解体されたユートピアへの旅──「すべては眠りの形でしかない」

セリーヌ・ガイユール
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 ポンピドゥー・センターにおけるジャン=リュック・ゴダール『ユートピアへの旅(1946-2006)』は5月10日から8月14日まで開催され、完全にその幕を下ろした。8月16日と17日の2日間で展示は完全に解体され、パリ郊外に程近いエマウス(Emmaüs)[*1]のなかでその美しき日々を終える。解体スタッフのメンバーたち──私たちは彼らの様子をその2日間ずっと撮影していたのだが──によるとすべての作業は例外的な速さで進行していったということだ。展示責任者にとって、この展示は、未完成なままに残された瓦礫だらけの、工事現場にすぎなかった。撤去作業においてもっとも邪魔になるものは不燃ゴミ用の荷台に投げ捨てられていた。20世紀を映し出しながら21世紀への越境をはかるという作品の歴史的なスケールを示す3つのブースのタイトル「Avant-hier(一昨日)/Avoir été(かつて あった)」「Hier(昨日)/Avoir(あった /「見る」べき)」「Aujourd'hui(今日)/Peut-être(ありえる かもしれない)」が書かれた、白い3枚のパネルがその一例だろう。鉄道模型を囲む柵として機能していた板材や保護用の鉄柵も同じ運命を辿っていた。壊れやすいものもまた同様である。いくつかのデッサンや絵画の複製は引き裂かれ、会場の床に直接貼られていたベルグソンの引用からなるふたつのプレートも投棄されていた。今日現在、その他の展示物は、ゴダールの意志により、さしあたってはエマウスのなかで安らかに眠っている。

 ポンピドゥー・センターの企画に対する配慮と関心の欠如、さらには時折見受けられる軽蔑は非難されるべきだろう。明らかに、スタッフたちはエマウスへ発送する前の作品を保護するための特別な指示を受けてはいなかった。手袋で扱われ、"安全保障"の規約に則して扱われた唯一の作品群は、ポンピドゥー所有の3枚のオリジナルの絵画、マティス、アルトゥング、そしてスタールである(おそらくゴダールが最初の2作品を選んだのは、復讐心からだろう。かつて、これらの作品の相続人たちが『映画史』[1988-98]への引用を拒んだからだ)。あたかも、この破壊が最初の展覧プロジェクト『コラージュ・ド・フランス』の失敗以来予期されていたかのようにすべては進行していた。『コラージュ・ド・フランス』の計画は、もはや、縮小されたマケットの形式でしか存立していなかった。そして、このこと自体、美術館の制度が自身の抱える矛盾に直面していることを示している。

 展示のレイアウトからして、作品の保護はすでに不可能なようだった。絵画のレプリカとテキストの抜粋はほとんど細かい紙切れに作り替えられて、壁に直接貼られていた。その結果、それらを破かずにそのまま引き剥がして欲しいという人々の希望に反して、その作業はほとんど失敗を運命づけられた試みとなっていた。サルトルのテキストのコピー『シチュアシオン Ⅸ』からの抜粋も鉄道模型を取り囲む木製の柵に貼られており、破かずに引き剥がすことは不可能だった。「一昨日」の部屋の入り口で、壁に沿って貼られていた帯状の紙切れは、剣劇のイメージとテキストの断片を交互にモンタージュして示しつつ悲劇とラシーヌを主題化していたが、同じ運命を辿っていた。また、『9からなる証明』というタイトルを示し、『コラージュ・ド・フランス』の9つのブースに割り当てられるべきだった名称を再び取りあげた、シンプルなA4の紙切れも同様である。『本来の場所にて(in situ)』は、ポンピドゥー・センターという場のコンテクストのなかでのみ、その一連の流れを維持していた。白いシーツの上に掛けられた青い絵から垂れ落ちた青色は、ポンピドゥー・センターの床10カ所に埋め込まれている換気口へとつながるあの青いチューブを想起させつつ、最終的に、最初の展示の失敗の理由を説明するパネルへと到達していた。

 エマウスに残されているのは、日常的なオブジェ、3つのブースに展示されていた本来の日用品的機能を備えていたものだけである。赤い4つの椅子、寝台、クラブ用の肘掛け椅子、白色の縁のガラス製のテーブル、机、「一昨日」の部屋の9つの小さなスクリーンを縁取っている木製の小さな額縁、植木、プラズマテレビ。こうしたものが、いくつかの倉庫に分散されつつ、同様の物品とともに販売用として、しかも、わずかな額を付けられて展示されている。絨毯や寝台や現代家具の写真を集積した「今日」のブースのゴダールのコラージュが、美術館でその居場所を奪われてインテリア家具に戻ってしまった、これらレディメイドの行末をすでに先取りしていたかのような光景だった。適切な買い手をすぐに得ることのできたオブジェもいくつかある。だが、ゴダールの制作させた『陽は昇る』(1939)をモデルにした鉄製の寝台は、エマウスのスタッフによると、販売するにはあまりに重くて不可能だという理由で完全に破壊されていた。2本のオリーブの木のうちの1本、とりわけ「トーテムとタブー」のインスタレーションが入っているいくつかのケース、そして『コラージュ・ド・フランス』のマケットがいまだに残されている。

 1949年、アベ・ピエールは人々の出会いの場所を作るという名目で、あばら屋になっていた彼の家を修復して国際ユースホステルを作り、エマウスと名付けた。エマウスの連帯運動は戦後の困窮時代の中で、最も恵まれない人々を援助するというイニシアティヴを持ってフランスで生まれた。今回の展覧会の完全なタイトルを忘れてはならない。『ユートピアへの旅 1946-2006』、これは戦災の痕跡をその内にとどめている。今回のゴダールからエマウスへの贈り物は、ポンピドゥー・センターのスタッフの間で渦巻いていたある噂を裏付けるものだろう。その噂とは、ゴダールがSDFの人々に日銭を渡し、「昨日」と「今日」のブースの内部に面している展示場の窓ガラスの外に彼らを立たせている、というものだ。エマウスが非宗教的な運動だとしても、その言葉には、依然として聖書的な意味合いがとどめられている。新約聖書において、イエス・キリストが現れ、昇天へと至り、即ち神の人々に歴史の解釈の鍵を与えるのがエマオへ至る道だからだ[*2]。聖書的なレフェランスがどのようなかたちで展示に潜んでいたかをみると面白いかもしれない。自由な連想ゲームに身を任せれば、ポンピドゥー・センターのエスカレーターの最上部にある展示の入り口を飾る2本のオリーブの木は、オリーブ山からの遠い残響としてとらえることができる。イエス・キリストがその生涯最後の時に到達し、疑いを穿たれる場である。また、「昨日」の部屋の中では、キリストへのレフェランスは、ロベルト・ロッセリーニの『メシア』(1976)とセルゲイ・パラジャーノフの『ざくろの色』(1971)という2本の映画の抜粋によって示されている。その他の聖書的なレフェランスは「ユートピアへの旅全体」に広がっており、宗教戦争への辛辣な非難として機能している。「今日」のブースの中では、宗教的な十字架と非宗教的な星が互いに結びつけられ、過去と現在の紛争、さらにはジェノサイドに至るまでを映し出していた。この組み合わせの十字架の側、完全に黒く塗りつぶされた他のパネルの中心に、ゴヤの磔刑図──おそらくは異端審問によって死を宣告された異端者──のレプリカが貼られていた。ブースの中央、TF1とユーロスポーツ[*3]を連続して放映している2台のテレビが水平に置かれている間にある、机のふたつの引き出しの中には「出エジプト記」(旧約聖書)の抜粋のコピーが2枚貼られていた。「主はモーセに言われた、"あなたは前のような石の板2枚を、切って造りなさい。わたしはあなたが砕いた初めの板にあった言葉を、その板に書くであろう"」[*4]。この[テレビと旧約聖書という]連結は、ゴダールにとって、ある事実を告発する方法となっていた。すなわち、偏在するテレビが新たなモーセの律法を書き記し、古きに取って代わるという事実である。このアナクロな、現代の出来事と聖書的なレフェランスの間の結びつきの規則は、「一昨日」のブース全体にあまねく行き渡っていた。そこでは、「嘆きの壁」を表現している彫刻がイスラエルを反映し、エジプトのレフェランスであるラー神(光の神)の彫像が傍らに置かれている(ここで幕を掛けられたまったく同じ彫像に、ゴダールが「アフガニスタン」と名付けているのはまったくの偶然ではないだろう)。最後に「Salauds (Salle 6)[くそったれ(第6のブース)]」のマケットでは、「神こそ我が正義」という引用文とともに、エルサレムの壁、アッカの砦[*5]、そしてさらにモネの『ルーアンの大聖堂』といった様々なレプリカを展示しつつ、3つの一神教を並置するという奇妙なモンタージュがなされていた。

 映画作家によって全体構想がなされ、展示品の幾つかはゴダール自身の手によって作られもしたユートピア的なマケットの運命は、いまのところ未知のままである。スイス税関とのいくつかのトラブルによってポンピドゥー・センターに足留めされた後、一時的にエマウス・センターに引き取られ、来たるべき1ヶ月か1週間の内にドゥルーオ[*6]で開催されるオークションに出品される商品として、形式上、オークショニアに預けられるようだ。日用品になっている展覧会の家具が販売されていたら、ポンピドゥーのマケットは議論を生み、さらには問題を引き起こしていただろう。なぜならば、奇妙な歩み寄りをみせながら、コラージュとレディメイドの中間にあることがその特徴であるからだ。一連のシリーズに現代的な製品のオブジェを選択し、審美的というよりはむしろ挑発的な視点からそれを展示するという点において、ゴダールはまさにダダを受け継ぐところにいる。「トーテムとタブー」のインスタレーションの中に展示されていたスツールの上に置かれた自転車の車輪は、いやがうえにもマルセル・デュシャンのそれ[*7]を思い出させざるを得ないし、『ユートピアへの旅』の壁に釘で打たれた本は、おそらく、マン・レイの『贈り物』[*8]、あの有名な鉄製の釘を打ち込まれたアイロンを参照している。つまり、ゴダールはダダイストたちが行っていた芸術の伝統的な概念に対する根本的な問いを再び取り上げ、映画から得られたモンタージュの実践によって、その問いを自らに重ね合わせているのだ。いかなる場合においてもインスタレーションの儚い性質は、根底としてメランコリックなのである。 「すべては眠りの形でしかない」(ヘルマン・ブロッホ『ウェリギリウスの死』, 1945年)[*9

[翻訳:三橋 輝]



[訳注]

*1. エマウス Communauté Emmaüs
1949年にアベ・ピエール(ピエール神父)によって設立されたSDF(Sans domicile fixe. 住所不定者、ホームレスのこと。現在パリ市だけでも3万から4万人ほどいるという)支援団体。フランス各地に点在し、使用しなくなった家具、電気製品、衣類などを住所不定者自身による受託、修理、ほとんど無償での販売というリサイクルシステムによって支援活動を行う。Emmaüsとはエルサレムから11キロ離れたところにある村であり、キリスト昇天の直前、ふたりの弟子がキリストに会った場所である(新約聖書, ルカの福音書, 第24章13-53節)。フランス発音で「エマウス」、日本語では主に「エマオ」と表記される。

*2. イエス・キリストが現れ、昇天へと至り、即ち神の人々に歴史の解釈の鍵を与える……
Cf. 新約聖書, ルカの福音書, 第24章13-49節, 50-53節.

*3. TF1とユーロスポーツ
フランスの民間テレビ局最大手とそのグループ傘下のスポーツ専門チャンネル。

*4. 「主はモーセに言われた……」
旧約聖書, 出エジプト記, 34章1節〜2節(訳文は、日本聖書協会『聖書』1954年. を用いた)

*5. アッカの砦 Une muraille de Saint-Jean d'Acre
「サン・ジャン・ダクルの砦」。イスラエル北部、ハイファの北東14キロメートル、地中海のアクル湾に臨む港湾都市。11世紀に十字軍が遠征し砦を築く。アッカは旧約聖書での名称で新約聖書ではフェニキア時代の名称プトレマイオスが使用される。アラビア語では「アッカ」、フランス語では「サン・ジャン・ダクル」。

*6. ドゥルーオ Drouot
パリ9区のフランス最大のオークション会社。
*7. スツールの上に置かれた自転車の車輪は……
マルセル・デュシャン『自転車の車輪』(Marcel Duchamp, La Roue de bicyclette, 1913, 1969.)のこと。デュシャンがニューヨークで制作。自転車の車輪を逆さまにしたシャーシのような台に設置して手で触ると回転させられるようにしたオブジェ。

*8. マン・レイの『贈り物』
Man Ray, Gift, 1921. ニューヨークで制作。ニューヨーク・ダダにおけるオブジェの代表作のひとつ。

*9. 「すべては眠りの形でしかない」
Hermann Broch, Der Tod des Vergil, Zurich, ed. Rhein-Verlag, 1945.(邦訳=川村二郎訳, ヘルマン・ブロッホ『ウェリギリウスの死』, 伊藤整ほか編『世界文学全集』第7巻 所収, 集英社, 1966年.)
ヘルマン・ブロッホは1886年ウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人作家。大戦中1936年にアメリカへ亡命し61年にその生涯を終える。『ウェリギリウスの死』は紀元前70年から19年に実在したローマの詩人プブリウス・ウェリギリウス・マロが詩篇『アエイネーアス』を旅の道すがら書き上げ、目的地ブルンディシウムに到着してから死に至るまでの18時間を描いた大作。特異な独白的文体と詩的散文によって、時間、空間、形式、美、死、哀、悲といった概念を巡る観念的物語が構成されている。モーリス・ブランショによると「プルースト、ジョイス、トーマス・マンと並ぶ偉大な作品」(『来るべき書物』)。
 ゴダールは『映画史』全体でブロッホのこのテキストを引用しており、2B「命がけの美」の終盤、『ウェリギリウスの死』のテキストの朗読のなかにこのセンテンス《Tout cela n'était qu'une forme de sommeil》は登場する。また『右側に気をつけろ』(1987)におけるナレーションもそのほとんどがブロッホのこのテキストを引用している。

29 Jan 2007

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