カップルたちを見つめる距離
──高橋泉 インタビュー

インタビュー

Introduction

『ある朝スウプは』(2004)で鮮烈な長編デビューを飾り、長く新作の待たれていた高橋泉が、第8回東京フィルメックスのコンペティションで第2作『むすんでひらいて』を発表した。その新作では、なめらかに造形されたセリフとアクションに加え、編集のリズムや群像劇の演出に、またしても映画作家としての力量をかいま見せることとなった。ひとを静かに驚かせる高橋の映画。その技法と発想の在りかはいったいどこにあるのか。

リアリティーとフィクション感覚

──前作『ある朝スウプは』は時系列的に、一直線に進行する構成でしたが、今回はフラッシュ・バックを多用されており、重層化しています。また、映像に関しても、テレビの画像や写真などが使われるなどの多様化がみられます。こうした変化についてまずお聞かせいただけますか。

高橋泉(以下、高橋):前作から3年たっているんですけど、あれに関しては、フィクション感覚をあまり入れたくなかったんです。3年のあいだに少し考えが変わって、リアルもいいけれどそれをバーンと突きつけてそれで終わるっていうことに今現在は興味がなくなってきています──また戻るかもしれないですが。今も役者の感情に関してはホントのことをやりたいですけど、一方で映画的な効果のほうに興味がありますね。

──フラッシュ・バックが白黒画面になったりもしていますね。

高橋:まあ、あれが過去って意味を持たせるのに一番わかりやすいんで……(笑)。説明がなくてもみんな過去だって見てくれる。


シナリオ・アドリブ・演出

──断続的に使われるフラッシュ・バックの場面が、現在のパートとはっとするような繋がり方をしていて、両者が一体になって進行するように感じたのですが、そのような構成も含めてとにかくシナリオが素晴らしいと思いました。シナリオ執筆にはかなり時間をかけられたのでしょうか。

高橋:いつも通りというか、頭の中で組み立ててから、1週間ちょっとでパーっと書いちゃうんですよ。

──1週間!

高橋:はい、改稿をしないんです。単純に自分たちの映画──自主映画なんで、ここをこうしたほうがいいということは誰も言ってこない。だから第1稿で自分のイメージがあったらそれをやってみて、現場でところどころ変えていったりはしますけど基本的には初期衝動を大切にやっていきます。

──俳優の方たちは即興で台詞を作ることもあるのですか。

高橋:ほとんどないですね。9:1の1ぐらいですかね。たとえば "タバコのマナー" という言葉についての会話のところ、あそこには台詞はもともとなくて、ト書きで「"タバコのマナー"って言葉を延々と説明しつづける」って書いただけです。それぐらいかな……。そう、あと廣末(哲万)くんが、脚本では「痛い」って書いてるのに「熱い」って(笑)。そういうところはパラパラありますね。言葉の語尾なんかは気にしないので。

──『ある朝スウプは』にも、即興はほとんどなかった?

高橋:あっちは2シーンぐらいかな。ヒロインの友だちが部屋に遊びに来るところの友だちの台詞と、あと家計簿をつけている場面の台詞は、アドリブ的なところがありましたけど、ほかはすべてがっちりシナリオで固めていて、それを後から役者にくずしてもらう。

──『ある朝スウプは』は、現在の日本映画全体の中に位置づけてみても、台詞の成熟度が極めて高い作品だと思います。監督のほかの作品に関してもいつもそう思ってきました。台詞は、書く段階でできるものなのか、それとも頭の中ですでにできているものなのでしょうか。

高橋:頭の中では、言わなければいけない言葉を決めておくだけです。昔にシナリオ作法書なんて読んだ時は、台詞はできるだけ簡潔であって明確であるべきだということが書いてあるし、僕も最初はそういうふうにやってたんですが、だんだん「それはおかしい」「これは日常的な台詞ではない」ということに気付いてきて、だからわざと何度も同じ言葉を繰り返させたりとか、聞き直させたりとか、そういうことをわざと入れるようにしてますね。それでも台詞は「A・B・A・B」となっちゃうんで、たとえば今回の朝食のシーンでいえば、現場でジャムの "安全ボタン" の話を会話の中に挟んでくださいと言って、で、適当にやってもらう。そうでもしないと、どうしても「A・B・A・B」になってしまって、気持ち悪いなと思う。

──その手の演出がいつも抜群ですね。

高橋:でも演出ってあんまりしないんですけどね。そういうアイデアは出しますけど、あとは役者さんの感情にまかせる。一応、自分の中で大枠は作っておくんですよ。その枠をはみださない限りはほぼOKにしますね。それと、いい意味ではみだした場合も、それはそれでOKにします。

──じゃああまりリテイクはしない?

高橋:ほとんどしないですね。自主制作だから素人のスタッフがマイクを持ったりするので、音がうまく録れていない、ということもでてきて、そういう時はリテイクをしますけど、芝居に関してのリテイクはあまりないです。

──役者さんはプロとして活動されている方たちなのですか。

高橋:今回の倉田役の廣末くんと、こずえ役の並木(愛枝)さんは、いちおう商業映画にも出てるんでプロといってもいいと思うし、正直、自主映画のレヴェルの演技ではないと思う。あとは、ほとんど素人ですね。

──素人のほうが監督の好みに合うということはありますか?

高橋:そんなこともないですけどね。別に素人がいいということはないですけど、ただ、癖がついちゃった演技って、なかなか癖がとれないんで、なるだけ癖がない素材のひとがいいとは思います。

──アドリブの問題とも関わりますが、監督はリハーサルを重ねて芝居を練り上げていくほうなのか、それともカメラをまず最初に廻してそこで出てくるものを信頼されるほうなのか、どちらでしょうか。

高橋:カメラを廻してからですね。カメラを廻す前に役者がかげで台詞合わせなんかしてますけど、リハーサルはしないです。「台詞覚えてます?」って聞いて、「大丈夫です」っていったら、「行きましょう」といってやっちゃうかんじ。

──役者の立ち位置などに関してはどうですか。

高橋:僕は構図も演出だと思ってるんで、構図だけはきっちり決めてしまいたいですし、役者にここからここまでは映るよということは伝えますが、あとはその中で役者がどう動こうが、動きたいんだったら動けばいいじゃないかと。


ロケーション

『むすんでひらいて』
──『ある朝スウプは』では主人公のカップルの部屋が重要な舞台でしたが、今回は複数の人物関係の中にそれぞれの部屋があります。それらはセットではなくてロケーションだと思うのですが、その選び方はどのようなものなのでしょうか。また、ロケーションの中で、どのように構図を決めるのでしょうか。

高橋:どの部屋を使うかに関しては、単純に限られてるので(笑)。50個の中から3つ選んだ、というわけではないです。

──畳と窓がポイントかとも思いました。それと、壁が多く映っていましたね。

高橋:そういえば、今回は16:9の画面ではじめてやったんですけど、4:3の時には出せなかった余白が欲しかったんですね。なぜ欲しかったかというと、無機質なかんじの画にしたいところがあったんです。だからわざとものが置いてないところを狙って、それで壁にカメラを向けて撮ったりはしました。

──それと、監督の作品にはいつも食事の場面があって、登場人物が常に低いテーブルの上で箸を使って白いご飯を食べているように思います。この点については、何か意図があるのでしょうか。

高橋:それはたまたま僕の知ってる範囲で、高いテーブルの上でご飯を食べてるひとがいなかったからじゃないですかね(笑)。

──それと、常に自炊なので、その点は重要なのかとも思ったのですが。

高橋:今回、白いご飯に関していうと、血の場面ですね。ほんと、白いご飯に血がつくと気持ち悪いんですよ。


編集

──編集に関して、冒頭から引き込まれるような素晴らしい編集がなされていると思いましたが、監督にとって、創作における編集の役割はどのようなものですか。一般に、撮影よりも編集が好きというタイプと、編集は地獄のようなものでむしろ撮影が好きだというタイプに分けられることもありますが、監督ご自身はどちらだと思われますか。

高橋:編集は、大変ですね。編集のリズム感でかなり変わってきてしまうので……。かなりこだわるなあ。撮影の時にどう編集するかというイメージはあるんですけど、パソコンに向かって実際に編集してみるとうまくいくことは少なくて……確かに地獄といえば地獄ですね。40分ぐらい続けて見た時に、どこかリズムが悪いと思ったら、またもう1回40分見て、また何度も見て、どこが悪いのか探すんですが、それは苦痛ですね。

──今回は編集にどれぐらい時間をかけたんですか。

高橋:3カ月ぐらいかな。

──撮影時期はいつでしたか。

高橋:5月から6月のなかばぐらいですかね。

──オープニングに関してですが、短いカットが畳みかけられるように編集されていましたが、『ある朝スウプは』とは違う方向でリズムを作ろうということが最初から狙いとしてあったのですか。

高橋:はい。あそこもアドリブなんですけど、今回は引いた画で見せるというよりも……そう、あそこも実際はかなり長い時間しゃべっているのをかなりかいつまんで編集しています。『ある朝スウプは』の場合は、画面上で起こったことはすべて残していたんですけど、今回はかなりかいつまんでいますので、狙いはぜんぜん違うのかもしれないですね。

──「群青いろ」(高橋泉と廣末哲万ふたりの制作ユニット)ができた過程はどのようなものだったのですか。

高橋:まず僕と廣末くんが出会って、それで何かやろうと思ったわけですが、はじめはひとをいろいろ入れていたんです。たとえば、3人で演劇をやってみたりとか、そういう時期もありました。でもどうしてもほかのひととは合わなかったんですよね。ほかのひとは、お酒飲んで話したりしてると面白いんだけど、実際にものを作ろうとすると、こないだ言ってたこととぜんぜん違うじゃん、って方向に行きたがったりする。
 みんな、やっぱりこわがりますね、客がついてくるかこないかってことに。制作費に億とかかけた映画だったらわかるけど、3万とかの映画でこわがってどうすんだって(笑)。そういうこともあって、最後に残ったのが僕と廣末くん。廣末くんはずっと芝居をやっていて、僕はずっと脚本を書いていて、もともと監督がいなかったので、それでやったってかんじですね。

──いわゆるシネフィルではなかったんですか。

高橋:「シネフィル」ってなんですか?

──映画を愛好してたくさん見て、ということですが、そのうえで映画を作ったということではない?

高橋:そうではないみたいですねえ。

──では演劇から入って、その後で演劇ではない表現へ移っていったということでしょうか。

高橋:なんでしょうね。きっかけがあったというより、流れでそうなっちゃっただけで。ある時点で映画をやろうと決心したってことではないですね。気付いたらカメラを廻してたという。


「カップル」とタイムリミット

『むすんでひらいて』
──高橋監督の映画は基本的に「カップル」の映画だといえるかと思います。「カップル」について意識されて映画を撮られているのですか。

高橋:それはありますよ、やっぱり。カップルって、別れるか結婚するかですよね、基本的に。たぶん(笑)。友だちの場合、それはないですよね。離れても数年ぶりに連絡したら「あら久しぶり」ってふうに、なんともない。カップルの場合、タイムリミットがあることが面白いと思いますけどね、人間関係の中で。

──シナリオを発想しやすい?

高橋:発想しやすいし、限られた時間で相手のことを想い尽くさないといけないってのは、それだけプレッシャーも大きいような気がするんですけどね。友だちだったら50年、60年ゆっくりつき合えばいいじゃないか、となる。恋人同士も本来そうなんでしょうけど、今の日本の世の中だと、なかなか……みんなせかせかしてるんで。

──向井とこずえのほうのカップルは、同棲しているのに同じベッドで寝ないのはなぜですか。

高橋:設定としては同じベッドで寝てますよ。それを映さないのは……そう、『ある朝スウプは』の時も、年配の監督からセックスシーンがないのが不自然だなんて言われました。……(沈黙)……。ダメですね。寒気がしますね(笑)。それだけで。今回は……おんぶまでかな(笑)。おんぶのところは、物語のつながり上、どうしてもいれなきゃいけないシーンだったんです。だから、恋人を描きながらも、恋人があんまり仲良くしてるのは撮らないですね。

──監督はカップルという主題に加えて、社会的な問題も繰り返し扱われています。『ある朝スウプは』では、新興宗教が描かれましたし、今回は「通り魔」であったり、自分に向き合う女性の精神的な困難さが描かれている箇所もありました。カップルの物語にはいつも社会の問題が絡んでいる。しかも、そうした問題は、しばしば観念的になりがちですが、監督はとてもうまい距離感で、登場人物たちのものとして自然に描かれているように思います。その距離感についてご自分ではどう考えておられますか。

高橋:単純に、僕自身の距離ですね。たとえば今回、ドメスティック・ヴァイオレンスがありますが、僕が高校生の時──当時はこんな言葉はありませんでしたが──隣に暴力を振るわれている女性がいました。その距離感ですね。だから、現実の距離感と同じ距離感で事件があったら、っていうかんじ。通り魔は、実際に通り魔事件ってあったじゃないですか、たしか池袋で。確実にすれ違ったひとがいると思うんですよ。もしかしたらその前後に犯人としゃべったやつがいたかもしれない。それが発想ですかね。

──『むすんでひらいて』というタイトルは、どこからとられたのですか。

高橋:むすんでひらいて、ということですね……(笑)。ひとが生きていて、ずーっと開きっぱなしのひとっていないじゃないですか。

──「開きっぱなし」というのは?

高橋:たとえば自分という人間をずっと見せるということですが、見せる瞬間もあるし、長い間むすんでいる時間もあるし、だから、ひとはときどきむすんだりひらいたりしながら生きている、というかんじですかね。

──タイトルはどの段階で決められたんですか。

高橋:最初からありました。『ある朝スウプは』の場合は、撮影中もまだ悩んでましたね……。でもまあ、タイトルはそんなに重要じゃない(笑)。

──次回作の構想はありますか。

高橋:あります。次は、もう一歩踏み込んで女性同士の共依存、おばさんと若い子の共依存について撮ります。人間の最大の欲求は何かと考えた時、お金とか名声とかいろいろありますが、たぶん自分とまったく同じ他人がいてくれることがそれなんじゃないかなと思っていて、自分の頭の中でケンカしたり同意したりしていることを、赤の他人が相手になってやってくれるのが、たぶん一番楽しい人生なのかなと思ったりするんですよ。それにはまっていく中年の女性を描きたいなと思っています。

──では、廣末さんの出番はない?

高橋:いえ、あります。共依存の話に加えて、少年Aは本当にモンスターだったのかという話もやろうと思っていますので。まあ、次もぐちゃぐちゃの、大変な群像劇になるでしょうね。

(聞き手:石橋今日美、衣笠真二郎)


『むすんでひらいて』 WHAT THE HEART CRAVES

監督・脚本・編集:高橋泉
撮影:高橋泉、中村謙吾、廣末哲万
音楽:三ツ井潤也
制作:群青いろ
出演:並木愛枝、廣末哲万、新恵みどり、門林渉、曽我郁子、垣原和成

2007年/日本/98分

13 Dec 2007
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