消しゴム版画の地平
──ナンシー関論

三浦哲哉

1. 消しゴムの無関心

 2002年に39歳の若さで死去したエッセイスト兼消しゴム版画家ナンシー関の作品を、改めて年代順に辿ってみると、印象として、後期になるほど特に彼女の消しゴム版画からは、それだけで完結して笑いを喚起しようという意志が希薄になっていくように思われる。キャリアを経るごとに描線は繊細になり、したがって描かれる図像の自由度は高くなるはずなのだが*1]、しかし作られた版画たちからは奇をてらった風刺的意匠が逆に影をひそめ、ミニマルな同構図の反復が目指されているかのようだ。
 もちろん、消しゴム版画のわきに置かれたエッセイに関してはその限りではない。「才能」という言葉はあまりに気軽に使われてしまうけれど、ナンシー関は「才能」で評価されることを正当だと感じさせる極めて稀な書き手だった。彼女の文章は、常に慎ましく抑制され、これほかないというところまで推敲・圧縮されたものだが、同時にそれは常に「笑える」ものを目指していて、その言い訳のきかない場所で彼女の「才能」は証明されてきたように思う。だから、彼女の文章に捧げられた「才気煥発」「自由自在」といった類の形容については(読者の好き嫌いは別にして)いかなる留保もつける余地はないと思う。だが本稿では、ナンシー関の文章ではなく、まずその消しゴム版画について、改めて考えてみたい。いわゆる発想の豊さに関して、文章についてはその通りと思われるのだが、しかし消しゴム版画の場合、それと同じ質の創作衝動が働いているとは思えないのだ。
 数限りなく蓄積された平板な図像は、描かれる人物に対する悪意や好意を超えたいいようのない無関心をおしなべてたたえている。確かに、これら肖像版画は、世間で「毒舌」ともいわれるエッセイのかたわらに置かれたときに、TV芸能人たちの自意識をカリカチュアライズしているように見えることもあるけれど、それはあくまで彼らの顔面に染みついてしまった自意識の物理的造形に忠実であるからだけで、だからナンシー関が作為的な誇張に走っているとはとても思われない。これら顔面たちは、シニカルな嘲笑とはそもそも無縁の、なにか絶対的に静かな場所に置かれているかのようなのだ。一体、何のために彫られているのか分からない、ただひたすらに無意味な像がきりもなく増殖していく感すらある。
 つまりナンシー関の文章に関しては、それがある意味で私的な見解の独創性に支えられていると言えそうだし、だからその「才能」を云々できるわけだが、消しゴム版画は、そうした「私的」だったり「独創的」だったりということを超えた、違うタイプの創作物なのではないかと思うのだ。だとすれば、消しゴム版画とエッセイ、このふたつの距離はどのようなものであるだろう。

 ある対談のなかで、ナンシー関は最初に消しゴムを彫り、次にテキストを書のであって、その順序がほぼ常に変わらないのだと述べている*2]。消しゴム、次にテキストという秩序は、どうして逆ではなかったか。おそらくそれは、消しゴム版画が彼女にとって、描き論じるべき対象との適正な距離を取ることを可能にするための儀式的営みだったからではないだろうか。
 一般に、TVや映画の雑誌コラムにおけるイラスト+エッセイという形態の書きものは、その多くの場合、イラストに描き手の自我が投影されて、ナルシスティックな「かわいらしさ」を帯びることになる。そのようにして、たとえば映画スターやテレビタレントたちとの擬似的親密さが読者に仲介されるわけだ。それとは対照的に、「版画は自分の人格が読み取られないことの気安さがある」と自身述べている通り*3]、ナンシー関の作り出す図像からは、粘着的なナルシシズムの跡を見出すことはできない。
 なによりそれはよく知られた彼女の廉恥心と慎ましさの賜であるに違いない。だがその慎ましさが、創作行為のなかでいかにして実現されたかを問うならば、消しゴム版画という媒体の選択が決定的だったのだというべきだろう。つまり、消しゴムの間接性。芸能人たちのイラストを描いた後でそれをトレースし、カッターで消しゴムに彫りつけ、次に印画するという幾重にもわたる工程のなかで、肉筆の生々しさは消去される。彼女の手の肉体的な運動を想像的に追体験することはできず、同時に、描かれる対象は、TV視聴を多くの場合動機づけているはずの我有化の跡を綺麗に拭い去り、乾いた中性性を獲得する。
 ナンシー関の描く顔は、形容詞のつかない顔だ。「かっこいい」はずの木村拓哉は、消しゴム版画になったとき、確かに木村拓哉のままだけれど、もはや「かっこいい」顔ではなくなっているし、「かわいい」タレント、「さわやかな」、「凛々しい」、「エロティックな」タレントたちは、版画の上で決定的にそれら形容詞を消されてしまう。
 ここでは、口元、そして目元など顔面のパーツは奇妙にもそれぞれ自律してひとつの想像的な人格に統合されることを拒むかのようですらある。重要なのは、消しゴム版画の技術的条件として、ひとつひとつの線が、ほかの線からはっきりと切り離されなければいけない点だ。彼らの顔は、様々な線の融合ではなく、むしろ分離によって描かれているといえるだろう。だから極端な場合、完成途上の「福笑い」のように意志を欠いた顔面それ自体が提示されることになる。彼らは「キャラクター」から離脱する。いうまでもなく、これらの線は、濃淡のニュアンス、あるいは筆致の強弱を欠いた、白と黒でのみ表現される。消しゴムという極めて限られたサイズへと肖像を押し込めることは、限られた形態(たとえば眉毛の形態)の組み合わせによってなされる、文字通り平板化の過程である。
 最小限の、乾いた線しか書き込むことができないがゆえに、ここで問題なのは、描写する対象をリアリスティックに描写することよりも、むしろ他の無数の消しゴム版画作品における線との平面的対応関係であるように思われる。たとえばある人物の目元を描くとき、そうした描写行為は他の人物たちの目元との差異、あるいは相似性によって可能になる。ナンシー関の肖像版画は、膨大な潜在的描線(他の消しゴムの山)とのせめぎあいのなかで結晶化する。10数年に渡る膨大な作業のなかで紡がれてきた無数の描線が、相互参照の磁場を形づくる。したがって、ある芸能人の消しゴムを彫ることは、それ自体が手におけるヴィジュアル的瞑想と呼ぶべきものとなるだろう。そしてナンシー関の文章の独創性は、こうした瞑想を経由することによって可能になるのではないだろうか。たとえば、次の評言。

 おそらく日常の視線で見ていたら気付かなかったであろう「TVで気付いたそっくりさん」を2つばかり紹介したい。南伸坊と吉川晃司、江口洋介と江頭2:50。どうだろうか。いずれも私が発見し、自信を持って世に問うている物件だ。そして、なかなか賛同が得られない。「似ているわけがない」という先入観のなんと強固なことか。(中略)
 何の接点もない遠く離れた2人が「似ている」ということだけで2者間にある森羅万象あらゆる障害物を乗り越えて駆け寄る、そんなダイナミズム。味わって欲しい。
(1999年)*4

 一見してささやかな指摘であるが、しかしこれは気の遠くなるような量の図像的記憶を消しゴムのうえで乱反射させるがままにするナンシー関だからこそ可能な芸当なのだと思う。そして、こうしたアナロジーのきらめき、その眩しいほどの無償性こそがナンシー関のTV批評の醍醐味だったのではないだろうか。日々繰り返される消しゴム版画という営みのなかで、「森羅万象あらゆる障害物を乗り越えて」不意に複数の対象が互いへの距離を廃棄して接合され、新たな価値を与えあう。つまり、ナンシー関にとっての消しゴム版画は、創作過程の最後に現れる作品であるとともに、観察の方法そのものであったと思われる。
 無論、こうした指摘の面白さは、江口洋介あるいは江頭2:50の「世間」における受容のコンテキストについての状況分析と切り離せないし、でなければ笑いを生じさせる「落差」は生まれない。しかし状況を「読む」能力だけならばナンシー関以外のTV評論家たちにも備わっていなかったわけではない。彼女にしかなかったもの、それはこうしたアナロジックな総合の力である。これは両手とカッターを使い作業する際の儀式めいた瞑想、その習慣によって生み出される。


2. TVのシニシズムから近眼視へ

 TV批評という不確かな場所で、分析的、あるいは分類的思考が結局のところ自らの根拠薄弱をさらけ出すほかない事実にナンシー関は極めて自覚的だった(著書のタイトルのひとつ、「何を根拠に」)。一見して無意味な消しゴム版画を膨大にコレクションするという営みは、このような自覚と切り離して考えることができない。
 TV批評の困難さは、端的に述べて、批評的視座(分析)そのものがTVの再生産に与してしまうという構造的性質による。TVを相対化する視線そのものをTVは前提し、内在化するからだ*5]。こうしたTVの自己言及的な性格は、1982年に放映を開始した『オレたちひょうきん族』を分水嶺とするといわれる。『ひょうきん族』がとった手法は、楽屋裏を大胆に前景化しつつ、芸が芸としてフレーム化されるプロセスそのものをショーとして提示するというものだった(あるいは逆に「すべる」プロセスを)。
 同時に、『ひょうきん族』以前の笑い、芸人が客席とは隔離された舞台で何がしか完成した芸を芸として披露する、たとえばドリフターズ型の笑いはTVのなかで風化の道を辿ることになる。暗黙の「約束ごと」のうえに成立していた笑いは、誰にも見える「お約束」としてシニカルに相対化され、そうした相対化の運動そのものが笑いの技法とみなされ、主流化するからである。プロとアマチュア、芸人と視聴者の境目は曖昧になり、お笑いコンテストやアイドルのプロデュースが人気を博す。そして知られるように「業界」的内輪ネタが、素人たちの外部の視点を絶えず取りこみながら自閉的再生産を繰り返し、今日に至るまで徹底的に進行し尽くすことになる。

 いまTVモニターに写されるバラエティーショーの典型として、次のような図がある。ゲストに招かれた若手お笑い芸人の小島よしおに対し、細木数子が「あんたのやってるのは所詮、学生芸よ」と批判すると、小島は「学生芸っぽさが売りなんです」と不遜に居直り場の空気がこわばると、良識的な中堅芸人・名倉潤の苦笑まじりの視点からそれが切り取られ、最後に掘内健が支離滅裂なことを言って場を救済する、という図*6]。この一部始終が露骨な予定調和の印象を与えるのは「歯に衣着せぬ」細木のいかにも「本音」らしい批判が、TVのフレームに収まる限り何ひとつ動揺させずに「はじめからそれを承知で」という閉鎖的自己承認へとあまりにやすやすと組み入れられるからだ。ここではまず、長らく「芸能界」に携わってきた細木が、ごく客観的に若手芸人の芸を芸として批判しており、それはあたかも視聴者の批判を代弁するかのようであるのだが、そうした批判自体がすぐさま「批判のショー」としてフレーム化され(名倉の視点)、さらに念入りにこれらすべてがフェイクであることがもうひとつの視点(ホリケン)によって確認されるのだ。ここで第一に問われていることは小島の芸の是非であるはずだが、それを認めるにせよ、否定するにせよ、そのダメさ自身を楽しむにせよ、ここではそれらすべての視点が弁証法的な円環を描くように案配されており、結局のところ誰のどのような意見もがその内側へと空しく繰り入れられるしかない。早い話、細木なり誰かが「本当に」小島の芸にキレて番組をぶち壊す瞬間をTVに期待できるだろうかということだが、それはもちろん無理な相談なのだ。なぜなら、そのような瞬間があったとしてもそれは放映されないし、そもそも放映されているものはすべてそのような瞬間が訪れなかった番組であると、はじめから決まっているからだ。

 こうした距離化の運動(一歩引いて斜に構え、「ネタ」として消費すること)を自己目的化し、あらゆることを「お約束」の予定調和的更新の繰り返しに還元してきた80年代以降のTVについて、その軽薄さを揶揄した「軽チャー」という言葉があった。しかしこの「軽さ」は、実のところ神経症的な「深刻さ」の裏面でもある。「空気を読めない」ことに怯え、戦々恐々とするTVタレントたちのこわばった佇まい。TVが「軽い」のだとしても、それはTVが自ら作りだす陰鬱な抑圧に対しての相対的な「軽さ」であるにすぎない。寒々しいパンツ一丁で臆面もなく繰り出される小島のフレーズ「そんなのカンケイねえ」は、だからあきらかに、視聴者と芸能人両方の肩に鬱々とのしかかる「重さ」そのものに対しての開き直りであるはずだ。だが、彼の芸がTVという病いのひとつの徴候であるのだとしても、それ自体が同時に皮相な自己相対化の身振りでもあり、また、はじめからそれは誰もがすでに安心して承知していることである。
 このような状況については、ナンシー関が繰り返し嘆息まじりのコメントをしている。「くだらないことを楽しんでしまうという視聴法を会得した視聴者は、確かにそれによっていくつかの楽しみを味わったわけだけれど、それと引き換えに『くだらない』ものを切り捨てる事が出来にくくなったのも確かだ」(1995年)*7]。

 TVが批判=相対化の身振りそのものを糧にするメディアであるとすれば、では、そのような再生産に与することなくTVとどのような距離をとるができるか。ナンシー関のTV批評は、そのような距離の問題としてあった。シニシズムを原動力とするTVに対してシニカルに振る舞うことはなおさら無意味である。では、いかにして。この困難な課題への回答として、消しゴム版画はあった。消しゴム版画の特徴は、その密着性にある。TVが距離化によって成り立つメディアであるならば、ナンシー関はそこに距離を廃棄する技法としての消しゴム版画を接合した。
 ナンシー関は、どうして消しゴム版画を始めたかという問いに対して、半ば冗談として、かといって完全に嘘でもないと断りながら、同じ青森県出身であった棟方志功の影響、と答えていた。記録映像でよく知られていることだが、志功は極度の近眼のため、木版に触れるほど目を近づける独特の姿勢で作業した。この姿勢をナンシー関に重ねることはあながち間違いではないだろうと思う*8]。ナンシー関もまた非常な近眼の持ち主であり、遠くのものはおぼろげにしか見えなかったという。彼女が日常において意識的に見るものは必然的に細部に限られる。
 棟方志功さながらに、対象との接触的な関係を生きること。これは80年代以降のTVが視聴者に強いる距離化の運動とは真逆にある姿勢である。ナンシー関はその点で、他の皮相な相対主義者たちとは一線を画する。彼女が常に80年代的距離化のゲームにある種の嫌悪感を覚えていたことは強調されるべきだろう。「くどい言い方になるが、おもしろそうなものを、おもしろそうだというコンセンサスを確認し合うことでおもしろがっていた80年代サブカルチャー」*9]。ナンシー関の営みの本質は、斜め読みの上に重ねられる斜め読みなどではないし、マニアックな(おたく的)差異の戯れの洗練化でもなかった。実のところ彼女が実践していたのは、愚直なほど対象と接近し、やがて視聴者の解釈格子が失効するような細部へ至るまで徹底的に目をこらすという営みだった。

 「人間は中身だ」とか「人は見かけによらない」という、なかば正論化された常套句は、「こぶ平っていい人らしいよ──(だから結構好き)」とか「ルー大柴ってああ見えて頭いいんだって──(だから嫌いじゃない)」というとんちんかんの温床になっている。いいひとだからどうだというのだ。TVに映った時につまらなければ、それは「つまらない」である。何故、見せている以外のところまで推し量って同情してやらなければいけないのだ。  そこで私は顔面至上主義を謳う。見えるものしか見ない。しかし目を皿のようにして見る。そして見破る。(1993年)*10

 芸能人たちをめぐる視聴者のコンセンサスを許容する限りでは目につくことのない細部を発見し、それまでTV視聴者にとって自明だと思われていたそれを瓦解させること。それがナンシー関のTV批評の基本姿勢である。たとえば、バラエティー番組において「大御所」の立ち位置にあると考えられていた時期の愛川欽也について。

 愛川欽也の真実は、フリップや品物を持った時にアップになる手の小刻みな震えにある、と見た。
 プルプルと震える手が意味するものは、「緊張」「萎縮」「小心」というイメージである。いずれも愛川欽也とは、相反する要素に思える。しかしキンキンはプルプルとまるで巣の中のヒナ鳥のように震えているのだ。(中略)
 いつでもどこでもずーっと「窮鼠猫を噛む」状態。そうすると、眼鏡の奥の何故か卑屈そうな目(中略)にも、納得がいくってもんではないだろうか。
(1993年)*11

 こうした指摘を受けて読者が改めて気付くのは、コンセンサスなるものが成り立つのは、それらを動揺させかねない細部を無視することによってでしかないという事実である。細部しか見ることのできない(近眼の)ナンシー関には、コンセンサスを無批判に消費することははじめから無理な相談だった。


3.「ヨー」「ロッ」「パッ」

 意味や文脈から離脱した細部に注がれる視線には常にどこか狂気じみたものがある。ナンシー関は対談のなかでそうした自らの狂気の萌芽を回想している。

 小学校の高学年のとき、社会科の教科書の「ヨーロッパ」っていう字が急におかしく見えたことがあって。「『ヨーロッパ』って!」みたいな。「ヨー」「ロッ」「パッ」とかいう気持ちになっちゃったんですよ。それ以来、私ずうっとヨーロッパが、駄目っていうんじゃないけどスンナリとはいかないんだよね。言葉として。授業中だったんだけど、なんか「ウルトラQ」のオープニングみたいなやつが、このへんでグルグル回る感じがあって。もうちょっとしたら、どうにかなってたかなみたいな感じがあった(笑)。(2002年)*12

 この回想は、やがて消しゴム版画活動へと彼女を帰結させることになる資質を自ら証言するものであるといえるかもしれない。すなわち、あるイメージをその意味のまとまりではなく、ばらばらな細部として見、聞き取ってしまうこと。細部のみを注視する性向は、ひとを孤独と狂気へと接近させるが、消しゴム版画は、ナンシー関にとって細部の狂気を自ら御馴する方法だったといえるのではないか。
 消しゴムのうえで、たとえばあるキャラクターをめぐるコンセンサスはその根拠を掘りくずされ、巧妙にずらされる(「大御所」の愛川から「小心」の愛川へ)。だが、キャラクター分析は、必ずしも結論ないしオチへと至る必要はない。あるひとつのコンセンサスが、ナンシー関の消しゴムのうえに乗せられることで、細部が開かれたままひしめき合う場へと接合されること自体が重要なのだ。なぜなら、複数の細部が不意に結びつく地点から招き寄せられる言説は絶対的に軽く、その軽さがTVの陰鬱な重さを中和してくれるからである。TVが視聴者を巻き込もうとする距離化のゲーム、その計算づくの自己承認の運動へと繰り入れられることがないという点で、ナンシー関の言説は無償である。芸能人に対する痛烈な人格批判をしているように見える場合でさえ、消しゴム版画が添えられるだけで、読者にはナンシー関の文章が不偏不党であることを確信するだろう。


4. 視聴者の実像

 「ヨー」「ロッ」「パッ」的相貌において見ることを常態としてきたナンシー関にとって、「視聴者」が前提するとされるコンセンサスなどというものは、純粋に理解不可能な何ものかであることがほとんどだったのではないか。だからおそらく、彼女にとってTVはそもそもが大きな謎であったのではないかと思う。そこではあらゆることが問いとして現れる。「タモリ」という問い……「美輪明弘」という問い……「郷ひろみ」という問い……「華原朋美」という問い……。細部をたぐりよせて、これら宙に浮いたイメージの新たな焦点距離を探る作業は、それだけで長時間のTV鑑賞という労働を耐えさせる知的な歓びをともなうものであったはずだ。
 ただ、こうした細部への偏執から生み出される言説がそのもっとも無償の軽やかさを獲得したのは、ナンシー関の主戦場だったTV批評であるよりも、『記憶スケッチアカデミー』*13]であったというべきだろう。この作品は、たとえば「カエル」などのお題を出し、読者たちに記憶だけを頼ってスケッチして投稿させるという企画であるが、送られてくる図像たちの崩れかけた細部はナンシー関に汲めど尽きせぬ着想を与え、純粋に無駄であるがゆえの圧倒的に融通無碍な言葉のパフォーマンスを可能にした。

 『記憶スケッチ』で達成されたような軽さが、TV映像の場合につねに可能だったわけではない。なぜなら、ブラウン管に映る芸能人たちの像を、記憶スケッチと同様にバラバラなものとして視ることは可能だとしても、しかしそれらはとりもなおさず実在の視聴者の同意の上に成り立っていることが否定できないからだ。一体、どうしてこれが受け入れられているのか。誰がこれを支持しているのか。ナンシー関は、こうして自分と同じ画面を観ている他の視聴者の存在へと意識を向けざるをえなくなる。
 これがナンシー関がいうところの「フリークス」や「天然」──ジャイアント馬場、田中邦衛、輪島大士、森繁久弥、大食い選手たち──、あるいはTVの力学から相対的な自由を享受しうる程度の技量の持ち主──タモリ、関根勤、ダウンタウン──であれば、わずらわしい受容論が首をもたげることはない。しかし、視聴者の受容を前提に自身のキャラクターを生きるその他大勢に関してはそうはいかない。芸能人の映像をめぐる問いは、他の現実の視聴者たちの重みでたわむことになる。
 しかし、実在の視聴者を考慮に入れざるをえないTV批評でこそ、ナンシー関の活動の倫理的側面が前景化する。TV批評は「記憶スケッチ」のような無償の遊戯とは異なり、潜在的な他者の視線との緊張関係を孕む。
 まず試みられるのは、読み替えの操作によって、芸能人たちがなぜそれとして成立しているか納得しようというものだ。たとえば一時の辰巳琢郎の場合。ナンシー関は、辰巳琢郎が世間でいわれるような「インテリタレント」というコンセンサスに解消されるとは思われない。それだけのことで辰巳の人気やステータスが説明されるとは信じられないからだ。そして彼女はあるとき、実は彼の位置が「奥様御用アイドル」というカテゴリーのうえに成立していることに思い当たる。すると、彼がブラウン管に晒してきた様々な細部が「奥様御用」という線へと集結し始める。そして彼女にとって宙に浮いた存在だった辰巳琢郎は、「奥様方」という視聴者の実像と結びつくことで落ち着きを得ることができる*14]。
 だが「奥様方」とは、実際のところ誰のことかという次の疑問が生じる。「奥様方」自体、芸能人という像へ向けられているはずの視線から逆算されるだけの想像上の存在ではないか。ナンシー関は疑問を晴らすべく行動に出る。その結果が『信仰の現場 〜すっとこどっこいによろしく〜』*15]である。この作品は、芸能人や芸能ジャンルを支持していると想定されるがブラウン管の前ではどうも幻としか思えないような視聴者、ファンたちをその現場において確認するという趣旨で書かれた取材録である。「Big! Great! 永ちゃんライブ──山梨県民文化ホール矢沢永吉コンサート」「熱狂! ウィーン少年合唱団──サントリーホールウィーン少年合唱団公演」「『男はつらいよ』と幻の庶民──浅草松竹劇場」「ドッグショー。トップブリーダーの謎──東京晴海見本市会場アジアインターナショナルドッグショー」。この手の現場において、ナンシー関は集まった人々の奇怪な行動を次々と報告していく。たとえば、実際にステージの矢沢永吉と同時に一斉にタオルを宙空に放り投げるライブ会場の観客たち、ウィーン少年合唱団の日本巡業全公演を制覇したと語る中年女性ファン、浅草の映画館で長蛇の列を作り、スクリーン上のひとつひとつのギャグにいちいち反応する寅さんの地元ファンたち。彼ら「現実の」視聴者を目の当たりにすることでナンシー関のなかの疑問はとりあえず解消される(なんでそんなものが好きかという根本のところははやはり謎だとしても)。宙に浮いていたと思われた存在(矢沢、ウィーン少年合唱団、トップブリーダー)が、ともかく血肉の通った実質に支えられていることが確認されるからである。
 ナンシー関は、世間的常識を一旦停止させて己の無防備な姿を臆面もなくさらけ出す「信者」たちを笑うが、しかし同時に彼らの、外野からみれば恥ずかしい姿が、自分自身の姿と共通していることを知っている。1日に10数時間もの間、ブラウン管を注視し続けるナンシー関の根底にあるものは、やはり端から見れば臆面もない没入への衝動であるからだ。少なくともかつては可能だった、ブラウン管上の対象への無私の愛着について、ナンシー関は次のように語っている。

 相撲とプロ野球とプロレスのことをいつでも考えていた。(中略)
 中高生の頃、私はよく本人になっていたのだと思う。千代の富士だけでなく、巨人からロッテへトレードされた山本功児になっていろいろ考えてみたり、江川の立場になってマスコミの報道を苦々しく思ってみたり、長州力が維新軍をつくった頃は私まで意気揚々とした気持ちになったり、ハンセンはどうしてテリー・ファンクを嫌うのかをまるで自分の胸に手を当てるような気持で考えてみたりとかしていた。(中略)
 スポーツにおいて、選手でない限りは観衆(傍観者)にしかなれないと思ったら損だ。思い詰めればなれるぞ、当事者の気持ちに。本物の選手の方々にしてみれば「バカ言うんじゃないよ」かもしれないが、私は「本人」になってしまっていた頃、毎日がめくるめくような思いだった。また誰かになりたいなあ。何言ってんだ私は。(1991年)*16

 この文章は、91年、まだナンシー関が20代の時に書かれたもので、その後はドライな「何言ってんだ」が強くなっていくのかもしれないが、しかしこうした他人からみれば恥ずかしいものでしかない没入への衝動、見えるものをいかなる距離化もせずにむさぼる地点への憧れは、ナンシー関のなかで消えることがなかったはずだ。そして、斜め読みの必要などない番組が現れるたびに素直な喝采がおくられた──たとえば『鬼平犯科帳』、『大食い選手権』(TV東京)。つまり彼女自身がTV視聴を「信仰」するひとりであり、その認識が文章の出発点にあった。
 ナンシー関の文章がいつもある風通しのよさを感じさせるのは、ブラウン管をへだててそれに没入しているだろう他の視聴者の存在を常に彼女が考慮し、あらかじめ許容しているからだろう。ナンシー関は自身がワンオブゼムであることを自覚し、そのうえで他のワンオブゼムに向けて文章を書いた。つまりここでブラウン管は、まったく異なる常識(それぞれの当たり前、それぞれの情動)を共存させる歪な場所として思い描かれている。芸能人たち、あるいはスポーツ選手たちは、その各々が生身の視聴者たちの愛着を自らに化身させる存在である。辰巳琢郎、矢沢永吉、みのもんた、郷ひろみ……は、まったく異なる土台のうえに成り立つがゆえに、TVという同一平面のうえに置かれたときに滑稽な齟齬を生み出し、「何がどうして」という好奇心をかき立てずにいない。そしてナンシー関にとってTVが結局のところ肯定すべき媒体であったとすれば、少なくとも可能性として、TVがそうした齟齬の場であり、その限りでおおらかな笑いと尽きせぬ好奇心をかき立ててくれるからだろう。
 だが現実は果たして、TVがそのような開かれた場であることはあまりに少ない。放映される番組は、誰が本気で面白がっているのか皆目見当もつかないものであることがほとんどであり、そのようなときナンシー関は途方にくれて「とほほ」と呟くのだ。ブラウン管のうえで問いとして現れる細部たちは集結すべき行き先を見失い、わだかまりを残したまま出口なしの状態に陥る。
 これが矢沢永吉であれば、寅さんであれば、竹内力であれば、その先に何がしか血肉を備えた視聴者がいるだろうと信じることができる。彼らの佇まいの恥ずかしさは、だから肯定されうる。あるいは、それがジャイアント馬場や田中邦衛であれば、何はさておき自ら没入することができる。だがそのどちらでもなく、いかなる視線のうえに成り立っているかまったく想像がつかず、あえていば「売れている」ということ以外に「売れている」根拠がない芸能人を目の当たりにした場合、ナンシー関は「視聴者の不在」に頭を抱えることになる。
 タレントはTVの中でどう振る舞えば"売れる"と思いますかというアンケートに対して、ナンシー関はこう答えている。「私は納得いかないのですが、"売れてる"ように振る舞えば"売れる"という傾向があると思う」*17]。たとえば好感度No.1の座をキープし続けていたころの山田邦子。彼女の人気の根拠は何だとナンシー関は自問する。そして人気があるということ以外に、彼女の人気の根拠はないということに思い至る。あえていえば、盲目的な自己愛の強さと、自らの置かれた状況に開き直れる図太さ。

 視聴率という抽象化装置を媒介に実在の視聴者を切り捨てながら、"売れてる"と"売れる"を短絡させるとき、TVは不在の視聴者のうえに居直る醜悪なメディアに成り下がる。たとえばナンシー関が不快なものとして繰り返し批判していた、バラエティー番組に重ねられる効果音としての「笑い声」。番組自身がみずからを笑うという臆面もなさをこそ感じ取るべきであるはずなのだが、実際のところ多くの視聴者は「笑い声」があるだけで本来つまらないはずのものが、あたかも笑うべきものであると取り違えてしまうかのようだ。そして制作者、芸能人たちは他者の視線(恥ずかしさ)から引きこもって居直り、実際は誰のものでもない「コンセンサス」だけが空手形のように流通することになる。そのとき実在の視聴者たちは自らの感覚を、TVが想定する最大公約数的視聴者像へと譲り渡していることになる。ブラウン管に映る映像にとことん密着することしかできないナンシー関にとって、それは理解不能であるだけでなく、激怒すべき恥知らずな振る舞いだった。
 だが、やはりそれでも強調すべきなのは、ナンシー関が、誰であれ、実体のない顔でさえも、無差別に消しゴムのうえに定着し続けたという事実だろう。怒りを含めた自身の消化しえない思いとさえ無関心な消しゴム版画がナンシー関にはあり、それが彼女の活動を包括する地平だったのだ。


5.結論

 2002年の彼女の死後続々と出版され続ける文庫本の帯のひとつには「いまのTVにはナンシーが足りない」のコピーが刻まれた。ナンシー関の友人だった民俗学者の大月隆寛は「心にひとりのナンシーを」と呼びかけた。自分の部屋のTVとは別のTVで同じ番組を観ていたかもしれない、そのような場所にいつづけたナンシー関は、その肉体が死んだ後も、視聴者に不思議な存在感を残す。捧げられた多くの追悼文のなかには、彼女をある種の守護天使として聖別するものもあった。
 ナンシー関が残したものは一体、何であったか。すでに多くの様々な言葉が捧げられている。以上書かれた文章も、その問いに答えたいと願ってなされたほんのささやかな試みである。
 その残された消しゴム版画を眺めるにつけ、ナンシー関が、例えば頽廃したTVを自分の代わりにばっさり斬ってくれる都合のよい「仕置き人」だったり、また逆に、ブラウン管の彼岸ですべてを無差別に包み込む抽象的存在だとは思われなかった。
 消しゴム版画は、作られる過程で彼女の肉体の痕跡をあらかじめ消し去る、そのような両義的媒体だった。ナンシー関は、極端にいえば自分の文章と思考に対してすら無関心な平面を、無数の消しゴム版画として実現した。自分もワンオブゼムとして怒り、笑いながら参加する歪な場、それがナンシー関にとってのTVであり、少なくとも、そのような可能性が消しゴム版画としてTVに重ねられたのだと思われる。

画像出典:NANCY SEKI'S FACTORY ボン研究所
http://www.bonken.co.jp/


[脚注]

*1.
デビューしてから、3、4年、様々な道具(カッター等)を発見して、技術が飛躍的にあがり、やがて、0.2mmの線までなら彫れるようになると本人は述べている。。『トリビュート特集 ナンシー関 <永久保存版>』[KAWADEムック 文藝別冊], 河出書房新社, 2003年, 51頁.

*2.
ナンシー関, リリー・フランキー『小さなスナック』文春文庫 , 2005年, 16頁.

*3.
『トリビュート特集 ナンシー関 <永久保存版>』56-57頁.

*4.
ナンシー関『何がどうして』角川文庫, 2002年, 155頁.

*5.
 テレビの笑いが70年代以降、シニカルな「嗤い」の再生産の場となる過程については、北田暁大の『嗤う日本の「ナショナリズム」』第3章「パロディの終焉と純粋テレビ──消費社会的シニシズム」における明瞭な分析を参照(北田暁大, 『嗤う日本の「ナショナリズム」』NHKブックス, 日本放送出版協会, 2005年, 123-172頁.)。
 北田の言葉によればそれは視聴者という外部を巧妙にその内部へ繰り込む「純粋テレビ」の生成プロセスである。それは同時に、テレビ番組を外部の対象として措定する本来の意味での批評の不可能性を意味する。テレビ番組を「作品」とみなし、その完成度を云々する時代は終わるのである。
 その点に関してはさらに、社会学者・映画学者である長谷正人が上述の『トリビュート特集 ナンシー関』に寄せたエッセイも興味深い。長谷はこの転換を、小林信彦パラダイムからナンシー関パラダイムへの転換として見ている。テレビ黎明期から自ら放送作家としても活躍し、テレビ番組を「作品」として正当に批評しえた小林信彦は、長谷の指摘によれば、最後のテレビ「批評」家である。そして小林自身が、テレビの黄金時代は70年代で終わったと述べ、それ以後はスイッチを切るほかないような、愚劣で、芸ならぬ芸ばかりが垂れ流され続けているという趣旨の発言をしている。

*6.
フジテレビで放映されていた「幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜」の一幕。

*7.
ナンシー関『何もそこまで』角川文庫, 2001年, 171頁。

*8.
消しゴムと目の近さについては次の証言を参照。『トリビュート特集 ナンシー関 <永久保存版>』87頁.

*9.
ナンシー関『何を根拠に』角川文庫, 2007年, 146頁.

*10.
ナンシー関『何をいまさら』角川文庫, 1998年, 26頁.
 ナンシー関の「顔面批評宣言」は、蓮實重彦の「表層批評宣言」を連想させる。が、ここでは、両宣言の提唱者がともに巨漢であるというアナロジックな関係性を重視したい。ナンシー関は蓮實重彦を「身長190センチ」と誇張して記憶し、「無駄に大きい」の賛辞を贈っている。
 ナンシー関が「無駄に大きい」ものをとりわけ愛したことはよく知られている。たとえばジャイアント馬場。語弊を恐れずにいえば、パブリックイメージとしてのナンシー関自身もその「無駄な大きさ」によって、ジャイアント馬場の側にいた。超然としたダンディであり、同時に「フリークス性」(ナンシー関はこの言葉を差別語としては使っていない)への自己意識が育んできたはにかみ(馬場の伝記を参照のこと)、その両義性。

*11.
上掲書, 27頁.

*12.
『小さなスナック』118頁.

*13.
ナンシー関(編・著)『記憶スケッチ・アカデミー』角川文庫, 2003年.

*14.
ナンシー関『何が何だか』角川文庫, 2002年, 85-87頁.

*15.
ナンシー関『信仰の現場 〜すっとこどっこいによろしく〜』角川文庫, 1997年.

*16.
ナンシー関『何はさておき』角川文庫, 2005年, 181-185頁.

*17. ナンシー関『ナンシー関のボン研究所』角川文庫, 2003年, 152頁.

06 Feb 2008
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