エドガー・G・ウルマーのために、あるいはカップルの政治学──Lost&Found Ⅱ

葛生 賢

 ドゥルーズ=ガタリは「偉大で革命的なのは、マイナーなものだけである」とカフカについて述べているが、エドガー・G・ウルマーについても同じことが言える。というのも彼らが「マイナー文学」について指摘した3つの特徴、言語の非領域化、直接に政治的なものへの個人の結合、言表行為の集団的組み込み、といったものはウルマーの作品、とりわけ1930年代後半に撮られたエスニックな作品群に顕著だからである。しかしそれら米国内のマイノリティに向けて作られた作品だけにとどまらず、ウルマーの全作品を「マイナー映画」[*1]としてとらえることが可能であるように思う。すなわち「低予算早撮り」という制約が産んだ特異なスタイルやその主題において。それについて考える前に、まず映画作家の半生を簡単に振り返ってみたい。

 1900年ウィーンで彼は4人兄妹の長男として生まれた(1904年ウルミッツ生まれとの説もあり)。社会主義的な思想を持ったワイン商人であった彼の父は第一次大戦中に前線で病死する。生活に疲れた母は彼ら兄妹を捨て、残された彼らはヨーロッパ各地に里子に出される。スウェーデンの家庭を転々とたらい回しにされた後、再びエドガーは1920年頃ウィーンに戻ってくる。ちょうどそのあたりに、彼はマックス・ラインハルトの劇団に出入りするようになり、そこでF・W・ムルナウと出会い、彼の映画に美術スタッフとして参加する。ムルナウが『サンライズ』(1927)のために渡米するのに同行し、以後『タブウ』(1931)を遺してムルナウが亡くなるまで彼の作品を支えることになる。その間、1929年に一時ドイツに戻り、共同監督ロバート・シオドマーク、撮影オイゲン・シュフタン、脚本ビリー・ワイルダー、助監督フレッド・ジンネマンといった少人数のスタッフで、後のイタリアン・ネオリアリスモやヌーヴェルヴァーグを思わせるスタイルの都市生活者たちのスケッチ『日曜日の人々』(1929)で監督デビューする。彼らスタッフは、シュフタンとウルマーを除くと、映画界での経験のない若者たちであった。ムルナウの死後、ウルマーはニューヨークでエド・サリヴァン主演(!)の『ミスター・ブロードウェイ』(1933)を共同監督した後、カナダ衛生評議会の後援で梅毒の危険を訴える『傷物の人生』(1933)で一本立ちする。これが評判となり、次にボリス・カーロフとベラ・ルゴシ主演でエドガー・アラン・ポーの原作を大胆に脚色した怪奇映画『黒猫』(1934)を撮る。これは1930年代にユニヴァーサルのドル箱であったホラー映画の最初期の1本である。この現場で彼は、生涯の伴侶となるシェリー・キャッスルと恋に落ちるが、彼女が大プロデューサー、カール・レムリの甥の妻であったことから、以後、エドガーとシェリーはメジャー・スタジオから追放され、ハリウッドの裏街道を歩むことになる。

 ウルマーが『ポルタヴカの娘』(1936)を皮切りに、米国内のウクライナ人、ユダヤ人、スペイン人、黒人といったマイノリティ向けの映画を次々に撮り始めるのはこうした時期である。彼自身は『アメリカの結婚仲介人』(1940)を最後にこうした映画を撮らなくなるが、この経験はウルマーに消しがたい刻印を残す。この時期に撮られた8本の作品のうち、私が見ることのできた作品は『緑の平原』(1937)、『歌う鍛冶屋』(1938)、『前方の光』(1939)、『アメリカの結婚仲介人』(1940)の4本のイディッシュ映画[*2]と『ハーレムにかかる月』(1939)という1本の黒人映画である。そこでこれらを中心にウルマーの「マイナー映画」について考えてみることにしよう。

 村に蔓延した疫病を、医学によってではなく、呪術によって解決しようと富裕層からなる長老会議のメンバーたちは決定し、その生贄として一組のカップルが選ばれる。片足の不自由な若者フィシュク(デヴィッド・オパトッシュ)と盲目の少女ホデル(ヘレン・ベヴァリー)である。村の古くからのしきたりによれば、村びとの中で最も貧しい男女を選び、彼らを墓地で(!)挙式させることで神の怒りを宥めることができるという。お互い愛しあっていながら、貧しさゆえに結婚することができなかったふたりのうち、フィシュクはこれを好機としてホデルに同意を求めるが、彼女はこの屈辱をなかなか受け入れることができない。だがついに彼女も折れ、彼らの結婚式が荒涼とした深夜の墓地で村びとたちの列席のうえ行われる。村の富裕層たちから彼らに家財道具一式が贈られる。宴たけなわとなった頃、突如、誰かがふたりの姿が消えたことに気づき、皆は慌てふためく。時すでに遅し。ふたりは彼らに同情的な老人の手引きで会場を抜け出し、馬車で村はずれまで逃げ出したのだ。村びとたちからせしめた贈り物の数々を荷台に載せて。ふたりはこの腐敗した村を捨て、彼らにとって新天地である都会に旅立つだろう。手術によって彼女の視力が回復することを夢見ながら。

 これが『前方の光』のラストだが、この若いユダヤ人カップルの物語にウルマー的な主題が要約されている。つまり、貧しい孤児たちはカップルを形成することで、愚劣な社会が彼らに強制する屈辱と闘うことができる、ということだ。このふたりの姿に現実のエドガーとシェリーのカップルの姿を重ね合わせることもできるだろう。ストローブ=ユイレやゴダール=ミエヴィルのカップルに先立ち、困難な製作条件のなか、ウルマー夫妻は生涯にわたって映画という戦場を一緒に闘い抜くことになる(『黒猫』から遺作の『キャバーン』(1964)に到るほとんど全作品でシェリー・ウルマーはスクリプトとしてクレジットされているが、実際は企画段階から彼女は作品に関わっており、脚本を手掛けた作品もいくつかある)。だが今ここで論じたいのはそのことではなく、ウルマー作品のカップルたちが社会に突き付ける「否」についてである。彼らはそのひと言を発することによって、政治的な存在としての自己に目覚めると言ってもよい。全ては政治的なのだ。若いラビと無学な農家の娘の恋を描いた牧歌的な田園詩『緑の平原』に始まったウルマーのイディッシュ映画は、ミュージカルである『歌う鍛冶屋』において「階級」の主題が目立たない形で導入された後、この『前方の光』で急転回を遂げる。ウルマーがムルナウの弟子であったことを思い起こさせる、恋人たちが待ち合わせる夜の通りの表現主義的なセットとライティングが印象的なこの映画が持つ政治性の先鋭化は、大西洋を隔てた第二次大戦前夜のヨーロッパでユダヤ人の同胞たち(ウルマーはユダヤ系である)が被っていた民族的な受難を確かに反映させているかもしれない。しかしここで主題化されているのは、非ユダヤ人がユダヤ人に対して行使する暴力ではなく、同じユダヤ人同士の間の階級対立なのだ。この映画の富裕層たちは疫病の発生源である小川を浄化したり、病院を建てたりするかわりに、教会に寄付することを望むのだ(ちなみに、ホデルら村の娘たちが蒸し暑い夏の夜にこの小川で水浴びをする美しいシーンがある。裸身の彼女たちは、大鴉を思わせる黒い衣装に身を包んだ裕福な中年女性にその現場を見咎められる。娘たちは次々と疫病に倒れるが、ホデルだけはなぜか感染せず、生贄に選ばれる遠因を作ってしまう)。そこで犠牲となるのは貧しきものたちである。そして彼らもまた神に祈ることしかできない。宗教は阿片である。マルクスのこの言葉は柄谷行人が指摘するように、しかし現に阿片を必要としている現実があるということでもある。架空の東欧のユダヤ人共同体を見つめるウルマーのまなざしはそのことを物語っている。燦々と輝く陽光の下にどこまでも広がる開放的な空間の中で展開するユートピア的な『緑の平原』に対し、『前方の光』は、多くの場面が夜に設定され、屋外であっても窒息しそうな閉塞的な空間に人々が閉じこめられているような視覚的印象を与える。だからこそ冒頭の柔らかな光が射す村はずれの田舎道が、ラストで再び現れ、ふたりを乗せた馬車がそこを通る時、同じ光が彼らを祝福しているようで、見るものは胸を打たれるのだ。

 ではこの作品において定式化された「カップル対社会」という図式は、その後の作品でどのように形象化され、また変化するだろうか。白人ボスに操られた黒人ギャングの継父に翻弄される若い黒人女性と理想に燃える黒人青年活動家とが苦難の末に結ばれるメロドラマ『ハーレムにかかる月』(この作品は低予算早撮りで知られるウルマーの作品歴の中でも最も低予算かつ最短で撮られた)を挟んで、再びウルマーがイディッシュ映画に取り組んだ『アメリカの結婚仲介人』では、カップルの可能性/不可能性という主題が扱われている。どこかウディ・アレンを思わせもする富裕でスノッブな神経症的ユダヤ人インテリのナット・シルバー(レオ・フックス)は、8度も婚約破棄の憂き目を見た挙げ句、結婚仲介人としてユダヤ人コミュニティに尽そうと考え、結婚紹介所を開くが、そのクライアントとしてやってきた魅力的なブルジョワ娘ジュディス(ジュディス・アーロンズ)に心惹かれつつも、彼女の幸せのために自分以外の男性を紹介するという自己欺瞞的かつ倒錯的な振舞いをする。ところが彼女に紹介した男性が食わせ者で、結婚式当日に花嫁を残して行方をくらまし、そこで突如、自らの誤りに気づいたナットは、実は彼を愛していたジュディスと結ばれるのだ。ここでの主人公はあまりに自らを偽っているがために自らの愛に気づかず、一種の「不能」状態に置かれている(レオ・フックスが二役を演じているナットの伯父がやはり結婚仲介人をしていて、その原因が性的不能にあることが仄めかされている)。彼がひとりの男性として自分自身と彼女に向き合うことができるのは、物語の最後の瞬間であって、それは彼女からの働きかけを通してである。『前方の光』ではあれほど確信に満ちていたウルマーの恋人たちは、都市生活の喧噪の中ではもはや自分たちの愛に確信が持てなくなっている(彼らが最後に自分たちの愛を発見できたのは、ナットがジュディスに紹介した男性が彼女を裏切るという弁証法的な逆説によってである)。なお低予算で撮られたためだろうか、同時代にハリウッドで撮られていたスクリューボール・コメディと比較すると、主題的に多くのものを共有しつつも、主人公のライバルとなるべき婚約者の影の薄さが(彼2、3シーンにほんの少し登場するだけである)、この作品をいびつなコメディにしている。

 さて『アメリカの結婚仲介人』に到って、ウルマー的カップルの存立自体が危機に晒されたわけだが、PRC[*3]での第1作『明日われらは生きる』(1942)などで一応は恋人たちのハッピーエンドを見せつつも(とはいえ、ヒロインが幻視のように見る砂漠を進む戦車隊が突如現れるこの作品のラストはかなり異様なものである)、ウルマーの最高傑作のひとつ『青ひげ』(1944)に到って、もはやカップルの成立は不可能なものとなる。それに変わって1940年代後半のウルマー作品を彩ることになる形象が反社会的な犯罪者である。自らの肯定的な力能を高めてくれるはずの異性の支えを失って、資本主義社会を彷徨うことになる彼や彼女は、自らの欲望を制御することができずに、快楽や権力や金銭をなりふりかまわずに追求することになる。それが『青ひげ』のジョン・キャラダインであり、『奇妙な女』(1946)のヘディ・ラマーであり、『野望の果て』(1948)のザカリー・スコットである(なおウルマーは、彼らからそれぞれの作品歴の中でも最良の演技を引き出しており、ここに単なる「低予算早撮り」の映画作家というにとどまらない、優れた演出家としてのウルマーの技量を見ることができる)。彼らは『前方の光』にあっては社会変革へと向う革命的な力としてあったはずのものを、エゴイスティックな欲望のために消尽してしまう。そしてそうした過剰な力は社会的な規範を超えるものとして否定的に扱われ、彼らは単なる犯罪者に成り下がってしまうのだ。ウルマーはこれらの作品で、政治的なものとの連関を失った個人の力が社会においてどのように作動するのかを考察しているのである。例外なくこれら主人公たちには社会の側から罰として死が与えられる(その死が社会の法の下に与えられない場合においても、彼らの死は「神」というさらに上位の裁きのシステムから「天罰」という形でもたらされる)。おそらく彼の作品の中では『黒猫』と並んで最も有名なフィルム・ノワール『恐怖のまわり道』(1945)を引合いに出して、彼の特徴であるとしばしば論じられる「運命論的な世界観」や「閉塞感」といったものも、それが彼の作品全体の説明原理とはなりえない。むしろそれは支えを失った個々の力能が社会との関係において取る様々な形態のひとつに過ぎず、したがって『恐怖のまわり道』は彼の代表作というよりは、その作品系列における例外的な作品と言える。というのも『恐怖のまわり道』のトム・ニールは、他のウルマー的人物とは異なり、あまりにも受動的かつ無力であり、そのために心ならずも犯した二度の殺人によって、ニューヨークとロサンジェルスの間のハイウェイを亡霊のように行きつ戻りつしなければならないのだ(あの主人公の長い独白は、まるで亡霊がこれまで無限に繰り返し、これからも繰り返すだろう生前の思い出話のようではないか。そしてラストショットの肩を落として歩く彼の後ろ姿はまさに亡霊のそれだ)。

 では政治的なものとの連関を失った力能は永遠に空回りを続けるだけなのだろうか。この問いに対するウルマーの答えが、彼が1940年代の終りに撮った2本の偉大な映画『カーネギー・ホール』(1947)と『地中海の虎』(1949)である。そしてまたこれらの作品はマイナー映画作家ウルマーが古典ハリウッド映画の偉大な作り手でもあることを十二分に証明している。その完成度は同時代のアメリカ映画史の傑作群に比べても全くひけをとらないものである。これらの作品において、個々の力能は再びその支えを見出し、集団化されて民衆の力能となり、新たな社会を創造する。すなわち『カーネギー・ホール』では清掃婦の息子はマエストロたちから教えを受けたものの、場末の歌手への愛のために、ポピュラー音楽の世界へと飛び込み、数年後にクラシックとポピュラー音楽を融合した新進作曲家としてカーネギー・ホールで凱旋公演をするし(当時の大音楽家たちが大挙出演するこの映画は、そもそもクラシックの普及を目的として民衆のために撮られた)、『地中海の虎』では革命前夜の18世紀末ナポリを舞台に貴族であると同時に海賊の首領でもあるという二重性を持つルイス・ヘイワードがまさに民衆の力能をひとつの革命的な力にまでまとめあげる(そこには革命についてのもうひとつの偉大な民衆的映画『ラ・マルセイエーズ』(ジャン・ルノワール監督, 1938)を想起させる瞬間がある)。

 このふたつの祝祭的作品を頂点として、民衆の集団的な力能は再び分裂し、二度とその力を取り戻すことはないだろう。もともと孤児であったウルマー的人物たちはもはや他の力能と結合する契機を失われている。その極端な例が『惑星Xから来た男』(1951)の宇宙人であり、『ハンニバル』(1960)のヴィクター・マチュアである。一方は斥候として地球に派遣されたものの結局は地球人の無理解によって宇宙船ごと爆破されてしまうし、他方は自分の部族の力能を巨大な軍隊へと組織しローマ帝国を脅かすまでにいたるが、敵の陣営の女性への愛のために、結局はその力を有効に活用できずに終わる。あるいは『未来からの脱出』(1960)で現代人に核の危険を警告するために未来世界から帰還したものの、急激な老化のために病院のベッドの上で孤独に死んでいくパイロットや、『驚異の透明人間』(1960)で自分の欲望を充たすためにちっぽけな犯罪に手を染めて、世紀の大発明を有効に活用しえずに死んでいく透明人間などを挙げてもいいだろう。

 しかしこうした1950年代以降のペシミスティックな作品群の中にも、1本の奇跡的な作品が存在する。フランソワ・トリュフォーが称讃し、『突然炎のごとく』(1962)を撮るためのインスピレーションを彼に与えた『裸の夜明け』(1955)がそれである。列車強盗の途中で仲間を失ったならず者サンチアゴ(アーサー・ケネディ)が、泉のほとりで美しい人妻マリア(ベッタ・セント・ジョン)と出会い、彼女とその夫マヌエル(ユージン・イグレシアス)の農場に寄宿することになる。農場とセットでマヌエルに買われ、奴隷のように使われているマリアは夫を愛してはおらず、次第にサンチアゴに心惹かれていく。金目当てにマヌエルがサンチアゴを殺し損なった後、彼を許しつつもサンチアゴは農場を離れることを決心する。マリアも夫を捨て彼について行くことにするが、官憲に拷問されたマニエルを救うためにふたりは農場に戻り、サンチアゴは仕留めたはずの敵が放った凶弾に倒れる。彼は若夫婦に逃げるように命じ、ふたりを見送った後、息を引き取る。この美しい寓話にウルマー的な形象が新たなかたちで総合されていることを見て取ることができるだろう(出発するサンチアゴを迎えるために、マリアが庭の隅の家畜小屋の前で裸身になって身を浄める美しいシーンがこの映画にはあるが、それは『前方の光』の水浴びのシーンを思い起こさせる)、ならず者はちっぽけな自分の欲望にその力能を浪費するのではなく、カップルたちの未来のために、それを活用するのだ。この物語が革命前夜のメキシコを舞台にしているのは偶然ではない。朝日を背後にした馬上の若いカップルの姿は、いつの日にか彼らの力能が再び民衆の革命的な力として集団化される未来を予告している。



脚注

*1.「マイナー映画」
ここでいう「マイナー映画」とは、マイノリティのための映画を必ずしも意味しない。メジャーな言語(古典ハリウッド映画)を使って、その用法を逸脱させること、それはつまり美学的、政治的、経済的実践であり、そうしたマイナー化へと生成変化する作品群をここでは「マイナー映画」と呼ぶことにする。

*2. イディッシュ映画
イディッシュ映画とは、ユダヤ系移民のためにイディッシュ語で撮られた映画であり、トーキーの到来とともにいっとき咲いた徒花である。ウルマーの『緑の平原』はイディッシュ映画としては国際的な成功を収めた。合衆国の他にはソ連とポーランドが主な生産国であり、家庭内の危機や伝統的価値と近代的な都市生活との衝突などのテーマが多く扱われた。1939年の第二次大戦の勃発によりソ連とポーランドが戦火に見舞われ製作がストップすると、合衆国でも1942年までには製作が止む(Cf. Kristin Thompson, David Bordwell, Film History: An Introduction, Ed. McGraw-Hill, 2002, p.218)。

*3. PRC
ウルマーの他にジョセフ・H・ルイスの作品をプロデュースしたことで知られるこのB級映画専門の製作会社については、シャルル・テッソン「ジョセフ・ルイスと犯罪映画の掟」(『季刊 リュミエール』第9号所収, 筑摩書房, 1987年)を参照のこと。




[参考文献]

ジル・ドゥルーズ, フェリックス・ガタリ:『カフカ マイナー文学のために』宇波彰・岩田行一訳, 法政大学出版局, 1978年.
蓮實重彦:『ハリウッド映画史講義』筑摩書房, 1993年.
柄谷行人:『世界共和国へ 資本=ネーション=国家を超えて』岩波新書, 2006年.
小松弘:「エドガー・G・ウルマーが陰の映画史を徘徊する」, 淀川長治・蓮實重彦編『シネクラブ時代』所収, フィルムアート社, 1990年.
シャルル・テッソン:「ジョセフ・ルイスと犯罪映画の掟」千葉文夫訳, 『季刊 リュミエール』第9号所収, 筑摩書房, 1987年.
Perter Bogdanovich: Who the Devil Made It, Ed. Ballantine Book, 1998.
J. Hoberman: Bridge of Light, Ed. Temple University Press, 1991.
Andrew Sarris: The American Cinema, Ed. Dutton, 1968.
Chales Tatum,Jr (ed): Edgar G. Ulmer: Le bandit demasque, Ed. Yellow Now, 2002.
Charles Tesson: Photogenie de la Serie B, Ed. Cahiers du cinema, 1997.

26 Sep 2006
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