
脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー、サイモン・キンバーグ、ジム・ウールス
撮影:バリー・ピーターソン
音楽:ジョン・パウエル
プロダクション・デザイン:オリヴァー・スコール
出演:ヘイデン・クリステンセン、ジェイミー・ベル、レイチェル・ビルソン、サミュエル・L・ジャクソン、ダイアン・レイン

2008年/アメリカ/88分

2008年3月7日(金)より日劇1ほか全国<超拡大>ロードショー公開!
(20世紀フォックス映画配給)

17 Mar 2008

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