映画保存協会インタビュー

インタビュー

introduction

 日本においてフィルム・アーカイヴ活動を推進している団体として、FIAFに加盟している東京国立近代美術館フィルムセンターや福岡市総合図書館だけでなく、全国各地に広がる多くの映画保存の団体も看過できない。各地域に眠るフィルムの発掘・調査・復元を手がける機関のなかでも、映画保存協会(所在地:東京都文京区)はとりわけ精力的な活動を続けている。山中貞雄監督『丹下左膳餘話 百萬両の壷』の"幻の殺陣シーン"の発掘・復元で大きな話題を生んだ団体として記憶している方も多いであろう。そのような確たる実績があると同時に、同協会は、一般のアーカイブ活動とは明瞭に一線を画していることを明言してもいる。この団体が取り組んでいる映画保存の現在的な課題とは何か。副会長を務める石原香絵さんに話をうかがった。


──映画保存協会は特定非営利活動法人として活動されていますが、結成から現在にいたるまでの経緯をまずおうかがいしたいです。

石原:この組織をつくる前に、私はニューヨーク州ロチェスターにあるL.ジェフリー・セルズニック映画保存学校(L. Jeffrey Selznick School of Film Preservation at George Eastman House)に留学していました。在学中に大阪芸術大学准教授(現・同大学教授)の太田米男さんが『何が彼女をそうさせたか』(鈴木重吉監督, 1930)の復元をされているのを知りました。ロチェスター大学准教授のジョアン・バーナーディさんが太田さんのご親友だったのでご紹介いただくことになり、すると太田さんも京都文化博物館学芸員の森脇清隆さんを私に引き合わせてくださいました。その時から私は日本の現状を少しずつ知ることになり、その技術的レベルは海外に匹敵するほど高く、それは自分の想像以上のものであることがわかりました。富士フイルムという製造会社があることは日本にとって大きな強みです。それにくわえて日本映画には厚い歴史があることは言うまでもありません。
 その時、京都文化博物館で働いていた高野あゆの(旧姓・岡村)を森脇さんから紹介されました。そしてその高野が私と同じ映画保存学校に進学することを希望しているとも聞いて、私と似たようなことをやろうと考えている人がいるのだなとうれしく思ったのを覚えています。私が学校を卒業した2001年の秋に、彼女とふたりで映画保存のグループをつくることにしました。それが今の映画保存協会の原型になるものです。最初のうちの活動は、海外で映画保存を学ぼうとしている人たちとの間で情報・意見交換をすることが中心でしたが、いっしょに活動を始めたパートナーである彼女が、この活動をいずれ一般に広げていきたいという考えの持ち主だったので、会員制度をつくって安い年会費で会員を募ることになりました。その告知をホームページに出したところ、現在代表を務めている永野武雄をはじめ、文化財保存の専門家、また映画を研究している学生など、いろいろな分野からの反響があり、15〜16人の会員を集めることができました。永野はもともと映画保存に専門的な関心があったわけではなく、フィルムの発掘調査活動をライフワークにしている「フィルム探偵」です。しかし、発掘は個人でもできるかもしれませんが、フィルムは発掘したらおしまいなのではなく、なるべく原形に近いかたちで復元し、きちんと保存すべきであると気づいたのです。そしてそこまで成し遂げるにはいろいろな人の力を合わせなければならないと考えて入会を決めたようです。
 そうして徐々に組織が大きくなっていくにつれ、それまでのような任意団体の組織では物足りなくなり、2005年ごろにNPO法人化の話が持ち上がりました。永野と私、そして早稲田大学大学院で映画の研究をしている中川望、現在メルマガなど広報を担当している天野園子の4人が中心メンバーになって、2006年の秋にNPO法人として認可が下りました。そのすぐ後に、蔵付きの木造家屋の物件が文京区千駄木に見つかりまして、蔵をイヴェントスペースとしても活用できることから、新たにそこへ事務所を移転することになりました。谷根千地域[*1]でこのような活動をするにあたって、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を発行している谷根千工房さんには、この蔵をご紹介いただいたばかりか、上映会の開催などでもずいぶんお世話になっています。NPO法人化してからは複数の財団から助成金を得ることができるようになったので経営も以前より安定するようになり、また新たな会員に活弁士の澤登翠さん、法人会員として角川映画さんを迎えることもできました。現在、正会員が14人、賛助会員が13名、法人団体が2団体です。会の創設時代からともに活動してきた高野は、現在正会員として所属しています。

──映画保存協会の活動では、眠っているフィルムを発掘・調査し、なかには復元・公開するところまでを手がけられるものもありますが、まず埋もれてしまったたいへん古いフィルムを見つけ出すために具体的にどのような方法でリサーチをしているのですか?

石原:それは内緒です(笑)。とは言っても、私たちが特殊な入手ルートを持っているというわけではありません。基本的には古い文献にあたったり、人づてに聞いた情報をもとにフィルム所有者に手紙を書いてみたりと、とても地道な方法をとっています。送り先の住所がまだ使われているかどうかもわからないようなところに何通も手紙を出してみて、お返事があれば訪ねて行きます。大切なのは、フィルム所有者に私たちの活動のご理解をいただくこと、そして私たちとの信頼関係をつくりあげていくことです。たいていの方は1本だけでなく複数本のフィルムを所有されているので、それを公にしてもいいのか、これだけは公表してほしくない情報があるのかをお聞きしながら、フィルム所有者のお気持ちを大切にするよう心がけています。
 発掘・調査活動でひとつ言えることは、私たちはインターネットをフィルムの入手経路として使わないことです。「Yahoo! オークション」などのネットオークションで珍しいフィルムが出品されていますし、その情報もしばしば映画保存協会にも寄せられてきます。そうした商品を購入したことは今まで一度もありません。また、私たちの発掘・調査活動ではフィルム所有者との交流を大切にしていますので、そのフィルムが残された経緯や入手経路を知り得ないものを復元の対象にすることは滅多にありません。代表の永野が発掘してきたフィルムや、持ち主の方自らFPSに持ち込まれたフィルムを復元し、そのプロセスをホームページなどで報告・告知するようなかたちをとっております。

──発掘・調査活動で発見されるフィルムはどのような形態のものが多くみられますか?

石原:やはり16ミリや8ミリのものが多いですね。それと9.5ミリのパテ・ベビー[*2]。劇映画は16ミリが多いでしょうか。戦前に家庭向けに発売されていた松竹グラフやサクラグラフ[*3]のような劇映画は、当時の雑誌などから、どのような作品が存在したかを知ることができます。ですからじっくり探せばいつか発見できるものだと思います。
 映画保存協会の大きな目的のひとつは、東京国立近代美術館フィルムセンターなどでは扱いきれないようなホームムービーやアマチュア作家による知られざる作品などを見つけて保存することです。そうした活動はかなり地道でなかなか一般の注目を集めるものではありません。映画保存に関心のある人がまず目がいくのはフィルムセンターで復元されるような"幻の劇映画"だと思います。実際、私たちも同様に劇映画の発掘・復元をコンスタントに続けていかないと、誰にも関心を持ってもらえないかもしれません。でも、劇映画をきっかけに映画保存に関心を持った人が、そのうちホームムービーの映画保存のおもしろさに気づいていくこともあるんです。私もそうでしたから。

──2004年に山中貞雄監督『丹下左膳餘話 百萬両の壷』(1935)の"幻の殺陣シーン"の断片が発見された時には、音声のない20秒の映像でしたが大きな注目を浴びることになりましたね。

石原:私が初めて永野に会った時に彼がそのフィルムを手にしていまして、それが上映できるかどうか調べてほしいと依頼を受けたのを覚えています。たいへん状態のよい比較的新しい16ミリフィルムでした。それは戦前に販売された「玩具フィルム」と呼ばれる家庭用ダイジェスト版の複製でしたが、元となった玩具フィルムの所在は結局わかりませんでした。発掘された殺陣シーンの映像は『丹下左膳餘話 百萬両の壷』のDVDに特典映像として収められています。

──現在までに映画保存協会で発掘から復元まで手がけられたのは3つの劇映画、斎藤寅二郎監督『モダン怪談 100,000,000円』[松竹グラフ版](1929)、牛原虚彦監督『海浜の女王』[松竹グラフ版](1927)、マキノ正博製作『学生三代記 昭和時代』[マキノ・グラフ版](1930)ですね。その際、復元費用の資金調達方法として出資者=里親を一般から募集する「映画の里親制度」を採用されました。この方法は大手製作会社でもフィルムセンターのようなアーカイヴでもない映画保存協会が独自に発想したたいへん独自なものだと思います。

石原:里親制度を始める前にとても不安だったのは、実際に里親など見つけることができるのかということでしたが、これまでの3作品ともどれも里親が見つかって資金調達ができています。事前に高いハードルだと思われていたものは実はそうでもなく、それよりもむしろ何倍もたいへんだったのが復元プロジェクトに関わってくださる人たちの間の意見を調整することでした。フィルム提供者、資金提供者、ラボ、完成披露上映をしてくださる団体、そして私たちの組織内部と、プロジェクトに関与する主体がたくさんいるのです。またそこに研究者の方が関わってこられると美学的見地から譲れないという意見にも耳を傾けることになります。そんな中で映画保存協会の持っている理想をしっかりと持ちながら復元を実現していくことはたいへんな作業です。
 復元するフィルムに資金提供をアピールしやすい「売り込み」のポイントがある劇映画であれば、資金調達はそれほど難しくない印象があります。『モダン怪談』では斎藤監督のお子さんたち3人に里親になっていただくことになりたいへんよかったと思いますが、実はその他にも斎藤喜劇を深く愛しておられる方が里親に申し出ていました。
 『海浜の女王』の復元では里親を募るために3分の予告編を映画館で上映しましたら、何人かの方からお声がかかりましたが、最終的には鎌倉市芸術文化振興財団さんにお願いしました。そこで理事長を務めている山内静夫さんは松竹でプロデューサーしていた方なので、この場合映画保存協会が松竹に先んじて松竹グラフを復元することはどうなのだろうかと気にかかっていましたが、山内さんが気をきかせてくださったのか松竹の著作権部門の方から連絡をいただきどうぞ復元してくださいという返事をいただきました。里親さがしは一見たいへんなようですが、「私が映画を救いたい」と申し出てくださる方はいるのです。

──マキノ正博製作『学生三代記 昭和時代』では里親として立命館大学アート・リサーチセンター 京都映像文化デジタル・アーカイヴ マキノ・プロジェクト[*4]、東京国立近代美術館フィルムセンターと、複数の団体が関わっておられますね。

石原:立命館大学でマキノ・プロジェクトを立ち上げた冨田美香さんのことは以前から存じ上げていましたので、マキノの復元をすることを報告しましたら、里親になってもよいと申し出ていただけました。マキノ・プロジェクトにはフィルム復元の実績があり、今回その方法論を学ばせていただきたいと考えていました。また、マキノの『学生三代記』はフィルモグラフィーの中では重要な作品ではないかもしれませんが、今の目から見た復元価値などを冨田さんに文章化していただければいいなあと考えていました。そういえば、2008年にフィルムセンターでマキノの生誕百年記念特集上映が組まれますね。その時にこの『学生三代記』上映されればこの上ないなと思います。

──その3回の復元活動でそれぞれ別々の現像所を使われているのは、どのような理由からですか?

石原:『モダン怪談』を復元していただいた育映社さんには、私は映画保存協会で活動をする以前からお邪魔していました。用もないのに用事を作って遊びに行っていたんですね(笑)。その憧れの現像所に映画保存協会初めての復元を発注できたことは念願の夢かなったりでした。当初は里親制度を映画保存協会と育映社さんの共同事業にできたらいいなと考えていたのですが、その時、育映社の現像部門が閉鎖されることがすでに決定していることを知りました。育映社さんのような頼りにできる現像所がなければ里親制度も続かないかもしれないと私たちは心配していました。
 第2回の里親募集をした時に、幸運なことに日本大学芸術学部が現像場の提供を快諾してくださいました。『海浜の女王』を監督した牛原虚彦が過去に日大で教鞭を執っていて、牛原先生の作品の復元ならば大学の現像所を使ってもよいと言ってくれたのです。作業自体は元育映社の技術部長の今田長一さんに依頼しました。ちょうど同じ江古田にある育映社さんは日大とはもともと交流があり、今田さんがも現像機の修理などで技術協力されていたので、ことはとてもスムーズに運びました。しかも日大がフィルムを無償で提供してくれることになりました。鎌倉市芸術文化振興財団さんには今田さんに支払う作業手当とフィルムからDVDにテレシネする費用を負担していただきました。とはいえ、仕上がりを比べると『モダン怪談』のほうが上です。『海浜の女王』のプリントについては限られた設備と時間で今田さんが出してくれた最善の結果と言うほうが相応しいかもしれません。
 マキノの『学生三代記』はIMAGICAでデジタル復元をするなどプロジェクトとしては変則的にかなり大きなものになりましたが、それだけに話題性も十分あるものだと思います。しかし、次回の第4回目の里親制度をするにあたっては初心に返るというかたちで、里親の定義をはっきりさせ慎重にプロジェクトを進めようとしている最中です。

──『丹下左膳餘話 百萬両の壷』の"幻の殺陣シーン"はDVDの特典映像に収められましたが、最近ではそのようなかたちで本編以外の埋もれた短編・断片映像への新たなニーズが生まれているように感じられませんか?

石原:映画好きの人たちだけで話しをしているとあの断片映像の発見はすごいことだということになってしまいますけど、一般の人の視点から見ると山中貞雄なんて誰も知りませんよね。たしかにDVDの特典映像にくわえられると私たちの活動の意義が理解されるきっかけになってよいとは思うのですが、映画保存の理解が一般まで広まるというところまではいかないと思います。国や映画会社や著名な映画人による率先した活動がなければ、映画保存を社会に浸透させていくことはなかなか難しいものだと思います。マニアックな映画ファンの反応だけでなく、一般の方からのシヴィアな視線を十分に意識しておきたいと考えています。

──その点で、映画保存協会は広報活動にたいへん力を入れているようにお見受けします。協会のウェブサイトでは、現在の活動報告だけでなく、映画保存の初心者に向けた記事がとても充実しています。「映画保存とは」からはじまり、対話調の入門解説「映画保存はじめて物語」、映画保存のための機材や必読書の紹介、リンク集など、通読するだけで入門書を1冊読み終えると同じだけの情報を得られるように思います。また、『家庭でもできるフィルム保存の手引き』という小冊子も発行されていますね。映画保存の実際の活動に限らず、映画保存の啓蒙活動も重視されていると考えてよいのでしょうか。

石原:映画保存協会の活動はけっしてアカデミックなものではありませんので、何か記事を発表するにしてもつねにわかりやすく取っつきやすく見せたいと会員が考えているのはたしかです。私個人にとってはL.ジェフリー・セルズニック映画保存学校の留学中に教えられたことがとても大きいです。在学中に校長をしていたのがパオロ・ケルキ・ウザイさん──現在はオーストラリア国立映画音響保存所で所長をつとめ、第63回FIAF東京会議開催記念特別上映会で『狂った一頁』(1926)の上映前の座談会に出席していた方──でした。彼のオフィスのドアが開いている時は学生でも誰でも勝手に入ってよいことになっていました。パオロさんが言うには、どうしても秘密にしておかなくてはならないものは鍵をかけた場所に保管してあるので、机の上の書類や書棚の本から、他のアーカイヴとやりとりしたファックスまでも全部見てもよいと。しかもそこの電話が親子電話になっていまして、彼が他のアーカイヴや現像所とやりとりしている会話までもが聞けるようになっていました。つまり、そこでは映画保存という活動には一般には誰も興味を持っていないことが大前提としてあって、人びとに周知できる情報は徹底的にオープンにしていたのです。私はその影響を深く受けているので、よい情報が入ってきたら皆に知らせなくてはならないとすぐに思います。たしかに商業映画の業界では情報を部外秘にしたり内覧で試写をやったりと閉じなくてはならない部分があることはよくわかります。けれどもパブリック・ドメインの作品を扱っていく活動で隠さなくてはならない情報はそれほど多くないと思うんですね。復元にかかった費用などもオープンにしてもよいと思います。
 この協会を設立するにあたっても、私たちが何かの情報を知っていることでそれが私たちの特権となってしまうことだけはイヤだなと考えていました。人に伝える情報ですからそれはもちろん正確なものにしなくてはならないし、反応の薄い中で広報活動をするのはやはりしんどいです。でもそこだけは譲れない私たちのこだわりですね。私たちはあのホームページの内容にぜんぜん満足していません。まだまだ足りないと思っています。

──広報活動だけでなく、上映イヴェントや講習会も熱心に開催されていますね。

石原:はい。毎月最終日曜日18時に、協会の上映スペースにて「ちいさな上映会」を開催しています。それから、今年で第5回目になる「ホームムービーの日」[*5]が8月に迫ってきています。世界では60会場ほど参加していまして、日本でも10会場を超えそうです。これは草の根的な上映活動ですが、日本各地で「ホームムービーの日」に参加している団体が近い未来に各地の映画保存の拠点となっていく、そうした可能性を十分に秘めた活動だと私たちは考えています。ひとつの映画保存団体が全国的な規模の活動をする必要はなくて、それぞれの団体がそれぞれの地域で活動を続けていくことが重要なのです。またそこで大切なのはそれぞれの団体がお互いの活動を知っていることだと思います。ネットワークを組み、意見交換をする場があるとさらによいですね。こうした上映活動は劇映画の発掘にもまたつながってくるのだと思います。小さな規格の活動が劇映画などの大きな規格の活動へとリンクしていくことになれば素晴らしいですよね。

──映画保存協会の活動方針のひとつに「調査・復元のために一時的に預かる場合を除いてフィルムを収集・所有しない」というものがあります。つまり協会はアーカイヴとしての存在からは一線を引いているということですね。それはなぜですか?

石原:フィルムを集めないと決めたのは、フィルムを集めることを軽く考えたくないからです。もし私たちが1本のフィルムを所蔵すると決めたなら、それをフィルムセンターのように何十年・何百年というスパンで守ることができるのかどうかを考えねばなりません。私たちは湿度・温度を調整できる倉庫を持っているわけでもないですから、集めることが素晴らしいと簡単には言えません。むしろフィルムを集めることは責任ある大切な活動であることを訴えたいのです。それと、私たちはコレクターにはなりたくないと考えています。アーキヴィストは収集家ではないのだと私は学校で頭にたたき込まれてきました。集めることに歓びを感じる収集家になってしまったらこの活動はおしまいなのです。
 その一方で収集をしないとフィルムは救済されないものでもあります。フィルムセンターはホームムービーを積極的には収集していませんが。小さなフィルムが大きなアーカイヴに収蔵されることがそのフィルムにとってよいことかどうかは疑問です。例えば、この千駄木で撮られたホームムービーならば、この土地で撮られたがゆえになつかしんでそれを見てみたいと思う地元の方はこれからも出てくるでしょう。この千駄木で保存・上映されていた方が有効に利用されることになるのです。地方のローカルCMなどもそうですね。大きなアーカイヴに収蔵して埋もれさせるよりも、活用するために保存するんだということを第一として、地域レベルで保存すべきフィルムもあると思います。そしてそれを収蔵するアーカイヴが各地にあることが大切なのです。
 私たちもどうしても集めたくないと考えているわけじゃないんです。実は、映画保存協会を谷根千の地域映像アーカイヴとして機能させることが遠い将来の目標なのです。その時には私たちが倉庫を所有するのではなく、行政に協力を要請して保存庫を提供してもらうとかいろいろアイデアを練りながら、ここでの活動が各地の保存活動に対するテストケースとしてうまく提言できるようになったらよいなと考えています。

──映画保存協会のお考えでは「フィルムは私有物ではなく公共の文化財として広く社会に共有されるべきものである」とはっきり述べられていますね。

石原:私が個人的に面白いと思うものは実はどうでもよくて、いま優劣をつける判断をすべきではないと思います。100年後にこの映像を見る人がいると考えると、捨てられる映像ってないですよね。これから先に何が起こるかさっぱりわからないという要素が映画保存活動の中にはあります。すでにデジタルも新しい言葉ではなくなっていますが、これから出てくるメディアは何かと考えても、ブルーレイディスク[*6]を思いつくことぐらいがせいぜいです。

──ホームムービーを保存することの意義として映画保存協会さんがウェブページで述べられているのは、「当時の社会や風俗を伝える重要な証言」になることや、「撮影者の美意識、ひいては当時のホームムービーを作る時の文法のようなものが見えてきて、映画史の中でもとても興味深い」ということですね。とするとその観点から極端なことを言えば、私が毎週録画しているお気に入りのTV番組のVHSテープもいずれは保存対象にくわわってくることにもなりますね?

石原:プライオリティーの問題もあるのですが、私たちの活動はフィルムの保存に限っているから正気を保っていられるとは言えますね(笑)。VHSだって劣化は進んでいるし、レーザーディスクもそうです、ハードディスクに入っている映像データはどうなのか……と、そこまで手を広げることは私たちには不可能です。最近のメディアを保存という観点から見ると本当におそろしいですね。かつてのように思い出のスナップ写真を分厚いアルバムに収めるようには映像を保存するわけにいかないのです。アメリカで驚かされるのはすでにビデオテープ保存の専門家がいることです。アメリカだと保存という一声でいろいろなメディアの保存研究・技術が引っかかってくるのはうらやましいですね。日本の映画保存は欧米諸国にくらべて大きく立ち後れているのは確かです。日本の現状を変えるために、規模は小さくとも息の長い活動を続けたいものです。

(映画保存協会事務所にて 聞き手:衣笠真二郎 取材日:2007年5月31日)



[脚注]

1. 谷根千地域

谷中、根津、千駄木地区一帯のこと。この地域は台東区、文京区、荒川区の区界に位置し、第二次大戦の戦災を免れた区域でもあることから、東京の下町の雰囲気を残す建物や路地の多い地域として人びとの人気を集めている。「谷根千(やねせん)」という呼称は、1984年に創刊された地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(谷根千工房刊)によって広く知られるようになった。

2. パテ・ベビー Pathe baby
1923年にフランスのパテ社から発表された9.5ミリ幅の小型映画規格。家庭用映画や、アマチュア映画の規格として広く流行した。定速は秒16コマ/秒。

3. 松竹グラフ、サクラグラフ、マキノ・グラフ
松竹グラフ、サクラグラフは、それぞれ松竹、サクラグラフから戦前に発売された学校用教材、家庭内覧用の映画商品。後出のマキノ・グラフは、マキノ省三が開業した牧野商會によって製作・発売された家庭用映画。

4. マキノ・プロジェクト
立命館大学アート・リサーチセンターを拠点として、京都における映画文化アーカイヴ活動の一環として発足したプロジェクト。マキノ映画のデータベース構築・整備、マキノ映画製作『三朝小唄』(人見吉之助監督、1929)復元などの実績がある。

5. ホームムービーの日 Home Movie Day
2002年にアメリカのAMIA(Association of Moving Image Archivists)が提唱した国際的映画保存イヴェント。世界各国の都市で毎年同日(毎年8月の第2土曜日)に家庭に眠るホームムービーを上映し、ホームムービーの発掘・保存の意義を普及させる目的を持つ。

6. ブルーレイディスク Blu-ray Disc
ソニーや松下電器産業などによる次世代光ディスク規格。デジタルハイビジョン放送に対応し、DVDと比較して5倍以上の記憶容量(1層25GB、2層50GB)を持つ。


特定非営利活動法人 映画保存協会(Film Preservation Society)

所在地:〒113-0022 東京都文京区千駄木5-17-3
TEL/FAX:03-3823-7633
E-mail:info@filmpres.org
URL:http://www.filmpres.org

事務所開室時間:毎週火曜・日曜の午前11時〜17時半
*祝日は休(臨時休業日などはホームページにて告知)

18 Sep 2007
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