蓮實重彦インタビュー──リアルタイム批評のすすめvol.2

インタビュー

5.批評家の才能
6.フィクションについて


5.批評家の才能


──今後も新作映画について発言しようという意志を先生はまだお持ちであるとお見受けしたのですが。

蓮實:1本の作品をそれにふさわしく評価し、最低2400字でレヴューを書くとなると少なくとも2度は見なければならないし、ときには1回しか見られず、その数日後に文章を渡さねばならないときもある。それやってると疲れます。次々に新しいものを見てそれについてけなしたりほめたりするのは年齢的に苦しく、もう次の世代の役割だと思っているんですが、なかなかこれというひとがいませんね。香港映画にとどまらず、他の地域の作品についても語る宇田川幸洋氏のレヴューは、ごく短いものでも作品評価の上で信頼していますし、文献を充分に読みこんだ上でそれを自分の言葉にして語る芝山幹郎氏のエッセイの含蓄の深さを好んでいますし、また小説家である阿部和重氏と中原昌也氏の対談時評は大いに気になっていますが、映画評論家でこのひとが書いたものを毎月読みたいというひとは、残念ながらあんまりいない。

──その点についてなんですが、先生はそもそも、だいたい90年代のはじめから、日本の映画批評一般についてかなり悲観的な発言をされていますね。

蓮實:映画批評って、たしかになきゃいけないんですけど、この職業は世界的にみてもほとんどフィクションに近い存在です。映画批評だけで生きているひとは世界中で数えるほどしかおらず、仮にいるとすれば、それは大新聞社に書いているひとに限られています。日本の新聞はほんの数百字で作品評を書かせていますから、それでは紹介以上のものをとても期待しえませんが、かなりの字数が与えられているはずの『ニューヨーク・タイムズ』の映画欄にだってまともな批評家は出ていないのですから、事態は深刻です。『ニューヨーカー』にも、ポーリン・ケイル流の辛口の批評の伝統は生きてはおらず、『ヴィレッジ・ヴォイス』がときに冴えた記事を載せている程度で、ニューヨークにはまともな批評家はいないといわざるをえない。いまは日本に滞在していますが、『ボストン・フェニックス』紙に書いていたクリス・フジワラは、『シカゴ・リーダー』の映画欄担当のジョナサン・ローゼンバーグとともに、合衆国では例外的な、ごくまともな映画批評家だと思っています。フランスの『ル・モンド』や『リベラシオン』にはかなりのひとが書いていて、ジャック・マンデルボームなどある程度信頼できますが、ジェラール・ルフォールというひとが結構面白い『リベラシオン』は今は経営危機に陥っていて、この先どうなるかわからない。『カイエ・デュ・シネマ』のような批評誌だって、批評だけで生きていけるひとはほんのわずかです。そうなると、唯一残ってるのが大学だと思う。オーストラリアのサイトマガジンの《Rouge》を主催しているエイドリアン・マーチンは冴えた批評家だと思いますが、彼もモナッシュ大学の研究員をしています。パリ第3大学のアラン・ベルガラやシャルル・テッソンなどは、もともと『カイエ・デュ・シネマ』誌出身で批評的な感性をもっているし、社会への接点もたえず維持している。アメリカでは、たとえば、ハーヴァード大学のフィルム・アーカイヴなどが小津の特集を上映したりして、批評的な場を提供していたりしますが、映画批評的な才能をもったひとが、残念ながらあまりアメリカの大学にいない。

──研究者になってしまうということですね。

蓮實:そう。シカゴ大学のトム・ガニングは初期映画の研究者としても優れていますが、彼は充分に映画批評をやれるひとだと思う。まあ、シカゴにはローゼンバウムがいるから任せてしまったということがあるのかもしれませんが、彼のフリッツ・ラング論はかなり批評的な視点のある書物でしょ。

──キャッチ・コピーを作るのがうまい。

蓮實:それは批評にとって決定的なことなのです。彼がある事態を要約する言葉って、インパクトがあって反復しやすい。これは映画批評家の資質のひとつなのですが、それは模倣者を量産するからよいということではなく、この概念をうまく使えば映画一般を論じるときにある文脈を想定できそうだっていうことを読むものに実感させることが生産的なのです。その点、ボードウェルは本当に優れた研究者ですが、批評的な精神はあまりない。彼が提起する「古典的ハリウッド映画」や「フィルム・スタイル」といった概念そのものがどこかしら収縮的で、他者の思考をはばたかせる力を欠いているからです。

──日本の大学における映画研究というものについてはどうお感じでしょうか。

蓮實:そんなに詳しく知りませんけれども、アメリカの悪い面だけは学ぶなよ、というのが唯一いえることだと思います。しっかりしたひとはみんな知ってると思いますが、批評性を欠いたひとはあれが唯一の映画研究だと思ってしまう。この傾向は、カルチャー・スタディーズと手を組んで、東アジアの大学全体に拡がっています。

──ただ、先生はかつて、映画というものは制度化されざるものであり、であるがゆえに、アカデミスムに偏ることは好ましくないと述べておられましたが。

蓮實:今でもそう思ってます。個々の作品は生きものであり、その新鮮さが社会に投げかける思いもかけぬ刺激に触れたとき、それをどういう文脈で伝えるかが批評の問題です。ところが、それに触れるのをあえて自粛することがアカデミスムだと思われているのは、映画にとっても大学にとってもよいことではありません。映画産業の現在とはおよそ無縁のところで形成されてゆくアメリカのフィルム・スタディーズは、そこに形づくられる言説が社会に広く触れようなどとははなから思っていない。アメリカの大学特有のこのシニシズムを世界が模倣する理由はまったくありません。大学も、何らかの意味で批評的な精神の持ち主を育てなきゃいけない。批評的な資質がなければ、なにをしたって駄目です。ただ、それだけやっていると論文が通らないってことになると問題だから、指導する教師の方にも、ある程度の余裕がほしい。いくら真面目な研究者ばかり作ったって、とりわけ映画の世界はそんなものをそれほど必要としていないのですから。これはあらゆる研究領域についていえることですが、たまたま人材難でそのひとしかいないといったかたちで大学に入った研究者が、いつのまにか自分を権威だと錯覚して、収縮的に自分に似た人材ばかりを再生産しているところには、創造的な視点の持ち主は育ちません。

──先生ご自身のご活動として、総長になられた後は、自ら「フィルムの密輸業者」とおっしゃっておられるように、無国籍的に、様々な映画祭や特集上映企画などに関わることが増えていらっしゃるようですが、日本国内のジャーナリズムを相手にするよりも、そちらのほうが生産的だと考えられたからなのですか。

蓮實:いや、生産性ということに関しては、それ以前から大きなあきらめがありました。生産性というよりは、ちょっとした刺激をいろんなところで無方向にはじけさせれば、と思ってます。日本だけではなく、世界のどこかに私の小津論やジョン・フォード論などを読んでくれるひとがいて、こういう視点もありうるという確信が国籍を超えていくらかでも波及すれば──ときどきメールでそういってくれる未知のひとがいますけれど、それで十分だっていう気がしています。「フィルムの密輸業者」としての醍醐味を味わえたのは、山根貞男さんと一緒に、東京国際映画祭の日本シネマ・クラシックの枠内で、スランプ期といわれていた成瀬巳喜男の30年代の作品を公開以来60年後にニュープリントで上映したときのことです。『旅役者』(1940)の終映後に、侯孝賢の脚本家の朱天文さんが涙顔で会場から足早に去って行き、次回の上映に侯孝賢自身を連れてきて、ふたり並んで見ているのを目にしたときは本当に興奮しました。また、『まごころ』(1939)を見たスペインのフィルモテカの館長チェマ・ブラードが、マドリッドに戻るとすぐに電話してくれ、成瀬のレトロスペクティヴをぜひサン・セバスチアン映画祭でやりたいといってきてくれたときにも、「密輸業者」としての快感を覚えました。海外の映画祭や特集上映企画などに関わることの無国籍性こそ、映画が必要としているのだとも思っていますが、いったんこれにかかわると、プリントの上映料の交渉からカタログの制作までやることになり、これも疲れるのです。心からやりたいと思っている企画は、もう、山中貞雄とマキノ雅弘の世界への紹介と、ジャック・ベッケルの無条件な擁護と、『レッドパージ・ハリウッド』とも若干関係しますが、いかがわしい製作者キング・ブラザースのレトロスペクティヴぐらいしか残っていません。

──生産性は問われないと。

蓮實:ええ。私は年齢的には整理期に入っていますから、もうそんなに手は広げられない。

──ただブレッソンが『ラルジャン』(1983)を撮ったのは83歳のときですし、オリヴェイラも……

蓮實:あのね、創作家には年齢は関係ないんです。映画作家は肉体的に元気であれば何でもできるけれど、映画批評って、批評すべき対象との関係を成立させねばならず、疲れるものじゃないですか。もちろん映画を撮るのだって肉体的な疲労はあるはずですが、撮ってしまえばしめたもんでしょ。撮ってしまえばしめたものという映画作家の楽天的な無責任性を批評家はとても真似できない。書いてしまえばしめたものだとはいえないところが批評家の宿命です。
 かつて、「密輸業者」なんてこともいいましたが、いまでは、これまでの自分にできた人脈を活用することでどこまで映画に貢献するかってことを考えると、「密輸」の仕事もあらかた終わったと考えています。さる8月の溝口健二シンポジウムでヴィクトル・エリセがなにか話してくれれば、溝口のために、また映画のためによいことだから、ぜひ来てもらうように努力するという程度の活用にすぎませんが、実は最後の最後までエリセが来てくれるかどうかわからず、これはこれで大変疲れることなのです。もともと彼は、手紙を出しても1年後に「手紙ありがとう」って返事が来るほどのひとだから(笑)、われわれとは時間の観念が違う。Eメールにも、独特のリズムがあり、いらいらするばかりです。でも、溝口健二には恩義があるからなんとかしなければいけないという返事は来てたから脈はあるな、と思いました。ほとんどのひとは脈はないぞと冷笑していたんですが、本当に彼が来てくれたんだから、それを機に、もうこの種の人脈の活用はやめようと思います。もちろんそれができたのは私だけの力ではなく、朝日新聞の古賀太さんという方が──この方は、数カ国語の外国語を操れる大変なシネフィルで、駒場の表象文化論でアートマネジメントの講義を持っていただいたこともあるのですが──マドリッドまで行ってじかに話をつけてきたとかあるんですけれど、これまで築いてきた人脈が少しでも溝口の映画が日本で見られることに貢献するなら、それはやっぱり活用しようと思っていただけです。いや、エリセは本当によく来てくれたと心から感謝していますが、そういうことはもうこれで最後にしたい。それが生産的であったかどうかはともかく、その種のことはもうやめようということです(笑)。とにかく、疲れますから。終わってから、山根さんと、これは俺たちの年齢の人間がすることではないと、本気で語り合いました。

──エリセはその後、国内旅行をしていったとのことですが。

蓮實:国内旅行というか、もともとエリセが行きたいといっていた広島と尾道に行って、尾道は、たまたま同じときにお忍びで来ていたヴェンダースにそそのかされたもので、日本旅館に泊まったって嬉しそうにいってました。

──エリセはまだ新作を撮ろうという意欲はあるのでしょうか。

蓮實:彼はいつでも撮れると思ってるようです。一度潰れたと思ってた企画があって、第1部が、「ミシェル・フーコーによる『ラス・メニナス』」。第2部は、『マルメロの陽光』(1992)の画家のアントニオ・ロペスが、いまスペイン王室の家族の肖像画を頼まれて描いてる。だいぶ前から描いてるんですって。そのためにどこか広いところを宮廷内にもらって、写真を使うんですけれど、王様が立つ場所にはマネキン人形が立っていて、顔に王様の写真がある。そこへ毎日行って描いている。それを撮るのが第2部。それで、第1部が1時間10分になるかならないか、なんていってました。


6.フィクションについて

──ところで、先生はジョン・フォード論とフロベール論とは別に、「フィクション」を主題にした書物を執筆されるおつもりだとのことですが、これについてお聞かせ願えませんでしょうか。

蓮實:これは、先週、最終原稿を渡したところです。一部、『考える人』という季刊誌に連載していたもので、それに3章書き足して、ほかの章も全面的に書き直して、『「赤」の誘惑』という本として来年の2月か3月に出ると思います。その原型になったものは、4年前に北京で催されたパリ第8大学、北京大学、東大の共同シンポジウムで発表したものです。大学行政にかかわっていたとき、三浦俊彦さんの『虚構世界の存在論』を読んで強い刺激を受け、「フィクション」について論じなければ『「ボヴァリー夫人」論』はまとまらないと意識し、ひそかに資料を収集していたものですが、本にするまでにはかなりの時間がかかってしまいました。

──内容について簡単に話していただけますか。

蓮實:フィクション一般ではなく、文学におけるフィクションについて論じているのですが、フィクションというものは制度であって、その本質は存在しない、つまり純粋形態のフィクションというものはないというのが出発点です。ところが、その形式や機能を捉えようとしたひとびとは、哲学者にしろ文学理論家にしろ、いずれも現実の人間であるにもかかわらず、フィクションを論じているうちに、誰もがみずからをフィクション化していくっていう奇妙な現実に逢着しました。フィクションをめぐる理論家たちは、自分の書いている言葉に操作され、誰もが主体としての自分自身を失っていくしかないという否定しがたい現実につきあたったのです。その現実のフィクション性を明らかにするということで、今日多くの人が関心を示している「可能世界」論的なフィクション論とは逆になってます。それを、「赤」という語彙がいかに論者たちを無意識のうえで拘束していたかという、「赤」の主題論として展開しました。ことによると、「赤」という語彙への注目には、私の動体視力が働いていたのかもしれません。フィクションをめぐる言語哲学の理論的な考察には、嘘のように、「赤」の一語が引かれていたのです。

──どうして今、フィクションという主題で書こうと思われたのですか。

蓮實:ひとつには、いまいったように、まだまとめきれずにいる『「ボヴァリー夫人」論』を完成するにあたってフィクションというものを近代の散文の一形式としてどうしてもおさえておかなければいけないという意識がありました。それには、ミシェル・フーコーのいう「近代」における言語の露呈との関係で「近代小説」をとらえざるをえないということなのですが、現在のフロベール研究はそうした視点を重視してはおらず、かろうじて、局外者のジャック・ランシエールがその種の視点に立っている。言語の露呈とフィクションとの関係を結果としてうまくおさえられたかどうかはわかりませんが、多くの西欧の理論家たちがフィクションを論ずると、論ずる主体が無意識のうちにフィクション化していく。論ずる主体がフィクション化していくってことは、ほとんど自分の言葉を語ることができず、言葉に語らされることで主体が希薄化していくということです。アメリカの言語哲学者のほとんど全員がそれにあてはまっている。それと、いまは「可能世界論」的なフィクション論が盛んなんですが、そうした視点からフィクションを論じようとするひとの大半は、論じている作品が読めていないってことがはっきりとわかる。語っているひとたちは間違いなく存在しているにも関わらず、彼らの言説は対象を欠き、ほとんど存在していないかのような曖昧なものになっていく。ですから、「フィクション論者のフィクション化論」というような話になります(笑)。

──そういう意味では、『凡庸な芸術家の肖像』[4]の問題を引き継がれているわけですね。

蓮實:必ずしも引き継いでいるつもりはないんだけれど、どこかでつながっているかもしれません。

──ところで『凡庸な芸術家の肖像』を読み返すと、マクシム・デュ・カンは1894年に亡くなっているんですね。つまり、偶然にも映画が誕生する前年というわけです。先生は、ちょうどフランスの第二次帝政期に「現代」を規定するあらゆるものが出そろったと述べられていて……

蓮實:まあ、多くのものが、という程度のことですが。

──はい、いずれにせよ、そうしますと、ビデオであれDVDであれ複製技術による文化の大量消費という点では同じことの延長線上にあるわけだし、「凡庸さの時代」としての西洋近代という風景を変えうるものではないという視点も成り立つかと思います。ただ他方で、フィルムというものに関していうと、果たしてマクシム・デュ・カンと同時代のものであるといいうるのかどうか、先生はどうお考えなのでしょうか。

蓮實:それはちょっとわからない。ちなみにマクシム・デュ・カンはフィルムを使って写真を撮っていないのです。いまでいう乾板写真の原型ですから。それが非常に難しいところで、これは『InterCommunication』という雑誌でやっている連載でそこまで触れようかとも思ったんですが、いろいろやっかいな問題があるので、触れずにおかざるを得なかった。材質ですよね、ようするに。フィルムが材料かっていうと──映画の場合ですけれど──フィルムは材料ではなくてあくまで媒介であって、材料というか題材は被写体になったほうだとされる。そのあたり、いろんなひとが書いてるのを読んでもあやうげです。晩年のバルトなんてまさしく、媒体としてのフィルムについてはほとんど語らず、フィルムの被写体についてしか語っていない。彼自身の母親にしてもそうだし、ナポレオンを見たナポレオンの弟の目にしても、「媒介としてのフィルム」を語らずに彼の写真論はできています。ですから題材論であって、材質論ではなくなっている。そのあたり、写真論がどの程度進んでいるのかと思っていくつか読んでみたんですが、やはり題材論なんです、大半は。そうすると映画論より遥かに遅れている。どうもそのあたりは今回ではちょっと詰められないし、誰か十分な暇と余裕と想像力のあるひとにやってもらおうと思って、私はそこまでやらないつもりです。

──『凡庸な芸術家の肖像』では、マクシム・デュ・カン以来の時代に生きる者として、彼と同じ身振りを蓮實先生ご自身も演じているかもしれないと書いておられるのですが、映画体験によって、そうした構図から一瞬なりとも出て行かれたとは考えておられますか。

蓮實:さあ、それはどうでしょうか。大きな規定性からいえば、とても出てない。映画体験によって、抜け出てはいないと思う。ただある種の、なんといったらいいか、楽天性とは違った、生きることへの素朴な確信みたいなもの──楽天的な意味での確信ではなく、またアイロニーとも違ったものですが、それでも生を確認できるというのは、明日も映画が見られるってことを疑わずいることだと思う(笑)。つまり、絶対に自分から映画を見るのをやめるとはいわない。そのことによって、錯覚であるにせよ、マクシム・デュ・カンの時代とは異なる時空への視点を確保した気になれるのです。もちろん、年齢から来る衰えで肉体的、かつ物理的に外出できなくなるとか、今後、いろいろ問題があるのかもしれない。また、1日に3本はもう見れなくなったとか、長い映画はやだなあとか(笑)ありますが──『マイアミ・バイス』も1時間50分にまとめてくれないのかなと思いましたけれど──こうしたごく近い未来への確信によって、マクシム・デュ・カンの時代とは違う空気には触れうるのかもしれない。
 映画批評が存在しなければいけないという決定的な原理はなにもありません。なにごとについてもそうだといえばそれまでですが、映画批評というものが存在しなければいけないということを原理的に説明しようとすると、比較の問題としてないよりあったほうがいいんじゃないということぐらいで、絶対になければならないということは誰もいえずにいる。じゃあ絶対にやらなければいけないことは何かといったとき、ラカン的な意味での「réel(現実)」について論ずることがそうかというと、そうではないと思う。その種の「réel」について論ずることには形式的にある種の安易さがあって、その安易さは、ニーチェもいうようにカントの「物自体」から始まったといってもいいですけれど、やたらな人間がそれに言及すると、世界を必要以上に単純化してしまう。ですから、許せないのは、私ひとりが許せないっていったってどういう意味もないんですが(笑)、ジジェクの書いている映画論なんか読むと、腹が立ちます。世界も、映画も、それほど単純なものではない。そもそも無限の情報量で充満した画面を、お前さんはくまなく見ているのか。見ているはずがありません。ラカンだって見ていない。にもかかわらず、「réel」という殺し文句を口にしてしまう。そのことの安易さについては、フィクション論の『「赤」の誘惑』でも論じておきました。「表象不可能なもの」について論じるひとの多くもそうですが、ごく単純に言語記号の配置が読めない主体に、仮眠中の記号を目覚めさせる資質も能力もない主体に、「réel」など論じてほしくない。
 これは批評一般についていえることですが、映画批評とは本質的に言い換えの試みです。ある意味では、翻訳といってもいい。しかし、その翻訳は、映像記号=音声記号からなるフィルムの言語記号への読み替えといった単純なものではありません。フィルムに触れることで、批評する主体は、まず、眠っている記号を覚醒させる、つまり潜在的なものを現行化させるという体験をくぐりぬけるのであり、そのことによって自分も変化せざるをえず、主体がいつまでも維持される静態的な記号の解読ではありません。しかし、それがそのつど覚醒化というできごとと同時的な言い換えの試みである限り、どこまでいっても翻訳には終わりはなく、決定的な言い換えというものは成立しようがない。だから、あるとき、自分にこの翻訳をうながしているものはなにか、また、その言い換えが可能であるかにみえるのはいかなる理由によるのかと自問せざるをえません。そのとき、批評家は、いわば「原=翻訳」ともいうべきものと直面し、言葉を失います。そんなものが現実にあるかどうかは問題ではありません。しかし、どこかで言い換えの連鎖を断ちきるような高次の力に触れるしかありません。ひとまず「réel」としか呼びえないものとひとが出会うのは、そうした場合にかぎられている。
 だから、「réel」と口にするひとは、そう口にしてしまった自分にその資格があるかどうかという疑いを持たねばなりません。ところが、「réel」について語ることは、その資格もないひとたちがもっとも楽天的に戯れうる制度になってしまった。この制度は、なんらかのかたちでもう一度わさわさと揺り動かさなければならない。無限の翻訳の連鎖に組み入れられた体験を持たないひとが、「原=翻訳」なんていっちゃいけないわけですよね、本来は。にもかかわらず、現代では、自分に果たしてその権利があるのかどうかを誰も反省しなくなっているという怖さがあります。それは、思考の頽廃でしかありません。自分がそれを語るにふさわしい人間か、また、そのかたちで語っていいのかということに対する反省が、いたるところで失われてゆきます。そのとき、職業ではなく、体験としての批評が改めて意味を持ち始めるのですが、言い換えの無限の連鎖に取り込まれるより、ひとこと「réel」といっているほうが、疲れなくていいのかもしれません。

[続く]


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脚注

4.『凡庸な芸術家の肖像』
70年代から約10年間雑誌連載され、1988年に青土社から刊行された蓮實重彦の主著のひとつ。フロベールの友人として知られるマクシム・ドュ・カンの生涯と作品を巡る論考であるが、「西欧近代」の起源をめぐる一大考察でもあり、また、今日の批評的言説への同時代的レスポンスとしても極めて刺激的な書物。ちくま学芸文庫から再刊されたが、現在品切れ。

04 Dec 2006
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