エロティックなダークネス
──リー・カンション インタビュー

インタビュー

Introduction

リー・カンション(李康生)は、ツァイ・ミンリャンの主演俳優であることにとどまらず、映画作家としてもその独特な存在感を強め始めている。処女作の『迷子』(2003)で、無為のような弔いの時間を着実なかたちに演出してみせた彼は、新作『ヘルプ・ミー・エロス』(2007)においては現代に蔓延している不安を個々の俳優を通して身体化する。このインタビューでの彼の語り口からも明らかなように、リー・カンションのスタイルはどこまでも具体的なのである。


──『ヘルプ・ミー・エロス』は2作目の監督作品になりますが、ご自分にとって俳優であることと監督であることとの本質的な違いとはどのようなことだと思いますか。

リー・カンション(以下リー):その違いを身体の部分にたとえると、監督は「頭」にあたると思います。監督と俳優とは普段1本の映画を見るにしても、その見方が違ってくると思います。僕が監督を始める前は、映画を見て目がいくのは役者の演技に対してだけでした。でも映画を撮るようになってからは、照明や撮影そして美術といろいろなところを意識的に観察するようになりました。撮影の現場では、「監督、あれはどうしますか?」という質問に対して即座に判断する作業を少なくとも1日に7〜8時間はしなくてはなりません。非常に忙しい仕事ではありますが、そこには何よりも得難い充実感がありますね。僕はどちらかというと監督をすることのほうが好きなのですが、もちろん俳優の仕事も続けていこうと思っています。

──俳優からキャリアをスタートされましたが、もともとは監督志望だったのですか?

リー:そうではありません。俳優を始めた時には監督になりたいと考えてはいませんでした。台湾の映画環境が、僕をだんだんと監督業のほうに向かわせたのだと思います。台湾の映画産業は活況にあるといえないことは確かです。製作本数が非常に少なく、年間で20数本くらいのものです。僕は映画が大好きですが、俳優としてやっていくのはとても大変です。また映画スタッフの技術的な仕事に関しても、大学を出ればすぐに仕事にありつけるかというとそうではありません。その人材が別の場所に流出していってしまうというような状況なのです。そんな中で、僕のように毎年1本の映画に出演し続けることができたのはとてもラッキーだったと思います。そうしてツァイ・ミンリャン監督のもとで経験を積みながら、俳優としてだけでなく作り手としての技術を身につけていくことになったのです。
 まずは脚本を書くことからスタートしました。ツァイ監督の『愛情萬歳』(1994)の撮影が終わったあたりから、映画を撮りたいという思いが強くなり、その最初の構想を練り始めたのです。2000年あたりから最初の作品の計画をスタートさせました。

──シナリオを完成されたのは、実は『ヘルプ・ミー・エロス』のほうが先で、処女作の『迷子』はその後にストーリーをつくられたそうですね。

リー:『ヘルプ・ミー・エロス』の構想は『迷子』よりも先にありました。けれども、ツァイ監督の『楽日』(2003)が計画された時、それはもともと短編作品として構想されていましたので、僕がもう1本の短編を撮ることで2本合わせて1本の長編作品にしようというプランが生まれました。そこで僕は『迷子』を短編として撮影したわけです。ところが、みなさんご存じのようにツァイ監督が撮影を終えてみると『楽日』は短編にはおさまらない長さになってしまっていたのです。僕が完成させた短編だけで興業するのはやはりたいへん難しい。そこで3〜4日の追加撮影をして、なんとか長編作品に仕上げることにしたわけです。こうした事情で、最初に構想していた『ヘルプ・ミー・エロス』が第2作目になったのです。

──『ヘルプ・ミー・エロス』では、監督の自伝的な要素──エロスではないにしろ、心理的な絶望的な部分など──が反映されているといえるでしょうか。

リー:僕がこの作品の構想に着手した時、台湾の映画界はいつもよりいっそう不景気な状況でした。僕は仕事もなくとても暇でしたので、株に手を出しまして、そして案の定、失敗してしまった。この経験はストーリーに反映されていますね。
 それ以前に、僕は首の病気を患いまして、これには1年近く悩まされました。30数人のお医者さんにかかっても治りませんでした。神様、仏様への神頼みをしてもダメだった。占い師の祈祷もムダでした。僕はものすごい絶望を味わいました。その苦しみを誰かに聞いてほしいと心から思い、電話したのが「命の電話」*1]でした。ところがこの電話がいくらかけてもなかなかつながらなかったのです。いつも話し中なのです。それで実感したのが、この世の中には助けを必要としている人がたくさんいること、悩みを聞いてほしい人がこんなにも多くいるという事実でした。誰しもがいろんな問題を抱えている、それは「命の電話」の電話口で相談を受けている相談員の人でさえも、彼女たちなりの問題を抱えているのだろうと思いました。『ヘルプ・ミー・エロス』に太めの女性の相談員が登場しますが、彼女自分も体型的な悩みや家庭の問題を抱えています。それでも彼女は人の悩みを聞いてあげる仕事をしなくてはならないのです。
 また、僕はこの作品でビンロウ売り[*2]の女性たちにも注目しました。彼女たちの存在をより強く感じたのは、ツァイ監督の映画をプロモーションするために、台湾全土の50カ所ほどの大学をまわった時でした。ビンロウ売りの女性たちは、たいていは高速道路のインターチェンジ近くに屋台を構えているのですが、彼女たちの背後にある家庭環境などはどのようなものなのだろうか、何かつらいものを背負っているのではないかと僕は考え始めました。こうして僕が作品で描くべき社会問題を見出したわけです。

──『ヘルプ・ミー・エロス』というタイトルにある「エロス」は、単にセックスのことだけを指すのではないようにみえます。むしろ官能的にみえたのは、主人公が大麻を吸った息を相手の口に吹き込むシーンでした。そのようにエロスとは、性に関することも含めて、食べることであったり眠ることであったりするのだと思います。監督はどのようにお考えですか。

リー:この作品の当初のタイトルは『ヘルプ・ミー』というとてもシンプルなものでした。でもそんなタイトルだと多くのお客さんを惹き付けることはとてもできませんので、「エロス=愛の神」という言葉を付け加えることにしたのです。
 この映画の中で僕が描いているのは誰もが自分の問題を心の内にあるいは家庭環境の中に抱えていて、そして誰もがその出口を見つけたいと願っているということです。自分の気持ちのはけ口を見つけたい、けれどもやはりなかなか見つからない。「エロス=愛の神」とはそんな人びとの気持ちを表現するかたちとなるものです。僕が演じた主人公の男にとって、「エロス=愛の神」とは大麻を吸うことでした。「命の電話」の相談員をしている太めの女性にとって、それは食欲を満足させることでした。ビンロウを売っている女性たちは、ブランド品を手に入れたりして虚飾に満ちた世界に感情のはけ口を見つけることしかできませんでした。誰しもが何かで満足したいと思っている。そうした寂しさ、空虚さ、心の闇を描きたかったのです。僕が演じる男が「命の電話」にすがったのも、自分の心の真の助けとなる「エロス=愛の神」をそこに見たからです。

──この作品では、録音技師のドゥ・ドゥージさんらをはじめとするツァイ監督のスタッフが参加しており、プロダクション・デザインはツァイ監督本人が担当されていますね。舞台装置に注目すると、主人公の男が住んでいる建物は、外観はとても高級に見えるのですが、実はその裏側には道路の高架とビンロウ売りの屋台があることがわかります。空間的な位置関係がとても不思議ですね。それから、主人公の部屋で女性がイスに座るとふぁっと白い光に包まれる場面も印象的でした。このような撮影の計画は、シナリオを書いている段階からプロダクション・デザインのツァイ監督とともに進められたのでしょうか。

リー:この作品で美術はとても大切な要素です。ツァイ監督とは何度も話し合いをもちました。彼が担当したのは「美術指導」という役回りで、彼とは別に美術を担当するスタッフがおりました。主役の男が住んでいる家は、場所選びの時から専門家の意見を聞きつつ、あるアパートの一室を選び、そこを借りて内装をつくり直しました。確かにツァイ監督の助けはとても大きかったですね。ビンロウ売りの女性たちのコスチュームを見つけてきてくれたのも彼でした。また、劇中にいろいろな料理が出てきますが、あれもツァイ監督が自分自身で料理したものです。彼はとても料理好きな人なのですよ。

──監督ご自身が出演されていない1作目の『迷子』では、ロングショットでの長廻しを多用されていましたが、今回はかなり計算された構図でカットを割っていました。たとえば、ビンロウ売りの女性がトラックのドア越しに運転手のほうへ身体を乗り出す場面では、複数のバックミラーに女性の姿が映りこんでいました。今回は監督ご自身が出演するということもあって、「頭」としての監督と、演じる役者としての自分の「身体」とのあいだに距離をつくり、切り替えの瞬間をつくるために、そのようなカット割りを決めたのだといえるしょうか。それとも、監督として映像をつくることに自覚的になった結果そのようになったのでしょうか。

リー:もともと主演にはアイドルスターを起用するつもりだったのですが、この役は露出の場面が多いためそれは叶いませんでした。それで僕が主演をやることになり、すると監督のギャラ、主演のギャラ、脚本のギャラが節約できる結果となりました。僕にとってはギャラよりも何よりも、よい映画を撮ることが第一でしたから。撮影期間は短くしかとれないことは事前にわかっていましたので、準備期間をしっかりと長く取り、ひとつひとつのシーンにおいてもきちんとカット割りをつくっておいたのです。監督と役者との切り替えについては、自分にとってはそんなに難しいことではありませんでした。何といっても様々な準備期間をふくめて1年間くらいこの映画のことをずっと考え続けてきたわけですからね。脚本も9回の改稿をしております。

──次回作の構想はありますか。

リー:特に具体的な計画はまだ進んでいませんが、頭の中に構想はあります。それはたぶん野球かダンスをテーマにしたものになるでしょう。

(聞き手:石橋今日美)


『ヘルプ・ミー・エロス』 幇幇我愛神 HELP ME EROS

監督:リー・カンション
制作総指揮・美術指導:ツァイ・ミンリャン
撮影:リャオ・ペンロン
録音:ドゥ・ドゥージ
編集:レイ・チャンチン
出演:リー・カンション、アイビー・イン、ジェーン・リャオ、リャオ・ホイジェン

2007年/台湾/104分



脚注

*1. 「命の電話」
相談者のどんな悩みでも聞いてくれる電話によるカウンセリング・サービスの一種。

*2. ビンロウ 檳榔
台湾では「第2のたばこ」「台湾ガム」と呼ばれ、広く愛好されている嗜好品。檳榔樹の実と石灰を同時に噛むことで、マラリヤ防止、眠気防止、活力増強に効用があるという。

20 Dec 2007

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