フィリップ=アラン・ミショー『スケッチ 美術史、映画』

森元庸介

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 ポンピドゥー・センターは2006年4月から「イメージの運動」という総題のもとに新しい所蔵品展示をおこなっている。中心となるのはフィルムあるいはヴィデオを媒体とする作品が左右に投影される廊下上のエリアであり、それを挟んで絵画、彫刻、写真(そしてまたヴィデオ)などが配されている。

 後者を組織する軸は、プロジェクション、モンタージュ、ローテーション、ナレーションといった一連の主題である。「総花的」という声があがりそうだ。実際、そういう節はある。本当に停止しているものはない、とすれば、その表象もまたおしなべて動いていることになるわけだから。あるいは静止もひとつの運動であるわけだから。どんな作品でも詰め込んで、そこにひとつ枠組みを与えさえすれば、それだけで動いていると見えるかもしれない。さりながら、およそ遊覧のつもりで出かける身に、そうしたことはあまり気にならない。たとえばロトチェンコは卓越していると感じるとすれば、それはモノグラフィー的な展示から抱くのとは別の印象なのではないか。何か別のものと比較してみて、というのではない。ごちゃまぜにされて浮かび上がる輪郭がある。

 監修者はフィリップ=アラン・ミショー。少しく以前、ポンピドゥー映画部門のディレクターに着任して、「グロテスク」という擦り切れかかった──というより、それが何であるかについてあまり真剣に考えられない──範疇に彩りを取り戻させる短篇特集(「ホラー・コミック」)、あるいはハリウッドを中心に「リサイクル」を主題化した上映企画などを手がけてきた。そもそもは美術史畑のひとである。ジャン=クロード・レーベンシュテインの指導下でビザンティン美術をめぐる博士論文を提出し(単行本化されている。Le Peuple des images, Desclée de Brouwer, 2002)、ヴァールブルクについての『運動するイメージ』という本もある(ジョルジュ・ディディ=ユベルマンが序文を寄せた。Aby Warburg et l'image en mouvement, Macula, 2000)。

 だから、といってよいはずである、「美術史のように」というタイトルをつけて、美術史家や哲学者にポンピドゥー所蔵のフィルム群を論じさせる講演シリーズを組織してもいる(これまでのところ上述のレーベンシュテイン、ディディ=ユベルマン、あるいはユベール・ダミッシュ、カトリーヌ・マラブーなどが参加している。とくに充実した内容の講演として気鋭の美術史家パトリシア・ファルギエールのそれを挙げたい。初年度の記録を『国立近代美術館雑誌』(Les Cahiers du Musée national d'art moderne)の第94号で読むことができる)。

 あちこちに容喙して、かつそれが好もしい。資質の組み合わせとして貴重なはずである。

 そのミショーの論文や講演を集めた本が、件の所蔵品展示の始まりとほぼ時同じく公刊された。本題は『スケッチ』、副題に「美術史、映画」とある。前者は「寄せ集めの本です」と断りを入れている。後者は「、」が少し曖昧さを残す。ひとつの意図の表明とわかるのは序文のおかげである。映画の歴史は、ひとが日常、映画館に足を運んで見る「映画」の歴史よりも広い領域をカヴァーしている、あるいはそうあるべき、逆に、美術とその歴史は、映画をひとつの光源として仮設するとき、いろいろなふうに動く、あるいは動かすことができる、というわけだ。

 そこから帰結するオリエンテーションが大きくいってふたつ。映画よりも以前からありつつ、さまざまな形で運動を志向した視覚芸術あるいは理論の軌跡を追うこと。ヴァールブルク、マレー、花火、タピスリーなど。映画を視覚芸術全般の歴史文脈に置き直して改めて見つめてみること。リュミエール、ポール・シャリッツ、アンソニー・マッコールなど。

 少し退くなら、わりと古典的なふたつのテーゼが働いているのが見える。《作品は課せられた形式において本来遂行不可能なものの遂行を目指す》。《新しい形式は旧い形式との関係を作品化の営みそのもののうちに折り込み、押し広げる》。むろん、ふたつは截然と区別されないはずである。過去が未来を先取しているという印象は、およそのところ、現在の基点を過去に求める投影の帰結なのだ。というのもまた、いまとなってはわりと古典的な話柄に属するかもしれない。

 そこまで書いて少し筆が進みにくい。一巻をつうじて固有名詞と年代が羅列され、場所と状況の記述がしばしば戸惑うほどに密である。洒脱な文体に鏤められた細部が不器用な要約を裏切りそうだ。結果として範例的な位置を占めるとおぼしいマッコールについての論攷の進みを辿って、紹介の責めを塞ぐことにしよう。

 アンソニー・マッコールは1973年、《円錐を描く線》(Line Describing a Cone)と題される作品を制作した。ボールペンとコンパスを用いて描かれた線が黒紙上で円を描く。その過程が映写される。作家の言によれば、そこにあるのは「慣習的なフィルム」にほかならない。一定の時間的持続のうちで、ひとつの事態がクライマックスへ向かい、解決がもたらされると同時に作品が閉じるわけだから。けれども、投影の舞台にひとつ捻りが加えられている。ごく平均的な展示会場──つまり作品の占める場所と観者の占める場所とのあいだにともあれ物理的な区別がない空間──にスモークを炊く(作家ははじめ、観客の一部が吸う煙草で十分と考えていたようだが、そうはいかなかった)。すると、立ち会う者の興味を引きつけるのは、投射された図形よりもはるかに、煙幕のうちで束としての量感を帯びることになった投射光のほうであるはずだ(同様の結構の作品に触れてみて、実に貧しい譬喩であるけれど、雲に手を差し入れるような「錯覚」がたしかに実現されていると思う)。タイトルが示すのはまさにこれであって、投影された円を底面とする円錐が作品の全体となる。《円錐を描く線》は、このようにして「慣習的なフィルム」とは別のものだ。

 別のもの、というより、通常であれば作品の手段であるはずの光が作品の形式と内容そのものへ転化されている。わりと見やすいことかもしれない。作品は「光の束をひとつの手段、つまりコード化された情報を載せる純然たる媒体とみなすのではなく、この光の束そのものを中心化する」。ここにあるのはカントの『純粋理性批判』と同じような視点の転倒、あるいはそこで参照されたコペルニクス的転回そのものだ、とミショーはいう。知覚の空間から投影の空間へ。イリュージョンを成立させる想定上の窓から不透明な表面の手触りそのものへ。実際、ごくリテラルに、消失点は平面の彼方の一点とではなく、この平面を成立させている光源と一致するのでもある。

 けれども、ことがらは「純粋な形式上の純化」に尽きるわけでもない。作品はスモークという物質を介してあからさまに三次元的な彫刻へ近づいてもいるのだから。さらにまた、ここで投射された光線はいかほど微細とはいえそのつど異なるはずの具体的な環境に左右されて、みずからの本来的な物質性を取り戻しているのであるから。「次のような仮説を立てられるかもしれない。連続性が同時性へ立ち戻ることになるとき、フィルムは彫刻に変じるのだと。」

 まずはフォルマリスムという規矩を押し当てて作品の寸法を取り、ついでそこから嵌み出す部分を掬い上げる。すべてが最初から仕組まれているのか。学校論文のお手本のようでもあって、飽き飽きというひとがあるかもしれない。しかしそれはごく普通の意味で啓蒙的な本の特徴であり、そうした本は実のところ決して多いわけでない。あるいはそうした本を読む楽しみは、もっともらしい看板とは別のところにあるというのが常か。トラヴェスティについて、また『クレージー・キャット』について。正しく「趣味的」といえそうな領域の探索でこそ著者の面目は躍如するかもしれない。その如何を確かめようという向きに、「ものづくし」を旨とする記述は、それなりに甲斐と快のある読書の機会を提供しそうである。


Philippe-Alain Michaud, Sketches. Histoire de l'art, cinéma, Ed. Kargo & L'Éclat, 2006.

26 Sep 2006

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