小川紳介と「思い入れの宇宙」

上山 実

[書評]山形国際ドキュメンタリー映画祭東京事務局編 『ドキュメンタリー映画は語る 作家インタビューの軌跡』


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 本書『ドキュメンタリー映画は語る』の中で、聞き手である阿部マーク・ノーネスは佐藤真に対して率直にも「(…)どういうわけか多くの人たちは日本ドキュメンタリーの方法論の話をする時には(中略)だいたい土本と小川ですね。どうしてなのでしょうか?」と問い掛けている。昭和初期、治安維持法下のアンダーグラウンド運動体であるプロキノ(日本プロレタリア映画同盟)に参加していた映画人たち(小森静男、能登節雄)や亀井文夫など戦前からのキャリアを持つ大ベテランから、松本俊夫(1950年代後半-)、鈴木志郎康や原一男(1970年代-)らを経て、1990年代以降の作家である森達也や土屋豊まで、この本に登場する作家たちの顔触れは、とりあえず日本ドキュメンタリー映画史の各世代、諸ジャンルの要点をフォローするものだといえよう。だが本書が提示する歴史の見取り図の中心に存在しているのは間違いなく小川紳介その人である。

 そもそもこの本に収録されたインタヴューは、小川の熱心な呼びかけによって1989年にスタートした山形国際ドキュメンタリー映画祭の機関誌「Documentary Box」に掲載されたものだ。1992年に死去した小川は本書にインタヴュイーとしてこそ名を連ねていないものの、かつて彼が契約社員として籍を置いた岩波映画製作所で同時期を過ごした土本典昭、黒木和雄、たむらまさき、大津幸四郎たち、あるいは岩波の社員以外でも松川八洲雄や柳澤壽男など、何らかのかたちで彼と映画を通じて交流のあった人々の名前が本書ラインナップの半数近くを占め、後発世代に属する是枝裕和のインタヴューの中でも言及されるなど、その存在感の大きさは明らかだ。ただ、そんな全体の雰囲気の中にあって、「実験映画と個人映画」という括りで登場する川口肇と大木裕之のインタヴューは、小川の拓いた地平とはまったく無関係な場所から発せられているため、当然ながら浮きまくっていて面白い。特に大木のインタヴューの終盤、自作『3+1』(2000)について語るくだりは、部分的に引用しても雰囲気が伝わらないので、実際に読んでいただく他ないのだが、本人が非常に昂奮しているということ以外、ほとんど何を言っているのかわからない。だが意外にもこの熱っぽさは、『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』(1967)などの作品の中に唐突に介入してくる、急くように捲し立てるナレーションの口調や、いくつか出版されている発言録(『映画を獲る』や『シネアストは語る 5 小川紳介』など)から窺い知れる、小川の熱き弁舌ぶりをちょっと彷彿とさせる……。

 さて、先述したノーネスの質問に対して「僕の場合は小川・土本の直接的な影響の渦中から映画をスタートしてしまっている。(中略)その外に広がっていた多様な日本ドキュメンタリーの裾野の広がりが見えなかったって感じがする」と語る佐藤真もまた、別の箇所で「小川プロに関して僕は最初からまったく憧れは持っていなかった」と語り、自らが映画を撮り始めるにあたって、小川プロが山形の農村で実践した集団的映画製作に対する批判的意識を持っていたと言明しつつも、撮影を行う土地に移住し、現場スタッフ全員が一軒家で長期に亘る共同生活を営むという、まさに小川プロのスタイルをそのまま踏襲したかのような『阿賀に生きる』(1992)の製作過程で、結局似たようなスタッフ間のヒエラルキー的問題に直面したと告白している。ともかく、現在「ドキュメンタリー映画」という語からごく自然に「じゃあやっぱり撮影に時間がかかってそう」とか、「対象と撮る側の関係性がね……」などと、観客としては連想してしまうし、実際に作られる作品もそうした製作スタンスとか認識を踏まえたものがやはり多いのだが(なにしろ今や作り手の多くがヤマガタへの出品を目指しているのだ)、そうした日本ドキュメンタリーの現況にとって、やはり小川紳介は決定的な存在なのである。彼と比肩し得る唯一の存在として、岩波時代の先輩であり「水俣」シリーズの連作で知られる土本典昭もまた最重要人物だが、常に首尾一貫したジャーナリスト的精神によって支えられ、見事なまでに論理的な隙を見せない土本の作品スタイルや発言の厳格さに比べて、様々な場所で「映画づくり」=「人生」という等式の魅惑や深遠さを常時語り続けていた小川の豪奢なキャラクターや、「共に暮らし、語り、撮る」(こんなキャッチコピーはないけれど)彼の作品世界が持つロマンティックなイメージは、より多くの人々にとって親しみやすいもののように見える。

 しかし非常に厄介なことに、小川紳介の映画というのは、製作上の理念として浸透している「長期取材」「対象への愛」といった方法論だけでスッキリと受け止めきれるものでは全然ないのだ。勝手な白状で恐縮だが、評者にとって小川はものすごい映画を何本も残している偉大な映画作家ではあるが、彼の作品に時折見られる、論理的整合性を超えた部分について(それこそが小川だけが持つ魔術的魅力だともいえるのだが)、どうしても最終的に受け容れ難さが残ってしまうのだ。傑作と言われる『三里塚 辺田部落』(1973)や『ニッポン国古屋敷村』(1982)でさえ、作品の中で不意に訪れる異様な奇跡的高揚感に圧倒されつつも、バランスの崩れや破綻をまるで意に介さないかのような作品構成の押しの強さに混乱し、軽い「宇宙酔い」(経験はないが)のような状態に陥ってしまう。あの老人たちの一人語り場面の、いつ果てるとも知れない長さ、そこで語られる内容の、もう事実とも作り話とも判別しようのない朧さ。作品内に流れる時間感覚があまりに自由過ぎるために、あたかも真空の中に投げ込まれたかのように「このままどこまで行ってしまうというのか。戻って来れないのではないか」という不安で気が遠くなるのだ。それに、『古屋敷村』の中で稲の発育過程を研究するため、顕微鏡による発芽の撮影を行うのはまだ理解できるが、水田に差す日光や風向きをシュミレーションするために、精巧なジオラマを作り、すごい勢いでどんどん実験のデータを取ってゆくあの執拗さは、やはり尋常ではない。撮影クルー全員が一丸となって作業にのめり込んでいなければ成り立たない驚異的な場面の連続なのだが、その得体の知れない本気さで映画がぐんぐん進んでゆく様がどこか恐ろしく、眩暈すら感じてしまう。まして遺作『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1986)に至っては……。何度もチャレンジしているが、土方巽や宮下順子が登場するパートまでは何とか観ていられるものの、後半で村の歴史を再現するため、牧野村の住民たちが農民一揆の扮装で次々出てくる場面になると、なぜこうまでする必要が? と居た堪れなくなってしまい、直視できないのだ。かつて村で農民たちが起こした一揆を、その血筋である現在の牧野村の住民たちに演じさせたいという小川の熱意は、とにかく伝わってくる。が、映画出演の緊張でこわばった顔の村民たちが、槍を手にシュプレヒコールを挙げる決起集会(?)のシーン、あれは一体何だったというのか? 職人の熱意がこもり過ぎて縮尺が狂いまくった家に招かれたかのような居心地の悪さにぐったりする。この映画は実際にとても長いのだが、見ている最中は本当にこのまま永遠に終わらないのではないかというぐらいの長さに感じるのだ。本書の中でたむらまさきと聞き手の金井勝がこの作品に批判的に触れ、「農民というのに弱いんだよね、彼は。」(たむら)などと軽くいなしていたので多少救われたが、本当にこの作品だけは、小川の映画を支持する人々や、現場のスタッフや、ひょっとしたら農民一揆の扮装で撮影に参加した牧野村の村民たちにも、「なぜこうまで?」の嵐を巻き起こしたのではないか?

 だが忘れてはいけない。これは三里塚以来ことあるごとに「農民の心が撮りたい」と熱く語ってきた小川の、土地の歴史までを含めた被写体のすべてを写し取りたいという思い入れが最終的に着地した、もはや「撮影対象との距離」云々の問題からもとっくに解き放たれた更地のような場所なのだ。『1000年刻み』のラストは撮影に参加した村民たちが笑顔でグラウンドを行進する姿の「記念撮影」であるが、ここまで来るともう好みの問題をとうに越えて、小川が村民たちに抱く愛着の壮絶さに畏れ入るより他ないと思えてくる。そしてこの部分こそ、誰も近づけない小川の真の恐ろしさだと思うのだ。小川の偉大さについて語られる時、彼の持つこうした面倒くさい部分についてはまだまだ皆避けて通っているような気がしてならない。

 それぞれに方法論も作品のトーンも多種多様に異なる作家たちの言葉からなる『ドキュメンタリー映画は語る』を、小川の存在を中心軸に据えて読む時、パズルのミッシング・ピースのように浮かび上がる彼の輪郭に、またしてもあの「宇宙酔い」の気配を少し感じてしまった。


山形国際ドキュメンタリー映画祭東京事務局編『ドキュメンタリー映画は語る 作家インタビューの軌跡』未來社,2006年.
10 Feb 2007

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